第06話 覚醒、空から落ちた柱にて-1
商業都市マルトクラッセ。商売や娯楽を求める人々が行き交うこの街は、以前アイ達が訪れた時よりもさらに華々しく賑やかな装いになっていた。
頭上の晴天にかかるカラフルな旗。街路中に建てられたバルーンやオブジェ。飾られているリースの花びらと紙吹雪が風に乗って街中を舞う。
いわゆる祝祭の真っ最中だ。
街の一角にあるレストランでアイ達が囲んでいるのは、人の顔ほどの大きさのステーキと、マンホールばりのピザ、サラダとポテトとスープのセット、そしてそれぞれに一皿ずつ置かれたトマトパスタグラタンには四角いビーフがごろごろと盛られており、ワインと見紛いそうな果実のジュースが佇む。
この四人と一匹で旅を始めてから、特に異世界から来たアイにとっては初めてと言えるほど豪勢な料理の数々だが、育ち盛りの男子が三人もいれば着々と食べられていく。唯一の女子であるカナも別腹を解放してデザートを頼み、テーブルの下のガリュマは自分用に取り分けられた皿をはぐはぐと夢中で食べている。
「ヨータ、まだリオウと喧嘩してんのかよ」
「しっかり一番食べてるくせにな」
「ジフお前、自分がアウェーじゃなくなったからって言うようになったな」
図星を突いてきたジフには特に当たりが強い。仏頂面で頬杖をつき喉を通らなそうな顔をしておいて、その実一番食べ盛りなヨータのスピードについていけないアイとジフが不満を訴えている。
一行が再びこのマルトクラッセに訪れたのは、前回同様ヨータの運び屋の仕事に駆り出されたのだが、その依頼主こそがこの祭りの主催者だった。
街の郊外の丘に建っている宮殿には、古代時代に造られたと思われる柱を展示した博物館が併設されている。その柱は《明星の救世主》の伝説において救世主と共に空に消えた聖なる国から地上に落ちた、〝聖国の遺産〟と呼ばれる観光名所となっていた。が、今回の話はそれだけではないのだ。
少し前の夜、博物館――あるいはその中の柱――が突如光を放ち、空を夜明けの暁光のごと黄色に染め上げた。
――それは、アイがこの世界に現れた時の、炎の柱が出現した時とよく似た現象だった。
遺産が光り出したとなれば観光客はさらに殺到し、これは縁起物に違いないと歓喜した宮殿の主人が街を上げての祝祭を敢行した。その祭りの一環で必要な物資を宮殿に届けるのが今回の仕事というわけだった。
エスペル教団の兵士であるジフに「未確認魔力体とその同行者達」として教団南支部に連行されてから、彼の上司のリオウに保護とも監視ともつかぬ形で身柄を預かられており、以前からリオウと面識があったらしいヨータはその時からずっと機嫌を悪くしている。
アイが教団でこの世界に必要な知識を叩き込まれながら、ヨータの仕事も付き合わされており、そうこうしているうちに早いもので三ヶ月になろうとしているが、いまだにヨータは時々こんな様子になる。
「リオウに貰った昼飯代で食うのがそんなに嫌かよ」
「当たり前だろ! 金で受ける施しが一番厄介なんだぞ」
「でもこのトマトパスタグラタン、ヨータの大好物だよね」
アイの疑問に威嚇したつもりのヨータだったが、カナからの思わぬ追撃でぎゅっと口を噤んだ。
「俺が一番働いてんだから別にいいだろ! あいつの懐から出た金だから俺は痛くも痒くもないし、これでもまだお釣りが来る程度だから今のうちに食っとけよ!」
もはや堂々と居直るヨータは無駄に怒鳴ったせいか脱力して椅子にもたれる。そんな彼を見てアイは次なる疑問を口にした。
「そう言えば教団に連れて行かれなかったら元々はどこに行く予定だったんだ?」
「特に……何も決めてないけど……」
「教団が監視してるのはアイだけなんだし、そんなにリオウが嫌なら好きな所に行けばいいじゃない」
わがままに苦労しないカナの性分から飛び出た発案に一瞬他の三人が胆を冷やすが、半ば自暴自棄に気味のヨータが漠然と空を眺めながら呟く。
「そうだな……行くとしたら……エルトキナ港湾にでも行こうかな……」
* * *
昼食後、アイ達は目的地である郊外の丘の宮殿で無事ヨータの仕事を終える。
――実はこの宮殿への配達こそが、アイが最初に壊してしまった商品の依頼主だった。それほどの富豪の依頼となれば、ヨータがあれほど怒り狂うのも仕方ないと、そのことを知ったアイは改めて反省した。
しかし今回はその商品だけではなく、この度の祭りの依頼も追加された。それによって報酬を合計すると当初の倍以上になる。そして何よりも、約三ヶ月間ヨータの下で働いたアイは、今回の報酬を得ることでヨータに科された弁償の金額に達する。
つまり――ヨータへの弁償を完済することになるのだ。
「コンプレアンスエージェンシーです!」
