第05話 大星座-2
最初に事情聴取から解放されたアイは、昨日用意された客室に戻った。……が、どうにも落ち着かず、部屋を出て途中の通路まで引き返していた。
今いるのは、2階への階段を構えるロビー。階段の行き先が左右に分かれた踊り場の壁には、大聖堂のタペストリーよりもさらに写実的に描かれた巨大な2枚の肖像画が額に飾られている。アイはその肖像画を階段の下から見上げていた。
左右にそれぞれ、若い男と女が描かれている。男の方は亜麻色の短い髪に真紅の瞳をしており、白銀の鎧を纏って黒金の剣を構えている。以前マルトクラッセで出会い、襲いかかった青年――アルズの持っていた本の表紙と同じ絵。
肖像画の男は《明星の救世主》と呼ばれ、この教団で、大陸全土で、誰もが信仰している存在。そんな《救世主》にアイはよく似ているとアルズは言っていた。そして実際に自分の右手の甲に宿っている真紅の輝石は、《救世主》と同じものだった。
彼が《救世主》になり得た要因、それがこの輝石に宿る大星座の力。最初は「体に星の力が紐づけられていない」と言われてここまで連れて来られたのに、蓋を開けてみれば星の力どころの話ではなかった。
しかし――何故。
そんな力が、突然自分の右手に宿ったのか。
自分と《救世主》の間にどんな関係があったのか、全く思い出せない。いや、思い出せる限りでも自分は現代日本のただの中学生だった。それが一体どうやって《救世主》に繋がるのかが皆目見当もつかない。
今はただ、大星座の輝石という形で〝繋がった〟という結果だけ残され、このビテルギューズ大陸に放り込まれた。
「……はぁ」
「でっけー溜め息だなぁ」
頭の上に乗っている仔竜獅子がのんきに言う。アイは意識を切り替えようと、《救世主》の隣に飾られたもう一つの肖像画に視線を移す。
金色に煌めくウェーブのかかった長い髪に、海のように深い藍色の瞳。純白のドレスを着た、両耳が羽の形をしている女の絵。先程の聖堂でのリオウは、《女神チェリシアローズ》と口にしていた。その二つ名に違わぬ神秘性と包容力を感じる佇まいの女性だ。
リオウの話によれば、《救世主》と共に《神》と交信し、大陸を救ったもう一人の偉大な存在。
《救世主》と関わりのある人物だからか、マルトクラッセの図書館の本で彼女を見た時以来、頭から離れない。……今にして思えば、それ以前から時々感じていた既視感のようなものが、本の表紙を見てより明確に実感したというべきか。しかし感覚で感じる以上の具体的なことは、相変わらず何もわからない。
それも、この輝石の謎が解ければわかるのだろうか。
「……んお?」
不意に仔竜獅子が三角の耳をぴこぴこ反応させながら後ろへ顔を向ける。それに釣られたアイも背後を振り返った。
そこには、事情聴取から解放されたカナが視線を落として歩いてくる姿があった。気配に気付いたのか、はっと顔を上げるカナにアイが声をかける。
「カナも事情聴取終わったのか?」
「うん……ヨータはまだ時間がかかるみたい」
普段マイペースなカナもさすがに今日は気疲れしたのか、いつもより顔と声に活気がないように見える。
「この絵見てたの?」
「うん。この教団の中で一番偉くて、大陸で知らない人はいないくらいのすげー人達なんだろ」
カナが頭上の肖像画を見て尋ね、アイもそちらへ視線を向ける。そこでふと、頭の中で小さな閃きを感じ、改めて《女神》の肖像画を見つめる。その姿を目に焼き付けたまま、今度はカナの方を見た。
――金色の髪。藍色の瞳。耳の位置に生えた白い羽。
違いがあるとすれば、カナの方が髪が短く、耳の羽は左側の片方しか生えていないことだろうか。
「ああ! そうだ思い出した!!」
閃きが弾けるままに、アイは大きな声を出した。アイの突然の挙動にカナと仔竜獅子はびくりと跳ねる。
「あの肖像画の! 女の人の方! あの人とカナって似てないか!?」
アイは興奮しながら肖像画を指差し、《女神》とカナをせわしなく交互に見る。
「前にもマルトクラッセで見たことがあるんだけどさ、髪が金色で目が青いから誰かに似てるようなって……こうして見ると顔もだいぶ似てるって!」
