理性の戻った少年ゾンビは幼馴染の元へと歩き続ける
短編です!
楽しんでいただけたらと思います。
始まりは夕方に流れていた生中継での一幕だった。とあるイベントの生放送中に突如、人々が襲われ始めたのだ。生中継はその場で中止され、司会者達が慌てて弁明をしていた。その様子をぼんやりと眺めていた俺はまだこの時、『怖い世の中になったな』と思う程度だった。
その生中継の動画や、その場にいた誰かが撮っていた動画がSNSに投稿されると、瞬く間に拡散されていった。それから日本だけに限らず、世界各地で同様の被害が報告され、アメリカで軍隊が派遣されただの、世間では大事になっていたが、幸いにも周囲ではまだ被害が無かった為、対岸の火事といった心持ちであった。
一週間経って、やっと認識が変わってきたときには既に遅かった。中継で流される映像はアメリカ軍の壊滅。自衛隊に至っては日本政府が壊滅をしていた事を隠蔽する始末。
そして感染は爆発的に広がっていく。もはや、生存者がいるのかわからない世界。それが今の世界を示していた。
そんな中、一人のゾンビの目が覚めた。そもそも寝ていたという表現が正しいのかわからないが。あえていうなら覚醒。この世界で一人だけ、ゾンビのまま理性が戻ってしまったのだ。
「あ~う~う~あ~」
ちなみに声は出せない。すでに声帯を失っているからだ。ゾンビなので痛みはないが、それでも少年は気にしなかった。正確にいうと、気にする余裕がなかった。
少年には小さい頃から好きな女性がいた。いわゆる幼馴染。覚醒してから絶望しかなかった中での唯一の希望。出来れば生きていてほしい。今の自分では何も助けられないだろうけど……。
少年は動き出した。幸いにもこの身体になってからは食事を摂らなくても大丈夫だった。時折、空腹がひどくなる事もあるけど、無心になって歩いている内に忘れる事が出来た。幼馴染までの家は遠い。なぜなら目覚めた場所が隣の市だったからだ。最後の記憶が定かではなかったので、なぜ隣の市にいたのかはわからない。おそらく、避難でもしてたんだと思う。そして何か大事な事を忘れている気がするが、それも思い出せない。だがそれも、幼馴染に会えればすべてを思い出せる気がする。今はとにかく歩こう。
映画とかだとよく、走るゾンビがいたりするけど、筋肉すら腐り始めているのにどうやって走るのだろうか? どこを見ても引きずってたり、歩くのが精いっぱいなんだけど。むしろこいつらはどこへ向かってるんだ?
時間だけは余っている少年は今の状況を考えながら進み続ける。廃墟となった日本を歩いていると、人がいないんだなと痛感させられ、気持ちが落ち込んでくる。人が全然いないし、いや、ゾンビはいるんだけど。今も隣を一緒にお散歩状態だ。仲間扱いされたくないと思ったところで少年もゾンビに変わっている事を思い出し、さらに凹んでしまったようだ。あぁうぅ喚きながら向かう先もなく、ただ彷徨うゾンビ達。少年はなぜ理性が戻ったのか? ここにいるゾンビ達はずっとこのままなのだろうか? どちらが幸せなのかはわからない。難しい事はいい、幼馴染のところへ行こう、と前を向いて速度を上げるのだった。
ふと、周囲を見回していると違和感のあるゾンビがいた。いや、あれはゾンビじゃない? ゾンビの血肉を全身に浴びた人間じゃないか。人間がいた事にも驚いたが、それにどのゾンビも気付かない事に最も、驚かされた。そして、生きてる人間がまだいた事に、感動していた。
ここで問題になったのがこの人間をスルーすべきかどうか。気づかなければよかったのに、気づいてしまうと気になってしまうのが人間の性である。そして人間だと気付くと生まれる食欲。ゾンビに変わってしまった少年は、人間が食事にしか見えない。そこにたとえ理性があったとしてもそれ以上の本能には逆らえないのだ。
やめようやめようと、思いつつも少しずつ人間に近づいていく。理性が闇へと溶けていく感覚。そして襲い掛かろうとしたその時、頭上で大きな爆発音が鳴り響いた。
ハッと我にかえる事が出来た少年は、慌てて人間から離れた。他のゾンビも音に反応して頭上を見ている。あと少しで人間を襲うところだった……。それにしてもさっきの爆発音は?
