45.君はとても優しい子だったよ
「わ、わわっ!」
足場がなくなって、俺もふわふわと浮いたような状態になる。
なんか股下がスースーする感じがして落ち着かない。
文字通り、見渡す限りのすべてが星空。
上も下もない真なる満天。
ナイちゃんが目の前に現れて、小さな体のまま両手をいっぱいに広げた。
「見て、見て。この夜空がわたしの本体、わたしの夢なの。素敵でしょう? あの星の光のひとつひとつが誰かの夢。今もわたしの中で瞬いているわ」
「こ、これが全部、君の……!?」
言いかけて、口を噤む。
しかし無意味だった。
ナイちゃんが悲しそうな顔をする。
「犠牲者、だなんて表現は悲しいわ。わたしはみんなに楽しい夢をずっと見ていてほしいだけなの。現実はつらいわ。思い通りにいかないことがたくさんあるもの。もちろん、あなたが考えていることもわかるわ。幸せな人もいる。それはわかっているのよ。でも、この世界にはあまりに報われない一生を終える命が多いの」
望まれずに生まれた赤ん坊。
親から虐待を受ける子供。
貧乏で満足な食べ物を食べられない人達。
生まれつき容姿が恵まれない人。
姑との関係がうまくいかない花嫁。
魔王やモンスターに日々脅かされる人々。
俺がぱっと思い浮かべただけでも、それだけいる。
そのすべてを救うことは神の手にも余る。
しかし、ナイちゃんはそんなことはないと言いたげに笑った。
「旅人さん、旅人さん。わたしの夢は、まだあるの。これは見る夢ではなくて懐くほうの夢」
「……それは?」
おそるおそる訊ねると、ナイちゃんはパァッと花のような笑顔を浮かべた。
「わたしの夢。それは、この世界のすべての人をわたしの中に招待して、永遠に夢を見てもらうことなの」
絶句した。
あまりにも壮大すぎて、自分の中にストンと落ちてこない。
しかし、考えていくにつれて……。
「でも、それはあまりにも悲しいよ……誰とも本当の意味では出会えないってことじゃないか」
「ええ、そのとおり。あなたの言う通りなの、旅人さん。夢と夢は重ならない。夢の中では誰かと話しているようでいて、それはあくまで夢なの。挨拶だって頭の中での独り言よ。夢は永遠の孤独だけど、真実に気づくことなくみんなが幸せに暮らしていく……でも、それでいいと思っていたの。わたしの見せる夢が、あるべき理想の世界だと」
確かに、そういう一面はあるかもしれない。
不幸な人たちにとってもそうだし、アレスみたいな自分さえよければいい人にとっても理想郷かもしれない。
でも、それは……。
「でも、でも! あなたの考えているとおり! 旅人さんには、わたしの夢が間違いだと思い知らされてしまったの!」
「え、俺に?」
「そうなのよ、そうなのよ。だって、あなたはわたしの屋敷に入った中で、唯一記憶を失わずにわたしと何度もお話ししてくれたもの!」
「唯一!?」
誰もナイちゃんとは話そうとしなかったってこと?
でも、ナイちゃんに会いに来た人は他にもいるっぽいこと言ってたけど……。
「確かに、これまでわたしとの対話を試みようと屋敷に訪れた人たちはいたわ。でも、屋敷の中に入るとみんなここが夢だということすら忘れてしまったの。夢の中じゃないなら、みんなは現実と考える。そうすると、大前提となる『夢の中でのナイトメア・フェアリーとの対話』そのものを忘れてしまうの。忘れられた願いは夢で見られない……わたしは誰とも会えなかったわ」
あ、なるほど、そういうことか。
ナイちゃんは俺が会いに来たことをずっと嬉しい嬉しいって言ってくれていたけど……。
お世辞とかじゃなくて、本当にものすごく嬉しかったんだ。
「でも、あなたはわたしとお話ししてくれたわ! これって本当に素敵なことなのよ! 夢屋敷の管理人でしかなかったわたしと、あなたは会いたいって願望を懐いたまま来てくれた! あなたは、わたしの『もうひとつの夢』を叶えてくれたの!」
ナイちゃんがめっちゃテンション高く盛り上がっている。
俺はなんだかノリ切れずに、その様子をぽかーんと見ていた。
俺が原因なのに、俺のあずかり知らぬところで、またまた勝手に何かが解決してしまったようだ。
「わたしは間違っていたわ! 夢じゃない誰かとお話しすることがこんなにも楽しいことだなんて知らなかった! わたしがこれまでしてきたことで、確かに救えた魂もあったかもしれないけれど……実際にはきっと多くの人達から大切な誰かを奪っていたんだわ!」
「ああ、ナイちゃんは自分でそこに気づいたんだね……偉いなあ」
モンスターだから俺たちとは違うと、頭から決めつけていたけど。
違うのにはきちんとした理由がある、ということか。
もちろんナイちゃん本体に感情があったからだし、人間に友好的だったからで……どんなモンスターともわかりあえるという超理論には結びつかないけど。
「ごめんよ、ナイちゃん。君がみんなに見せる夢は優しさとは違うと思っていたけど、やっぱり君はとても優しい子だったよ」
「いいえ、いいえ。わたしはあなたの考えているとおりの恐ろしいモンスターだわ」
ナイちゃんがさめざめと涙を流した。
頭を撫でてあげたいけど、サイズも違うし、地面がなくて浮いてるような状態だから手足を動かしてもうまく動けない。
ナイちゃんの夢の中だからなのか、俺の願望が叶うということはないみたいだ。
「でも、そっか。なんかよかった……」
不思議な安堵感に包まれながら、俺はナイちゃんが泣き止むまでしばしの浮遊感を楽しむことにした。




