89.私も冒険が楽しいと思ったことは
エチカを送り届けた後、俺はすぐに宿を出た。
もう無理、もう限界。
エチカの貞操を守るためにも、俺は自分の欲望を発散しなくては……。
そんな緊急時だというのに。
「おや、スラッド様。奇遇ですね」
さっき見た不愉快な顔と、宿の入り口でばったり鉢合わせた。
「えっ、ヴァイス……さん。なんでこんなところに」
「もちろん、たまたま通りがかったんですよ。フフ」
そんなわけない。
シーチャの話だと、『栄光と勝利の宴』の拠点は王都の反対側だ。
この人、ひょっとして俺のことを尾けてきてたのかな……なんか怖いぞ。
「どうでしょう。せっかくですから、そこらで一杯やりませんか?」
「結構です!」
この人のことは苦手を通り越して、嫌いだ。
だから、そっけなく返事をして横を通り過ぎようとすると。
「……パーティに男一人だと何かと大変ですよねえ?」
ヴァイスの揶揄するような口ぶりに思わず足を止めて振り返る。
俺の驚愕に染まった表情を見たヴァイスが、ニヤリと笑った。
「だからこんな時間にコソコソとひとりで。いいお店を知っていますよ。もちろん、お仲間の皆さんには秘密にしておきます」
こ、こいつ……!
「ひ、卑怯ですよ! そういう言い方!」
「いえいえ、誤解しないでくださいよ。本当に悪意はないんですよ。私はあなたの『敵』になるつもりはないんですから」
『敵』になるつもりは……?
ひょっとして俺の《全自動弱体化》を警戒しているのか。
どこまでが範囲かわからないから。
「……このことを誰かに言ったら、僕はあなたのことを敵と見做しますからね」
「ええ、もちろんそうでしょうとも。フフ……」
余裕を感じさせる笑みを浮かべながら、ヴァイスは歓楽街へと招くように歩き出した。
◇ ◇ ◇
「フフ……どうでした? ここが王都でも指折りだと思いますが」
「悔しいですけど、本当にいいお店でした。悔しいですけど……」
店内に用意されたバーカウンターで、俺はヴァイスと酒を酌み交わしていた。
俺はSランク特典で無料だけど、ヴァイスはAランク冒険者だからしっかりお金を払っている。
あんな金額、俺の小遣いじゃ絶対払えない……金庫番のシーチャに理由が言えない……。
本当に、ランク特典があってよかったと思う瞬間だ。
「でも、俺はあなたのクランには行きませんからね」
「おやおや、本当に嫌われてしまいましたね。これは諦めるしかないでしょうか」
ヴァイスがため息を吐いて、わざとらしく肩を竦める。
……これまでも何度もスカウトをされてきたからか。
俺にはわかる。あの目は絶対に諦めていない。
どんな手を使ってでも、俺をクランに引き入れるつもりだ。
「……あなたのことは仲間から聞きました。悪名高き『栄光と勝利の宴』のクランリーダー“黒鴉”のヴァイス。クランを大きくするためなら、どんな手段も選ばない冷血漢。盗賊ギルドと太いパイプを持っていて、連携することもしばしば。だけど王都で大きな影響力を持っているから、誰も口出しできないって」
俺としては悪口を言ってやったつもりだったけど、ヴァイスは何故か嬉しそうに笑った。
「フフ、スラッドさんにそこまで言っていただけるとは冒険者冥利に尽きますね。三つの称号を持つSSSランク冒険者スラッド・マエスティ。“最弱の竜殺し”であり、“いるだけ無双”でもあり、“無敵無職”でもある最高の冒険者。どうでしょう、やはり考え直してはいただけませんか? 素晴らしい待遇をお約束しますよ。クランの金も、酒も、女も、すべて自由にしていただいて構いませんから」
「どうしてそこまでして俺を……?」
「そんなこと決まっているでしょう。さらに上を目指すためです。私はもうじきSランク冒険者として認められるでしょうが、それでは足りないのです。もっと栄光を。もっと勝利を。冒険者をやる理由なんて、それ以外いったい何があるんですか? あなたは我々と『いていただくだけでいい』んですよ。籍さえ置いてくだされば。たったそれだけで、さまざまな組織から一目置かれるようになるのですからね」
「つまり、俺の扱いは飾りつけのアイテムと同じですか」
「不服ですか? 全自動スキルなんて、あなたにとってもアイテムのようなものでしょう? なんなら、あなた自身が付属品です。でもスキルなんて、そんなものじゃないですか。運が良ければいいスキルが手に入り、運が悪ければ何も手に入らない。そして、あなたは幸運を享受できる側だった。ただそれだけです」
ああ……俺は、この男とは絶対に合わない。
それが、はっきりわかってしまった。
ヴァイスのスピーチは止まらない。
「あなたはきっと私との価値観の相違を気にしているのでしょうが、そんなこと、あなたさえクランに入れば些末事なんですよ。私のことを蛇蝎の如く嫌ってくださったままでかまいません。金輪際、顔を見せるなと言うなら、そうしましょう。もし今のパーティがそこまで大切なら、全員でクランに来てくださっても構いません。それが条件というのなら呑みますとも。そうすべては……あなたさえクランに来てくだされば。本当に、それだけでいいのです」
たったそれだけでいい。
そこにいるだけでいい。
これまで何度言われたことだろう。
だけど、この男が欲しているのは俺のスキルですらないのだ。
欲しいのは名前と肩書、そこに付随するメリットだけ。
「ヴァイスさん……いや、ヴァイス。これだけは、はっきりと言わせてもらう」
俺はいつだって、何もしなくてよかった。
それは、とっても楽で。
勝手に敵が倒され、安全に冒険が終わるのを後ろで待つだけだった。
だけど、そんなものは――
「そんな冒険は楽しくない」
俺に完全な三下り半を突きつけられたはずのヴァイスは、むしろ、これまでで一番嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「ああ、よかった。そうでしょうとも。私も冒険が楽しいと思ったことは、一度たりとてありません。ようやく意見が合いましたね」
その瞬間。
ヴァイスは、俺が世界で一番嫌いな奴になった。