「そ、そうかな……」
対照的に、カナは苦虫を噛むような顔をしている。しかし今のアイは目の前で一致したその容姿のことで頭が一杯だった。
「それに、カナもあの人も、耳に羽が生えてるだろ!」
アイがそう口走った瞬間。
カナはひどく衝撃が走ったように目を見開き、ひゅっと小さく息を呑んだ。
「街で初めて《救世主》とあの人の肖像画を見た時から、右手の輝石が妙に反応してるんだ。俺もずっとこの人達が気になってて……もしかしたらリオウの言ってた大星座の力と関係あるのかもしれない」
思考が溢れ出すまま、アイはそれを口に出していく。
しかし、カナは小さく震えながら、羽の生えていない方――右耳の位置を強く押さえている。まるで痛みを堪えるように。顔はみるみると青ざめ、動悸が脈打つ。
「そうじゃないとしても……俺に何か関係があった気がする……俺の記憶を、何か思い出せるかもしれないんだ! カナ、何か知ってることあったら教えてくれ! 遠い親戚とかそういう」
「わ、わたしに聞かれても……」
「おいおい、ちったぁ落ち着けよぉ」
再びアイに返答を求められ、現実に引き戻されたカナは、今度は困惑気味に答える。仔竜獅子もせわしないアイの動きに呆れて静止をかける。
「何でもいいんだよ! 実際に会ったことなくても……いや千年前だから会ったことあるわけないけど……とにかく何か――」
アイはカナの両肩を掴み、さらに強く迫る。無理矢理向き合わされたカナは、存在しない右耳と頭の奥で疼く拒絶反応に耐え切れず、アイの手を振り払った。
「やめてって言ってるでしょ!!」
体の拒絶をそのまま露わにするように、カナは声を荒げた。
ロビーに響いたその声で、アイは冷や水をかけられたかの如く挙動を止めた。一転して訪れた静寂の中、アイの表情を見たカナも我に返る。
「……ご、ごめん……」
「……いや……俺の方こそ……今のは俺が悪かった……」
カナの方から先に謝られてしまい、アイも反射的に謝り返す。仔竜獅子は驚いて目を丸くし耳をピンと立てたまま固まっている。カナはほんの少し体を背け、視線を落とした。
「そうだよね……アイは記憶がなくて色々心細いから……気になるのもしょうがないよ……でも、本当にわたし何も知らないの……」
アイのことを気遣いながも、カナは改めて断りを入れる。俯きがちな彼女の顔色は悪く、やはりどこか辛そうだった。
「難しい話を一度にたくさん聞いて疲れてるのかも……今日はちょっと休みたい……」
「ごめん……本当に……」
アイはただ謝ることしかできない。カナは部屋へ戻りたい旨を伝え、その方向へと歩いていってしまった。遠ざかる彼女の背中を見つめるアイの頭の上で、仔竜獅子の意識が戻る。
「あー……そのー……大丈夫かぁ~……?」
仔竜獅子が呼びかけるも、アイは完全に打ちひしがれていた。これはまずいと慌てる仔竜獅子が必死に思案を巡らせ、腕と翼をばたつかせて提案する。
「カナのことならヨータがよく一番知ってるんじゃないかりゅ!? ヨータに聞いてみりゅぞ!」
「……ヨータに……そうだよな……」
なんとかアイの耳に入ったらしい。この場から彼を動かして気持ちを切り替えさせるべく、仔竜獅子は床に飛び降りて走り出す。
「よーし行ってみりゅぞー!」
* * *
事情聴取を終えたヨータは、客室に戻ろうと一人廊下を歩いていた。そんな彼の背後から声がかかる。
「君を不愉快にしてしまうのはわかっていたけど、彼らの前でもあんな顔をするのは大人気ないんじゃないかな」
先程の大聖堂で嫌と言うほど聞いた声、リオウだった。ヨータは足を止めてしばし無言になった後、振り返った顔はすでに嫌悪感を表出していた。
「事情聴取は終わっただろ」
「だから君と話しに来た。今は会話の記録もされていない」
そう言われたヨータは、睨むような表情のまま、しかし大袈裟に拒むような動きは見せない。そのままリオウが続ける。
「アイくんを最初に発見したのは君だ。だから君の今後についてもちゃんと相談しておきたい。……少し、来てもらってもいいかな」
