第07話 光る花を君に-2
アイに背中を押されたこともあり、リオウは今日もヨータの部屋に訪れる。
ベッドに横になっているヨータは頭の後ろで手を組んで布団の中で片膝を立て、「暇だ」と全身で主張している。彼の顔色は倒れた直後に比べれば大分良くなっていた。
運んで来た食事のトレーをベッドサイドに置いたリオウは椅子に座り、革手袋を外した手の甲をヨータの額に当てて体温を確かめる。体が弱ったせいなのか……今は随分嫌がらなくなったものだ。
「お腹は? 食べられそう?」
「まあ……たぶん明日には普通に動ける」
「今は無理して動くことないだろう」
ベッドから出ようとするヨータを、リオウが片手を伸ばして制する。実際、彼やアイ達が関わるような事件は、あれから特に起きていない。
「ここ数日水とスープかパンしか食べてないだろ。急に動いたら体がついていかないよ」
リオウに言われ、ふとヨータは彼が置いたベッドサイドのトレーを見上げた。
「牛肉……」
「アイくん達が“マルトクラッセのお祭りでヨータが沢山食べてた”って言ってたから」
「あいつら……」
トレーの上にあるのは牛肉のグラタンと飲み水のボトルだった。さすがに量は普段より一回り小さいが。ヨータの動揺は病み上がりの体にそれを出されたからというだけではない。
一緒に暮らしている時、ヨータが一番好きな料理だった。リオウはそれを誰よりも知っている。アイ達が言っていたというのは、今のヨータを慮ってのリオウの方便だということも、ヨータは気付いている。
食欲もだいぶ戻っていて、人から出された食べ物を拒否するのは流石に躊躇われた。ヨータはベッドサイドに置かれたトレーから小さなマグとフォークを手に取る。一口分掬ったそれを、そっと口にした。
「……おいしい……」
飲み込んだ後、無意識に近い形でヨータが呟いた。数日ぶりに口にしたまともな食事というのもあるだろうが――
――リオウのもとを去ってから、再び彼が作った料理を食べることができるとは思っていなかったから。
グラタンの温度が体内で広がって、感情まで解けていくようだった。
胃が満たされたからか、ヨータはどこか憑き物が落ちたような穏やかな顔をしていた。空になったマグとフォークをトレーごとベッドサイドに戻す。食器が静かに置かれた音の後、ヨータが小さく呟く。
「……あの時、黙って出て行ったことは悪かったと思ってる。でも……本当にもういいんだ」
ベッドサイドから向き直った彼は、一度息を吐いた。
「お前のこと、今でもわかんねぇし、考えることはできても確かめることはできなかった」
何かしらの整理をつけたのか、はっきりと言葉を紡ぐ。
「結局俺一人じゃカナを守れなくて、あの後も何度もお前に助けてもらった。アイも、お前の部下の……ジフも、あいつらのことを守ってくれるのはいつもお前だった。だから俺には誰なら頼れるかを考えたら……お前しかいなかった」
その末の結論を、ヨータは口に出す。
そんなヨータに応えるように、リオウは静かに口を開いた。
「……アイくんに言われたんだ。君とちゃんと話せばいいって。彼に背中を押してもらうことになって、本当に情けないんだけど……」
彼らしくない、どこか頼りなさげな言い方に、ヨータは少し意外そうな顔をする。何かを悟ったのか、その表情は次第に強気な笑みを浮かべ始める。
「全部言ってみろよ」
一見受け入れたかのようなヨータの返答。だが、ヨータはさらに続ける。
「俺はいつも予定通り計算通りのお前が、必死になって慌てる様が見たいんだよ」
そしたら元気が出るかもしれねぇ、と悪い笑みを浮かべたヨータはのたまう。リオウは面食らうが、やがていつもの彼らしさが戻ってきたことに苦笑した。
「本当に、情けない話だけど……アイくんが羨ましかったんだと思う……僕が君にしてあげられなかったことを、やってのけた彼が……」
低く繊細な声が溢れ落ちるように、リオウは静かに吐露する。
「こんな立場じゃなかったら僕だって……とか、君が口に出してくれればすぐにでも……とか……言い訳じみたことばかり浮かんで……あんなに幼い子供相手にこんなこと思うなんてどうかしてる……」
あの時の自分を遠巻きに眺めるように、軽蔑じみた自己嫌悪に苛まれている。
