ヴァンパイアの苦難
「はぁ……ロゼは元気にやっているのでしょうか」
ロゼの母親――カミラは不意に呟く。
それは、可愛い娘であるロゼの体を心配する言葉。
これは別に何も珍しいことではない。
むしろ、毎日一回は呟いている内容であり、カミラの傍で仕えているメイドは何回も聞いたセリフだ。
「カミラ様。ロゼお嬢様は、きっと魔王軍で素晴らしい活躍をされているかと思われます」
メイドはそれを聞くと、慣れたようにいつものセリフを返す。
何回もしたやり取りではあるが、メイドが面倒くさそうな仕草を見せることはない。
ロゼの話をしている時は、自分自身も明るい気持ちになれるからだ。
魔王軍という環境で成長し、そして活躍するロゼを想像するだけでも、数時間はあっという間に過ぎてしまいそうだった。
「そうね。できればこの目で見たいのだけれど、それができないのがもどかしいわ。次に帰ってくるのはいつになるのかしら……」
娘を思う母の気持ちは止まらない。
もしきっかけがあれば、爆発してしまいそうな状態だ。
……もちろんそれはメイドも同じ。
一目でもいいから、仕事に励んでいるロゼの姿を見てみたい。
そして、それを写真に撮ってずっと眺めていたい。
ロゼを子どもの頃から知っているからこそ、その思いはカミラと同レベルに大きかった。
「ロゼお嬢様にコンタクトが取れたらいいのですが……お忙しそうですし、迷惑になるかもしれませんね」
「ロゼが帰ってきてくれるのを待つしかありませんか――」
「カミラ? 何の話をしているんだ?」
「……あら、アリウスさん。ロゼの話をしていましたの」
メイドとカミラのところに。
花の水やりを終えたアリウスが訪れる。
いつものタキシードのような服で、これから舞踏会にでも行きそうな格好だ。
自分たちの会話の内容が気になっているようだが、特にいつもと違った話をしているというわけではない。
ロゼの話ということを伝えると、納得するようにアリウスは頷いた。
「そうかそうか。やっぱりロゼが元気か気になるな」
「はい。何か確認する手立てがあればいいんですけど……直接出向く以外に方法はなさそうです。かなり難しいですが」
「魔王様に連絡は取れないのか?」
「アリウスさん。ロゼがそれだけはやめてくれと言っていたでしょう?」
「ああ……そういえばそうだったかな」
アリウスは頭の中にある記憶を蘇らせる。
……確かにロゼがそんなことを言っていた気がしないでもない。
どうしてダメなのかは分からないが、禁止されている以上やめておく方が賢明だろう。
こんなことでロゼに嫌われるのは御免だ。
「まあ、ロゼは頑張っているのですから、私たちが勝手に心配するのもお門違いかもしれません」
「その通りかと思われます、カミラ様。ロゼお嬢様を信頼して待つのが、私たちにできることかと」
「ふむ。そう言われたらぐうの音も出ないな。ロゼを信頼する――か」
最終的に三人が出した答えは、何もせずに待つというもの。
自分たちがロゼの身を案じて慌てるということは、ロゼの力を信用していないのと同じ意味になる。
実の親がそんな気持ちでいいわけがない。
むしろ、ロゼの邪魔になってしまう。
「それじゃあ朝食を――」
「きゃああああああああああああああぁぁぁ!?」
話がまとまり、朝食の準備をしようとした時。
館のどこかからメイドの悲鳴が聞こえてくる。
一体何が。
三人は顔を見合わせた。
「ど、どうしたのでしょう?」
「さあ。皿を落としたんじゃ――」
ガシャンと。
またもやアリウスの言葉を遮る形で、館の窓ガラスが割れた。
しかも、一枚や二枚ではない。
何枚も何枚も、遂には自分の周りにあるガラスまで割れ始める。
軽い胸騒ぎ。
流石に動かざるを得なかった。
「只事ではなさそうだな……」
「そうですね。確認した方が良さそうです」
「一体誰の仕業だ? 人間か?」
「分かりません……ロゼが帰省した時の吸血鬼狩り以来ですね」
「仕方ない。私が見てくるとしよう」
アリウスは上着を椅子にかけると。
動きやすくなるようにボタンを外す。
戦いになっても問題ないための準備だ。
この挑発するような攻撃は、間違いなく意図的に行われたもの。
ならば退くわけにはいかない。
あえて誘いに乗り、しっかりと敵を倒す。
アリウスは扉に手をかけた。
「城にいる者たちに警戒するよう伝えてくれ」
「かしこまりました」
「行ってくるよ、カミラ」
「ええ。お気をつけて」
アリウスの大きな背中を、カミラはニコニコとした笑顔で送り出す。
彼が行くなら何も心配はない。
数分もすれば全てを片付けて戻ってくるであろう。
予想ではなく、確信に近い何かだ。
そんなカミラに対して。
アリウスは僅かに口角をあげて答えたのだった。




