増援
「お姫様! 大量の魔獣がこのツリーハウスに迫ってきています!」
「分かっています」
「ど、どうなされますか! このままでは大変です! 民たちも多くが犠牲になってしまって――」
「落ち着いてください。大丈夫です。冷静になって」
迫りくる魔獣たちに慌てている従者を、アルシェはゆっくりと落ち着かせる。
想定外の事態に全てのエルフが困惑しているが、アルシェだけは至って冷静なままだった。
自分まで混乱してしまったら、この国は本当に終わりだと分かっているのだろう。
魔獣たちが完全に攻め込んでくるまで数分。
逆に言うと、数分だけならまだ時間はある。
「とにかく民たちを避難させてください。それとリヒトさんにも連絡を」
「か、かしこまりました――が、お姫様は……」
「私は皆さんが逃げる時間を稼ぎたいと思います」
「い、いけません! お姫様を置いて逃げることなど!」
アルシェの言葉に、従者は初めて反論をする。
今までは、アルシェの命令ならどのようなものでも受け入れてきた。
しかし、こればっかりは受け入れることができない。
自分だけでなく、他の従者たちもきっと同じ気持ちだ。
アルシェを置いて逃げるくらいなら、自分もアルシェと共に戦いたい。
たとえ足手まといだと分かっていても、そんなわがままを言ってしまうほどに衝撃的な発言だった。
「大丈夫です。私も隙をついて逃げるつもりですから」
「で、ですが――」
「それに、どうやら敵の狙いは私一人のようです。私が一緒に逃げても、皆さんを巻き込んでしまうだけでしょう」
「い、一体どうしたら……」
「私を信じてください。それだけです」
従者が言い返せないまま数秒。
本当なら泣きついてアルシェを説得したいが、そんなことをしても何も解決しないことは分かっている。
むしろ、自分が粘ってここにいる時点で、アルシェに多大な迷惑をかけているのだ。
アルシェは一秒でも早くエルフたちを逃がしたいはず。
そんな思いを、たかが従者である自分一人の行動で水の泡にしてもいいのか。
答えは当然ノーだ。
ここでアルシェの言うことを聞いてこそ、本当の忠誠だと自分に言い聞かせるしかない。
……それに自分が納得していないとしても、である。
「お姫様……」
「魔獣には気を付けてくださいね。他にも潜んでいるかもしれませんから」
「……分かりました」
従者は元気のない声で返事をすると、すぐにツリーハウスから駆け出した。
自分が無駄にしてしまった数十秒を取り返すため。
そして、アルシェの守ろうとしているエルフたちを守るため。
今の従者にできることは、アルシェを信じてここから離れることしかない。
「……ふぅ。辛い思いをさせてしまいましたね……」
従者が避難している民たちの元へ向かったことを確認すると、アルシェは安心したように胸をなでおろす。
とりあえず、これで最低限の被害で済みそうだ。
先ほどシフィルの腕を吹き飛ばしてから数分。
もうそろそろシフィルが乗り込んできてもおかしくない。
シフィルがどのような能力を持っているのかは不明だが、自分が不利であるということだけは明白だった。
「魔獣たちもどうにかしなくてはいけませんし……かなり厳しい状況ですね」
アルシェは窓から外を見る。
そこには、やはり悲惨な光景が広がっていた。
既に死んでいる者もいれば、ちょうど今殺されている者もいる。
できれば助けてあげたかったが、もう手遅れの状態がほとんどだ。
だからこそ、リリカとミリアを何とか助けられた喜びが大きい。
「《風刃》」
アルシェの攻撃によって、外にいた魔獣が一体だけ死亡する。
しかしそれも焼け石に水。
外の魔獣が一匹減ったところで、状況は有利になるわけでもない。
仕返しにすらなっていないであろう。
「さて――」
「どうもー。従者にお別れは済ませたのかにゃ?」
「ええ。盗み聞きだなんて趣味が悪いですね」
ツリーハウスの窓を蹴り破って。
体を捻りながらシフィルは部屋に侵入した。