リオウの問いに、ヨータは依然として黙っているが、何か考えているのか少し視線が移ろう。そして再びリオウに視線を戻した彼は、リオウの方へ歩き出した。
二人が話している通路の曲がり角から、ヨータを探していたアイと仔竜獅子が歩いてくる。
「ヨータの匂いがすりゅぞ!」
「あっ、ほんとだ。――って、なんか話してんのかな」
ヨータとリオウの様子に気づいたアイが足を止め、足元の仔竜獅子と共に曲がり角の壁越しに覗き見る。リオウに連れられてどこかへ向かうヨータの後を、一定の距離を空けながら気配を潜めて追いかけた。
やがて、前方の二人は扉の前で立ち止まる。白い壁と同化するように、同じく白に塗られた質素な鉄の扉だった。アイの元の世界の中学校でも似たようなものを見た気がする。
扉を開いたリオウがそのままヨータと共に、暗くて中が見えない部屋へと入っていく。アイは身を隠していた柱から乗り出しかけたが、彼らの前に飛び出すことを躊躇する。そうしている間にも扉は閉まってしまった。
アイと仔竜獅子が遅れて扉の前へ行くと、ガチャン、と鍵が閉まる音がした。
「締め出されちまったぞ」
「う、うん……」
まだ何か込み入った話があるのだろうか。しかし他にいくらでもある荘厳な木目の扉の部屋ではなく、こんな目立たない扉の部屋というのが、アイには妙に引っかかる。
――リオウが現れた時から、ヨータはずっと何か言いたげな、普段の彼とは違う怪訝な顔をしていた。その理由を今、リオウ本人と話しているのだろうか。
「……こういうの、あんま良くないけど……」
理解はしている、と誰に言うでもなく呟くアイはさらに扉へと近づき、ドアノブに手をかける。
ドアノブをひねれば、中にいる二人もさすがに気づくだろう。それを想像したアイはなかなか手を動かせず、結局ドアノブから手を離した。
――が、その時。
不意に、右手の甲の輝石がにわかに光り出した。
「えっ……ええ!?」
一瞬では収まらないその光に、アイは慌てて左手で押さえて隠そうとする。そうして輝石に直接触れたからか。
アイの瞳の奥に、景色が流れ込んできた。
扉が閉じた先の室内では、真っ暗な中で入り口付近だけ部分的に照明が灯る。大人の身長よりも高い棚が陳列され、分厚いファイルや本がずっしりと並んでいる。
「倉庫じゃねぇか」
「埃っぽくて申し訳ないけど……ここはこの施設の管理者である僕しか鍵を持ってない。それにもう何年も使われてない。用事も無ければ開きもしない扉の前に来る人なんていないよ」
言葉通りの我が物顔といったところか、リオウは必要以上に周囲を気にする素振りを見せない。そんな彼に対抗してか、奥に腰を下ろす場所があるのだがヨータは中に進もうとしない。リオウはヨータに背を向けたまま小さく呟いた。
「君とまた頭を突き合わせて話すのが、こんな状況になるとは思わなかったけど……」
零した言葉を自分で振り払うかのように、リオウはヨータの方に振り返る。
「思い出話をするつもりはないよ。用件だけで済ませる」
潔く話に移るリオウと、いまだ訝しげながらもヨータは真っ直ぐに向き合う。
「アイくんの今後について、彼自身が今後も君と一緒にいたいと言えば、僕もそれを尊重したいと思ってる。一番大事なのはアイくんの気持ちだから」
それを聞き、今度は自分の番と言わんばかりにヨータが威圧感を見せる。
「なに譲ってやるみたいな言い方してんだよ。俺は最初からお前にあいつを渡す気なんてねぇぞ。急に割り込んできてベラベラ喋りがやって」
「アイくんがもし教団に残ると言ったら?」
「そん時はそん時だよ。どっちにしたって俺はあいつに壊された商品を弁償してもらわなきゃなんねぇんだ。そこにお前らは関係ねぇだろうが!」
「……その弁償を僕が代替わりするのは?」
「庶民が汗水流して食っていくのを舐めてんのか? 教団様がよ」
ヨータはリオウの提案をことごとく突っぱね、一向に譲ろうしない。それどころか、リオウの匙加減一つでどうにでもできるとも聞こえる口ぶりに、怒りが増す一方だった。
