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すれ違いの雨

作者: 題名のない文学

 人とよく目が合うと思っていたが、最近になってこれは少し勘違いしていることに気づいた。

 

 私が必要以上に人の目を見ているのだ。見られている感覚を覚えると警戒心も含めた目で相手も返してくる。

 これを目が合っていると勘違いしていたのだ。いや、目が合っているという意味では間違いはない。

 

しかし、そこには好意だとかそう言ったものは一切なく私は目が合うという表現に違和感を覚えたのである。


 それでも休みの日は期待して道を歩く。僅かな運命があるのではないかと。

それが私を好奇させ、用事もない街へ繰り出すのだ。

 

 服装は暗い色が多くなった。

似合うと思って購入するものが毎回同系色ばかりで、気づいたらクローゼットがそうなっていたのだ。歳を食ったと1番に感じる瞬間であった。

 

 重ねて置いてあるズボンの中から一枚を取り出して履き、洋服は黒いスウェットに着替える。

 無地だが意外と高値のこのスウェットは左裾に小さなブランドのロゴが入っている。

 誰も見ていないが、小洒落たセレクトショップで購入したものだ。


 その日も期待通りにはいかない街に満足し、自転車をだらだらと漕いでいた。回り道しながら、自己中に漕ぐと気持ちが良い。

 

 高架下に歩行者が待っているのにも関わらず、なかなか車が止まってくれない横断歩道がある。そこを私は悠々と横断する。すると通過しようとした車が急ブレーキをかけて止まる。

 

 もしかしたら気づくのが遅れ、ブレーキを踏み遅れるかもしれない。その時はその時だ。あちらの方が重罪であろう。

 

 その一方で、まさかこのスピードで迫ってくる車に対して渡ってはこないだろう。そう考えているかもしれない。そういった運転手との心理戦が繰り広げられる。

 このスリルが堪らないのだ。

 この日も私は勝利した。私に続けとばかりに待ち人は横断を始める。

 そう、私がこの横断歩道を操っているのだ。


 まるで大業を成し遂げたような顔でペダルを漕いでいるとガラス張りのカフェに目が止まった。

 真っ白だった。

 ガラス越しでもシャンプーの匂いが見えた。その綺麗な髪を後ろに束ね、吸い込まれそうな大きな瞳はパッチリ二重は、例え少し寝ぼけた顔であったとしても絵になるほどであった。

 

 彼女はコーヒー片手にパソコンを打っていた。誰かに似ている。あぁ、あの子だ、清涼飲料水のCMに出ていたあの子だ!そっくりだ、あの子本人ではないかと疑うくらいであった。

ほんの数秒の間そんなことを考えながら、まただらだらとペダルを漕いでみた。

 

 もう一度顔がみたい。そう思った。その瞬間、道行く人々の間をすり抜け、自転車を飛ばした。自転車も同じ人かと驚いたことであろう。

 

 同じ場所に彼女は座っていた。顔の半分を布で覆うことが普通になった昨今で、彼女は何もつけず綺麗な鼻筋を堂々と見せて、考え事をしている様子であった。

 本当の美は覆うことさえ勿体無いとされるものなのだ。

 

 その姿はミロのヴィーナスの手がどのようなポーズを取っていたか、見る人に永遠の想像を与えてくれるような感覚と同じで、彼女が一体何を考え、この場所で何を打っているのかと永遠の想像ができるほど芸術に近い。

 

 すると一気に心臓が高鳴り、身体があつくなった。これをコントロールできれば、どんなスポーツでも良い成績を残せるはずだ。胸に血液が流れるのがわかる。アドレナリンを感じる。なんでもできる衝動に駆られる。

 そう、彼女と目が合ったのだ。

 

 雨は嫌いだ。いや、正確にいえば嫌いになったといえる。小さい頃は雨靴を履いて水溜りをはしゃぎ回っていたが、大人になると濡れることを嫌った。そのため雨は、お節介者でしかなかった。

 

 小さい頃も気づかないだけで、お節介者に変わりはなかった。ずぶ濡れになった私と廊下を拭き取っていたのは大人である母だ。

 濡れること避けるために傘を使えば荷物が増え、必要がなくなるとすぐに存在を忘れて置き忘れてしまう。

 だから雨でも私は傘を持たない。

 

 カフェには2時間はいただろうか、外に目をやると先程私がいたアスファルトは濡れていた。

 席は少し遠いが、外を見るには絶対に彼女を視界に入れなければならない。

 世の中は少し残酷で、顔が優れた人が得をするようになっている。

 例えばそれは、就職の時でも運命のパートナーを見つける時でもそうだ。生まれたばかりの赤ん坊の遺伝子次第で資産が決まるといえる。

 美容整形が普及して、そうともいいきれない世の中になったようにも思えるが、それは優れたものに極限まで似せるだけであり、モデルとなった本物には勝つことはない。

 

 残念なことに私の遺伝子にもこの残酷なルールが埋め込まれており、そう思う成人としてまた世に放たれた。残酷な世の中が平和になることは私が生きてる間にはないだろう。残酷だ。

 

 そんな私は勝ち組にはなれないが、資産は自分次第で可もなく不可もなくといったようなものか。だから私は欲張らず安定した公務員を選んだ。正解とも言えるほどの凡人になることに成功したのだ。

 

