恋ってどういうもの?
一目で運命だと思った。
桜の樹の下で散りゆく花びらに降られて佇む彼女を見つけた瞬間、壮介は恋に落ちた。桜の樹にそっと触れてる白い指。風に揺られた黒髪。眼鏡越しの長い睫毛と大きな瞳。どれも壮介の心を捉えて離さなかった。
高校に入学した日。開けたばかりのピアスをいじりながらつまらない校長の長話に欠伸を堪えて体育館から外を眺めていた時に彼女を見つけた。見ていた筈の彼女を新入生代表の挨拶で確認したときは驚いたが名前を知ることが出来、また三年間一緒に過ごせる楽しみを噛み締めた。彼女…橘まありとの出会いだった。
「また、別れたの?」
沙織は壮介のイヤホンを外しながら話かける。
「またって、仕方ないだろ。向こうからバイバイ言われるんだから。」
「言わせてるんじゃない?壮介、その気ない感じとかへーきで出しそう。来るモノは拒まないのって、あんたの場合残酷じゃない。その気ないなら、断んなさい。」
「…今度はきっと好きになれるじゃないかと思ったんだよ。」
不貞腐れたように唇を突き出した。
仕方ないじゃないか…一人、心の中で呟く。
まありとの出会いから二年が過ぎ、今度の4月で三年生になる。あれ以来、彼女との接点はなく、憧れのままに時は過ぎて行った。まありはこれまで一度も成績トップの座を誰にも譲らなかった。かたや、壮介はビリから数えたほうが早い方。関わりなんて何もなかった。入学して半年過ぎた頃、同級生から告白された。まありのことは諦めかけていたので、可愛い子だったし、何となく付き合い始めた。付き合っている間、幾度となく彼女とまありを比べてしまう。さくらの木の下の美しい彼女。そんな自分に嫌気が刺し始めた頃に相手から別れを告げられてしまう。そんなことの繰り返しだった。
「あんた、無駄に見た目がいいから、モテんのよねー。ホント、ムカつく。」
沙織は壮介の頭を軽く叩いた。確かに壮介はモテる。フィンランド人の祖母を持つクウォーターで背が高く手足が長い。髪も目も色素が薄く、明るい茶色の髪は日に透かすとキラキラ輝いて見えた。切長の目に長い睫毛。女の沙織から見ても羨ましい限りの見た目だ。
「まだ、好きなの?橘まありのこと。」
顔を背けたまま、壮介は頷いた。好きだと、言われてしまうとあまりに恥ずかしくて、その顔を他人に見られるのは嫌だと思った。
「今年、ラストだよ。…少し、頑張ってみたら?」
そうは言っても何から始めたらいいのか皆目見当もつかない。天を仰ぎながら呟く。
「同じクラスになれたら、いいのになぁ。」
果たして壮介の願いは叶えられた。
三年のクラス発表、沙織も含めて三人は同じ1組。理系クラスだ。今年は理系希望者が少なかったらしく、成績の良くない壮介でも滑り込むことができた。しかも、壮介の名字も立花。出席番号順に席に座るので、まありは壮介の後ろだ。早速、挨拶から話しかけた。
「おはよう。一年間宜しく。」
「おはようございます。よろしくお願いします。」
読んでいた本から一時目を離して、まありは軽く頭を下げた。壮介はさらに話を続けようとしたが、まありの目線はまた本にもどってしまった。仕方なく、それ以上話すことは諦めた。チャイムがなり、担任の佐藤美樹が入ってきた。
「今年度みんなのクラスを受け持つことになった。佐藤美樹です。はじめてもそうでない方もよろしくお願いします。」
担当教科は数学。まありの得意教科であり壮介の苦手教科だ。中学の時はそれなりに数学が出来たのに高校に入ってからは全くダメだった。沙織の言葉が壮介の胸に響く。
『今年、ラストだよ。…少し、頑張ってみたら?』
まずは、まともに話せるようになること。スタートラインに立たなければ何も始まらない。徐に振り向き、まありに話しかけた。
「橘さん、数学得意でしょ?俺に少し教えてくれないかな?」
声が結構大きかったらしく、クラスメイトの笑い声と美樹の甲高い声が響いた。
「そこ!数学でナンパしないで。分からないことはなんでも先生に聞いて下さい。」
壮介は気まずい感じで頭をかいた。ちらりとまありを見ると耳まで真っ赤にそめて視線は本に落としたままだった。
初日は大失敗だったと、壮介は心から反省した。夕飯の後、コンビニまで原付を走らせながら頭の中はまありのことでいっぱいだった。
『今日はやらかしてしまったな。明日は挨拶から始めて少しずつ話をしていこう。まずはいい印象を持って貰いたい。絶対軽いやつだとおもわれたよな。』
なんてことを考えながらコンビニに出ると、そこには、ジャージ姿のまありが立っていた。
「あれ、橘さん?こんばんは」
突然、声をかけられてまありは目を思い切り見開いて驚いた顔をしていた。
「こんばんは。こんなところで学校の人に会うの初めて。…家からはここ歩いて5分位だから…やだ、こんな格好で。」
俯いてジャージの裾を両手でひっぱった。長い髪はシュシュで一つに結んでいた。
慌てた様子で顔を真っ赤にして早口で話すまありに、壮介は『可愛い』と心で呟いた。
「あ、いや、俺もジャージだし、みんな家に帰ればそんなもんでしょ。」
「立花くんの家も近いの?今まで会ったことなかったけど。」
「いや、俺、原付で来たから。ちょっと気晴らしに走らせて来た。…これ、学校には内緒にして。」
学校では原付を運転することはおろか免許を取ることも禁止されていた。壮介は両手を顔の前に合わせるお願いのポーズをとった。まありは唇に手を当てて笑った。