「散々彼を引き合いに出しておいて、そうすれば君と話すきっかけになるだなんて……アイくんや子供達に対して、本当に失礼だった……」
人の心の脆さや醜さをまだ知らないアイ達には、リオウの心境の成り立ちなど知る由もないだろう。しかし今の彼らが齢いくつであろうと、お互い心を持つ人であることは変わらない以上、猫可愛がりの裏で隠して良いことではない。
リオウは膝の上に組んだ手に視線を落とす。胸につかえていたものを吐き出すように、息を吐いた。
「……うん、わかった」
ヨータは彼の言葉を遮らず、最後まで聞き入れた。
「昔もこんなこと話したっけ」
そしてヨータも同じように過去を思い出していたのか、懐かしむように思いを馳せる。
「大星座なんかに生まれたから、普通ってのがよくわからなくてさ。誰かといることに憧れすぎてたんだよ、俺は。本当はそんな大袈裟なもんじゃなくて、みんなそれをわかってるから同じ場所にいられる」
今とは違っていたかつての自分のことを、ヨータは半ば他人事のように評する。
「街に行ったら大人は相手を取っ替え引っ替えするし、金持ちなんか堂々と何人も侍らせてる。それで家族ができたらみんなで生きるために、少しでも多く頼れる先を見つける。俺とカナだって客が増えるほど生きる時間が伸びた」
呆れ半分に語る俗世間への感想が、次第に彼自身の実感を伴った言葉に変わっていく。
「俺は他人のそれを……壊しかけた……お前にも、アイにも、カナやジフにも……」
彼は自分の目で見たものに理解と納得に至ったのか、胸の中に沈む鉛のような感情を、それでもなんとか自分の口から吐き出した。
「本当に……悪かった」
「……キンディス……」
普段の強気な姿とは正反対の今の彼に、リオウの胸にやるせなさが募る。
「君のせいじゃないだろ……何一つ……君は何も悪くないのに」
先ほどアイに説明したばかりの、ヨータの――キンディスの半生を知るリオウには、彼を諭しこそすれど責める道理はなかった。
「俺はアイが困ってるのが、俺にとって都合が良かったんだよ。
帰る場所もないからずっと一緒にいてくれる。俺を一番に頼って、一番に必要としてくれる。
お前に渡したら俺にできることなんか無くなる……だからあの時、お前に渡したくなかった」
肩を持つリオウへの反証とするように、人道に反する己の行いを、ヨータは誤魔化すことなく自白する。
「俺とあいつが大星座ってことだけは絶対に変わらない。誰にも変えられない。だから俺だけが一番、あいつの辛いこと理解してやれるはずだって……そう思い込もうとした」
それはきっと、以前倉庫でリオウに問い詰められた時に隠し通そうとした、ヨータの真意。
けれど以前のような激しさすら感じる義憤というよりも、幼い無垢な願いだった。
大人のリオウでは、心が複雑で余計なものまで付き纏う。だが同じ子供同士なら、純粋で素直な、一途な心で向き合っていられる。そうしていられれば、本人達にとってはどんなに心地良いだろう。
「意地張ってあいつらの前でカッコつけようとして、しまいにゃ博物館で大勢巻き込んで……そのくせ俺は肝心な時に何もできなかった……」
だが、現実を目の当たりにしたヨータは、夢から覚めたばかりの顔をしていた。まだ微かに残る夢の余韻を惜しむような目で。あの時、自分の体は夢で思い描いていたようには動かなかった。
「こんな状況で、一番困ってるのはアイなのに……怖い思いもして……あいつ、自分に兄貴がいるって思い出したんだ……アイのこと待ってるに決まってる……」
真っさら過ぎる願いの違和感。それに気付いたのはヨータ自身だった。
「それを俺は……アイが困ってるのが、嬉しいって……そんなことも知らないで……あいつは俺に……『ありがとう』って……!」
自分の中にある異常性を自覚したヨータは、その苦しみに顔を歪める。
――『ヨータのおかげでみんな助かったんだ……! ほんとに……ほんとにありがとうヨータ……!!』
アイは泣きながら感謝した。それがヨータの選んだ結果であると、痛いほど突き付けられた。
あのアイの一言が、ヨータの中でカビのように残り広がっていた、諦念にも似た願望を覆した。
その痛みを感じられるうちに、リオウとまた話ができた今のうちに、間に合うなら引き返したかった。
