第3話 白き会談
一同は皓矢の後に続いて倉庫を出た後、更に自宅から遠ざかるように奥へと歩いていった。すでに道もなく、見た目には雑草の生い茂るだけの場所で、皓矢は歩みを止めた。
「拝眉枢銀座」
何か短い言葉を発した後、皓矢がふっと息を吐く。消え入りそうな声だったため、どんな言葉かもその意味も誰も理解できなかった。だがすぐに目の前で異変が起こる。景色が蜃気楼のように揺らめいてぼやけ始めた。
蕾生は懸命に目を凝らす。なんとなく白く四角い建物があるように見えた。けれどそれはゆらゆらと朧げで、本当にそこにあるのかも判然としない。
皓矢が右手で何かを切るような仕草をすると、ぼやけた建物の中に扉だけがくっきりと現れた。研究所で見たような、白塗りで鉄製の一般的な扉だった。
「!」
その様子を永は硬い表情のまま、目だけを見開いていた。ごくり、と唾を呑んだことがその喉元に表れる。
「まさか、ここが──」
鈴心が驚きを隠さずに言うと、皓矢は振り返って冷たさを帯びた瞳で語る。
「ここは強固な結界が必要だから入るたびに解いているとコスパが悪くてね。入口を緩めるだけで勘弁して欲しい。それとこの場所のことは公言しないでくれ。お祖父様の研究の全てがあるからね。見た目通り敵が多いんだ」
冗談混じりに笑う様もどこか冷徹さを孕んでいて、蕾生がそれまでに抱いていた人となりの良さそうな科学者の銀騎皓矢像はもう感じられなかった。
皓矢の言葉を挑発ととった永は、一昔前の不良がするようなガン付けで乱暴に言う。
「するわけないだろ、なめんなよ」
永の態度に不安を覚えた蕾生はまた永の前に立って、付け足すように言った。
「言ったところで誰も信じねえ」
「ありがとう。では、どうぞ」
二人の様子に少し笑った後、皓矢がドアノブを引く。施錠も認証機能もなく、すんなりと入口が開いた。
それよりも堅牢なセキュリティが外側にかかっているので、ドアに何もしていないのは自信の表れのように思えた。
やな感じ、と思いながら永が先に中に入ると少し開けた玄関ロビーに見たことのある女性が立っていた。
「あ」
小さな顔。大きな丸眼鏡。長い髪を後ろにまとめ、口元には真っ赤なルージュ。白衣が不釣り合いなほど、その赤は鮮烈だった。
「いらっしゃいませ、奥で博士がお待ちです」
その女性は恭しくお辞儀をして一同を迎える。永の反応に気づいた蕾生が問いかけた。
「永、知ってるのか?」
「説明会で司会してた人だよ。──やっぱりね」
そう言われると見覚えがある気もするが、蕾生にはよく分からなかった。だが永は何かを納得して彼女にも警戒しているようだ。
「奥、ですか?」
聞き返した皓矢に、その女性は無表情のまま淡々と答える。
「はい。博士の御命令でそのように、と。簡単ではありますがテーブルと椅子は運んでおきました」
「わかりました、ありがとう。では皆、こちらへ」
そうして彼女を置き去りに、皓矢が廊下の奥へ促す。いくつもの部屋を通り過ぎながら長い廊下を歩いていると、次第に寒くなってきた。
「兄さん、冷房が効きすぎてない?」
星弥が少し身震いしながら言うと、皓矢はほんの少し柔らかい声音で答える。
「奥の部屋は本当は資料の保管庫なんだ。だから空調管理がしてあってね。あ、寒ければ僕の上着を──」
「い、いいよ! 恥ずかしいから!」
白衣を脱ぎかける皓矢を慌てて制して、星弥は手をぶんぶんと振った。その様子に皓矢は苦笑しつつ、突き当たりの扉の前で止まる。
「さあ、着いた。お祖父様、皓矢です。皆を連れてきました」
ノックとともにそう言うと、中からしわがれた低い声が聞こえてくる。
「入りなさい」
「──失礼します」
重たい鉄の扉を開けて皓矢は四人を部屋に招き入れた。白い床、白い壁の広々とした空間が蕾生達の目の前に飛び込んでくる。その中央には簡素な緑色の絨毯が敷かれ、低いテーブルとソファで構成された応接セットが置かれていた。
確かあの女性は簡単な椅子とテーブルと言っていなかったか、と蕾生は違和感を持った。目の前にあるものは、どう考えても細身の女性が設置できる代物ではない。
「ようこそ」
厳かな声に、そんな蕾生の思考はかき消された。応接セットの更に奥、やや離れた場所に古めかしい木製の机、そこで椅子にゆったりと腰掛けている老人が存在感を放っていた。
「銀騎、詮充郎……」
蕾生が気圧されて思わず呟くと、詮充郎は皺だらけの顔にもう一つ皺を作って微笑んだ。
「何年ぶりかね?」
「さあ、忘れました」
何も言えずにいる蕾生の代わりに永がしれっと答えた。
「──ふ。相変わらず非協力的な態度だ、ええと、今は周防と名乗っているのか」
「すいませんねえ、コロコロと名前が変わって。そっちも相変わらずクソジジイですねえ、いや年老いてさらにクソが増しましたか?」
永の虚勢にも見える憎まれ口には目もくれず、詮充郎は蕾生を舐め回すように眺めてまた微笑んだ。
「ふむ、相棒は今回も丈夫そうだな」
「ライを値踏みすんじゃねえ、殺すぞ」
蕾生も初めて見るようなガラの悪い顔と口で永が凄む。だが詮充郎はそれも余裕で聞き流して声を立てて笑った。
「はっはっは! そう熱くなるな。昔言ったろう? 氷のように冷静であれ、と」
ニヤリと口端を上げた様がその老獪さを物語っている。
