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第04話 煉獄の使者-1

 晴れやかな朝の日差しが差す青空。新緑に輝く林に面した草原。自然と陽光が織りなす景色は、馬車の窓から眺める者の胸を躍らせる。

 ……はずなのだが、カナと仔竜獅子以外の三人は、風景そっちのけで各々物思いに耽っており、心ここにあらずといった状態だった。


「アイたち魂抜けてないかりゅ?」

「せっかくいい眺めなのにねー」


 窓際によじ登っている仔竜獅子が、無邪気にカナに尋ねた。

 アイとヨータ、そしてジフは、昨日マルトクラッセでの仕事を終えて宿に戻ってきてからずっとこんな様子だ。特にヨータは意識を失ったアイをおぶって宿に戻り、険しさを隠しきれていない表情で自分たちの部屋に入っていった。夕飯の頃にはアイも目を覚まして食卓についていたが、何があったのかは聞ける雰囲気ではなかった。

 別行動していて遅れて戻ってきたジフも、時折何かを思い出しては放心している。

 ここ数日で次々に旅の人数が増えたかと思えば、この状況では如何ともし難いと、顔をしかめるカナは鞄から地図を取り出した。


「次に馬車が停まるのがこの『憩いの湖』。水がすごく透き通ってて、周りの空気には治癒効果の元素が漂ってるんだって。わざわざ遠くから空気を吸いに来る人もいる観光名所みたい。今日は仕事もなくて次の宿に行くだけだから……」


 カナが広げている冊子を、仔竜獅子が覗き込んで地図や写真を目で追う。そうしている間にも考えがまとまったのか、カナは両手でパン、と冊子を閉じた。


「よし、降りるよ!」




* * *




 到着した『憩いの湖』。そこには蒼空と水底のグラデーションに陽の光が反射し、きらきら輝きながら揺らめいている。まるで空と宝石が溶け合ったような、神秘的な景色が広がっていた。安らかな水のせせらぎと、湖を囲む緑のさざめき、そして自然に息づく魔物たちの声が、繊細に重なり合い一つに調和してる。

 目に飛び込んできた景色に、カナとアイ、アイの頭の上の仔竜獅子は、思わず目を輝かせて驚嘆する。


「ここに来るの、俺でよかったのか?」


 湖に釘付けになっているカナの横でアイが尋ねる。


「いーのいーの! アイをここに連れて来たくて馬車を降りたんだし」

「えっ……えぇっ?」


 昼が近づく頃に馬車が停車したのは、山林の風光明媚な風景を背に構えた、木造の山荘。その外では、観光や宿泊に訪れた人々で賑わっていた。

 カナが予定にない下車を提案してやや強引に馬車から降ろされたアイたちは、いつものカナのわがままに付き合うかと言いたげだったが、ただ座っていただけなのに疲れた顔をしており自分たちの具合に気づいたようだ。

 山荘の食堂で昼食を終えると、またしてもカナが「各自自由行動!」と宣言し、アイはカナに呼び止められてこの湖へと連れ出された。


「ヨータが難しい顔してるのはたまにあることだから、時間が経てばいつも通りに戻るし、ジフも俺は任務の報告するんだって言ってたから別にやることあるんだろうし、となると右も左もわからないアイが困るだろうなって」


 カナの言う通り、ヨータは「人気のない場所には行かない」と釘を刺して山荘の休憩区画へ行き、ジフは公衆電話が設置されている場所へ向かった。どこに何があるかもわからないアイはとりあえずヨータについて行こうとした所で、カナに声を掛けられたのだ。


「わたしも仕事で知らない街に来て一人でヨータを待ってる時、どうしたらいいかわからないことってよくあるし、なんとなくわかるんだ」

「カナって案外ちゃんと考えてるんだな……」

「なにそれ、せっかく心配してあげたのに」


 ただの気まぐれなわがままかと思われたことに、カナは不満を全面的に顔に出す。やはり良くも悪くも素直だなと思う。


「いやなんていうか……カナに誘ってもらえると思わなかったっていうか、俺のこと見ててくれてたんだなって」


 気恥ずかしそうにアイがそう告げると、カナは機嫌を直したのか、少し照れを滲ませながら「ふふん」と得意げな笑みを見せる。彼女の心をありのままに映し出す笑顔の眩しさに、さらに顔が熱くなるアイを、頭の上の仔竜獅子が不思議そうに見ている。


