隠し扉
「はい、私の勝ちです」
「……参りました」
暇な時間を過ごすベルンとリヒトは、唯一の娯楽であるトランプで楽しんでいた。
何一つルールを知らなかったリヒトであるが、ベルンの分かりやすい説明によって、何とか対戦相手までには昇格している。
しかし。
ルールを覚えたてのリヒトが、頭脳によって生きてきたベルンに勝てるわけがない。
何回も同じパターンの負けを繰り返しながら、日が落ちるのを待つだけだ。
「もう一時間ですね。意外と楽しむことができました」
「そ、そうですか……」
ベルンは気持ち良さそうな顔で、トランプを箱にしまう。
頭脳のサンドバッグにされていたリヒトは、複雑そうな表情でその感想に合わせることになった。
「あの……ですね。実はこの時間になると、いつもお風呂に入ってるんですけど……どうしましょうか」
急にモジモジとし始めたベルン。
どうやら、入浴のことで悩んでいるようだ。
風呂には入るな――と、リヒトに命じる権限はない。
そもそも、そういう回答は論外だ。
妖狐にとって、尻尾のケアは命とも言える。
食事や睡眠と並ぶほど、生活の中では重要な行為だった。
「あー……アリアを起こすから、ちょっと待っててくれ」
リヒトは少し悩むと、眠っているアリアを起こすという決断に至る。
多少機嫌が悪くなったとしても、ベルンの羞恥心を守る方が優先だ。
アリアと一緒であれば、少なくとも暗殺されるようなことはないだろう。
「……おーい、アリア――」
「――ガウ!」
「――あぶねっ!?」
リヒトがアリアに触れた瞬間。
反射ともいえるスピードで、指の隣に噛み付いた。
あと数センチ横にあったとしたら、間違いなく食いちぎられている。
ヒヤリと頬を伝う汗。
もし当たっていたと考えると、あるはずの指も強ばって動かない。
魔王としての本能なのか。
これなら、寝込みを襲われたとしても安全だ。
「……なんじゃ、リヒトか」
アリアは、いつもと違ってパッチリと目を覚ましていた。
これまでなら、寝起きのアリアの目は確実に閉じている。
魔王の体の構造がどうなっているのか――それはリヒトには分からないが、睡眠中に体に触れられたことが大きな要因であろう。
それほど、戦いというものに特化しているらしい。
「魔王様……今から浴場に向かおうと思っているのですが、ご一緒にいかがでしょうか……?」
「んあ、別に構わんぞ。というか、目が覚めてしまったのじゃ」
「あ、ありがとうございます! リヒトさんもありがとうございました」
ベルンは安心したのか、ボフッと大きな尻尾を出した。
妖狐の尻尾というのは、三本の尻尾が重なってその形を作っている。
やはり何度見てもそれは美しい。
日頃の努力を表しているようで、ベルンも自慢げな顔だ。
様々な獣人を見たことがあるリヒトだが、ここまで立派なものはかなり希少だった。
任務ということも忘れて、ついつい見とれてしまう。
「リヒトも一緒に来ないのか?」
「遠慮しとく」
「本当に来ないのですか? 一緒に行動しておいた方が、安全だと私は思うのですが……」
「大丈夫、ほんとに大丈夫だから」
ベルンとアリアの気遣いを、リヒトは頑なに拒み続ける。
どれだけ合理的な提案であろうと、これだけは受け入れることはできない。
リヒトの態度に、ベルンも何かを察したようで、それ以上声をかけるようなことはしなかった。
「じゃあ行くのじゃ。ベルン、案内してくれ」
「――ひっ! わ、分かりましたぁ……」
ベルンの尻尾に捕まって案内を待つアリア。
その浴場への道は、本棚の本をズラすことによって開かれる。
かなり凝った造りの隠し扉。
いつでも尻尾のケアができるように――ベルンのためだけに作られた浴場だ。
ずっとそこに隠れていれば安全なのではないか。
その言葉を、リヒトは水と共に飲み込んだ。
ブクマ、評価、感想よろしくお願いします!