第06話 覚醒、空から落ちた柱にて-2
通路を駆け抜けてロビーに躍り出たアイとガリュマ、そしてジフは、手すりから身を乗り出して下の柱を覗き込む。
数本の柱だけが残されたまま――それが聖国の遺産たる所以なのか――先ほどの通路よりもさらにぎらついた漆黒の影が蠢く異様な空間に変わり果てていた。
道を示すように左右に並列する柱の一番奥には、一際大きく荘厳なレリーフの一本の柱がそびえる。その柱の前で道を阻むように立ちはだかる、黒いフードを着た二人の人影を捉えた。
「……いた!!」
共にそれを確認したアイとジフは、手すりを飛び越えて下の柱へと身を投じる。そして眼下に立つ者達に向かって、アイは実体化させた大剣を握ると同時に炎を纏わせたそれを振り下ろした。
激しい粉塵が立ち上る中、標的から距離を取って着地したアイとジフ。晴れていく煙から姿を表したのは、憩いの湖で襲いかかってきた者達――そのうちの少年と少女、カイルとメイアだった。
「びっくりした~。まさか自分から突っ込んで来るとは思わねーじゃん」
「あれ~? でも今日はカナちゃんいないんだ~」
けらけらと笑っている二人を前に、アイは武器を構える手に力を込める。
「こんな堂々と一般人まで巻き込みやがって…!」
「お前らが大人しくこっちに来るならさっさと引き上げてあげるのに」
案の定と言うべきか、カイル達は全く気に留めていない。それどころか自分達の目的に従うようアイをなじる始末だ。
「アイ、前に戦った時、男の方は電気の攻撃を使っていた。あいつがここでまた攻撃を放った時……俺と同時にお前の火炎元素の攻撃をぶつけるんだ」
「お前と、って……水と炎を同時にか?」
「その直後になるべく距離を空けて柱の影に隠れろ。俺があいつらを引きつけてる間に、お前は身を隠しながら影が広がる原因を突き止めるんだ。それで探しても見つからなかったらこの場所からすぐに逃げろ」
「なにコソコソ企んでんだよガキ共!!」
早々にジフの読み通り、カイルが両手の長い袖から電撃を放った。
「《P0LAS γ》!!」
瞬間、アイとジフもそれを目掛けて同時に技を放つ。
「《フレイムブレード》!!」
「《コールドスピア》!!」
三つの元素がぶつかったその時、さらに強力な爆発を起こし白い煙が空間を満たす。
アイが柱の影に走っていくのを確認したジフは、煙の中でも厭わず手に持つ槍でカイルとメイアに斬りかかる。ジフが先制を取ったことを活かしながらも回避に徹し、最奥の柱に近づいていくアイから引き離していた。上手く柱から柱へと渡るアイが、最奥の柱を視認する。
「あれか……!」
その一番大きな柱には、人の目線ほどの高さに施された宝玉の装飾に、黒い渦が発生していた。あれこそがコキュートスが出現し、影を膨張させている煉獄の火口の起点だ。アイの肩にしがみついていたガリュマが柱の方を指差す。
「あれをどうにかすれば止まるんだな!」
「問題は何をどうするのかだけど……あの柱についてる宝石みたいなのを壊せばいいのか!?」
狙いが定まったアイとガリュマが柱の前まで近づこうとした時。
後方で戦っていたジフの頭上に、天井に吊り下げられていた巨大な展示物の数々が落下した。
反応が遅れ、迫る影から逃げきれなかったジフは完全に下敷きになった。振り向きざまにその光景を目にしたアイが声を上げそうになるのを両手で必死に抑える。
折り重なる展示物の上には、コキュートスの一人の青年ジュディエが立っていた。
「ちょっとジュディエ! 一人だけ遅れて不意打ちとかズルじゃん!」
メイアの呑気な不満を無視するジュディエは、嘲笑うかのようにジフを下敷きにした展示物の山を踏みつけている。アイが思わず声を上げそうになるのを必死に堪えていると、カイルとメイアがアイに聞こえるようにわざとらしく声を響かせた。
「ちょっと可哀想だし、教えてやってもいいかなぁ~」
「あんたの右手の石、そこの一番奥の柱に触ればもっと大きな力が解放されて、ついでに火口から広がる影も消えちゃうらしいよ~! 早くしないとお友達がペシャンコになっちゃうし、影が街まで広がっちゃうかも~」
そんなことを堂々と教える二人にアイは違和感を感じながらも、いまだ展示物の下敷きになったジフを、そして人々が逃げ惑う館内の喧噪を無視することはできず、思わずすぐ近くにまで近づいた最奥の柱の方へ振り返る。