「アイどうしたんだりゅ?」

「なんでもねぇよ」



 湖を眺めて心が和らいだのは周囲の人々も同じようで、近くに佇む観光客の夫婦も、感嘆の声を漏らしている。


「この湖は変わらないままこんなに綺麗だと、最近の異常現象が嘘みたいねぇ」

「『煉獄の使者』の噂も、たまたま災害が続いて流れた迷信なんじゃあないか」


 聞こえてきたいくつかの言葉で、アイは不意に頭の中で記憶が繋がった。

 最初に訪れた宿で村の人々が話していた『煉獄の使者の言い伝え』。直後の森で遭遇した、大熊に憑依した『黒いもや』。下水道でジフと共に目の当たりにした『異常現象』。そして昨日のマルトクラッセで遭遇した、図書館を支配する『異形の影』。


 この世界では「何か」が起きていて、それは言葉が流布されただけの俗信ではなく、実体を伴う事象が発生している。枝葉のように複数に広がったそれらには共通点……つまり原因が存在するのだろう。



「あ、あの! その煉獄の使者って」

「あら、どうしたのかしら坊や?」


 思わず咄嗟に会話に割り込んでしまったが、夫婦の婦人はおおらかに応じてくれた。


「す、すみませんいきなり……えっと、煉獄の使者の話を詳しく聞かせてもらってもいいですか」

「詳しくと言ってもねぇ、そもそもは〝悪いことをすると煉獄の使者が蘇って、大変なことになるぞ〟っていう寓話や御伽噺みたいなものだから」


 旦那の方が苦笑しながらそう述べた。アイの元いた世界でいう「早く寝ないとお化けが出るぞ」とか「夜に笛を吹くと蛇が出るぞ」といった脅し文句みたいなものだろうか、と自分なりに噛み砕く。


「元になったのは《救世主》の伝説で封印された《影》のことじゃなかったかしら?

 せっかく《明星の救世主》が《影》を煉獄の底に封印して世界を救ってくださったのに、悪いことをすると封印が解けて《影》の子分が地上に出てくるぞ、なんて」

「その《影》の子分のことを『煉獄の使者』というんだったかな。だから最近の異常現象は、そいつらが地上で悪さをしてるんじゃないかって」


 夫婦は互いに古い記憶を確かめ合いながら話す中、アイは耳にする言葉と頭の中の情報を照らし合わせていく。


「……救世主、……――!!」


 その瞬間、アイの記憶が鮮明に閃いた。

 急に険しい目をするアイを、カナは怪訝に思う。


「アイ、どうしたの?」

「あっ、いや、なんでもない! 教えてもらってありがとうございます!」

「いいえ、どういたしまして」


 終始温厚な人達だったな、と思いながらアイは夫婦に礼を告げてカナとその場を去る。



 アイの脳裏で繋がりつつあった、事象のピースが埋まった。

 《救世主》が封印した影。その《影》のしもべ、煉獄の使者が異常現象を起こしている。

 その《救世主》という最後のピースを与えたのは――



 ――『この人はね、《明星の救世主》――アステルだよ』



 マルトクラッセの図書館でアイを襲った男、アルズ。



「アイ、なんか顔色が」


 足早に歩くアイが木陰の下で立ち止まると、追うように歩いていたカナが再び問う。


「……もしかして昨日のこと?」

「……うん」


 言い当てられたアイは短く答える。この世界で目覚めて初めて人の悪意に曝されたからか、記憶にこびりついた図書館でのあの男の顔に、体が強張る。こうしてアイが《救世主》の構造を理解に至ることすら彼の思惑通りのように感じて、余計気味が悪くなった。

 だが、視線を上げるとカナの心配そうな顔と目が合い、アイの心が少し和らぐ。


「――でも、また後で考えるから今は忘れる。カナがここに連れてきてくれたんだし」


 その言葉で、カナの表情に安堵が灯る。花が咲くような微笑みに、またしても動悸がしたアイは思わず目をそらしてしまった。


「じゃあ、次はあっちに行こ!」



 次に連れて来られたのは、林が開けた公園の草原だった。

 青々とした草の上に腰を下ろして休息を取る人々の姿が散見される、とても穏やかな雰囲気が流れている。アイとカナと仔竜獅子も、木陰が差している木の下に座ることにした。


 道中にあったキッチンカーの店で、マンダロッソの実という果実が入った焼き菓子――アイの記憶ではカップケーキに似ている――を買い、二人と一匹でおやつの時間がてら食べている。