「俺はたぶん……俺がして欲しかったことをアイにやって、満足してただけなんだ」
感情を覆っていたものを全て払い捨て、そうして残った本心が曝される。虚勢のなくなったヨータの姿は随分心許ない子供に見えた。
倉庫での続きという意味では、罪の自白に近いのだろう。しかしそれだけではなく、先程のリオウの懺悔と同じような――リオウの苦しみを分かち合うかのようでもあった。
そして、それをリオウに明かすのは、誰かに聞いてもらうことで自分の中から解放したかったのだろう。
ならば、リオウも避けずに言葉を交わすべきだろう。
「……人なんて……そんなものだよ……何より僕がそうだから」
リオウの口から零れた返答は、居た堪れなさからくる同情に聞こえただろうか。だが、それはリオウにとってもずっと胸の奥底にあった本音だった。
「手当たり次第優しくして、誰かの世界に入れてもらいたかった。
だから僕はずっと、人に言われたことしかできなかった……。
それでもみんな僕に関係なく大事なものを見つけて、先に死んでいく。
教団の子供達だって、ここから巣立てないよりその方がずっと健全だ」
自分本位な下心と身勝手な傷心が、自分にだってあった。半ば自嘲しながらリオウが言う。
「――なのに、君だけは……いつも僕を困らせる。勝手に走り出して、叱ったら文句ばかりで。だから君といる時は、僕があれこれ考えなきゃいけなくて大変だった」
感傷的な吐露から一転、いきなりヨータへ恨み言のようなことを言われ、ヨータは面食らう。だが、沈んでいたリオウの声は、日差しが射したように温度が灯っていた。いつになく声を弾ませる彼は、目と口元を綻ばせていた。
「次は何を言い出すんだろう、どこに走り出すんだろうって、きっと僕の方がそれを望んでいた。ムキになったり笑ったりしながら、やりたいことを僕に伝える君が……本当に愛おしかった」
リオウの記憶にはいまだ鮮明に焼き付いている。ヨータが運び屋の仕事を覚えた頃の、机に地図や本を広げて次の場所を探す姿。それが決まって、リオウの方に振り向いて話す時の、知らない場所に期待を膨らませた表情。リオウの目に映った彼は、いたく眩しかった。
「誰に頼まれたわけでもないのに、君を大事にしたかった。僕自身の世界を自分で生きて、そこに君もいてくれる。何百年も生きるこんな体になってから、ずいぶん久しく……そんな気持ちになれたんだ」
リオウは原風景への郷愁に耽るように目を細める。そこにいるのは規律や思想を説く教団の司祭ではなく、素朴な一人の人だった。
「こういうの傷の舐め合いって言うんだぜ」
「本当に……情けないな」
憐憫に浸るつもりはないというヨータの歯に衣着せぬ一言に、リオウもそれを望んでいたように苦笑する。しかし自虐じみた逃避ではなく、それを受け止めてなお有り余る感情を、互いに取り戻した証だった。
「また僕は君の孤独に応えきれないかもしれない……それでも――僕には、君が必要なんだ」
リオウは改めて己の感情を再確認し、そして確信した。
「だから……死なないでくれ、キンディス」
交わった視線を真っ直ぐ見つめたまま、リオウは言った。
ヨータが博物館で倒れた時から、目を覚ましてこうして話をしていて尚、ヨータに感じる変化。憑き物が落ちたとでも言うのか……繋ぎ止めていなければ消えてしまいそうで。言葉にしたのは〝励ますべき〟だからではなく、今、自分が彼に伝えたかったからだ。
そんなリオウを、ヨータもまた見つめていた。自分の心と思考を整理するため、少しだけ視線を落とす。
「……あの頃の俺はたぶん、お前の部下のガキどもが羨ましかった。
お前のこと育ての親だの父親代わりだの、手放しに言えるのがさ。俺は自分の名前も正直に言えないのに……
〝俺はあのガキどもみたいには守ってもらえないんだ〟って……」
ヨータは当時の感情をありのままに告げる。少し拗ねた声色と表情は、今でもその感情が残っているからだろうか。
「でも、俺もやっとわかったよ。必死になって無様晒してもろくに守れねぇんだって。あの頃も……今も、こんな風にお前は……必死に俺を守ろうとしてくれてたんだって」
関わる子供達に優劣を付けられないリオウが、それでも自分を特別だと思ってくれている理由。