周囲を観察する。するとどこかの屋上からボールのような物が下に落とされていく。
これはまずそうだ!
反応の鈍くなった脳味噌と身体をフル回転させてその場から離れていく。まだ死ぬ訳にはいかない! いや、もう死んでるだけど。ゾンビになったのが原因か、それともその少年の生来の気質なのか、意外と呑気なものである。
そして背後から鳴り響く爆音。
あのまま他のゾンビのようにその場にいたら、間違いなくミンチになっていた。何発か爆音が鳴り響いた後、漸く静けさが戻ってきた。
様子を伺いながら爆心地を見に行くと、先程まで血の通っていたモノがぐちゃぐちゃになって、ゾンビ達の餌となっていた。おそらくコレを殺すのが目的だったのだろう。
こんな状況でも人間は争っている。愚かな事だ、と憐れに思いながら、爆発によって出来た隙間から目的地への向かうのだった。
長かった旅路もあと少し。幼馴染の家にさえつけば……。根拠はないが、少年には、答えが見つかる確信があった。幼馴染の家は一般的な一軒家。三人家族で喧嘩もなく、とても仲良かったのを朧気ながら覚えていた。
あんなに綺麗だった一軒家は、二階の窓ガラスが割れたまま放置されたままだった。ドアを開け、中に入ると、人の気配は全くなかった。庭には頭蓋骨が陥没していたと思われるぐしゃぐしゃになった一体の死体があったが、少年はそんな事を気にする事もなく、二階の幼馴染の部屋を目指した。
ドアが閉まっていた。この部屋が幼馴染の部屋の筈だ。動かなくなった筈の心臓が高まっているような感覚におちいる。ドアノブに手を掛けてゆっくりと開いた。
そこにいたのは胸元にナイフが刺さったままベッドに縛られている、幼馴染のゾンビだった。
その光景を見た少年は、全てを思い出した。
ゾンビが大量発生し、周囲にも被害が報告され始めた頃。その日、少年は幼馴染が心配で幼馴染の家を訪れようとしていた。ちょうど大人達が、今後の対策を話し合う為に集会所に集まっていたからだ。家に辿り着くと、脇に知らない車が置かれていて、不自然に玄関が開いていた。少年は注意しながら二階へと上がると、幼馴染の部屋のドアが開けられている事に気づいた。嫌な予感がし、そのまま部屋に突入すると、幼馴染はベッドに縄で縛られた状態で、複数の男達に囲まれていた。
近所でも美人だと有名だった幼馴染を狙った、卑劣な暴漢どもによる計画的な襲撃だった。その時には既に襲われる寸前で、咄嗟に引き離そうと、のしかかろうとしていた男にタックルをする。すると、予想以上の衝撃だったのか、窓ガラスを突き破って下へと落ちていってしまった。先程、庭で死んでいた死体はその時の男だったのだろう。少年が興味も持たないのもわかる。予想していなかった逆襲撃に、男達も驚いたが、所詮は多勢に無勢。一人は排除出来たとしても、その後は一方的な展開になってしまう。
このまま少年と幼馴染が絶望するような展開になるかと思いきや、先程落ちてしまった男の匂いに吸い寄せられたのか、ゾンビが集まってきた。これはまずいと思った男達は、さっさと少年を殺して逃げようと画策する。リーダー格の男がナイフを取り出し、取り押さえられていた少年は逃げ出そうとするが身動き一つ取れなかった。