「アイがどうだろうとお前らはただ仕事してりゃいいだけだろ。アイを見つけるのに出遅れたどころか、大陸の異常に対処が追いつかなくなって、あんなガキ一人に縋るなんて恥ずかしいと思わねぇのか!?」
徐々に語気が強まる末、ヨータは怒鳴りながら傍にある棚を拳で殴りつけた。二人しかいない薄暗い部屋に派手な打音が響く。はたから見れば癇癪を起こす迷惑な客人だ。
だが――この話がアイの所在を巡っての相談である以上、彼の言っていることは至極真っ当なのだ。
リオウはそれ以上の提案をやめた。
「……それは、本当に君の言う通りだ」
謝罪の代わりとでも言うかのように、リオウはヨータの言葉に同意する。数時間前の大聖堂でも見せた、気を落としたような声色と表情になる彼に、ヨータは恨めしさを感じる。
「君が一番知りたそうにしていたこと、君に最初に話した方がいいと思って」
そして、リオウは彼にとっての本題を切り出した。少し落とした視線を戻し、再びヨータの目を真っ直ぐに見つめる。
「単刀直入に言おう。炎の柱の位置からアイくんが失踪した件だ。聖堂での説明の時、本来なら教団……いや……僕が先にアイくんを発見するはずだったこと、その点について拘っているように見えたから」
その通りだったのか、怒りに満ちていたヨータの雰囲気が少し鎮まったのを感じ取る。
「教団の調査ではまだ確定していない。だからこれは僕個人の推測に過ぎない。正直言うと、僕はアイくんを連れ去った〝犯人〟が誰だか思い当たっている」
リオウの述べる言葉に、ヨータは食い入るように押し黙る。その続きを知りたいような、しかし聞きたくないような、異なる感情がない交ぜになっているのを隠しきれずにいる。
そんな彼を目に映しながら、リオウは答えた。
「……君だよね?」
「……は……?」
言葉にならない掠れた声がヨータの喉から零れ出た。
彼は完全に愕然としている。
「さっきから何わけわかんねぇこと言ってんだよ……事情聴取で全部話したばっかりだろ……! 最初に見つけたのは俺でも、炎の柱と場所も時間も違うんだぞ!」
震える声をどうにか奮い立たせ、ヨータは反論する。
「君がアイくんと接触したのは、炎が消失して夜が明けた後の宿の裏庭の林。そうだったよね」
「そこであいつが上から降ってきて、裏庭の水道で洗ってた商品をぶっ壊された! その時カナと宿にいた記録も、粉々になって新品と取り替えた残骸と領収証も見せただろ!」
「ああ、確かにそうだった。だから大事なのは商品が壊れた〝場所〟なんだ」
堂々としたヨータの主張を、リオウは否定しない。
そのままリオウは懐から何かを取り出す。手のひらに収まる程度の小さな透明な袋だった。中には白く光沢のある何かの欠片が入っている。
「これは炎の柱の周辺調査中に僕が採取した。壊れた商品……陶器の破片だ」
リオウは淡々とその正体を口にする。その続きも、はっきりと告げた。
「――炎の柱が発生した、正にその場所に落ちていた」
突きつけられた言葉に、ヨータは無言で目を見開いた。
「……あの場所に落ちていた理由が、『商品が壊れた』という君の発言と一致した。アイくんが宙から落下して衝突したせいで壊れたのは事実なんだろう。その時に君は……炎の柱の前にいた」
断片的な事実から導き出される結論を、リオウが語る。
「これを見つけた時は……別の誰かが動いている時に、偶然君がその場に居合わせて巻き込まれた可能性もあると思っていた。だから『何者かが連れ去った』という仮定で捜査していた。君に直接確認したかったんだ」
わざわざこの部屋に連れ出し、二人きりで話すその意図を、リオウは明かす。そこには不確かな推測というだけでなく、微かな彼の願望が込められている。そして、絞り出すような声で指摘した。
「でも君は……『最初にアイくんを発見した』と言った」
「………………」
ヨータは青ざめながら、完全に返す言葉を失っている。
確かめるために話を聞き、ヨータの口から出た言葉が、今は皮肉にもヨータ自身を追い詰めている。
「本当のことを言うと、僕もあの時、あの丘にいたんだ」
追い打ちをかけるように――それを心苦しく思いながら――リオウは追求を再開する。