「分かった。内緒ね。約束する。それじゃあ」
コンビニに入ろうとしたまありに壮介はもう一度声をかけた。
「買い物終わったら家まで送るよ。もう遅い時間だし。」
「近くだから大丈夫。待ってもらうの悪いし。」
まありはちょっと困った顔をしていたが、壮介は構わず言った。
「ここでせっかく会ったからもう少しだけ話をしたい。」
少し困ったような顔をしたが、結局分かったと頷いた。コンビニに入り、アイスを物色し始めた。だが、頭の中は壮介のことを考えていた。正直、何を話したらいいかわからなかった。見た目のカッコ良さから、モテる噂とよく彼女を変えると言う悪い噂も聞こえてきた。
『今日、初めて近くで見たけど、ホントにカッコイイな。睫毛も長くて、綺麗な顔してるんだな。カッコ良さは噂以上かも』
まありはアイスのことは考えられず、ソフトクリームを父親の分と2個つかんでレジで会計すると、外で待っている壮介が見えた。本当に待ってくれているのが不思議だった。
『こんなつまんない私なんか待ってくれてるなんて、案外、変わった人なのかもしれない。』
「ごめんなさい。お待たせしました。」
まありが近づくと壮介はスマホを見ていた顔を上げて笑った。
「そんな、待ってないから大丈夫。じゃあ、帰る?」
原付をひっぱりながら、まありの隣に。
「乗らないの?」
「歩いて5分位なんでしょ?これ、二人乗り出来ないし、大丈夫。橘さんち過ぎてから乗るよ。」
二人は並んで歩き出した。まありは何を話していいか分からず黙っていた。
「あのさ」
口火を切ったのは壮介だった。
「よかったらでいいんだけど、ホント、俺に数学教えてくれない?橘さんから教えて欲しいんだ。」
まありは少し戸惑い、ちらっと壮介の顔を見ると、真剣な眼差しがあった。こんな顔でお願いされているなら、これは断れないと思い、首を縦に振った。壮介はこれ以上ないくらいの笑顔になった。そんな表情にまありは照れ臭くなり、俯いてしまった。
「教えるの上手くないかも知れないけど、私でよければ。まあ、私がダメならその時は美樹先生に訊いてね。あ、私の家ここ。」
指さすと、にゃおんと猫の声がして来た。
「めるる」
真っ白な猫をまありは慣れた手つきで抱き上げた。
「うちの子。めるるっていうの。」
「可愛い。触ってもいい?」
「大丈夫。この子、人が好きな子だから。」
壮介が頭を優しく撫でると喉を鳴らして目を細めた。
「すごく機嫌がいい証拠。立花くん、それじゃあまた明日。」
「じゃあまた。」
手を振り、壮介は静かに原付にまたがりエンジンをかけた。ゆっくりとアクセルを踏みまありの家から離れた。
まありは家に入るとリビングで寛いでいた父親にアイスを放り投げて、じゃれつくめるるに構わずに部屋に入った。そのままベットに倒れ込むと胸をぎゅっと押さえた。心臓がどきどきして顔が熱くて仕方なかった。
「あんな顔反則だよ」
壮介の満面の笑みを思い出して、ぎゅっと目を閉じた。人付き合いが苦手なまありはあんなに近くで人の笑顔を見たのは初めてだった。
「立花くん、ホントにカッコいい。もう、静まれ心臓。…こんなんで数学教えられるのかな私。」
枕に顔を埋めてわため息をついた。
壮介も家に着いて、コンビニで買ってきたジュースを手に自分の部屋に入った。
「はぁ、橘さん、マジで可愛かったな。ジャージ姿なんて尊すぎる。ゆるく結んだ髪も何かいいな。…ヤバい、ますます好きになりそう。」
このことを沙織にいち早く知らせようとLINEをしたが、中々既読がつかない。また彼氏と話し中なのかなと思い諦めた。数学教えて貰う約束は取り付けた。これから少しづつ距離を縮めていきたいと願いながらジュースを飲み干した。
壮介もまありも部活動はしていなかったので、放課後の教室で数学のレッスンが始まった。クラスメイトたちは、壮介がナンパしただけだと最初は思いからかっていたが、二人が真剣な顔で勉強している様子を見ているうちに同じように放課後教室に残って勉強する生徒が増えていった。最初は壮介だけに教えていたまありだったが、日が経つにつれて他の生徒達もまありに質問したりするようになり、自然と普段も話すクラスメイトが増えていった。まありは、小学校から今までこんなにクラスに溶け込んだのは初めてだった。中でも、壮介の幼馴染の沙織とはLINEを交換するほど仲良くなった。
担任の美樹はクラスが和やかな雰囲気に包まれていることにホッとしていた。今年は受験があるからクラスの雰囲気作りには骨を折るものだが「放課後学習会」…美樹が勝手に呼んでいるのだが…のおかげでクラス運営は順調といえた。特に橘まありの扱いについては先生方も頭を悩ませていたことだった。成績はトップだが、少しクラスから浮いた存在だった彼女が普通にクラスメイト達と話しをしていることに美樹は驚いていた。
『これは立花壮介のおかげなのかも』
美樹はそう考えてまありとは違う意味で少し浮いている壮介の存在に感謝していた。壮介もまた、先生方の気にかける所謂問題のある生徒だった。茶髪にピアスという派手な風貌で成績はあまりよろしくないが性格は明るく人懐っこいので生徒間では人気があり、とにかく目立った。この二人を同じクラスにするなんて横暴な感じもしたが、案外上手くいってるので分からないものだなと美樹はつくづく思った。