少年が諦めかけたその時、幼馴染が大きな悲鳴を上げた。そしてその大きな悲鳴に反応して、外が騒めき出すのを感じた。慌てて男達が、口を塞ごうとしたが、塞ごうとした手に嚙みつき、悲鳴を上げるのをやめようとしない。幼馴染はこの絶望した場面であっても、少年を助けようとしたのだ。
どうやっても暴れるのを抑える事が出来ない苛立ちから、男達は最悪の選択をしてしまった。少年を刺そうとしていたナイフで、そのまま胸元へと一直線に突き刺してしまったのだ。幼馴染は数回びくんびくんと痙攣したのち、動かなくなる。あたりは今までの喧騒が嘘のように静まる。男達はお互いに目を合わせると、少年の事などほって、車へと逃げだしたのだった。
呆然としていた少年は、幼馴染へと歩み寄った。幼馴染は既に死んでしまっていた。幸いにもゾンビ達は庭の餌に満足して、どこかへ行ってしまったらしい。一人になった少年は、自分の無力さを呪った。そして、たとえ自分がどうなろうとも、男達に復讐する事を誓うのだった。
それから少年は、迅速に行動を移した。男達の車の車種、また、ゾンビを轢き殺した跡もあった為、そのまま追いかけた。ときには避難所へ行き、情報を集める事もあった。その時には生存者と協力しあった事もあったが、達成感はあっても、そこから心が満たされる事は決してなかった。
そして少年はついに男達を見つける事が出来た。それは隣の市にある避難所だった。一部の上位が支配する、最悪の避難所だった。そこでは、老人、子供、男は奴隷に、女は慰み者にされていた。
男達は少年の存在に気付いていなかった。覚えてすらいなかったのだ。だが、少年は、それを憤怒するどころか悦んだ。ようはこれは最大のチャンスなのだと……。少年は、とにかく目立たないように行動した。
そして運命の日。少年がとった行動は、下位に属する人達と協力して、避難所を崩壊させる事だった。お互いに絶望しきっていたのもあるだろうが、前に生存者と協力しあった経験がここで活かす事が出来たのが大きかった。
流れはまず、簡単に消火させない為に、退路になるであろう裏門にありったけの燃料をぶちまけ、火をつける。そして表門には、協力して少しずつ集めてきたゾンビ達を解き放った。少年も自らが生贄になるように身体中を傷つけ、ゾンビ達を誘導している。身体中を傷だらけにしても、痛みは感じなくなっていた。そのような感覚はとっくに失くしてしまっていたからだ。
そして始まった復讐劇。火に包まれて死ぬ者、ゾンビに噛まれて死ぬ者、人に踏まれて死ぬ者。避難所は、絶望と狂気に満ち溢れていた。虐げられてきた者達は嗤っていた。これでやっと復讐が出来たのだと……。敵も味方も関係なく、次々と死んでいく。気が付いた時には、幼馴染を刺したリーダー格の男と少年だけだった。ゾンビが背後から迫っている。このままでもリーダー格の男が死ぬのは確実だろう。だが、幼馴染を殺したこの男だけは、少年の手で殺したかった。
お互いに満身創痍の状態。少年がここに来るまで、ゾンビに何度も噛まれているし、血も流しすぎてしまった。このまま何もしなくても死んでしまう事はわかっていた。男も様々なところで恨みをかっていた為か、逃げるのに手間どい、軽くない傷を負っている。
リーダー格の男は動揺していた。それも当然だろう。せっかく築いた楽園が一晩で崩壊したのだから。それも今まで奴隷として扱っていた者達によってだ。少年は嗤う。あと少しで全てを終わらせる事が出来る。そのまま絶望しながら死んでしまえ!