外側から爪を引っかけて登ってきていたらしい。
そこまで登りやすい造りではなかったはずだが……シフィルにとっては問題のない壁だったようだ。
「聞くまでもないかもしれませんが、何の御用でしょうか」
「お姫様の首を持ち帰りに来たよ」
「……なるほど。それは抵抗せざるを得ないですね、シフィルさん」
「せいぜい頑張って――あれ? なんで僕の名前知ってるの?」
「リリカたちとのやり取りを聞いていましたから」
「……盗み聞きしてるのはそっちもじゃん」
シフィルは、先ほど言われたことを根に持つかのように言い返す。
それを受けてもなお、アルシェはニコニコと余裕な態度を崩さなかった。
まるで心を見透かされているかのような、そんな視線である。
目の前にはシフィルがおり、ツリーハウスの周りも魔獣に囲まれている状態。
なおかつ、国のエルフたちが多数殺されているというのに、このアルシェの余裕は何なのだろうか。
ビクビクと怯えていればいいものを。
ここまでくると気味が悪い。
「確か南の魔王軍でしたよね?」
「そうだけど、なに?」
「運が悪いと言いますか……相手が悪いと言いますか」
「? どういうことかにゃ?」
「今行っている侵攻は、早急に止めた方がいいですよ。アナタたちのことを思って言っています」
アルシェの忠告。
それは、今すぐに進行を止めろという内容だ。
シフィルはその内容を理解することができない。
これは命乞いのようなものと捉えてもいいのか。
普通に考えたら、死にたくないアルシェが一縷の望みにかけたようなセリフである。
だが、目の前のアルシェの表情は決してそのようなものではなかった。
本気で諭すような表情。
その目は、シフィルたちに同情しているものだ。
「フン、勝手に言ってればいいにゃ。結局お姫様は死ぬから関係ないし」
「フフ、そうかもしれませんね」
「……すぐ笑えないようにしてあげる」
ニコニコとした笑みを崩さないアルシェの胸ぐらを、シフィルはがっしりと掴む。
「外に出る覚悟はある?」
「ええ――」
アルシェの答えを聞く前に。
シフィルは、蹴り破った窓へとアルシェを突き飛ばした。
アルシェはそれに逆らうことなく、窓の外へと羽のように落ちていく。
時が止まったように感じる滞空時間。
そんなアルシェを見つけると、周りにいる魔獣たちは目の色を変えて押し寄せ――。
アルシェに向かって牙をむいた。
「《エアバレット》」
大きく口を開けた魔獣の口に、アルシェは風の弾丸を打ち込む。
自然の力を使った攻撃は、アルシェがもっとも得意とするものだ。
いくら強い魔獣といえども、体内に直接魔法を打ち込まれてしまえば、致命傷は避けられない。
アルシェの魔法は、口内から中に侵入し、やがて硬い皮を突き破って外に出た。
それを受けた魔獣は……当然死に至る。
「あ、僕の魔獣が」
「《ルートウィップ》」
シフィルが困惑している間も、アルシェが攻撃を止めることはない。
地面から出てきた根っこが魔獣を締め付け、体中の骨を即座に砕く。
自然の力強さを表しているかのような強度。
魔獣程度の力では、振りほどくことなど不可能だ。
――それと同時に。
アルシェとシフィルの周りに、魔獣が通れないサイズの柵を作った。
半径十メートル程度。
その中には、当たり前だがアルシェとシフィルしかいない。
周りの魔獣たちは即席の柵を壊そうと暴れているが、ミシミシと音を立てるだけで一切壊れる気配はなかった。
アルシェが基本的に使う技は自然の力を使用したもの。
風を操り、木々を自由に動かす。
これを応用することで、風を弾丸のようにしたり、木の根で即席の柵を作ることができるのだ。
これを知らなければ、初見で対応するのはかなり難しい。
「どういうつもりにゃ?」
「数では絶対に勝てませんから、こうするしかありませんでした」
「ふーん。これなら勝てるってこと?」
「そうですね」
「舐められたものだにゃ」
