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 その日、私は会社の帰りで暗い夜道を歩いていた。

 新卒採用から2年。24歳になったけれど、付き合っている人はおらず、会社に行って帰ってきてゲームして寝るを繰り返しているだけ。

 それでも充実していると個人的には思う。一人暮らしは苦労しないし、特に物欲があるわけではないので貯金もそれなりにある。


 趣味の時間も十分に取れる。

 暗い夜道と言っても、単純に冬だから日が落ちるのが早いだけだ。

 むしろ18時に会社を出られるというのは、待遇が良い方だろう。


 今日もまた、安いアパートに帰って好きに過ごすだけ。

 そう思っていたのに。


――急に目の前が明るくなった。

――すごい勢いで突っ込んでくる車が見えた。

――避けようと足を動かそうと思ったけれど……。


――私は車の速度に勝てなかった。



――痛くはなかった。

――思考もできなかった。

――ただただ、暗くなっていく。

――体の底から冷えていく。


―――……。……。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






――意識が浮上した。

――体が熱い。

――瞼の向こうが明るい。


――苦しい。痛い。


――思考が戻る。


 気が付くと頭が痛かった。熱があるような、そんな感じだ。

 それでも目を開けることはできる。体を動かすこともできる。

 事故に遭って、病院に運ばれた?


 目を開けると、見たことがない人がいた。

 まるで漫画やアニメに出てくるかのような美人。真っ赤な髪の毛が創作感をさらに引き出している。

 だけれど、とても自然で、とてもリアル。

 まつげが長くて、肌がつるつるで、瞳が緑がかっている。年齢はどれくらいだろうか。大学生くらいにも見えるけれど、もう少し若い気もする。


 その人が私と目を合わせたとき「リューディア、目が覚めたのね」と喜んだ。

 聞き覚えのある名前、真っ赤な髪と緑の瞳。


 記憶を探り思い当たる節に行きついた時、私の体力は限界を迎えた。





 リューディア。リューディア・リンドロース侯爵令嬢。

 赤髪で緑の瞳の彼女はとある乙女ゲームの悪役キャラ。いわゆる悪役令嬢というやつだ。

 細かい設定は忘れてしまったけれど、攻略キャラであるヒュヴィリア王国第二王子アルベルトと婚約をしているライバルキャラ。

 アルベルトに付きまとうヒロインを疎ましく思い、虐めるようになり、最終的には暗殺しようと画策した。

 しかしヒーローであるアルベルトに間一髪のところでヒロインは助けられ、リューディアが企んだものだという証拠を手に入れる。


 そして卒業式のパーティでアルベルトに断罪され、リューディアは処刑。リンドロース家は没落することになる。


 これがアルベルトルートのハッピーエンド。

 他にもいくつかルートはあるけれど、リューディアが関わるのはこれくらいだ。


 バッドエンドはどうなったか覚えていない。

 好んでバッドエンドに行く趣味はなかったから、見たことがないかもしれない。

 ゲームは好きでもやりこむことはしていないから。


 それは()()()()()


 では私は誰? 日本に住んでいた24歳の一般会社員のはず。

 だけれど目が覚めた時に見えたのは、明らかに日本人離れをした女性。

 ドッキリか何かだろうか、と思いたいけれど、それはない。

 だって私にドッキリを仕掛ける意味がない。


 それに……それに……?

 そうだ、私は事故に遭ったのだ。

 歩道を歩いていたら、車が突っ込んできた。

 それを避けた記憶はない。目の前に迫る車の記憶はある。


 痛みはなかったけれど、暗くなっていった。冷えていった。


「きゃあああぁぁぁぁ」


 怖い、怖い、怖い。暗くなっていくのが、体が冷えていくのが怖い。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。


