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第01話 人体発火星 ◆

挿絵(By みてみん)



 R.E.二三二一年。

 その夜、星が一つ燃えていた。


 小さな教会を構えた村、ステルカンデのはずれの丘に、突如炎が渦巻く柱が発生した。異変に気づいた村人が様子を見に丘の方向へ近づくと、さらなる怪奇を目撃する。



 ――夜空からゆっくりと地上に降り立つかのように。


 空中の、燃え盛る炎の柱の中には、人影が……少年が浮かんでいた。



* * *



 アイが目覚めたのは、見知らぬログハウスのような部屋だった。


 中学校のブレザー姿のままベッドの上で正座をしているアイの目の前には、椅子に座って脚と腕を組んでいる青年が、窓の外から射す陽の光に照らされている。

 高校生くらいにしては鮮やかすぎるオレンジの髪が目に留まる。その瞳は、左右で異なる金色とオレンジの色彩を宿していた。同じくらい派手なオレンジのベストの下のシャツを捲り上げ、長い脚を包む茶色いボトムス。現代日本ならば異彩を放つ服装は――まるで異世界の住人そのものであるかのようだった。


「つまりお前が空から降ってきて俺に激突したせいで、俺が運んでた商品が粉々になったわけ」

「え……う……ごめんなさい……」


  今のアイには謝罪以外に口にできそうな言葉が見つからない。自覚があるからではなく、とにかく相手が怒っているからなのは、なかなか不純ではあるが。


 青年が言うにはこうだ。

 この小さな宿に泊まっていた彼は、今朝宿の裏庭にある水汲み場で大事な商品である白い陶器の花瓶の手入れをしていた。それはもう丁重に扱って手入れを終え、宿に戻ろうとした時だった。

 裏庭は雑木林に面しており、頭上には木の葉が伸びている。

 その木の上から落ちてきたのが、アイだったのだ。

 運悪く避け損ねた青年の後頭部にアイが激突し、彼が抱えていた陶器は転倒した二人と運命を共にして、粉々に割れてしまった。……ということらしい。


 その変わり果てた姿の商品――白い破片の山と化した花瓶だったものが、机に敷かれた布の上に広げられている。ずっと意識を失っていたらしいアイのこともベッドまで運んでくれたのは、幾分有情なのだが。


「だからお前が弁償しろ」

「弁償って……何をすれば……」

「これだからガキじゃ話になんねぇ……自分じゃわからねぇなら保護者に連絡しろ!」


 と言われるが。

 そもそも自分が何故木から落下したのかも、ここが何処なのかもわからないアイにはどうにもできない。

 そしてたった今言われた青年の言葉で、アイはさらに最悪なことに気づく。


「保護者ってのは……父さんか母さ……ん……? 俺の父さんと母さん……?」


 当たり前のように頭に思い浮かべようとしたが、自分の保護者が誰だったのか、顔も名前も思い出せない。つまり。


 ――アイには記憶がなかった。


 旧倉(もとくら)愛由(あいよし)。十三歳。一般家庭の中学一年生。目の前にいるカラフルな青年に比べれば、自分は人混みに入れば見分けも付かない地味な茶黒い色の髪と目をしている。

 アイというのは周囲から呼ばれる愛称。それだけは覚えていたが、その「周囲」とは一体どんなものだったか全く思い出せない。


「……お前マジかよ……」

「えぇ……? あれぇ……?」

「だああああああああああクソ!! ふざけんなよお前!!」


 責任者がはっきりしないことに痺れを切らし頭を掻きむしる青年の怒声が響き、それを聞きつけた何者かが部屋の扉を開く。


「ちょっとヨータ、朝からどうしたの? 宿に泊まってる他のお客さんに聞こえちゃうよ」


 扉が開き、金髪のショートヘアに藍色の目をした少女が部屋に足を踏み入れた。

 彼女はアイと同じくらいの年齢のように見えたが、その外見はまるで童話の登場人物のようだった。肩を出したピンクと黄色のカーディガン、赤いスカート、茶色い靴。本来人間ならば左耳がある場所には、白い羽が生えているのが見えた。アイは、この少女に対する興味を捨てがたく感じた。

