パスワードは 以下の何れか です
深夜。
高層ビルの部屋に男が音もなく入ってきた。
男は手に持ったライトで素早く部屋を照らし
部屋の奥にあるパソコンの電源をオンにした。
ブーンという音とともに画面がゆっくりと青白い光を放ち始める。
男は名うての産業スパイだった。
今夜も数えきれない警備員や監視カメラをすり抜けてきた。この部屋のパソコンからしかアクセスできないデータベースが目的だ。後はこのパソコンを経由して重要機密をごっそりいただくだけだった。
画面にパスワード入力のダイアログが浮かび上った。
アクセスにはパスワードが要るようだ。が、男は慌てる様子もなく、デスクの引き出しの中やマウスの裏などを調べ始めた。やがて男の視線がデスクに置かれた自由の女神の像で止まる。無駄なものが何もないデスクにそれは少々似つかわしくないものだった。
男はニヤリとほくそ笑むと像を手に取り、裏返して見る。
果たして台座の裏には小さなメモが貼り付いていた。
パスワードは 以下の何れか です
コスモス 雪山 温泉 たまご
和菓子 5年 金魚 帽子 クエスト
三日月 文化祭 暖炉
と、書かれていた。
パスワードを忘れた時のために身近にメモを置いていく輩がいまだに多いことに男は苦笑を禁じ得ない。
男は取りあえず、『コスモス』といれてみた。しかし画面が赤く点滅する。パスワードが違うようだ。
ならばと一番最後の『暖炉』をいれてみた。しかし、それも違った。
男は淡々とメモにある単語を入力していく。
『雪山』、『温泉』、『たまご』……すべて外れ。そして最後の『文化祭』を入力してみた。
しかし、画面は男を嘲笑うかのように赤く点滅するばかりだった。
「くそっ。どう言う事だ。どれも違うじゃないか!」
男が小さく叫ぶと突然部屋の明かりがついた。
ドアが激しく開かれ、銃で武装した警備員達が乱入くる。男は呆然としながら手を上げた。
「間違ったパスワードを入れると警備員室だけに警報が鳴る様になっているのだよ。スパイ君」
リーダーと思われる眼鏡の男が言った。
「デタラメの単語を入力させて時間を稼いだんだな。騙しやがって卑怯だぞ」
拘束された男は悔し紛れに叫んだ。
「とんでもない。
パスワードはメモにちゃんと明記してあるさ」
眼鏡の男はキーボードで『以下の何れか』と入力するとエンターキーを押した。ピッと音がしてパソコンが動き出す。
「こんなに丁寧に書いてあるのになぜかみんな勘違いするのだよね」
と言うと眼鏡の男はさも可笑しそうに笑うのだった。
2023/12/19 初稿
卑怯だそ! と言うと声が聞こえて来そうですが笑って許してください