柱の前――アイの目の前には、アイが隠れていることにとうに気づいていたカイルが立ち塞がっていた。
「せっかく教えてやったのに、タダで触ろうとするとか冷たい奴じゃん」
悪意に満ちた、それでいて無邪気なカイルの笑みに思わず戦慄する。
「お前が俺達と一緒にアルズの所に行くって言うなら触らせてあげてもいいよ?」
カイルの言葉に含まれた意味を、アイは感じ取っていた。この館内に入る観光客の人々、ひいてはマルトクラッセの街を人質にしているのだと。アイが言葉をつまらせていた最中――
彼の背後で、折り重なっていた展示物の山が弾けるように吹き飛び、上に立っていたジュディ絵が咄嗟に飛び退いた。
その中心には全身傷だらけで息を荒げながらも立ち上がったジフがいた。
「そんなものに……従う必要はない……!」
「うっそ、あれでまだ動けるとかバケモンかよ」
唖然とするカイルの言う通り、普通ならば動くこともままならない怪我を負いながら、ジフは再び槍を握ってカイル達氷人形に斬りかかる。
アイに近づくカイルを引き離し、反撃してきたメイアとも応戦するが、不意をついたジュディエの背後からの攻撃を喰らいそのまま後ろ手に取られてしまう。
「お前は黙って見ていろ」
「ぐあああああ!!」
そう吐き捨てたジュディエに掴まれている右腕を捻り折られそうになり、今度こそジフは痛々しい悲鳴を上げる。
アイが決断するのが先か、ジフの体が壊されるのが先か。最奥の柱でぎらぎらと蠢く火口の影が、急き立てるように膨張し続けていた。
* * *
カナとヨータが避難した先の通路でも、館内が影に侵食された影響で照明が機能停止し暗闇と化していた。人気のない通路の壁にもたれ座り込んでいるヨータを介抱していた。
「ヨータ……あれが怖いの?」
今のヨータは、この建物から影が噴き出した瞬間――その〝光景〟そのものに恐怖している。理由の全てがわかるわけではないカナも、それだけは悟っていた。
いまだ呼吸が安定しないヨータの唇が微かに動く。
「……あいつらは……」
弱々しい彼の声をカナは聞き逃さず、じっと耳を傾ける。
「アイに遺産を触らせて……覚醒させようとしてる……でも今のアイは……を注がれて……自分で力が使えない……そのままアイを……アルズの所に連れて行く気なんだ……」
心身の苦痛に苛まれながらも、思考は冷静なままだった。明瞭な推測を口にするヨータに彼の心境の変化を感じたカナが問う。
「じゃあアイ達を助けに――」
「ダメだ!!」
カナが言い切るよりも先にヨータの否定の声が遮った。
「今行っても何もできずにお前まで捕まる……それだけはダメなんだ……そうならないために……俺達にできるのは……」
ヨータの返答に、その後に続くであろう言葉に、カナは愕然とする。次第にこみ上げる感情を、声を張り上げて露わにした。
「ならアイ達を見捨てるの!?」
ヨータがあえて口に出せずにいた言葉の続きを、カナははっきりと突き付けた。後ろめたそうだったヨータの表情がはっと強張る。
「わたしだって……ヨータがこんなに辛そうで、早く外に逃げなきゃって思うけど……でも、ここまでわかってるのに何もせずに置いて逃げるなんて……それで助かったとしても、ヨータは本当にそれでいいの!?」
アイ達を思うカナの真っ直ぐな感情にさえ、今のヨータには否定も肯定もできない。カナの言う通りここまでわかっているからには、何もできない……わけではないはずなのに。
ヨータの脳裏にこびりつくのは――この博物館の高貴な風景とどこか重なる、故郷にあった荘厳な建物。
そこで、目の前で突然噴き出した、禍々しく煌めく巨大な影。
全てが暗闇に包まれた後、その場所で起こったこと――
俯いた顔を上げられないヨータは重い呼吸で意識を保つのに精一杯だった。そんな彼を見て、カナは痛ましそうな表情になる。
「……ごめんなさい……今のヨータがどんなに苦しいか、わかってるつもりなのに……でも、ヨータにそんなこと言わせるくらいなら――」
「あらぁ、こんな状況で随分無防備だこと」
突然二人以外の声が割って入り、カナははっと振り向く。目の前にはコキュートスの一人である女、アルテノーラが立っていた。
「戦わずに最上の獲物を見つけるなんて、これも何かのお導きだわ。私が誰よりもアルズに褒めてもらうためのね……!」
目の前のカナ達に構わず、一人期待を募らせて高揚している。