 少女の小言で我に返った青年はしばし頭を抱え、深い溜め息をついた。


「責任が取れないなら自分で働いて弁償してもらうしかないな。おまけに保護者もわからねぇんじゃ当面は俺が預かるしかない」

「えっ、働くって、俺バイトもしたことなくて」

「お前はこれから俺の下で俺の言う通りに働く奴隷になるんだよ。わかったか!!」


 奴隷、などという人生で直接言い放たれるとは思わなかった言葉を受け、アイは唖然とする。青年の乱暴な物言いは到底理解できないが、彼の言う通り他に責任を取る方法も帰る場所も無い。今のアイはひとまず彼に従うほかなかった。


 ――そのような経緯で、奴隷として働くからにはそもそも何の仕事をしているのか、青年から説明を受ける。

 彼の名はヨータ。ここまでの話でも垣間見えるほど随分な守銭奴で商魂逞しいが、十六歳の子供らしい。先ほど彼が言っていたように運び屋の仕事で生計を立てており、正に商品を運んでいる最中だった。

 少女の方はカナ。物心ついた頃からヨータの仕事の手伝いをして彼と一緒に各地を巡っているという。歳はアイと同じ十三歳だった。


 二人は定住している家はなく、届け先の客のもとを尋ねる道のりで宿を転々としている、所謂旅という形で生活しながら、この『ビテルギューズ大陸』という地を巡っている。

 弁償の金額に達するまで、アイもヨータの言う奴隷という立場で二人に同行し共に働く――その間アイの記憶や所在は次の二――ということだった。

 アイは仕事について理解すると同時に、別のことも悟りつつあった。中学で習った地理でビテルギューズ大陸なる名前は無い。

 込み上げてくる予感に従って、アイはヨータとカナに尋ねる。


「俺からも一つ聞いてみたいんだけど…… 『地球』って知ってる?」

「なんだそれ」

「チキュー?」


 言葉は一応通じるにも関わらず、彼らにとっては宇宙に浮かぶ青くて丸い地球という概念すらないようだ。二人の風貌や、同年代の子供らしからぬ生活、そして見渡す限りのこの部屋の景色を見てなんとなく感じていたことが、確信に変わる。


 ――俺は……異世界にでも来てしまったのか。



 * * *



 幸い朝食は「貴重な労働力だから」と言うヨータに奢ってもらい、宿の食堂で二人と一緒に食べることになった。

 ほとんど強制的だが話がまとまって落ち着いたからか、今更ながらアイは彼らと意思疎通自体は可能なことに気付いた。原理はさっぱり不明であるが。

 そして朝食として出された料理も肉と野菜にスープやパン、粒状の穀物――恐らくアイにとっての米に当たる――といった素朴なものだったが、味は十分にアイの舌にも合っており、こんな状況ながら美味しく口に運んでいた。


 食堂内の別の席では、老いた男女の宿泊客の話し声が聞こえてきた。彼らもやはり牧歌的そのものといった、村人然とした外見をしている。


「昨日の夜明けに、そんな近くでかい?」

「私も今日起きてから知ったんだけど、ここの村の人達がすぐそこの丘で見たんだって」

「まだ陽が昇る前だってのに急に空が明るくなって、しかもそれが太陽じゃなくてだよ、空から炎の柱が現れたって言うんだからさ。それだけでも奇妙なのにもっと驚くことがあったんだから」


 異世界ならよくあることなのか、アイにはわからないが、その摩訶不思議な話に思わず聞き入ってしまう。


「その炎の柱の中に、星みたいな強い光があると思ったら……人影まで見えたって言うんだよ!」


 一人の女性の一大発表に、その席にいる老人達が一斉にどよめいた。


「それって……人が燃えてたってことかい!?」

「人影って、どんな背丈のだい」

「どうだったかねぇ……みんな遠巻きに見ていたらしいから……えーと確か~――」


 盛り上がっている宿泊客同様、アイも胸をざわつかせながら耳を傾けると、隣に座っていたヨータに頭を小突かれた。


「よその話に聞き耳立ててんじゃねぇぞ」

「ご、ごめん……」

「行儀が悪いって評判下がったら仕事に響くんだからな」


 良識があるのか無いのか、せめていきなり手を挙げるのはやめてほしいと思いながら、アイは謝罪とは裏腹にげんなりとした顔をして食事を再開する。


 朝食後、ヨータが手続きを終えて宿を出るとすぐ近くに停留所があったが、ヨータとカナはそれを素通りして鞄から取り出した地図を確認し始めた。


「あれっ、バス使わないのか?」

「バ……? 馬車のことなら使わないぞ。歩いて交通費を浮かすんだよ」


 話によれば、実際にバスのような大型乗用車を馬が先導して走るのを馬車と呼んでいるらしい。だがそれ以上にヨータの「歩く」という発言にアイは衝撃を受ける。


「歩く……!? ど、どのくらい」

「このステルカンデの丘から次の宿までなら、森を突っ切った方が距離的にも馬車より早いな」

「森…………」


 ヨータの口から次々に飛び出す言葉に、アイは途方に暮れて空を仰ぐ。晴れやかな青空に見たことのない鳥や虫が飛んでいて、「この知らない異世界ではヨータに従うほかない」と余計実感させられる。

