40.選んだっていいんだよ
「傷を治してくれたの、覚えてる? ほら、レメリを庇ったときに。あのとき重傷を負った俺を助けてくれたでしょ」
「え、ええ。よく覚えてるわよ! まったく、アンタって人はただの荷物持ちのくせにあんな無茶して……」
ディシアが懐かしそうに、慈母のような優しい笑みを浮かべる。
あのときは俺が攻撃対象じゃないから、《全自動弱体化》は発動しなかった。だから俺は大怪我を負ってしまって。
その傷をディシアが治してくれたのだ。
「あのときはありがとう、ディシア。助かったよ」
「別にいいのよ。わたしは当然のことをしたまでだから」
そうだね、君はあのときもそう言っていたよ。
お礼を言われたときは「どういたしまして」でいいのに、当然のことだから感謝される謂れはないと。
今思えば、いつもそうだった気がする。
ある意味アレスとはまったく逆で、だから俺なんかよりも断然アレスと仲が悪くって。
「そうか、よかった。覚えててくれて」
「当たり前じゃない。忘れるわけがないわ」
夢の中で姿や記憶が変わってしまっても、ディシアに変わりはない。
優しい君でいてくれてよかった。
だから、本当にごめんね。
「モンク僧に回復魔法は使えないよ、ディシア」
ディシアの表情が完全に凍り付いた。
「君は聖女なんだよ」
「ち、違う。わたしは――」
「おお、どなたかと思えば聖女様ではありませんか」
まだ否定しようとするディシアに、誰かが話しかけてきた。
さっきまで俺たちを徹底的に無視し続けてた神官だ。
「おお、本当だ」
「ありがたや!」
「おい、こちらに聖女様がおられるぞ!」
神官たちがどんどん集まってくる。
俺たちはあっという間に取り囲まれてしまった。
「どうか、聖女様。我らに加護をもたらしてくださいませ」
「どうか、勇者様とともに魔王を打ち倒してくださいませ」
「どうか、この世界に神の奇跡をもたらしてくださいませ」
頭を垂れ、這いつくばり、祈りを捧げ始める神官たち。
そう……これが『聖女』が神殿を訪れたときの自然な光景。
ディシアが夢の中で忘れていた『神官が自分に取ってくる態度』を正しく思い出したのだ。
「いや……やめて……」
涙を流しながら首を振るディシア。
「ディシア。ごめんね……思い出させてしまって」
聖女とは勇者と同じく選ばれた存在。
レアスキル《聖女の資質》を持ち、成長すれば死者すらも蘇らせることのできる神の奇跡の担い手。
ディシアがこの世に生まれたときから望まれたカタチ、それが『聖女』の信仰職。
ディシアが望まなくとも、世界がそう望む。
そして、ディシアは勇者パーティの中で誰よりも世界を救いたいと心の底から望んでいた。
本人が否定していても、これもディシアの望みのひとつなんだ。
「あ、ああ……完全に思い出した。わたしは聖女だった」
今やその姿もモンク僧ではなく、聖女だけが袖を通すことを許される神聖装束に変化していた。
今なら俺が手を伸ばせば、ディシアは現実に立ち返れるだろう。
「でも、選んだっていいんだよ」
「えっ……?」
俺が何を言っているのかわからない、という顔をするディシア。
「何も無理に忘れなくたっていい。思い出したなら選んでいいんだ。聖女とモンク僧。君は、どっちになりたいの?」
この問いかけで、ディシアは今度こそ完全にすべてを思い出したようで……憑き物が落ちたように笑った。
「ああ、そうだったわね……わたしにそんなことを言ってきたのは、アンタだけだったわよね」
「うん。モンク僧になりたかったとは知らなかったけど」
聖女になりたいわけじゃなかった、と酒に酔ったディシアの愚痴を聞いたことがある。
だから、他になりたいものがあるならなればいい……と俺は気安く言った。
あのときはディシアに「そんなのは無責任よ」とすごくなじられた。
怒らせてしまったと、すっごく反省していたんだけど。
「でも、モンク僧になりたかったかと言われると……それもちょっと違うのよね」
「え、そうなの?」
「わたしはきっと、自分の望みが欲しかっただけなのよ」
ディシアがそうつぶやいた瞬間、俺たちはナイちゃんの屋敷の前にいた。
どうやら、夢から覚めたようだ。
そろそろ太陽が顔を出し始めている。
「ああ、本当に夢だったのね……」
ぼんやりしたままディシアがつぶやいた。
なんだか唐突に戻ったせいか、俺の方も夢見心地だ。
ディシアが屋敷を見上げた後に、俺を見て。
少し考えてから、口を開いた。
「そういえば……なんでアンタ、逃げたくせにここにいるのよ。一発殴らせなさい」
「あ、結局そこに戻るんだね」
生真面目な顔がなんともディシアらしくて、なんだか俺は安心してしまうのだった。