「でも君の方がひと足早かった。僕が炎の柱に近づこうとした時、見えない透明な壁のようなもので阻まれた」
リオウが丘で目にしたもの。
燃えている炎の柱の周りをぐるりと囲むように、筒状に出現した光の壁。聖光属性の強大な魔力で出来たその壁の中心に、まるでリオウに警告を示すかのように、光をかたどった紋章が黄金色に輝きながら浮かび上がっていた。
「あれは――『聖障』。それで君だと確信した」
リオウがその名称を口にした瞬間、ヨータの瞳がはっと揺れる。
「君にとっては無意識だったんだろう。あれは君を守るために発動するものだから――」
「――――っ!!」
ヨータは声を上げず、しかし殺意にも似た拒絶を剥き出しにした目で、リオウを睨み付けた。
「……すまない……今のは話し過ぎた……」
彼の中の一線を破ったことを自覚したリオウは、発言を絶って消え入りそうな声で謝罪した。頼りなく目を逸らしたのは、これ以上ヨータを傷つけないためか、それとも自分の失言を悔やむからか。一度自分の頭の中をリセットするように呼吸する。
「このことは誰にも言ってない。この破片のことも。君と話して確認ができたら、後は僕の方でどうとでも報告できるから」
尚もリオウは交渉を続ける。しかし確証が出揃い、その真相に彼の心も揺れ動いているのか、その表情はどこか苦しそうだった。
「君ならアイくんが大星座だと、早い段階でわかっていたんだろう。どうして相談しなかった。僕が到着する前にもジフから確認があったはずだ。機会は何度もあったのに……その度に君は……わざと嘘をついたのか」
言い逃れできなくなった今のヨータはもはや尋問ですらなく、叱りつけられる子供のようだった。リオウのそれもまた、秩序のために罪を問うと言うよりも、子供に嘘をつかれた親の嘆きとそう違わなかった。
「大星座である彼を意図的に連れ去った人物がいると上層部が知ったら、アイくんだけじゃなく君やカナくんにとっても良くないことになる。アイくんと一緒にここに留まってくれるなら、君達の安全も保障するから――」
リオウの追及は、やがて懇願に変わっていく。だが、彼がアイとカナの名を口にしたことで、その瞬間ヨータの感情が決壊する。
「さっきから聞いてりゃ何でもかんでも自分の都合良くいくと思うなよ!! 自分で育てたガキどもを組織で戦わせておいて、そいつらにだって何も話してないくせに!!」
堰を切ったように、ヨータは怒声を張り上げた。リオウの言葉を遮って、静まり返った中ヨータは肩で息をする。
「アイは……あいつはバカみたいに素直で……簡単に人を信じて……逃げれば良いのにしゃしゃり出て何とかしようとする……だから……お前の言うことも何も疑わずに従うんだ……」
それがヨータの目に映り、心に刻まれた、アイという存在なのだ。
呼吸混じりだからか、そして恐らく初めて言葉したのであろう、彼の本音がやけに心許なく紡がれた。
「だから……俺があいつを守ってやらなきゃいけないんだ……! お前と一緒にいたらあいつは……」
アイを傷つけたくない。だからアイを守りたい。それがヨータにとっての怖れであり、安寧だからだ。ある種ヨータ自身にも言い聞かせるかのように――
――実際、アイに自分を重ねるように。着飾ることすらしなくなった言葉から、それがありありと伝わる。しかし……焦りからなのか、ヨータの呼吸はなかなか整わない。それどころか荒くなっていく一方だ。
「今のあいつはもっと大事にされるべきなんだよ! 俺ならそれができる!! お前なんかと違って俺なら……」
先程まで理路整然としていた損得勘定や腹の探り合いとは違う、ヨータ自身が心から一番だと思う望みをありのままにぶつける。昂る感情を抑えるように、右手で胸を押さえながら。そんな彼を見ているリオウの胸中で、確かな違和感に変わる。
明らかに呼吸を苦しがっている。
「俺は……お前のそういう所が……昔から――」
もう一度声を上げようとした時、ヨータの体に強い衝撃が走った。
一瞬見開いた金色の右目が鮮烈に光った直後、衝撃の発生源である左の首筋を押さえて膝から崩れ落ちる。リオウも慌てて床に膝をつきヨータの腕を掴んで体を支えた。