 そうしてアイが脱力していると、近くの停留所からも井戸端会議をしている宿泊客や村人の声が聞こえた。


「夜明け前に人影が燃えてたなんて物騒なことだよ」

「最近じゃ魔物が不自然に凶暴化してるって聞くし、ここの近くの森も危なそうだねぇ」

「教会にお祈りする日を増やした方がいいのかもしれんなぁ」

「どこもかしこも不安な話ばっかりで、もしかしたら『煉獄の使者』ってやつは本当にこの世に復活して――」


 またしてもアイが会話に気を取られていると、とうに歩き始めていたヨータの怒鳴り声が響いた。


「おい! 置き去りにされてぇのか!!」

「ごめんって~!!」


 村の奥に佇む小さな白い教会を背に、アイは急いでヨータとカナを追いかけた。



* * *



 ヨータの予定通りそのまま森へと踏み込だ三人。昔から人が通っているのか地面はある程度の道になっているが、それでもアイの不安は募るばかりだった。


「なぁ、さっき宿の前で『この森も魔獣が出るんじゃ』って……」

「だったらとっくに立ち入り禁止になってるっての。早く着いてしかもタダなほど得なことがあるか?

 それに馬車に乗ったらああいう爺さん婆さんの噂話がずっと聞こえてくるのがあんま好きじゃねぇんだよ」


 ヨータにきっぱりと却下され、アイは否応なく森の中を歩かされる。

 そんな様子で、小一時間が経つ頃には地図上の半分までは何事もなく進んでいたものの、最初に音を上げたのはアイよりもカナが先だった。


「もう疲れた~! ちょっと休もうよ~」


 道端の岩の上に座り込んでしまい、ヨータは「また始まった…」と頭を押さえる。


「しょうがねぇな……休めそうな場所探すか」

「俺の時より甘くねぇ……?」


 ヨータの対応の違いにアイもいよいよ不満を口にする。ここまで歩きっぱなしなのは事実であったため、仕方なくカナに続いて二人も近くの岩や木の根本に腰を下ろした。

 

 一息ついて数分が経った頃、ふと、カナが何も無い森の奥へと振り返った。


「今変な音聞こえなかった?」

「変な音?」

「沢山の鳥が騒いでるような……」


 突拍子もないカナの問いにアイはきょとんと聞き返すが、カナは振り向いた方向にさらに耳を澄ませる。


「ううん、鳥だけじゃなくて他の魔獣も……どんどん増えて――」


 アイとヨータには特に何も聞こえていないが、カナがそう告げた数分後。

 突然、鳥の大群が木々から羽ばたく騒音が響いた。

 それに続くように、奥の方から狗や鹿のような魔獣が次々に走り去っていく。

 再び静まり返った森の中で、三人は恐る恐る魔物達が走ってきた方へ振り向く。

 そこには、やはりアイが宿の停留所で耳にした通り――


 ――殺気立った大熊の魔獣が現れた。


 それを目にした三人は本能で反射的に立ち上がり、声を殺して息を飲む。

 人間の大人すら優に超える茶黒い毛並みの巨躯が、低く唸りながら四つ足を地面に食い込ませている。


「……これって……やっぱり……宿で聞いた魔獣じゃ……」

「なんで放置してんだよクソ……!」


 アイはヨータに声を潜めて確認し、音を立てないように後ずさる。大きな音を出せば大熊を刺激して動き出すかもしれない。

 どうすれば良いのかとアイとカナが視線でヨータに問いかける。大熊はまだこちらを捉えていないのか、ギリギリまで様子を観察していたヨータが何かに気付いた。


「……いいかお前ら」


 二人の視線に、ヨータが声を抑えて応える。


「あの大熊……あいつの種族は一度走り出すとすぐ止まれずに直線に走り続ける習性がある。だからこっちからある程度引きつけて、速度がついた所で俺達は脇道に逃げ込むぞ」


 可能な限り抑えた声を聞き逃さないよう、アイとカナは真剣に耳を傾ける。


「それでも途中で躓いたりしたら追いつかれる。もしそうなったら自力で脇の茂みにでも転がり込め、いいな。三つ数えたら後ろに振り返ってあいつの向いてる方向に走るぞ」


 ヨータが今考え得る限りの可能性を伝えると、三人は動き出すための力を手足に込める。静けさの中、ヨータが小さく数字を数え始める。

 一……二……三!