 だってあれは死の感覚。思い出したくなかった。忘れていたかった。

 死ぬときはなにも感じなかったのに、どうして、どうして。





 私が無意識に叫んでしまったせいで、家の中が慌ただしかったらしいのだけれど、それは全然気が付かなかった。

 だけれど、少しだけ落ち着くことができた。

 私は一度死んだ。それは間違いない。


 それでたぶん、乙女ゲームの世界に生き返った。

 いやこの言い方は正しくない。


 私は死んでリューディアに入り込んだ。

 追い出して入り込んだ……とは思いたくないけれど、少なくとも現状リューディアと思しき存在を私の中に確認できない。


 そして私がリューディアだったという記憶もない。

 生まれ変わりという線はないと言っていいだろう。

 だからやっぱり、リューディアは私が入り込む前に死んでしまったのだと思う。

 そして空いた身体にどういうわけか、私が入り込んだ。


 思いたくないけれど、ないと思いたいけれど、私が入り込んだせいでリューディアが死んだ可能性もある。

 チラッと見えたリューディアの身体はまだ小さかった。つまり私は幼いリューディアを殺してしまったかもしれない。そうではないかもしれない。


 ただ結論として、リューディアが消えて、私が居場所を手に入れた。


 生き返ったと、喜ぶことはできない。


 リューディアの居場所を奪い、それに成り代わることは私にはできない。

 心を決めないといけないか。

 すべてを話そう。私がこの家の子ではないことを。そして本来居るはずのこの家の子がどうなったのかを。

 私はリューディアではない。リューディアにはなれない。

 今の私はリューディアに似ているだけの、別人でしかない。


 例えリューディアが悪役令嬢になり、悪の限りを尽くすのだとしても、私が横から奪い取っていいものではない。

 周りのためと言い訳して、リューディアが改心したふりをするわけにはいかない。

 仮に話して殺されることになったとしても、私はすでに死んだはずなのだから。


 そう思わなければ、怖くて何もできそうもない。

 はぁ……我ながらなんて不器用なのだろうか。





 ゆっくりと目を開ける。

 あれからどれくらい経ったのかわからないけれど、前に見た女性は居なくなっていた。

 代わりにメイド服を着た女性が居て、私の様子に気が付くと、驚いたように目を丸くする。


「落ち着いてください。そして静かにしてください」


 病気の子供が目を覚ました、となれば騒ぎながら両親を呼んでくる可能性がある。

 だから先手を打って、落ち着いてもらうことにした。

 そうしたら別方向の驚きが返ってきたけれど、たぶん話し方がリューディアとは違うのだろう。

 少なくとも、子供が言うことではないと思う。舌足らずで話しにくかったけれど。


「お嬢様。お目覚めになられたんですね」

「……そうですね。ですが、自分の身体のことです。これが一時的な事だとはわかります。

 ですから、どうかお父様だけを呼んできてくれませんか? 大事な話があるのです。

 きっとお母様が聞けば、心労を与えてしまうでしょうから」


 ぬか喜びをさせてはいけない。

 真実を話したときに、落胆させてしまうから。

 きっと判断力が鈍るから。


 メイドは「分かりました」と神妙な顔をして、部屋を出ていった。

 メイドが見えなくなってから、自分の頭の中でリンドロース侯爵が来てからのシミュレーションをする。

 話す内容、順番、想定される質問等々、出来る限り考えておく。

 そうでもしないと、緊張で何も話せなくなるかもしれないから。


 しばらくして、コツ……コツ……と重たい足取りが聞こえてきた。

 あのメイドはちゃんと話してきてくれたらしい。

 ゆっくりとドアが開かれて、姿を見せたのは美丈夫だった。


 背が高く、茶色の髪はきちんとセットされている。

 目つきはやや鋭く、青い瞳が私を心配するかのように揺らいでいた。

 年齢のほどは分からないけれど、子どもっぽさはなく、大人の男性としての魅力にあふれている。


「リューディア。体調は大丈夫なのかい?」

「はい。私が言う資格はありませんが、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」


 頭を下げると、リンドロース侯爵――リューディアの父が、一瞬だけ驚いたような顔をする。

 それなのにすぐに表情が消えたのは、貴族という奴だからだろう。

 日本で生きてきた私が、貴族のなんたるかを語るなんておかしな話だけれど。


「はじめましてリンドロース侯爵閣下。私はこの少女の体を借りる者でございます」

「何を言っている?」


 面食らったように驚いた後、リンドロース侯爵は眉を潜めた。


「言葉通りの意味です。私はこの少女ではありません。

 私はこの家の子ではありません」

「ふざけているわけではないのだな?」

「私には分かりませんが、この少女はこのようにふざけられる子だったのでしょうか?」


 私が問えば、リンドロース侯爵はギリっと奥歯を噛む。

 きっとこれで彼は、私が異質なものであると正しく理解しただろう。


「娘はどうした?」


 底冷えする侯爵の声に体が震えそうになるけれど、それでも毅然とした態度で侯爵に応えなければ。

 射殺さんばかりの目から逃げるように一度目を瞑り、深呼吸をする。


「そのことについて、お話をしようと思いお呼びいたしました。

 結論から話すと、私に分かるのはお嬢様が既に居ないことだけです」


 侯爵が両手を握りしめ、一瞬こちらに近づいてこようとしたけれど、踏みとどまる。

 リューディアはこんなにも愛されていたのか。


「私はただこの体に入り込んだ存在なので、状況は分かりません。

 ですが、お嬢様は命に関わるほどの病気になった。そしてその病気で亡くなられた。そこに私が入り込んだ。

 もしくは、病気で弱っていたせいで、私が入り込む余地が出来てしまった。そう言うことだと思われます」

「つまりお前がいなければ、リューディアは生きていたかもしれないと」

「おっしゃるとおりです。ですので選んでください。今ここで私を殺してお嬢様は病気で亡くなったとするか、私を育てるのか」


 私が言うが早いか、侯爵はリューディア()の首をその両手で押さえ込んだ。

 痛くて痛くて、どうにかなりそうなのに、どんどん苦しくなってくる。


 死が近づいてくる。私が死んだときにはたぶん、痛みを感じるまもなく死んだのだと思う。それでも思い出せば恐怖しかない。

 今回は加えて痛みも苦しみもある。


 怖くて、痛くて、苦しくて……早く終わってほしい、そう思っていたら急に首の圧迫が消えた。

 咳をするように酸素を吸い、徐々に深くゆったりとした呼吸に変えていったところで、落ち着いた。


 見れば沈痛な顔をした侯爵がジッと私を見ている。

 見た目だけで言えば、私はリューディアと変わりない。

 だから躊躇ってしまったのかもしれない。


「私を生かしておくと、いずれ侯爵家が没落する可能性があります。

 今すぐにとは言いませんが、じっくりとでかまいませんが、できれば早めに結論をお出しください。その間、私は人形のように過ごさせていただきます」


 脳内でいろいろシミュレートしていたパターンから、今にあったものを選び出し言葉にする。

 急に娘が得体の知らないものになったのだから、私の扱いについて時間をかけて考えるだろうことは分かるけれど、人形のように過ごすにも限界はある。主に私の精神的に。だから出来るだけ急いでほしいとは思う。


 侯爵は眉間にしわを寄せ、私を見下ろした。


「ここにいるのはお前の意思か?」

「いいえ。気が付いたらお嬢様の中にいました」

「お前は何処から来た?」

「こことは違う世界から。その世界で私は死んだはずでした」


 それだけのやりとりをして、侯爵は部屋を出ていった。

 ほっとした私はそのままベッドに倒れることにした。

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