 異性と付き合うことも何度かあった。贅沢を言わなければ婚期は2回あったのかもしれない。凡人になったことを感謝し、親の遺伝には感謝している。だが諦めの悪い凡人は、夢を見てしまう。

 

 彼女は大きい赤いスウェットの古着を着ていた。身体のシルエットが見える訳でもないのに大きな袖から出た白くて細い腕を見ると、細身であることが分かる。そしてその古着は、彼女しか着こなせないものとなった。

  

 外を見ているのか、赤い芸術品を眺めているのか分からなかった。このまま眺めているだけで充分だった。今ならなんでもできそうな状態の私は結局、何も残せず、通常状態に戻っていた。

 何かきっかけがないかと考えていた。強盗が入ったら真っ直ぐに飛んでいけるのに…

 

 ふと彼女は周りを見回した。石にされるのではないかと目が合う前に視線を携帯に移した。

 視界の端に彼女がぼんやりと見える。微笑んだようにも見えた。

 そう感じた自分に対してまさかと思い、私はまた視線を上げた時には、彼女は背中を向けカップを口に近づけていた。

 

 微笑んでいたかどうかは、彼女に今聞かないと生涯の謎に葬られるだろう。

 だが私には、そんな度胸はない。ましてや、他人が突然『微笑んでましたか?』と尋ねてきたら困るだろうし少し恐怖を感じるだろう。

 どんな顔をするか見たい気もするが…

 

 私は生涯の謎となる課題について自分なりに考えることにした。微笑んでいたと仮定して、課題を進めることにした。

 彼女が周りを見回した時間はほんの数秒の出来事で、その間に微笑むような出来事があったのか、あったとしたらそれは何か、この課題は既に難航していた。

 小さな埃がふわふわと舞っていることにさえも幸せを感じていたのだろうか?

 

 納得できる答えを得られないままであったが、また彼女が振り返ることがあった。

 私の感覚では5分後であったが時計を見ると正確には30分後であった。構えていても彼女の目を、真っ直ぐに見ることはできなくなっていた。

 本日何回目かの恋に落ちていたのだ。

 

 だが、視線を少し上げることで先程より、はっきりと彼女の姿を視界に入れることができた。そして彼女はまた微笑んだ。私は確信した、私に微笑んだのだと。

 

 入る予定もなく入ったカフェで、滞在時間は最高記録を叩き出そうとしている。コーヒーはあまり好きではない。

 ふと入った理由を忘れた時、何をしにここに来たのかと自問してしまう。氷が溶け出したコーヒーは、苦味が薄まりやっと美味しさを感じることができた。そして先程の自問には答えが出ていた。

 そう、彼女との運命を予定していたのだと。

 

 彼女はこちらが気になっていることを既に視線から把握しており、それを察した上で私に微笑みかけたのである。

 なんて余裕のある上品な誘い方なんだろう。私は胸が再び高まっていた。

 

 私は彼女に夢中で周りを気にしていなかったが、私の隣の席は数回ほど人が入れ替わっていたらしい。

 今は若いカップルが座っている。他の席にも目をやると、私と彼女の間にも1人お客さんがいることに気がついた。

 彼は存在を消していたわけでもなく、私自身も彼を見ていなかったわけでもなく、景色として完全に違和感がなかったのだ。

 景色が変わってないということは私より前にコーヒーを飲んでいたのは確かである。

 いかにも大学生の彼はパソコンを開いてはいたが、進んでない様子がみてとれる。

 携帯画面に夢中であったからだ。

 

 しばらくして雨が弱まり、このチャンスを逃さんとばかり何人かのお客さんは走って出て行った。

 また1つ存在を忘れ去られたあいつは、寂しくもご主人との別れを惜しむかのように机に掛かったままでいた。

 

 満席だった彼女の周りは空き席となり、さっきとは違う景色を眺めていた。隣に座れば彼女を独占できた。

 しかし、そんなに急ぐ必要もない。この距離も、もどかしくて新鮮なのだ。縮まることが確定された距離は安心があり、私に余裕と高揚を与えてくれる。

 運命は存在し、彼女も私のことを気になっている。

 

 だが、間もなくこの穏やかなカフェで想像できない事件が起きた。

 大学生の彼がトイレから帰ってきたや否や、彼女の横に座ったのだ。事件といえば大袈裟ではあるが私には、その言葉しか見つからなかった。まさに事件であった。

 

 横に座ると彼は気怠そうに話始め、彼女は笑顔で話を聞いていた。聞いてもないことなのにすぐに察した。

 彼女は彼の彼女であったのだ。

 あんな笑顔を他人に見せるはずがない。そうだ、さっきの微笑みだってそうだ。あれは私ではなく彼に向けられたものだったのだ。

 あんなに難航していた生涯の謎は、いとも簡単に答えを導き出したのだ。

 

 受け入れ難い真実だった。だが、無駄に歳を食った私は、すぐに受け入れ顔色を変えなかった。よかった、耐えられそうだ。

 

 しかし、羞恥とともに焦燥に駆られた私の内部はじわじわと熱を持ち、また降り出した雨を気にもせず、外に出ることを決断した。

 真実を受け入れてなかったみたいだ。雨でびしょ濡れになり顔色を変えなかった私が台無しだ。

 しかし、今日ばかりは雨をお節介者とは思わなかった。


 せっかく美味しくなったコーヒーはテーブルに置き去りにされたままであった。


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