 直後、三人は一斉に大熊に背を向けて全力で逃走する。大熊がそれに気付き走り出すまで一秒もかからなかった。

 石や木の枝が散在する山道を三人は必死に走り続ける。吠えながら追いかける大熊は瞬く間に加速し、どんどんと彼らとの距離を縮めていく。人間の、しかも子供の走る速度などたかが知れているが、それこそが狙いでもあったヨータは一瞬だけ後ろを見遣る。


「お前ら! そろそろ脇道に逃げるぞ!」


 ヨータがそう言ったのにつられて、アイも後ろを振り向いた。アイの目に映ったのは、迫り来る大熊――ではなく。

 アイが着けていた、制服のワインレッドのネクタイが、通り過ぎた木の枝に引っかかっていた。

 不幸中の幸いか、引っかかった弾みで解けてそのまま気づかなかったらしい。しかしアイにとってはそれこそが不幸であった。ネクタイが目に映った瞬間、アイの脳裏で衝撃が走った。

 ――それは、〝記憶〟が刺激された衝撃。


 ヨータとカナが道の脇の茂みに向かって飛び込む中、ただ一人アイだけは、身を翻して道を引き返してしまう。

 枝に引っかかっていたネクタイが、走る大熊の顔に張り付いた。不意の出来事に注意が鈍った大熊が顔を振り乱して前方に向き直ると、目の前のアイと目が合った。



 大熊が衝突し、突き飛ばされたアイの体が、あっけなく宙に浮いた。



 暗転した視界の中で、いつかの記憶が断片的にフラッシュバックする。


 ――『アイに怪我なんてさせないよ』


 光景と共に聞こえてくる、青年になりかけの少年の声。そこに見える人影は、ぼやけすぎて顔が識別できない。だが、アイが取り返そうとしている物――ワインレッドのネクタイを着けている。

 それを思い出したのは、宙に投げ出された自分が今まさに死にかけているからだろうか。


 それが、忘れてしまった自分の身近な人だったのだろうか。


 アイがいないことに気付き、茂みから身を乗り出したヨータとカナがその一部始終を目にして愕然とする。どさりと地面に落ちたアイの体はそのまま動かない。

 一度通り過ぎた大熊が足を止めると、肩越しにアイが動かなくなったことを確認し、顔に張り付いたネクタイを振り払って走り去ってしまった。


「……うそ……嘘でしょ!?」


 一向に起き上がらないアイのもとにカナが飛び出そうとする。


「アイ!! しっかりして!!」


 その瞬間。

 アイの体から凄まじい光が放たれ、爆発の如く森中に迸った。

 彼が倒れている場所から、灼熱の炎が渦を巻いて立ち上る。木々の影に覆われた森を、炎が黄金色に照らしていく。

 突然噴き上がった炎を前に足を止めたカナのもとへ、ヨータが追いつく。


「ヨータ、あれって……」

「………………」


 ――『空から炎の柱が現れたって言うんだからさ』

 宿で人々が話していた、正にその現象が目の前で起こり、カナはヨータの方を見る。

 彼は無言のまま、しかしその光景を目に焼き付けるように凝視していた。




 もはや力尽きるまで自分では止まれなくなった大熊は、いまだ他の魔物達を退けながら森中を駆け回っていた。そんな大熊がふと何かの気配を感じ取り、少しだけ背後を振り返る。

 炎が閃光の如く迫り、大熊の体に激突した瞬間、――先ほどアイが大熊に突き飛ばされたように――その巨体は軽々と吹き飛ばされた。

 脇道の斜面に弾かれ、開けた草原へと転がり落ちた。大熊が立ち上がると、炎の浮遊体もまた同じ場所に着地する。飛散した炎の中から、深紅に透き通った剣を構える姿が浮かび上がった。