今のヨータ自身の、アイ達を守りたくて、彼らの前では強いままでいたいという願望。それが自分自身に芽生えたことで、理解した。
何故、かつてリオウはヨータ一人を選べなかったのか。選ぶということ自体が独り善がりに過ぎないからだ。
ヨータはアイを選び、それを続けたかった。それによって道中での出来事と、博物館の事件が起きた。これ以上はもう、アイ達の前でも誤魔化すことはできないだろう。
「すっぴん晒してでも構わないと思えるのはお前だけだ」
本当はそんなに強くない。それを曝け出してなお、強くありたいという自分の願いを認めてくれる。
ヨータにとっては知らないうちではあったが、リオウとヨータは互いに唯一それを理解し合える存在になっていた。
「……リオウ」
ヨータは改まった声で名を呼ぶ。
「俺の輝石に触ってくれ」
教えるまでもなく、リオウならとうに知っていることを確認するための要求。言われたその瞬間にそれを悟ったリオウは、何を言うでもなく静かに右手を動かす。その指に指輪の痕があることを、ヨータだって知っている。
いつもなら服の襟で隠しているヨータの首筋が、今は介抱のために露わになっている。本来触れることも叶わないものに触れるかのように、リオウは恐る恐る手を伸ばす。
中指の先が黄金色の大星座の輝石に触れ、内側でやわく明滅するほの温かい魔力を感じ取る。彼が生きている証を感じたリオウの手は、そのまま指を滑らせ手の平でヨータの左の首筋を包み込んだ。
リオウの行為を認めるように、ヨータは彼の右手に自分の左手を重ねた。
「……この力は、こういう時こそ使うべきだったんだろうな……でも今の俺じゃ、たぶん上手く使えない……自分の力なのにな……」
悟りと諦めと、そして自嘲を滲ませて、ヨータは苦笑する。以前自分の口から言い放った〝今の自分なら上手くできる〟という言葉を省みているのだろうか。
そしてヨータは、リオウの手をさらに強く握る。
「だから……この力は、お前の方が上手く使える」
「……それは――」
彼の意図に気付いたリオウが言いかけるも、それより先にヨータの輝石から魔力が発せられた。魔力は輝石に触れているリオウの手から腕を伝って、彼の中へと流れ込んでいく。
重ねられた手を振り払うこともできず、リオウはそれを止められない。そうしている間にも魔力の流れが一通りリオウの方へと渡り切った。
「……もしこの先、俺がもたなくても……この力さえ残ってりゃ少しはどうにかなる……だから――お前になら託せる」
どこか惜しんでいるのか、魔力がひいてなおヨータは首筋に触れているリオウの手を握っている。
「今まで俺を助けてくれたのは……この時のため――俺の大星座の力が必要だったからだろ。
もっと優秀で健全なガキもいて、なんならお前と同じ大人同士で頼った方が早いこともある。
俺にできるのは……これくらいしかないから」
そう言って、ヨータはやけに晴れやかな笑みを見せる。しばし唖然としていたリオウだったが、思考が追いついた瞬間、両手でヨータの顔を掴んだ。
「力なんてあったって……意味がない……僕に必要なのは君なんだ!」
ヨータはその手を受け入れるように、再びリオウの右手に自分の手を重ねた。
「お前はさ、組織の立場がどうこう以上に――根っから相手によって優劣付けられるような奴じゃないって、とっくにわかってるよ」
今はもう指輪を付けていないのも、それが理由の一つだろう。彼の人柄を知っていながら、言わせてしまったことにヨータは少し胸を痛める。
「アイを見てると思い出したっていうか……アイとお前、似てるんだよな。そういうお人好しなせいで損ばっかしてる所が。だからどうにかしてやりてぇって勝手に思っちまうんだ」
ずっと隠していた本心を吐き出し、少し楽になったのか、ヨータは一度落とした視線を戻す。
「結局自分に都合の良いことばっか言ってるのもわかってる……
でも、今お前がやろうとしてることと、俺のやりたいことが少しでも同じなら……
そのためにいくらしがらみがあっても、お前となら耐え切れる――だから、どんな形になっても……この力はお前に持っててほしいんだ」
まだ少し歪めた跡を残しながらも、その表情を和らげた。
「お前に全部言わせたんだから俺も言わないとフェアじゃねぇだろ」
