ガトーショコラの味
菜須よつ葉さまの「よつ葉お正月企画」参加作品 かつ「柳川くんと立花さん」第三弾です。
でも、ストーリー的には、一話完結なのでご安心くださいね。
ギャグとして、地の文をあえて読みにくい仕様にしておりますが、ご容赦ください。
ま、そこまで長いものでもないのでね。
それと、小津安二郎監督の映画『秋刀魚の味』とタイトルが似ていないこともないですがね、内容的には特に関係ないので。
燃えたつ炎。
それは、かちかちと音を立てながら、静かな熱で、眠気を誘う。ゆらゆら揺れるオレンジ色の光は、周りの空気を震えさせ、止まることなく形を変え続けている。炎も空気も、そうして自分自身も、すべてが溶け合って、境目がなくなっていく。ーー
ごおーん……、ごおーん……、ごおーん……
***
「おい柳川、正月だ」
「なんだ、立花さんか」
「なんだとはなんだ、おめでたい奴め」
ああ、そうですね、年に一度の神聖なるイベントの最中に、この人から突然のメッセージを受信してスマホが震え出し、せっかくのムードが台無しにならないように、事前にスマホをサイレントモードに設定しておかなかった迂闊者の自分は、まぎれもなく言い訳もきかない「おめでたい奴」でしたね。そんなことを考えながら、柳川くんは口を尖らせて、メッセージのやり取りを続ける。
「あけましておめでとう」
「お前もな、柳川」
「ちょっと違うと思う、その返し」
「いやあ、待ったよ。年明けからしばらくしないと、回線に負荷をかけるってテレビで言ってたから」
時刻を見ると、零時四十五分。我ながら長い間、炎と溶け合っていたんだなあ……と、柳川くんは感慨に浸る。そうして、立花さんにしては、長いこと我慢したんだなあ……と。
「ってことで、寝るな」
「え?」
「昼ごろ家に来い。遅れたら、人間クリキントンの刑だ」
「え、あの……」
「え、あの……」という最後のメッセージには、既読がつかない。画面の奥から、やかましくもどこか愛おしいような、そんな気はするけれどもやっぱり本当はやかましいだけだろうとも思い直せるような、なんともいえない響きのイビキが聴こえてきそうな気がして、柳川くんは、「やれやれ」と声に出して言い、「人間クリキントンの刑」というわけのわからないワードを念のために調べてみて、やっぱり検索結果が出ないことにまた「やれやれ」と言ってため息を吐いて、ひとまず家に帰って布団をかぶった。……というかまず、「昼ごろ」って何時だよ。
***
昼ごろ。正確には十一時四十分過ぎ。
もっと正確にいうと、十一時四十三分二十……と言おうとすると、今度は逆に、細かすぎて正確性に対する信憑性に疑問が生じるな、などと思いながら、柳川くんは立花さんの家へ「お邪魔します」と言って入っていった。
「おい柳川、お前が遅刻してくるのを待ちくたびれていたぞ。だが残念なことに、お前は昼ごろに間に合った。おかげで私は、来ることのない『遅刻したお前』を朝の八時三十分三十五秒五五から無駄な時間を過ごしながら待っていたわけだ、どうしてくれよう」
知るかよ、と思いながら、柳川くんは立花さんの部屋を眺めまわす。へえ、部屋へ上がったのは初めてだけど、意外と整理整頓された、年相応の女の子らしい部屋で暮らしているんだなあ、などと思いながら、いつも川沿いの柳の木に寄りかかるときと同じような感じで、白い壁紙の貼られた美しい壁に身をもたせかける。
「相変わらずのかっこつけだな、あんた。だけどあたしは見抜いている。あんたが他ならぬあたしの部屋に見惚れていると言うことをな。しかしだ柳川、驚くのはまだ早い。出でよっ、ガトーショコラっ」
立花さんの演出だろうか、この言葉を合図に、部屋の扉がパコーンと開き、いつぞやのラジコンヘリのイケメンくんが均整のとれたガトーショコラを持って入ってきたのだけれど、それを見て、まさか立花さんがこんなお上品なものをこしらえられるはずがない、と柳川くんが疑っていると、そのお茶目な少年の疑心を見抜いたのだろうか、立花さんは彼をきっと睨みつけてこう言った。「おい、あんまりあたしをナメてると、体育館裏で紅白ナマスの刑だぞ」
「え……」
まあ、寄ってたかって人をボコボコにする、という意味の「ナマスに刻む」という言葉もあるから、紅白ナマスの刑というのはあながちわけのわからない言葉でもないかもしれない。少なくとも、「人間クリキントンの刑」よりはわかりやすい。ただ、強いて文句をつけるのならば、紅白、という部分が気にならないこともない。柳川くんがボケーっとした締まりのない顔をしてそんなことを考えているうちに、早くもガトーショコラはナマスに……ではなく、三等分に切り分けられ、イケメンくんは「じゃあ、ごゆっくり」と言って自分の分の皿を片手に持ってもう片方の手で器用に部屋のドアを閉めて出ていった。