 そこに立っていたのはアイだった。


 火の粉に包まれたアイを、大熊が視認する。

 彼の髪は地味な茶黒から、炎のように鮮やかなオレンジと一房の赤のメッシュに。

 そして瞳は、剣と同じ深紅に変わっていた。


「……剣!? どっから出てきた!?」


 今しがた意識を取り戻したのか、当のアイ自身が誰よりも驚いている。だが、アイの身に変化が起きたのは、彼が昏倒している最中……意識の中で声が聞こえた時だった。


 ――お前になら使える。


 それは、一瞬思い出した記憶の声とも違う、初めて聞いた若い男の声だった。

 どこか頼りなさげな、しかし真っ直ぐな、暗い陰りに差し込む斜陽のような声だった。


 ――今のお前の心の形なら、その力を使うことができる。


 強く訴えるように繰り返し伝えるも、その言葉は抽象的だった。


 ――その力を……大星座の輝石を、どうか頼んだ。

 そして……本当にすまない。

 その力がお前のものになった今、お前の心の形は、お前の望む在り方であってくれ――


 男は一方的に願い、そして謝っていた。

 アイはそれを思い出し、剣を握る自分の手を見る。右手の甲には、いつの間にか深紅に煌めく輝石が宿り、ハートにも鍵にも見える金の装飾まで付いている。

 声に従い、今自分がやるべきイメージを灌ぎ込み、剣に力を宿す。刃は紅蓮の炎を纏い、その瞬間にも巨大な熊が猛然と迫ってくる。剣を振り上げ、噴き出した炎の烈波を浴びせ大熊の体を宙に舞い上げた。


「ヨータ、あれ! ……あれってアイなの!?」


 アイを追いかけて来たカナとヨータが斜面の上から彼を見つけ、眼下で繰り広げられる光景を目の当たりにする。

 草原を転がる大熊だったが、起き上がるや否や悲鳴のような咆哮し再び走り出す。ダメージを負ってなお、自身の意志とは異なる何かによって突き動かされている。大熊にとって、立ち止まることは許されず、衝動のままに走り続けることが、障害を排除する唯一の方法だった。

 大熊の様子を目にしたカナがそのことに気づき始める。


「あの魔獣……もしかして……」

「アイ! 今のそいつは自分の意思じゃ止まれないんだ!!」


 カナの言葉の続きを、先にヨータが叫んでアイに伝える。大熊を倒さなければ自分の身達が危ない。しかし、苦しんでいる大熊にこのまま追撃してもいいのかと、アイの中で躊躇いが生まれた。

 そんな中、光り出した右手の輝石からアイの中に未知の概念が流れ込み、直感するがままに剣を構える。まるで頭の中に文字が綴られていくようだった。

 眼前に迫る大熊に向かってアイの方から走り出し、衝突する寸前――地面を蹴り飛び上がったアイが大熊の頭上で剣を振り上げた。


「《緋龍斬刀ブレイズ・バーミリオン!!》」


 真紅の剣が、その刃に宿る炎の猛威を解き放った。燃え盛る炎は、まるで紅蓮の龍の尾のように空中で舞い踊り、宙を翻ったアイは大熊に向かって勢いよく急降下した。灼熱の刃が巨大な獣の体に叩き込まれる瞬間、鮮烈な火花を散らす。轟音と共に爆発が起き、その爆風は彼らを中心に広がっていった。


 土煙が晴れると、大熊は地面に倒れ込んで気絶していた。傍らに立つアイが歩み寄り、手を伸ばしてそっと体に触れると、脈動と温もりを感じ安堵する。


「アイ! 大丈夫!?」


 草原に降りてきたカナとヨータがアイのもとに駆け寄ってくる。


「ああうん、なんとか大丈夫。一回こいつに撥ね飛ばされた時は死んだと思ったけど……ピンピンしてるうえに戦えるようになってるし」

「で、でも、目とか髪が」


 慌ただしげに身振り手振りするカナをアイが不思議に思っていると、彼女に鞄から取り出した鏡を差し出された。

 そこに映っている自身の姿を見たアイは、両手で顔を押さえて目を疑う。


「えええええええ!?」

 