それでもリオウは呑み込みきれずにいた。
「……全部なんて……全然全部じゃないよ……こんな突然言われるなら……僕だって……」
理性と感情が乖離して、上手くまとまらないリオウは歯痒い顔をする。
「もう未練はないみたいな……今生の別れみたいなこと……言わないでくれよ……こうなったのは君だけのせいじゃないんだ、もしあの時僕が怒鳴って自分を責めてるなら――」
弱々しくなっていく声音と共に、リオウは項垂れた。ヨータの顔に添えていた両手も力無く落ちていく。
「馬鹿がよ。そうならないように俺の力をやるって言ってんだろ」
相手が大人でも構わず、今度はヨータがリオウの頭を乱暴に掴む。いつもの彼らしい横柄な振る舞いに、リオウが顔を上げると、ヨータの金とオレンジの瞳と目が合う。
「俺も、お前のこと……もう一度信じたいとは思ってる」
彼の、この強引にでも自分に頷かせる在りように、正しくリオウは救われていた。かつても、そして今も。理屈や担保などなくても、ヨータに守られているアイが彼を信じているのはそういうことだ。
リオウは胸につかえていたものを呑み込み、無言で手を伸ばしてヨータを抱き入れた。腕の中で感じ取る彼は、かつてのような幼い子供の体格ではなかった。
彼は本当に大人になってしまった。自分自身の願いが叶わなくとも、それ以上に守るべきものができたから。譲ることを覚えて、すべきことに覚悟を決めた。
その対象はリオウと同じではあっても、リオウその人ではない。リオウが子供達を守るために、ヨータに隣にいて欲しいように。
和解することができたのに、それは諦めを伴うものだった。その先に子供達の安息があるなら――
裂かれるような胸を塞ぐように、腕の中のヨータを強く抱きしめた。
* * *
客室には、アイとカナとジフが集まっていた。
ソファーに座っているアイとカナがガリュマとじゃれながら明日はどうするかなどの話をしているかたわら、ジフは壁にもたれて腕を組み、思案していた。
――ヨータは大星座だった。
同じ時代、同じ場所に、アイとヨータ……大星座が二人もいる。常識的に考えて、そして教団の教義において、この状況は常軌を逸している。
そのことを、やはりリオウは知っていた。
リオウが自分達に話していないことがまた一つ増えた。
「――なあジフ、聞いてるか?」
「……えっ、」
「珍しいね、ジフがボーっとしてるの」
アイ達に呼びかけられ、ジフは現実に引き戻される。本来監視役として彼らについている手前、不覚にもカナの一言が刺さった。
「んだから、今は俺達でできることをやった方がいいんじゃないかって話をしてたんだよ」
「というと……具体的には」
「例えば……ヨータの体を少しでも良くする薬を俺達で手に入れるとか」
「そんな都合の良いもんがそのへんに転がってるわけあるか」
アイなりに考えてみた提案だったが、ジフに一蹴されてしまう。
「だってヨータが動けないなら運び屋の仕事もできないし、どこでまたコキュートスの奴らが出てくるかもわかんねぇし、南支部の中だけじゃやってらんねぇって」
「それに……何もしないで待ってるだけで、このままヨータが良くならなかったら……」
不満を垂れるアイの隣で、カナは弱々しい声でぽつりと零した。
彼女は医者でもなければ薬剤師でもない。治癒の力も万能ではない。もし命に別状はなくとも、本来の活気に溢れたヨータはもう見られないかもしれない。彼女にできることと言えば、いかなる変化と結果も受け入れる心の準備くらいであった。
そんな彼女の姿を見て、さすがのジフも痛ましそうな顔をする。
「……ヨータが弱っているのを見ているのが辛いのは理解する。
だからこそ南支部の設備で介抱しているのが安全だ。ここの権限をもっているリオウに任せた方いい。
あいつがいない時にお前達にもしものことがあったら、俺は……ヨータに顔向けできない」
アイとカナの感情を理解するからこそ、ジフも己の胸中を述べて彼らの感情に訴えた。
「……うん……そうだよね」
ジフの口からヨータの名が出たからか、カナは彼の考えを肯定する。
「ヨータも倒れた時より元気になってるからきっと大丈夫だりゅ」
「うん。ありがとう、ガリュマ」
傍らで励ますガリュマに、カナは礼を言う。そんな彼女の様子を、アイは遣る瀬無い顔で見ていた。
