まずは相談することにしましょうか②
夕刻近い時間になってエルミリアが帰宅した時、父であるナイトリアス侯爵はまだ執務中だった。
ならばと、全員が揃う食事の場で相談したいことがあると執事に言伝をしてから、エルミリアは急いで湯浴みに向かった。
泥と埃を落として汗を流すためにしっかりと、それでいて手早く湯浴みを済ませてから、風と火の魔法を組み合わせた複合魔法で温風を作り出して髪を乾かす。
エルミリアの腰まである長く細い金髪は、乾かすのに時間がかかる上に絡まりやすい。
戦闘中には視界を遮ることもあって危険なため、一度は肩下辺りまで切ろうかと考えたこともあった。
話を聞いた母は「あなたの身の安全には代えられないから」と理解を示してくれたのだが、陰でこっそりと悲しげにしているのを見てしまって、結局切るのをやめたのだ。
その結果生み出されたのが、このドライヤーのような魔法だった。
(こんなところでチート設定に感謝することになるとはね〜。)
複合魔法は2つ以上の魔法属性に適性があれば、理論上は誰でも使えることになっている。
そしてこの世界でいう適性とは「習得の可否」ではなく「習得後に基準以上の威力で発動できる」ことを指すものであり、国民には2,3種の適性を持つものもそこそこいた。
エルミリアもその例に漏れず、地・水・火・風・光・闇と6つある属性のうち、光以外のすべてに適性があった。
今のように火と風を組み合わせて温風を、水と風を組み合わせて冷風を生み出すこともできるし、地と水を組み合わせて植物の成長を促すことなどもできる。
しかし魔法を複合させること自体が高難度であるため、結果的には複合魔法の使い手自体が少ないというのが現実だった。
身支度を済ませてから夕食までの時間で、エルミリアは今回の討伐に関する報告書の素案を作っておくことにした。
なるべく記憶が鮮明なうちに纏めておいた方がいいというのもあるが、これに時間を取られて後の動きを阻害されるのが煩わしいからだ。
魔物の種類や数はもちろん、どんな作戦や攻撃が有効であったか、魔物がどんな攻撃をしてくるかなども報告内容に含める。
自軍に極力損害を出さないようにするため、討伐に有用と思われる情報はすべて報告することにしていた。
情報とは、知っていて損になることはないのだ。
素案があらかた出来あがった頃、侍女が夕食の準備が整った旨を報せにきた。
相談することを頭の中で纏めながら食堂に赴くと、兄と妹が既に席についていた。
「お兄さま、アンジー、ただいま。」
「お姉さま!おかえりなさい!」
「エリー、おかえり。お疲れさまだったね。」
可愛らしい妹が満面の笑顔で、尊敬する兄が穏やかな笑顔で迎えてくれる。
たった3日しか離れていなかったはずなのに、何故かとても久しぶりに顔を合わせた気分だ。
釣られて微笑んだエルミリアを見て、妹のアンジェリーナが嬉しそうに「ふふっ」と声を漏らした。
「お姉さま、また色んなお話を聞かせてね!」
「えぇ。アンジーが怖くないお話をするわね。」
「あっ!また子ども扱いして!」
「エリー。アンデッド系の話はやめておきなよ?」
「ブライアンお兄さままで!」
フグのように頬を膨らませた2つ下のアンジェリーナを見て、あまりの微笑ましさにエルミリアとブライアンが2人でクスクスと笑った。
するとそれを見てアンジェリーナは更に頬を膨らませてしまうのだ。
素直で感情がすべて顔に出るこの妹が、エルミリアは可愛くて仕方なかった。
そうして兄妹で談笑していると、両親が揃って食堂にやってきた。
母が執務室まで父を迎えに行き、2人揃って食堂にやって来る。
結婚当初から続けられているというこの習慣が、エルミリアは幼い頃から好きだった。
お互いが相手のことを大切に思っているのが伝わってくる気がするからだ。
エルミリアは椅子を引いて立ち上がり、その場で軽く頭を下げる。
「お父さま、お母さま。エルミリア、戻りました。」
「おかえりエルミリア。今回も無事に戻ってきたようで何よりだ。」
「おかえりなさいエリー。怪我もないようで本当に安心したわ。」
「さぁかけなさい。食事にしよう」
父の言葉で皆が席につき、和やかな食事の時間がはじまった。
食事が始まってしばらくの間は、他愛のない話が続いた。
それぞれの1日の報告も兼ねているこの時間は、コミュニケーションを取りながら家族のことを知る貴重な時間でもある。
エルミリアの討伐の話やアンジェリーナの魔法修行の話、ブライアンの学園であった話や母の育てている薔薇が綺麗な花を咲かせた話など、なんでもない日常を報告しあうのだ。
そうしてお互いの報告が一段落し、給仕のメイドがデザートと食後の紅茶を用意し始めたところで、父が「さて…」と口を開いた。
反射的にエルミリアは姿勢を正す。
「本題に入ろうか。エルミリア、相談とは何だい?」
アンジェリーナが小首を傾げてエルミリアの顔を見た。
母と兄も珍しそうにこちらを見ている。
どう切り出すべきか一瞬迷ったエルミリアだったが、今日起こったことをありのままに伝えることにした。
「実は今日王城へ参じた時、アンクロフト殿下に呼び止められまして…。」
そこだけ聞けばなんら珍しいことではない。
その思いが顔に出ている家族を前に、エルミリアはこれから爆弾ともいえる一言を放たねばならない。
返ってくる反応を想像すると途轍もなく気が重いのだが、もう引き返せない。
エルミリアは覚悟を決め、それでもほんの少しだけ逃避したくて、目を伏せながら口を開いた。
「リコリーとの婚約を破棄すると言われました。」
そうして見事に、その場の空気を凍らせた。
気のせいか窓ガラスがギシィッと軋んだ音を立てた気がするし、部屋の温度が2,3度下がった気もする。
エルミリアから告げられた内容のあまりの衝撃に、誰も言葉はおろか声を発することすらできていなかった。
沈黙と冷気だけが部屋を支配している。
(まぁこうなるよね〜〜!!)
表面上では平静を装いながら、エルミリアは心の中で半泣きで絶叫した。
落とした視線を上げる勇気がなかなか出ない。
そのままたっぷりと10秒ほどの沈黙が続く。
まだ誰も喋らない。
いい加減いたたまれなくなったエルミリアが、勇気を振り絞って視線を上げる。
そして、後悔した。
父はテーブルに両肘をつき、組んだ手に額を押し付けるようにして顔を伏せている。
あれは恐らく絶望のサインだ。
兄は右手で両目を覆って天を仰いでいる。
あれは多分、呆れと怒りだ。
妹は半泣きで小動物のようにカタカタと震えている。
あれは完全なる畏怖だ。
そして母はというと、変わらぬ美しい笑顔のままでその背に軍神を背負っていた。
誰がどう見てもわかる、純粋なる殺意だった。
「エリー。そのお話、詳しくお聞かせなさい。」
「はい…。」
有無を言わさぬ空気を纏った母の言葉に頷くことしかできない。
相談することを決めたのはエルミリア自身であり、それ自体が間違いだったとは思っていない。
だが、しかしだ。
(お母さまにはもう少し遠回しに伝えるべきだった…。)
その一点だけが猛烈に悔やまれるエルミリアだった。
会話があると捗りますね。
ちなみに、ナイトリアス侯爵家で1番優しいのも怖いのもお母さまです。笑
次回はまた1週間後の予定です。