宮殿の扉を開き、アイが声を張って挨拶した。責任を持ってアイ自身が商品の受け渡しに出る。念の為、ヨータが今回分の商品が入った箱を持って傍についている。
「ご苦労様です」という声と共に出てきた数人のメイドの女性に、それぞれ商品を渡す。中へ運んで行くメイド達と入れ替わりでもう一人別のメイドが玄関口に出てきた。
「報酬の小切手になります」
そう言って手に持っている一枚の紙を差し出す。ヨータが受け取った紙にはペンが走った数字が書かれていた。アイもその小切手を覗き込み、そこに書かれたゼロの多さを目にして二人とも硬直する。事前に算出していた額とは言え、その場で直接手に入るとなかなか動揺してしまう。
「っ、ありがとうございます」
はっと我に帰ったヨータが営業用の爽やかな顔と声を維持してお辞儀した。
アイの最後の弁償はあまりにもあっさりで、何ならお釣りで数日贅沢ができてしまう、なんとも奇妙な終わりだった。
ヨータとしてはこれで予定は完了し、早急に教団東支部に帰るつもりだったのだが……
……結果として四人と一匹は今、宮殿に併設された博物館に来ている。
「博物館は本当に博物館なんだな! でも俺が見たことあるのより滅茶苦茶豪華じゃん! ハリウッド映画みてぇ!」
アイはすっかりはしゃいでおり、頭の上のガリュマも目を輝かせる。カナとジフも興味津々に内部を見渡しているが、またしてもヨータだけがげんなりとした顔をしていた。それに気づいたアイが我に返って身振りを慎む。
「ごめん……無理言って」
「いや別に……大人しく見てりゃそれでいいんだけどよ……」
――数分前。宮殿を出てすぐさま帰ろうとしたヨータだったが、斜陽の丘に建つ博物館では評判通り大陸中から集まった人々でごった返していた。中にはアイにとって初めて見るような――あるいは架空の創作物で見たような――不思議な見た目をした種族の者もいる。それもあってか、アイは食い入るように博物館の方に気を取られていた。
「……気になんのか」
「え、あ……えっと……」
あそこにあるのは、アイがこの世界に現れた時と同じ現象が起きた遺産の柱だ。もしこの柱に何か関係があれば、アイが元の世界に帰る手掛かりになるだろう。たった今、弁償から解放されたアイはヨータに縛られる必要はなくなった。それはつまり――
「帰りたいか」
と、ヨータは単刀直入に問う。
だが、アイにもすぐには答えられない理由があった。今のアイはエスペル教団の監視下にある。そして、まだ元の世界での記憶が戻っていないから、というのも全くないわけではない。それに加えて問題がもう一つ。
教団南支部でリオウに保護された時、アイは彼とヨータの会話を偶然聞いてしまった。
――『僕はアイくんを連れ去った〝犯人〟が誰だか思い当たっている』
――『……君だよね?』
炎の柱の件の犯人がヨータなら、アイが元の世界へ帰ることに彼は何か思うことがあるのだろうか。
どちらの可能性を信じるかのジレンマに陥る。互いにどれほど思案しようと、口にした言葉しか相手には伝わらない。先に口を開いたのはヨータだった。
「ここに来るまでどんな目に遭ったか覚えてるだろ。お前とカナは煉獄の使者だかコキュートスだかわけわかんねぇ奴らに狙われてるんだ。お前に関係ありそうな場所ならまた出てきたっておかしくない。あいつの……リオウの監視があるならともかく、さっさとこんな場所――」
そこまで言いかけた所でふとアイの顔を見ると、ヨータが思う以上に思い詰めた顔をしていた。途端に言葉を詰まらせたヨータはその場で逡巡した末、結論を変えた。
「……遠くから、見るだけだぞ! 絶対に柱に触るな、近づくなよ! それで何かわかったら今度またリオウについて来てもらえ!」
「えっ……いいの?」
――そのような運びとなり、四人と一匹は博物館のロビーから下を覗き込み、広大な部屋の中央に圧倒的な存在感で立ち並んでいる聖国の遺産の柱を鑑賞していた。
しかしアイにも柱にも、これと言って変化は見られない。アイの隣に立つカナが彼に尋ねる。
「何か思い出しそう?」
「いや~……特になんとも」
「報告だと夜中の空が光っていたのは確かだが、炎の柱のような未確認魔力体は出現していない。そもそもエネルギー体の柱と物体の柱じゃ話が違ってくるだろ」
「せっかく帰る時間遅らせてわざわざ入館したのに今そういうこと言うんじゃねぇよ」
「あれほんとに空から落ちてきたのかりゅ?」
アイと柱の様子を見てジフとヨータ、そしてガリュマも思ったことを口々に述べた。
これ以上変化の兆しもないため、一行はロビーを後にしてエントランスへと引き返す。その通路の途中で、一人の観光客の女性が彼らに声を掛けた。
「あの、すみません……連れを探しているんですけど、柱を見に行くと言って別れてから戻って来なくて」