「ああ、そうでしたかねえ。ま、とりあえずそちらの話を聞きましょう?」
詮充郎の子どもに言い聞かせるような物言いを今度は軽くいなして永はドカッと音を立ててソファに座った。
「では、そうしよう。皆もかけなさい」
永が大きな方のソファの中央に座ったので、蕾生と鈴心はその左右に腰を降ろした。星弥は一人がけの小さいソファに座る。皓矢はそれを見届けた後、詮充郎の机まで行き、その傍らに立った。
「その前にお祖父様にお願いがあります」
突然星弥が手を挙げて、毅然とした態度で話し始めた。
「ふむ?」
「お話が終わったら、今日は彼らを無事に家に帰してください。わたしはお友達に嘘をついてお祖父様の所に連れてきました。だから彼らの安全は保証してください」
その言葉に永が目を丸くしていると、詮充郎は満足そうに頷き、椅子に深く腰掛け直して言った。
「いいだろう。そもそも今日の会談はお前が設定したようなものだからな」
「ありがとうございます」
明らかにほっとした表情を見せて、星弥も深く座り直した。
「では、前置きは省いて言う。周防永、唯蕾生──特に唯、君のデータが欲しい」
「データ?」
蕾生が聞き返すと詮充郎は掠れた、けれど何故か頭によく通る声で話す。
「そう。身長体重諸々の測定、血液サンプル、それからDNA採取、CTスキャンやMRIも撮影させてもらおう」
「ジジイ、耄碌したのか? おれが許すとでも思ったか?」
永としては予想通りの要求だった。だがあまりに当然の義務のように語る詮充郎の不遜な態度に、自然と口調が変わる。
「まあ、お前はそう言うだろう。ならば、せめて血液だけでも置いていきなさい」
「嫌に決まってんだろ!」
永が語調を強めると、詮充郎は首を傾げながら暗く笑う。
「それも嫌なのか? 我儘を言うもんじゃない──五体満足で帰りたければね」
「お祖父様!?」
その恐ろしい言葉に星弥は動揺した。だが、詮充郎は子どもに言い聞かせるようにゆっくりと語りかける。
「落ち着きなさい、星弥。まだ交渉中だ。唯蕾生よ、周防はこう言っているが君はどうかね?」
話題を振られた蕾生は、ここまででも充分に永の嫌悪感と星弥の恐怖心を感じ取っていた。その元凶である目の前の老人には怒りが湧きつつある。
「あんたの高圧的な態度は気に入らないし、あんたの頼みを聞いてやる義理はねえ」
蕾生が答えると、詮充郎はそれを反芻するように少し考えた後、黙ったままの鈴心に視線をやる。
「義理、か。鈴心をこれまで保護してやったことはそれに当たらないか?」
「保護? そんな話は鈴心から聞いてないな」
蕾生の発言にも鈴心はただ俯いて黙っている。
「……」
それを怒りと汲み取った永が声を荒げて言った。
「詮充郎、お前が前回どんな手を使ったかは知らないが、リンをおれから掠め取ったくせに白々しいんだよ!」
「──なるほど、そうとられているのか。私は助けたつもりだったのだがね」
「ぬかせ!」
激昂する永を他所に、詮充郎は涼しげな顔で傍に控える皓矢に尋ねた。
「まあ、仕方ない。皓矢、データはとれたか?」
「はい、概ね」
「なんだと?」
短い皓矢の頷きに永は少し狼狽した。その様を見て詮充郎はまたニヤリと笑う。
「この部屋には、生体解析AIを搭載した監視カメラを数台設置しているのでね。外からわかる程度の情報はとらせてもらったよ」
「彼らが座っている長椅子から接触して、微小ではありますがその気の流れも式神に写しました」
皓矢の事務的な付け足しに、永は弾かれたように立ち上がった。
「兄さん! こっそりそんなことするなんて!」
星弥が非難すると、皓矢は少しも笑わず、無表情で言った。
「だから正直に報告したんだよ、せめてもの誠意でね」
「──話し合いの余地なんて最初からなかったな、帰るぞライ、リン」
永はとうに愛想を尽かしており、蕾生と鈴心を促す。
言葉には出さないものの、詮充郎と皓矢の汚い罠のかけ方に辟易した蕾生はすぐさま立ち上がった。
だが、その瞬間、蕾生の全身に電流が走った。手足の自由がきかない。そこから動けなくなった。
「ライ!?」
鈴心が叫ぶが、そちらを見ることもできなかった。
「な……んだよ、これ」
指一本動かすことも叶わず、額に脂汗が浮くのがわかる。呼吸も苦しくなってきた。
「皓矢、このガキ!」
永が即座に状況を理解して皓矢を睨んだ。皓矢が金縛りを蕾生にかけていたのだ。
「お祖父様、約束が違います!」
星弥も泣きそうな声で訴える。だが詮充郎はゆるりとした動作で手を振り、のんびりとした声で場を制した。
「まあ、待ちなさい。話はまだ終わっていない」
完全に優位に立ったと確信して笑う詮充郎と、皓矢の術により自由を奪われた蕾生の苦しい表情を見比べて、苦々しげに歯噛みしながら永はもう一度ソファの端に座り直した。
「わかった」
永がそうしたことで、蕾生にかけられた金縛りはすぐに解かれる。その反動で体のバランスを崩し、ソファに腰を沈めた。同時に立ち上がっていた鈴心が蕾生を気づかって隣に腰掛ける。
「ライ、大丈夫ですか?」
「ああ……」
蕾生はまだ整わない呼吸でそう呟くのが精一杯で、永が余裕をなくし、詮充郎を睨みつけるだけの状態でいるのに何もできない自分が情けなかった。
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