少年は、吼えながら全力で男へ向かって走り出した。右手にはナイフ、左手にはひそかに砂を握っていた。男の近くまで行くと、ナイフを振りかざした。
寸でのところで避けられ、態勢を崩してしまう。男が襲ってくるかと身構えるが、一向に襲ってくる様子はない。
男は少年の背後のゾンビを気にしていた。どうやら、この期に及んでゾンビが気になるらしい。そんなに死にたくないか。だが、そんなの許されるわけがないだろう。このまま死ね。その隙を逃す筈がなかった。左手の砂を顔面にまき散らす。見事に目に入り、男の視界を奪う。そしてそのまま幼馴染と同じように胸元へナイフを突き刺すのだった。
男の最期はあっけなかった。だが、こんな男には劇的な最期なんて、必要ない。あっけなく、殺され、あっけなくゾンビ達に食べられるのがふさわしいのだ。そして男を殺すのと同時に少年も倒れる。そして群がってきたゾンビ達。何とかギリギリ間に合ったようだ。
「ほら、ゾンビ達。ご褒美だ。お前たちのおかげで復讐が果たせたよ。……守ってあげられなくてごめんね。好きだった、好きだったよ……」
ご褒美に群がるゾンビ達。全身を噛まれるが、そもそも生きているのが不思議なほど、身体中がズタボロだった。
徐々に意識が遠のいていく。復讐を果たせた。これで満足だ。
……本当に満足したのか?
一度考えてしまうと自分に嘘は付けなくなってしまう。そう、幼馴染の存在だ。復讐の為に最後まで一緒にいてあげられなかった。あぁ、何でこんな男に復讐したんだろう。ほっといて幼馴染のところにいればよかったんだ。けど、後悔しても遅い。もうじき死んでしまうだろう。
少年は今更ながら後悔してしまった。涙が溢れ、拳からは血がにじんでくる。たとえ、このまま死んだとして、幼馴染と同じところへ逝けるのだろうか? こんな終わった世界だけど、救いはないのか?
誰も答えてくれない。視界が遠くなっていく。
最後に少年は願った。たとえゾンビになったとしても、幼馴染のところへ戻りたい、と。そしてそのまま少年の命は尽きるのだった。
何で忘れてしまっていたのだろうか。いや、全てを忘れてはいなかった。こんな姿になっても、幼馴染のところまでたどり着いたのだ。幼馴染の姿を改めて確認する。
幼馴染はゾンビになっていても変わらず綺麗だった。縛られていたせいか、生来の性格によるものだったのか、とくに暴れた形跡もなく、胸にナイフが刺さっている以外、生きていた時の姿とほぼ変わらなかった。
綺麗だ……。少年はその変わらぬ姿にゾンビであるにも関わらず涙を流す。少年は全てを終わらせる為に胸元のナイフに手を伸ばす。少年はこの為に、幼馴染のところまでやってきたのだから。
ナイフを持つ手が震える。ゾンビだからなのか、それとも躊躇っているからなのか。本人にすらわからなかったが、手が震えてナイフが抜けなかった。
守ってあげられなかった。守ってあげられなかった。守ってあげられなかった。守ってあげられなかった。守ってあげられなかった。守ってあげられなかった。守ってあげられなかった。守ってあげられなかった。守ってあげられなかった。
……守りたかった。後悔の念だけが少年の頭の中を埋め尽くした。
このままどうしようもない後悔の念に押しつぶされそうになっていたその時――――。
「あり…がと……」
幼馴染は笑顔だった。声はひょっとすると幻聴だったのかもしれない。けど、少年には確かに聞こえた。途端に震えていた手が、ピタリと止まった。そして胸元のナイフを抜くと、勢いよく脳天へとナイフを突き刺した。
一瞬ビクンっと身体が痙攣したのちに、完全に動かなくなった。これでよかったのだ。これで無事に天国へと逝ける。
ナイフを抜く。幸いにも胸元に刺した影響か出血はほとんどなかった。最期に幼馴染の笑顔が見れてよかった。さぁ、今度は自分の番だ。自分の頭に向けてナイフを突き刺す。
『今度こそ、一緒に幸せになろう』
少年はそう願いながら幼馴染に被さるように倒れ、たった一体の理性の戻ったゾンビは、満足しながら生を終えるのだった。
その数年後、急激な気候変動による氷河期が到来し、ゾンビ達は絶滅した。僅かに生き残った人類達は、その厳しい環境を乗り越え、かつての繁栄を取り戻す。その中にはかつて、少年と協力しあった人達も含まれていた。
そして数百年後の日本、とある平凡な隣り合った家で、同日、男の子と女の子が産まれた。その二人はのちに結婚し、幸せに暮らす事が出来たという。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!