「大人しくついてきてくれるならこのまま何もしないわ。でも素直に従わないなら少し痛い目を見てもらおうかしら。私にとってあくまでも興味があるのはアンタじゃないんだから」
上機嫌だったアルテノーラの声色と表情が、ぬるりと凍てついたものに変わり、カナは身を強張らせる。それでも立ち上がれないヨータを背に庇うようにして、アルテノーラを睨み返した。
「……ヨータが簡単にそんなこと言う人じゃないってことも……選びたくないことを選ぶしかないヨータの方がずっと苦しいことも……ちゃんとわかってる。だから……わたしがヨータのやりたいことを――」
「はぁ? アンタに何ができるって言うのかしら」
カナの威勢をものともせず、アルテノーラが呆れ返る。本当に、こうなるくらいなら素直に従った方がずっとマシなのではないか。それでも誰か一人でも、その心だけでも助けたいと思い、アルテノーラと対峙するカナの姿を、座り込んだままのヨータはただ見ていることしかできない。
――本当にそうなのだろうか。
* * *
柱が並び立つ最奥の部屋では、アイが決断を下すまで緊迫した状況が続いていた。
悠長に待つつもりはないと、ジュディエがジフの腕を捻り断続的な悲鳴が響く。――そんな中、不意に何かの気配を感じたジュディエが後方のロビーへ振り向こうとした直後。
頭上から落下したアルテノーラの体が彼に衝突し、二人まとめて尋常でない勢いで吹っ飛ばされた。突然の事態に目が追いつかなかったカイルとメイアも驚愕する。
アイもまた呆然と後ろを振り返ると、先程までジュディエが立っていた場所には――初めて目にする純白の一角獣と、その背に乗ったカナ、そして同じく獣の背に救出されたジフがいた。
さらに、今度は最奥の柱から眩い光が迸り、再びそちらの方を見る。
柱の前にはヨータが立ち、煉獄の火口が出現していた宝玉に腕を伸ばして触れていた。
「そんなにやってほしけりゃ……俺がやってやるよ」
ヨータは前に向き直ると、煉獄の火口は消え去り、宝玉が強大な光が放つ。宝玉から離れたヨータの右手――その小指に、指輪の痕のような刻印が浮かび上がる。宝玉の光と呼応し合うように、刻印が鮮烈な熱を発して明滅する。
「うっ、ぐぁ……うあああああああああああ!!」
悲鳴にも似た咆哮を上げながら、焼き切れそうな刻印の熱に耐える右手をもう片方の左手で抑え、それを掲げた。
「――《I'll Salvatore》!!」
ヨータが、神語を叫んだ。
その輝きを受ける背に、まるで光が形を得たように――黄金色の透き通った翼が広がる。
この場所の誰もがその光景に目を奪われ、辛うじて意識を取り戻したジフが愕然とする。
「……あれは……《明星の救世主》と同じ……」
その眼差しは、教団で信仰する御姿を前にした時と同じ、崇拝と畏怖をも含んだそれだった。何よりも、その視線の先にいるのがヨータであることに、信じ難い衝撃を露わにする。
ヨータの体から解放した力が吹き荒れ、暴風に曝された左側の首筋には、翼と同じ黄金色の輝石が露わになる。それはアイの右手に宿るものとよく似た輝きをしていた。
彼は魔力を実体化させ、黄金の槍のようにも、巨大な羅針のようにも見えるそれを手に握ると、武器の先端から半円の刃が出現し大鎌となった。
一度地面を蹴れば、瞬間移動の如く前方のカイルに迫り、振り下ろした大鎌の斬撃を食らわせる。カイルは踵と地面の摩擦を伴って後ろへ吹き飛ばされながらも両手の鍵爪で耐えたが、再び瞬時に距離を詰められ、演舞の如くしきりに大鎌を翻すヨータとの攻防で鋭い金属音が鳴り続ける。
「なんなんだよそのうざってぇ動きは……!!」
「これが見たかったんじゃねぇのかよ!!」
初めてヨータが戦う姿を目にするアイはただ圧倒されている。今の彼から明確にわかるのは、動きと反応の速さ――俊敏性が格段に上がっている。共に現れたあの一角獣は、その〝速さ〟を司る駿馬そのものとでも言うのだろうか。
「ヨータって……こんなに強かったのか……」
防御に終始するカイルに集中しているヨータの死角で、メイアが音波のソニックブームを放った。直撃するギリギリの所で振り返ったヨータが大鎌を構えて防ぎ、競り合いの末に薙ぎ払った大鎌から衝撃波が迸り、カイルとメイアを退けた。
二人が立ち上がるよりも先に、ヨータは掲げた大鎌を盤上の羅針の如く一回転させると、その軌道に合わせて頭上に大きな結界が展開し眩い光を発する。その光が強まるにつれ彼の体が翼で浮き上がり、光が最大限まで強まると大鎌を両手で構えた。