 マンダロッソの実というのは、赤く丸い皮の頭部に、黄色い太陽のマークのような模様ができた果物。ビテルギューズ大陸ではお馴染みの名産品らしい。アイの世界でいう柑橘類に近いが、程よい酸味と柔らかい果肉のジューシーな甘さがおやつに最適だった。

 カナはマンダロッソの実を使ったデザートが特に気に入っているそうだ。


「んん〜! おいしい!」

「俺達だけで食べてよかったのか?」

「自由行動なんだし、後で山荘のお店でヨータとジフのぶんも買っていけば大丈夫!」


 そう言われて焼き菓子を口にしたアイと仔竜獅子も、すっかり満足そうに味わっている。



 昼食後にほどよく歩いて甘味を摂取したせいか、アイが木にもたれてうつらうつらしていると、眠気の中で微かな歌声が流れていることに気づく。

 それは隣にいるカナが小さく歌声だった。


 水と風と木々の旋律の中に、カナの歌声が調和して、それら全てが一つの歌を奏でているようだった。最初はハミングだったその声は、やがて柔らかな言葉を紡ぎ始め、止まり木に憩う鳥のさえずりのような、昼下がりの子守唄のような、安心を得た心が解かれるような歌だった。

 そんなカナの歌を聴いているアイの脳裏で、まどろみの向こうに景色が映し出される。



 ――ここではないどこか。

 しかし、同じような昼下がりの木の下、木漏れ日の中で。

 この歌を歌ってくれた人影があった。

 記憶の中でその場所に、その歌に、その人に、こうして再び会えた。


 カナの歌で思い出さない限り、二度と会えないと思っていた、その場所に――



 カナが歌い終えると、アイたちの気配を思い出したのか、はっと慌て始めた。


「あ、あぁー! ごめんね人前でこんな堂々と! いつも一人でヨータを待ってる時の癖でつい――」


 珍しく恥ずかしがりながらカナが横へ振り向くと、アイが瞳からぼろぼろと涙を流して、号泣していた。


「えぇええええ!? なんで泣いてるの!?」

「カナの歌がっ……すごくきれいでっ……急にものすごく懐かしくなって……っ」

「そんなに……!? もしかしてホームシックになっちゃった……!?」


 幼児のようにぐずっているアイに、カナがおろおろと戸惑っていると、アイの膝の上で熟睡していた仔竜獅子が騒々しさで「フゴッ」と飛び起きた。


「やっぱりヨータの所で休んだ方がいいのかも……だいぶ時間も経ったし、そろそろ山荘に戻ろっか」


 まるで情緒不安定なアイの様子を心配したカナが、木の根元から立ち上がる。その時、彼女の背後から何かが背中を突き、「ひゃ!?」と悲鳴を上げる。



 二人と一匹がカナに接触した物体の方を見ると――そこには一匹の子鹿の魔獣がいた。


「なに!? 魔獣? 林から出てきたの?」


 座っていた木の裏側――林に続く茂みの方から現れたと思わしき子鹿は、心なしか弱々しく辛そうな顔をしているように見える。そのまま子鹿はカナに歩み寄ると、彼女の足に頭を擦り寄せる。


「こいつアイみてーな顔してんな」

「どういう意味だよ」

「だってほら泣きそうな顔してりゅぞ」


 仔竜獅子が率直にそう言いながら子鹿を指し、カナが同じ目線の高さにしゃがみ込む。


「この子……傷だらけじゃない……!」


 カナが無意識にも子鹿の体の傷に触れようとすると、突然、彼女の手から光が広がり子鹿の全身を包み込んだ。すると子鹿の体から傷か消えていき、光が止む頃には完全に回復したようだった。


「……治った?」

「森で倒したでかい熊の時と同じじゃないか?」


 意識せずとも力が働いたことにカナ自身が驚いているようだが、治癒された子鹿は彼女のスカートの端を咥えると、くいくいと引っ張る。


「もしかしてこの魔獣も、カナの歌に引き寄せられてきたんじゃないかりゅ? そんで傷を治せるカナについてきてほしい所があるって」


 同じ魔獣同士意志が汲み取れるのか、仔竜獅子が子鹿の行動を推測した。

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