アルシェの挑発のような行為に、シフィルはチッと舌打ちをする。
一対一なら勝てると踏んでいるらしいが、それは大きな間違いだ。
魔獣を引き連れているが故に、単体なら弱いと思っているのだろうか。
国の姫としてチヤホヤされているだけの存在に、自分が負けるわけがない。
と。
シフィルの闘志に火が付く。
「エアバレッ――」
「遅い」
アルシェが攻撃しようと腕を動かした瞬間。
シフィルは地面を強く蹴って跳ねた。
それも上にではない。
シフィルが飛んだのは横。
柵に着地して、さらにもう一度強く跳ねる。
ギリギリ目で追えるか追えないかのスピードだ。
アルシェの魔法は見事に外れた。
「……これが獣人族のスピードですか」
「こんなもんじゃにゃいよ」
「――っ!」
圧倒的なスピードでアルシェの腕が切りつけられる。
その痛みで初めて攻撃されたことに気付くほど速い。
幸い切断されるほどのダメージではなかったが、このままだともっとマズいことになりそうだ。
血が服に滲む。
アルシェは急所を隠すように構えた。
「エア――」
「当たらないよ!」
「くっ……」
戦い慣れていないアルシェ。
そんな彼女が攻撃をしようとする際には、どうしても隙が生まれてしまう。
シフィルからしたら、それは無防備と言っても過言ではないほどの隙だ。
気の張った戦闘中――シフィルがそれを見逃すわけがない。
無防備な背中を蹴り。
それでまたアルシェが怯む。
怯んだアルシェに対して、さらに加えられる一手。
誰が見ても分かるほどの劣勢だ。
「にゃっはー。どうしたの? こんなものなの、お姫様?」
「……」
さっきまで余裕そうだったアルシェだが、遂に苦痛の表情を浮かべる。
シフィルはその変化を見逃していなかった。
アルシェを煽るかのように投げかける声。
彼女の苦しむ姿がたまらない。
このままずっと、いつまでも見ていられそうだ。
「柵で囲んだのは間違いだったね。急だったから驚いたけど、ここは僕に有利なステージみたいだよ」
「そうかもしれませんね。でも、時間を稼げたからいいんです」
「……はあ?」
「じっくりと私を殺したかったのかもしれませんが、墓穴を掘りましたね」
「さっきからずっと訳の分からないことを」
意味不明な発言を繰り返すアルシェの顔を。
シフィルは思いっきりひっぱたく。
生まれてから一度も傷付けられたことのない顔は、シフィルの手によって赤く腫れた。
「もういいや、満足した。あんまり遅れるとガレウス様に怒られちゃうし」
「そうですか……助かりました。これ以上顔を傷付けられたら、みんなに心配されてしまいます」
「いや、もう死ぬから関係ないでしょ?」
「いいえ、そんなことはありません。流石リヒトさんたち。仕事が早い」
「? いい加減に――」
もう一回アルシェの顔をひっぱたこうとしたところで。
柵の外にいる魔獣の中の一匹が、大きな音を立てて倒れた。
「え? なんで」
シフィルがアルシェから視線を外すと。
それが起点になったかのように、視界の中の魔獣たちがどんどん死んでいく。
血を噴き出して死ぬものもいれば、まるで眠るかのように死ぬものまで。
何が起こっているのか理解できない。
「おい! これはどういうことにゃ!」
「増援です。残念でした」
アルシェはそう言うと。
強固に作られた根の柵を開放する。
だが、魔獣たちが侵入してくることはない。
もう既に全部が動けなくなっているのだから。
「なんで……僕の魔獣たちが」
シフィルは状況を飲み込めずにいた。
さっきまで自分が圧倒的有利だったというのに、一分もしないうちに状況が変わってしまう。
従えていた魔獣はそれなりの力を持っていたはずだが、一匹残らず戦闘不能な状態だ。
ありえない。
いつの間に、どうやってこんな大量の魔獣を攻撃したのか。
その答えは、すぐに分かることになった。
「お姉さま。なんだか敵が多い気がする」
「そうね、イリスちゃん。私もビックリしちゃった」