「俺にできること、なんかないかなって……」
「それで俺に直接聞きに来たのかよ」
正に言われた通り、アイはヨータがいる部屋に訪れ、現状のあらましとアイの思う所をヨータ本人に打ち明けていた。
話を聞いているヨータは、ベッドの上で胡座をかいて膝で頬杖をついている。すっかりいつも通りの彼に戻ったようだ。
「だからよ、お前はお前のことを考えろって言ってんだろ」
ベッドの傍らの椅子に座ってしょげているアイの頭を両手で掴み、その頭の中の悩みごとぐしゃぐしゃに解すようにアイの頭をもみくちゃにする。
「だいたい今まで俺についてきて、お前には俺がこの程度でくたばるような奴に見えんのかよ」
頭を掴んだまま、正面から向かい合わせる。アイの瞳を真っ直ぐ見て訴えるヨータは、眩しいほど強気な笑みをたたえていた。
その言葉は、きっとヨータ自身が自分を鼓舞するためのものであり、そしてアイの頷きが欲しいのだろう。
「だから俺のことを考えるならその時は……今みたいにへばってる時じゃなくて、もっと全力の時の俺を思い浮かべろよ」
「うん……うん」
少し気を持ち直した様子のアイを見て、ヨータはベッドの端を叩く。ここに座れということか。そう思ったアイはおずおずと椅子から立ち、そしてベッドの端に腰を下ろす。
不意に後ろから腕が伸びてきて、体を抱きすくめられた。おもちゃにされてるみたいだと思いながらも、背中越しに感じる体温がちゃんと温かくて、アイは安心する。
アイの肩口に顔を寄せたヨータが静かに呟く。
「――この支部の裏の郊外に、岬の花畑がある。カナをそこに連れて行ってやってくれ」
思いがけないことを告げられ、アイは驚く。ヨータが自分に何かを伝えようとしていることを悟る。そのまま、じっと耳を傾けて続きを待つ。
「あそこは聖国の遺産がある場所だ。博物館の時と違って、何年も前から実際に力を放ってるから、《影》の力を持つコキュートスはあそこには近づけない」
つまり、その場所なら今のアイ達でもその足で行くことができる。
そもそも博物館の柱の時は、富豪が思い込みで盛り上がっていただけで本当に遺産だったかどうかはわからないんだが。とヨータは軽口を加える。
「ずっとこん中にいたら気がおかしくなんだろ」
言いながら、ヨータはクッションにでもするかのように、抱きしめているアイの肩に顎を乗せて寄りかかる。背中からの重さでアイが少し呻いたが、嫌がる素ぶりは見せずされるがままに受け止めている。
「正直、今はちょっと安心してんだよ。俺が休んでても誰かに安心して任せられるのがさ。
今までは俺とカナが自分達でどうにかしないといけなかったし……もちろんカナは俺のために色々やってくれたけど……ずっとそうさせるわけにもいかねぇし」
こうしてヨータが人と抱き合うのは今日だけで何回目だろうか。だが、今のヨータにとっては何度だろうと惜しくはなかった。
「お前は俺の自慢の相棒だよ。弁償をきっちり終わらせる根性もあることはこの俺が認めてやる。お前が来てくれて良かった。お前を諦めないで、本当に……良かった」
こんな体になっても、博物館で力を開放したことを後悔していない。それよりも前――アイを完全にリオウに引き渡す前に、異議を呈したことも。
「俺の大星座の力がお前と同じ力だって思えば、悪くないもんだって思えてきたんだよ」
その感情が、抱きしめる腕の温度と共にアイに伝えられる。
だから、今度はアイがそれをできる側になりたかった。
アイは体ごと振り向いて、ヨータと向き合う。
「俺も……ヨータみたいになるから」
「お前はお前でいいって言ってんだろ」
今度はアイの背中に腕を回して正面から抱きしめる。ヨータの胸元に密着したアイは、ヨータの鼓動を確かに感じている。ヨータが倒れる瞬間を目にした時から不安でいっぱいだった胸が満たされていく。
この南支部に来た時、アイが自分で選ぶために世界を知りたいと決意した。ヨータはその意志を肯定し、世界を知るまで守ってやると言った。
たとえ世界の方が目まぐるしく変容しても、互いのそれはあの日から今でも、そしてこの先も揺るがなく在り続けている。それを確かめた二人は安堵を共有するように、同じ温度をその身に感じていた。




