気が置けない婚約者というのは貴重ですが、食えない婚約者というのは厄介です。④
アルフレッド・ルート・ワグナーはワグナー子爵家の次男だ。
ワグナー子爵家は代々王宮付きの医師として仕える家系で、アルフレッドの兄で次期子爵である長男もアンクロフトに仕えている。
アルフレッド自身も優秀な人物であるため周囲は貴族の家付の医師となることを勧めたが、本人が断ったと聞いたことがある。
曰く、「自分が医学を修めたのは兄の助けになればと思ってのことであり、兄の地位を脅かすためではない。」ということらしい。
「優秀であるにもかかわらず家督を継ぐことができない不遇の次男」という周囲の見方は、このときに変わったのだった。
「期限というのはいつまで?」
「王家の望みが叶うまで、と言ったところか。」
(王家の望み…アンクロフト殿下にかけられた魅了が解けるまでってことかな。)
それはつまり、サリエラの企みが国王に露見していることを意味する。
おそらくはアンクロフトにかけられた魅了を解き、アルファンド公爵家への婚約解消の撤回を申し入れた上でサリエラの所業について追及するつもりなのだろう。
当然ながら話を知る者に緘口令は敷いてあるだろうが、人の口に戸は立てられないものだ。
それにサリエラ自身の口から吹聴されるようなことがないとも言い切れない。
そうなってしまうとリコリエッタの名誉が傷つくばかりではなく、フェランドル公爵家に対する賠償といった話にも発展しかねない。
そういった望まぬ展開を避けるため、王家は早急な対応をしてくるはずだ。
(早ければ2、3日のうちには決着がつくかな…。)
「アルフレッドさまが就かれるのであれば、その日も遠くはなさそうね。」
「そうだな。彼は本当に優秀だそうだから。」
リチャードならばきっと最新の進捗状況を把握しているのだろう。
もしかするとすでに魅了の効果は解けていて、フェランドル公爵家への婚約解消撤回の申し入れもしているのかも知れない。
知りたいという気持ちは勿論ある。
しかし、情報を知りすぎるというのも考え物なのだ。
これ以上の話は然るべきタイミングで父から聞くべきだろう。
そう判断したエルミリアは、この話題を終了させることを選んだ。
「有益な情報をありがとう。いいお話を聞けたことだし、そろそろお暇しようかしら。」
「そうか。では馬車まで送ろう。」
「ありがとう。」
それ以上を追及してこないエルミリアを見て、リチャードはいささか残念そうに笑った。
きっと馬の目の前ににんじんをぶら下げるがごとく、魅力的なエサを示したつもりだったのだろう。
これは完全に楽しんでいるやつだ。
普段は真面目で実直な彼の中にある少年心が顔を覗かせた、ちょっとした悪戯といったところだろう。
そうして美形がエスコートしてくれる様の、なんと絵になることか。
手に触れた何かの感触にエルミリアは気づかないふりをしたまま、二人はいつもと同じように挨拶を交わし、庭園を後にした。
アルファンド公爵家からの帰りの馬車の中で、エルミリアは一人思案する。
こういった言い方はどうかとも思うのだが、サリエラはつくづく喧嘩の売り方が良くないと思う。
王太子を魔法の力で害し、公爵家の名を貶めようとし、侯爵家の者に対して無礼な振る舞いをしたのだ。
いくら中身が自分と同じ転生者で貴族社会の礼節を知らないのだとしても、あまりにも横暴が過ぎるのではないか。
(自分の行動が周りにどんな影響を与えるのかを考えてもなければ、保身も何も考えていない…。王太子妃になればすべて許されると思ってるとか…?でもそれにしたって…。)
失敗したときのことが何も考えられていないことを、今更ながらに不審に感じる。
胸がザワザワするような、なにか本能的に嫌な感じがしてエルミリアは眉間に皺を寄せた。
人は何か企てごとをするとき、上手くいかなかったときのために代替案を考えておくかあるいは逃げ道を用意するのが一般的だろうが、そういった手を講じているようには見えないのだ。
今のままで事が露見してしまえば、王国からの追放は免れないだろうに。
(リスクヘッジができてないというより…する気がない…?)
上手くいかなかったときのことを考える必要がない。
それだけの勝算がサリエラにはあるということなのだろうか。
単に何も考えていないだけの可能性もないわけではない。
だがここにきて何か腑に落ちない感覚があることを不気味に思いながら、エルミリアはただ馬車に揺られる。
リチャードにエスコートされたときから握ったままだった小さな紙をゆっくりと開くと、そこには綺麗な字でこう書かれていた。
『香水の製造は誰がしているのだろうね?』
その一文は、文面だけ見ればただの素朴な疑問だろう。
しかしこれを渡してきたのがリチャードとなると、話はまったくの別物となる。
(あの家の情報網を以てしてもわからない製造ルートか…。)
先ほどから感じているどこか不気味な感覚が更に強まるのを感じて、エルミリアは深いため息を吐いた。
これ以上幸せを逃がしたくないのになぁと、一連の出来事を苦々しく思いながら。