 ろくに記憶に残らないような、地味で無個性な茶黒い髪と目……だったはずが、ヨータとカナに引けを取らないほど鮮やかで派手なオレンジと真紅に変貌している。

 誰よりも仰天したアイの声が森に響き、戻ってきた他の魔獣達を驚かせる。


「な……なんでぇ!?」

「……というかお前、見た目が変わったんじゃどこにいるかもわからん保護者にも気づいてもらえないんじゃ……」


 冷静なヨータにさらなる問題を突きつけられ、アイは鏡を見つめたまま固まっていた。


 ここがどこなのか、何故自分がこうなったのか。

 何ひとつわからないまま、果たしてアイは元の記憶と姿を取り戻し、帰ることができるのだろうか。



* * *



「夜明けまで人影と共に燃え続けた炎の柱は陽が昇ると共に、爆発じみた発光を起こして消滅。

 数時間に渡って燃えていたにも関わらず、丘には焼け跡一つ残っていなかった。

 昨晩の出来事は近辺の村人達の目撃情報を発端に、『人体発火の怪奇現象』として広まりつつあります」


 エスペル教団、南支部。

 その執務室では、窓の逆光によって影を落とす深い茶色のデスクやアンティークが、厳粛な雰囲気を引き立てている。窓の光を背に受けて席に着く男もまた、茶黒の髪に黒い制服という厳かな佇まいで、眼鏡の奥の赤い瞳を光らせている。

 エスペル教団の司教、オルダ・リオ=ダズフェルグはさらに続ける。


「勿論、我々教団が張っている結界も現象を感知しています。分析の結果、この現象は未確認魔力体によるものです」


 男が資料を眺めているデスクの前には、三人の少年少女が横に整列して立っている。その子供達もまた、彼と同じ黒い制服を纏っている。違いがあるとすれば子供達の制服には青いライン、男には赤いラインが施されている。教団での階級を表す色だ。


 未確認魔力体とは、言葉の通りあらゆる既存の分類に当てはまらない正体不明の魔力の発生源。何かしらの原因で魔力が変質している場合もあれば、本当に未知のエネルギーが出現している場合もある。

 そして、教団内での報告でこの言葉が用いられる時、ほとんどの場合その発生源は〝人〟を指している。解析室でオペレーターが操作する魔力分析機器のモニターには、人の形をしたピクトグラムの横にUnknown humanという文字が映し出されている。

 この大陸にとって〝未知の状態と判定された人〟が出現したということだ。


「つまりマジで『ニンゲン』が燃えてたってことかよ」

「でも焼け跡は残ってなかったんですよね……」


 右端に立つ三人の中で最年長の茶髪の少年が問うと、左端の最年少の三つ編みの少女が続く。


「その人物ごと消えたということか」


 そして残る真ん中に立つ三人目の、青みがかった黒髪を一つに束ねた長髪の少年が言った。


「消失したか、転移したか……あるいは〝何者かが連れ去った〟か、いずれも可能性はあります」


 男は考え得る可能性を並べるが、最後の一つを強調しているように聞こえた。


「そこでこれから君達に頼むのは、その答えを突き止めること――つまり消えた未確認魔力体を捜索し、捕獲してここに連れて来ることです」


 男に告げられた任務の内容に、茶髪の少年は溜め息を吐き、三つ編みの少女は緊張を顔に浮かべる。その反応を見た男はわざとらしく表情を和らげる。


「未確認魔力体は多くの場合、生命と星が紐付けられていないまま、体内のエネルギーが不慮の暴発を起こしかねない危険な存在です。

 このまま野放しになるほど危険でしょう。

 そうでなくとも近年各地で異常現象が頻出している状況で、解明が遅れ『人体発火現象』の噂や目撃が広まれば人々の不安定と混乱を助長することになります」

「それがわかってるからダルいんだよ! なんでこうなる前にさっさと捕まえねぇかな……」

「それは本当に申し訳ない」


 少年は上官の男に向かって遠慮なく文句をぶつける。そんな彼とは対照的に、長髪の少年が淡々と尋ねる。


「結界の分析で対象の性質は特定できているのか」

「ご心配なく。これから情報を共有します。精鋭の君達ならそれで十分でしょう」

「……当然だ」


 長髪の少年は相変わらず表情を変えぬまま、しかしその語気に自信を滲ませて答えた。


「ラスティ・マイセル=ハウント、サギリ=シクラメン、ジーニ・トフファ=グロウラース、これより君達三名に任務を命じます。直ちに準備に移ってください」

「了解」


 正式に下された任務に、三人の子供達が声を一つにして返事をした。

 男はデスク上に資料と並べて置いていたタブレットを手に取り、件のページを表示するとそのまま子供達へ差し出す。真ん中に立っている長髪の少年がそれを受け取った。


「これが結界の分析結果です。目を通しておくように。今回結界によって特定した性質……及び炎の柱の中に浮かんでいた人影ですが――」


 男の説明を聞きながら、三人はタブレットを覗き込む。

 そこに書かれている情報を目にして、三者三様に驚きを露わにした。


「君達と同じ年頃の少年です」



 ――01 人体発火星

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