気が置けない婚約者というのは貴重ですが、食えない婚約者というのは厄介です。②
「今から僕は少し長い独り言を言うが、気にせず聞き流していてくれ。」
「あら、放ったらかしなんて寂しいわね。」
「少し情報を整理する時間がほしくてね。」
「そう。」
「あぁ、もしも誰かの名誉を傷つけるようなことを言ってしまったのなら、その時は嗜めてほしい。」
「…わかったわ。」
エルミリアはくすりと微笑むと、ひとつ頷いてから手に取ったティーカップに口をつけた。
はちみつを入れてほどよい甘さになった紅茶の香りが鼻腔に抜ける。
リチャードの独り言を聞き流すだけであれば、遮音の魔法を使う必要もないだろう。
「本当に、このお屋敷の庭園は見事だわ。」
エルミリアは庭園の方に視線を向けると、わざとらしく大きな声で独り言ちる。
それを聞いたリチャードはくすりと笑うと、こちらもわざとらしく一つ小さなため息をついた。
「どうやら王太子殿下が、新しく男爵位を与えられた家の娘を正妃にすると言い出したとか。しかし現婚約者であるリコリエッタ嬢には、何ら落ち度はないという。国王陛下も王妃殿下も婚約解消について首を縦に振る気は毛頭なく、なんとか王太子殿下の目を覚まさせたいとお考えだ。」
(やっぱりアルファンド公爵家から見ても、リコリーやフェランドル公爵家に非はないという見解なのね。)
当然と言えば当然の話だ。
リコリエッタは品行方正なうえ、その人柄もあって今までにも恨みを買ったことがない。
フェランドル公爵もまた領民のことを深く思いやり、不便な思いをさせぬようにと日々心を砕いているため、とても慕われている領主だ。
誰の目から見ても、婚約の解消に至るような事由がまるでないのだ。
ましてや婚約破棄など、以ての外である。
エルミリアに反応を求めていないリチャードは更に続ける。
「聞けば男爵の娘は元々心根の優しい少女であったが、父親が男爵位を賜った直後から様子が変わったという。その変わり様たるや、両親ですら頭を抱えるほどだったというから驚きだな。」
エルミリアにとってその話は初耳だった。
というのも、侯爵家の令嬢であるエルミリアとつい先日まで平民であったサリエラとでは、どうしても接点が生まれにくいという事情がある。
そもそも上位貴族の家では服飾品や家財などを新調することがあったとしても、昔から贔屓にしている商会や老舗の店舗に依頼することが多く、新興の商会に声をかけるといったことはあまり多くない。
ナイトリアス侯爵家もフォルテリアではそれなりに歴史のある家であるため、同様だ。
加えて自他共に認めるチート能力の持ち主であるエルミリアは、魔物討伐の任務に参加することが多いためにゲームのライバルキャラの中では群を抜いてサリエラとの遭遇率が低い。
攻略ルートによっては、エンディングまで一度も名前が出ないことすらあったぐらいだ。
(ルードベッヘ男爵が爵位を賜った直後から様子が変わったってことは、多分そのタイミングでサリエラに転生したのね。)
ゲームの設定では裏表がなく天真爛漫な女の子だったサリエラが、文字通り人が変わってしまう様子を間近で見た両親の気持ちを考えると「茜」は胸が痛んだ。
しかし今は感傷に浸っている場合ではない。
元のサリエラの名誉のためにも、この事態を打開しなければ。
「あぁそうだ、驚いたと言えば…」
先ほどまで「明らかな独り言」として話していたリチャードが、ふと思い出したように呟いた。
どうやらこれは本当に話の流れで思い出した話題のようだ。
「今話題になっている香水の原料という薔薇…。隣国で開発された新種という話だったが、そんなものが開発されたという話がどこからも入ってこないんだよなぁ…。」
「え…?」
思ってもいなかった話をされて、エルミリアはつい反応を返してしまう。
新種の花の開発など、やましい事情でもなければ開発者自身かその周りの誰かが触れまわっていそうなものだろうに。
(独占販売の契約なんかを結んでて、そこ以外に卸すところがないっていうならわからなくもないけど…。)
それでも発売前から話題になるような品物の原料を作っているとなれば、そこに名を乗せたいと思うものではないのだろうか。
新しいものを開発できるというのは、一つの貴重な才能だ。
(それか、そんなもの存在していないか、ってことね…。)
アルファンド公爵家の情報網は広く、どんなに小さな噂のタネもおおよそ把握しているはずだ。
そんな家の情報網を以ってしても拾えないのならば、きっとそんな事実自体が存在しないということなのだろう。
(原料の話ですら嘘、か…。こうなってくると、何が本当のことなのかを調べたほうが早そうな気がしてきた…。)
あまりの嘘偽りの多さに、エルミリアはすっかり呆れかえっていた。
権謀術数などというものは貴族社会においてはさほど珍しいことではない。
それは確かだ。
しかしその振る舞いを、サリエラが躊躇なく出来ているということの違和感が凄まじかった。
(商人にとって、情報と信用は何よりも大事と言ってもいいと思うんだけど…。)
残りわずかとなった紅茶に手を伸ばす。
その指先がティーカップの取手を掴もうとした瞬間、リチャードが更なる独り言を続けた。
「そういえば、リコリエッタ嬢に関する噂話が出回っていたな。使用人に辛く当たって何人も辞めさせたとか、出入りの業者が顔を見せると不敬だと言って激昂するとか、見目の良い男を密かに侍らせているとか。」
リチャードが言い終わるのとほぼ同時、一帯を一陣の風が吹き抜けた。
周囲の木々や花々がざわめき、羽を休めていた鳥たちが悲鳴のような鳴き声をあげて一斉に飛び立つ。
そしてエルミリアはと言うと、殺気の籠った目でリチャードを見据えていた。
その目は「人を射殺せそう」と形容するに相応しいものだ。
常人ならば失神してしまってもおかしくないようなその視線を、リチャードは涼しい顔で見返していた。