「本当に……すまなかった……だからあまり興奮すると……」
「お前の助けなんかいらないって言っただろ!!」
「キンディス!!」
この期に及んで振り払おうとするヨータに向かって、今度はリオウが声を張り上げた。
ヨータだけが意味を知っている文字列。
それを浴びせられた途端、ヨータの異変は静止した。はっと息を吸ったのを起因に、乱れていた呼吸が収まった。
「……その名前で呼ぶなって言っただろ……」
「……すまない……」
まだ少し安定しない呼吸をしながら、それでも悪態をつくヨータと共に、リオウもまた口をついて出た言葉で我に返ったようだった。
「カナくんに治癒してもらってないのか」
「最近のカナはそれどころじゃねぇんだよ……」
「それなら今……いや……」
お互いばつが悪そうに目を逸らして話す。全て見通していたかのようだったリオウも、今ばかりは自分の中の感情と思考が錯綜している。
リオウが肩を支えていた手を離そうとすると、ヨータの指先がそれを掴んで引き留めた。
「……あいつらに……これ以上不安になることを増やしたくない……」
リオウに頼るのは本望ではないのかもしれない。だが、口にしたその言葉は本心なのだろう。ヨータはもたげていた頭を上げ、真っ直ぐにリオウの目を見て言った。
「だから……今のうちに……終わらせてくれ……」
「……わかった」
「………………」
アイは流れ込んでくる光景を一通り見てしまった。これは、本当に扉の向こうで行われている光景なのか。これも大星座の輝石が成し得る力なのか?
二人の会話を聞き、押さえたままだった右手から左手を離す。
長いこと何も言わずにドアの前で立ち尽くしているアイを見かねた仔竜獅子が、アイの肩によじ登る。
「さっきからずーっと固まっちまってどうしたんだよぉ?」
仔竜獅子に声をかけられるも、アイは視線を落としたまま茫然自失になっている。
やはりと言うべきか、ヨータとリオウは旧知の仲だった。しかし今はそれも些細な問題になってしまった。
もし、今見た光景が、会話が本当なら。
――『君だよね?』
ヨータが自分を連れ去った張本人だった。
最初に「宿の裏に落ちて来た」と説明したのはヨータだった。自分が目覚める前のことなど確かめようがない。だからヨータの口頭のみで語られたそれを、そのまま事実だと思い込んでいた。
だが……ヨータはここまでずっと、自分の意志で嘘をついていた。
だったらどこまでが本当で、どこからが彼の嘘なのか。それを彼の口から自分に明かしてくれる時は来るのだろうか。これからもそれを疑わなければいけないのか?
非常事態に気が動転して咄嗟に出た嘘というには、リオウに見破られるまでのヨータは誰よりも冷静だった。それほど教団にアイを渡したくなかったのだろうか。何故そんな必要があったのか。
アイが大星座だから?
しかし激昂していたヨータは、むしろアイに大星座の力を使わせないことに拘っていた気がする。彼にしては珍しく感情的にリオウに訴えていたことが、嘘ではないのなら。
それもまた、「自分より幼い子供だから」という理由だけで、あれほど必死になってくれるものだろうか。それ以上の何かを、リオウは知っているように見えたから。
そして、気になることはもう一つある。
ヨータの体の異変。
あれが初めてではないのだろう。自分が知らなかっただけで、ずっとああいう体質だったのだろうか。
だとすれば、このままヨータに守られ続けるばかりで本当にいいのだろうか。もし彼の「守りたい」という思いが本心だとしても、あんな苦しみを伴うなど、それは何よりアイ自身が嫌だった。
カナのことをヨータに聞きたくて彼を探していたのに、自分はヨータのことさえ何一つ知らない現実を突き付けられた。彼はいつも何も言わずとも助けてくれたから。その裏で嘘と体の苦しみを隠し続けていた。
アイはドアノブを握っていた感触が――流れ込んできた光景の温度が残る手のひらを見つめ、虚しく握りしめた。
「……俺は……」
この世界に来てから、何も知らないことだらけだ。