「《王莽の刻針》!!」
掲げた大鎌を振り下ろすと、巨大な光の輪が地面に叩き付けられる。全てを焼き尽くすほどの光が、爆発の如く迸り猛スピードで全方位へと波及していく。
「メイア!!」
「カイルくん!?」
倒れていたメイアを光が呑み込む寸前、彼女の前にカイルが割って入り鍵爪で防いだ。それも限界に近づくと、今度はジュディエがアルテノーラを担ぎながら二人の前に着地し、眼前に地面から巨大な氷塊の盾を突出させる。
それが破壊される寸前、彼らは黒い渦の中に姿を消し撤退する。直後、木っ端微塵に砕け散った氷塊の破片が、光を受けて煌めきながら飛散した。
そのまま光は博物館全体を呑み込み、外側まで広がり、建物を丸ごと囲む円形の高波となった。
* * *
光が消え失せた頃、観光客の人々を苛んでいた影の影響も祓われ、陽が沈み始めた空の下。駆けつけていた教団の構成員達が博物館内外で救援に奔走する。
一角獣の瞬間移動の力でカナとジフは外へと脱出し、喧騒から少し離れた木陰に横たえられたジフがカナによる治癒を受けていた。ヨータのあの力について、彼女がどこまで知っていたのかはわからない。だが、ジフは意識が冴えてきたのと同時に確信する。
――教団の大聖堂に掲げられた《明星の救世主》の肖像画。色こそ違えど、ヨータに宿る。あの光の翼と輝石は、肖像画に描かれているのと同じものだ。
ヨータの正体は紛ぎれもなく、《救世主》と同じ力を持つ存在。
この世界に力をもたらす星座、その要となる最も強く光る星――大星座。
そしてまた別の離れた場所、広がる空を背にする丘の草原に、翼で飛翔するヨータに抱えられたアイと彼にしがみつくガリュマが降り立っていた。
一度に膨大な力を消耗したヨータは背中の翼が消失すると再び膝から崩れ落ち、慌ててアイも膝をついて彼の肩を支える。
「ヨータ……ごめん……! 俺のせいで……」
「……いや……俺達が博物館に入らなくても、どっちみちあいつらはお前をおびき出すために平気で同じことをしてた……」
肩で息をしながら、尚もヨータは冷静に省みる。彼自身はいつも通りなのに、その体も顔色も、いつもの彼らしくないひどく弱りきった状態だった。二律背反とも言える見慣れぬその様に、アイの胸の中の感情が溢れて止まらなくなる。
「でも俺じゃジフも観光客の人達も助けられずに、どうにもできなかった……ヨータが来てくれて……あいつらと戦ってくれたから……ヨータのおかげでみんな助かったんだ……! ほんとに……ほんとにありがとうヨータ……!!」
強い罪悪感と安堵が綯い交ぜになり、泣き出しそうになりながらも精一杯に感謝を伝えるアイの、夕陽に照らされた潤んだ瞳をヨータが見つめていた。
カナに叱咤されるまで、アイ達を置いて逃げることを当然のように考えていたというのに。ヨータの脳裏には、いまだ影に飲み込まれた故郷の回廊がこびりついている。
――その出口なき回廊の暗闇の中にさえ、アイがヨータの名を呼び、「ありがとう」と言う声が響いてくる。
その景色が、ヨータを支えているアイの右手の輝石を通して、アイの瞳の奥にも映し出された。
ヨータは何も言わず、突然アイを強く抱きしめた。
「……ヨータ……?」
「アイ……ありがとう……ほんとにありがとな……やっぱり俺はお前を……お前がいてくれたから俺はやっと……」
まるで安心の象徴に縋り付く子供のように抱きしめ、アイに言われた同じ言葉を繰り返すヨータの言葉は、小さな嗚咽に消えていく。その声と表情は、求めていた救いを与えられたかのように晴れやかだった。
どうして二人して泣いているのか、アイとガリュマはわけもわからぬまま、ヨータの腕の力が弱まると彼の体は草原の上に倒れてしまった。
「ヨータ!!」
「――キンディス!!」
アイの声と同時に、別の男の声が重なる。振り返れば、息を切らせて駆けつけたリオウが立っていた。
普段の飄々とした彼からは想像し難いほど、その表情は焦りに血相を変えていた。
倒れたヨータの傍らにリオウが急いで膝をつき、両腕でヨータの体を抱え上げる。そして口早にアイに伝えた。
「彼を運びます。もうすぐ教団の兵士が来ますから、アイくんも手当てを」
何もわからないアイはリオウに運ばれていくヨータを見ていることしかできず、ただ夕暮れの丘に座り込んでいた。
――06 覚醒、空から落ちた柱にて