いつだったか、立花さんは柳川くんのヘンテコな服装を見て、「なんだ、そのエプロン。へったくそなガトーショコラでも作ってたのか」と言ったことがあるのだけれど、これは柳川くんの「へったくそなガトーショコラも作れない立花さんには言われたくないね」というツンツンとした小生意気な返事を期待してのものだった。もちろんその後に、「言ったな、この野郎。ようし、そこまで言うんなら作ってやるよ、完璧なるガトーショコラをな。今に見てろよ、小僧」と続けるつもりだったのだけれど、柳川くんは思い通りの返答をしてくれず、代わりにこんなことを言ったのだった。「エプロンじゃないよ、これ。ソトイキの服だよ」
その後、立花さんと柳川くんは喫茶店でのちょっとしたデートをしたことがあるのだけれど、そのときに柳川くんが注文したのがよりにもよってガトーショコラで、よりにもよって、「こんなに美味しいガトーショコラを初めて食べたよ」なんて言うものだから、立花さんは「くそう、こうなったら何がなんでもこやつが認める世界一のガトーショコラを開発し、こやつの味覚を完全に支配して、二度とこの喫茶店に立ち寄れないようにしてやる」という決意のこもった目で、すみれ色のエプロンをつけたその店のアルバイトらしいウエイトレスを睨みつけて帰ったのであった。
いや、待て待て。見た目は完璧かもしれないけれど、肝心なのは味じゃあないか。そうだよ、僕は見た目にだまされるような男じゃない。仮にそうだとしたら、僕はもう、とっくのとうに目の前の女性の美貌の虜になってしまっているはずじゃあないか。柳川くんはそうやって、自分でもツッコミを入れたくなるような理屈を自分に言い聞かせて、目の前の信じられないほど美味しそうな見た目のガトーショコラを睨みつけた。
「何を警戒している。あたしは明智光秀じゃない。もてなしの料理に腐った魚の骨なんぞ入れんわ」
これはまず、どこからつっこめばいいのだろうか。立花さんは歴史上の人物をなんだと思っているのだ、とでもつっこむべきか、それとも、わしゃ徳川じゃないわい、とでもいうべきか。いや、それだとこのネタに乗っかってしまうことになるわけだから……、などと柳川くんが考えていると、なんだこやつとしびれを切らした立花さんは、柳川くんの皿に載ったガトーショコラをフォークで切り分け、大雑把ではあるけれども一応ひと口サイズといえるくらいの大きさになったそれを彼の口へと運び、半ば強引に奥まで突っ込んだ。
「必殺、ショコラこうげきっ」
「あがががが……」
「どうだ、もう沢山か」
「うが、う……? もぐもぐ……」
「沢山でなければまだ食わせてやる」
「が……なんと……」
「貴様は甘味好きだから、こうやって糖質のカタマリを食わせるんだ。これに懲りて、今後は血糖値を気にするがいい。痩せ型だから大丈夫だって弁明しても、現代の医学とオトメの心は許さんぞ」
「……まだたくさんじゃない」
どきっ。
「もっと……」
どきどきっ……。
「最高だよ。だから……」
どきどきどきっ……。
「もっとやってよ、『坊っちゃん』のパロディ」
(うっ、こやつ……、「まあ、正月だから許してやる。思う存分食えばいいさ」と爽やかな笑顔で返してやるつもりが……。調子に乗って漱石のパロディを持ち出したのが運の尽きか……)
と、立花さんは悔しさのため、顔を真っ赤に染めて……、かすれそうな声でこう訊いた。
「ケーキのお味は……?」
(か、かわいい……。でも、今は見た目を褒めているときじゃあないんだった。)
柳川くんは、目の前の女性をしっかりと見つめて……
「こんなに美味しいガトーショコラ、他にないよ」
ちなみに、このやり取りをドアの向こうで盗み聞きしていた、柳川くんをはるかに超えるイケメンの持ち主である小学生の少年は、ふうっと胸をなでおろしてから、中の二人に聞こえないように、こうつぶやいていた。
「これで無事、姉ちゃんからちゃんとした指導料がもらえるぞ」
誰も見ていないというのになぜかウインクをするイケメンくんの右手には、いつの間に持ってきたのだろうか、また、なんのために持ってきたのだろうか、彼の愛用の泡立て器が、しっかりと握られていた。
さて、いかがでしたでしょうか。
ちなみに、「柳川くんと立花さん」の第一弾は、たこすさまに差し上げてしまったので、たこすさまのほうで公開されているのです。以下にその投稿作品へのリンクを貼りますので、ご興味あればどうぞお飛びください(サブタイトルに「檸檬 絵郎」と載っている回のみ、私の書いたものです)。
第二弾は普通に、私のほうのシリーズから飛べます。
……あ、キーワードに入れた「よつ葉様笑顔になる会」というのはですね、企画名ではないです。私が勝手に入れました。よつ葉さまは、こんなもんじゃあ笑いません。企画主よつ葉さまの笑顔を見られるかどうかは、あなたの投稿次第ですよ^^