この通路にも様々な展示物が点在しており、なかなかの歩数を要する距離と面積だが、その間他の部屋への入り口や分かれ道もなくロビーまで一本道になっている。ロビーから出てきた一行に訪ねたのだろうが、彼女から連れ人の特徴を聞いても心当たりのない四人と一匹は顔を見合わせた。
「たぶん俺たちは見てないと思うんだけど……もしかしたらその人、途中の展示で立ち止まってるのかもしれないですし」
「そうですか……よく探してみます。ありがとうございます」
アイの返事に女性は不安を滲ませながらも会釈をし、彼らと反対の方へ去って行った。アイ達も心配ではあるが、そのままエントランスの方へと戻っていく。
それから数分が経ったであろう、その時。
「きゃああああああああああ!!」
一行の背後から女性の悲鳴が響き、通路にいる誰もがロビーの方へ振り返った。
「今のって……さっきの人の声!?」
「えっじゃあ助けに行った方が――」
アイがそう言いかけて、はっとヨータの方を見ると同時に、博物館に入る前に彼が言っていたことを思い出す。
――『お前とカナは煉獄の使者だかコキュートスだかわけわかんねぇ奴らに狙われてるんだ。お前に関係ありそうな場所ならまた出てきたっておかしくない』
本来ならばヨータが博物館を避けて帰ろうとした理由だ。彼自身もアイの言葉に同意はしないが、はっきり否定するのも躊躇っている顔をしていた。そして同じ懸念を抱いたのであろうジフが言う。
「俺達はまずエントランスに戻るぞ。博物館の警備隊が向かったのを確認してからどうすべきか考える。場合によっては俺が教団に救援を要請する」
彼が言ったのと同じように、周囲の人々も警備隊を呼ぶ声を上げる者、声の方へ走る者で入り乱れ、静粛だった通路は一転して騒然となる。
今はジフに従うことを選んだ一行は向かう先のエントランスへ走る。が、背後から聞こえる悲鳴はさらに増えていく。まるでその悲鳴に追いかけられ……否、言葉通り追い越され、それは黒い影という形で通路一帯を覆い尽くし、異空間へと変えてしまった。
「これって……憩いの湖で見た……!」
「煉獄の火口……!!」
アイとカナは以前、憩いの湖でコキュートスと遭遇した時の光景を思い出す。煉獄の使者と呼ばれる者達が人の世に現れる時に出現する黒い渦――煉獄の火口。それが今、みるみるうちに博物館全体を塗り潰すように広がっている。
「ヨータごめん……! やっぱりここにコキュートスが――」
そう言ってアイが振り返ろうとした直前、彼の背後で何かが床に崩れ落ちる鈍い音がした。
見れば、崩れ落ちたのはヨータだった。
「ヨータ!?」
膝をつき床に突っ伏している彼の顔色は蒼白で、見開いた瞳が不安定に震えていた。過呼吸に陥った勢いで吐き出しそうになるのを、手で口を塞ぎ必死に耐えている。すぐさまアイ達もヨータの傍にしゃがみ込んだ。
「この空間の影響を受けたのか」
ジフは影が禍々しく蠢く異空間を見て、人々が悲鳴を上げていた原因との一致を推測する。アイにも正確な理由はわからない。カナがヨータの体を支えながら周囲の様子を見渡す。
「博物館の出口が全部なくなっちゃう前に、早くここから出ないと!」
「このまま広がり続ければこの建物だけじゃなくマルトクラッセの方まで侵食するぞ」
カナとジフの言う通り、刻一刻と状況は悪化している。たとえやぶれかぶれでも、アイは一つの結論を出した。
「カナはヨータを連れて、観光客の人たちと一緒に外に逃げるんだ。俺は火口が広がるのを……コキュートスを止める。あいつらの狙いが俺達なら……俺がここに残ってれば、マルトクラッセまで巻き込まれるのを少しでも遅らせる時間稼ぎになると思うんだ」
アイの思い切った考えにカナが驚き、ジフもすぐに異論を呈する。
「前に襲われた時はリオウの加勢で助かったが、俺達だけじゃ勝てるかわからないぞ」
「それは俺もわかってる。だから正面から戦うよりもできるだけ死なないように動くことを優先するんだ。せめて教団が……リオウが来るまでは。逃げ回るならむしろ得意な方だって」
「ならおりぇも一緒に行くぞ!」
威勢を見せるアイに頭の上のガリュマも同意する。今すぐには他に手立てが浮かばないジフとカナも、彼に合わせることを選ぶ。
「どれだけもつかはわからないが……教団にはさっき救援要請を送っておいた」
「ヨータ大丈夫? 自分で歩ける?」
カナに支えられるヨータが辛うじて立ち上がり、辛そうな表情で顔を上げアイを見ている。
「……アイ……行くな……」
「俺も絶対に外に逃げるから。先に待っててくれ」
弱々しい声で引き留めようとする。しかしアイには届かなかったのか――アイは進む方へ向いてしまい、背中を向けたまま振り返りざまにヨータに告げた。




