4 本日のお仕事は買い出しです
「さぁ、今日も楽しい買い出しだ。楽しんでいこうぜぇ」
「ぜんっぜん、楽しめないよぉだ」
俺が両腕を天高く突き上げると、代わりにラミエラが両腕をだらっと垂れ下げた。
本日のお仕事は宿舎食堂のおばちゃんからのおつかいである。
宿舎の飯は全て食堂のおばちゃんが作ってくれるが、たまに月ごとに仕入している食料が足りなくなった時、その買い出しの仕事が見習い兵の末端、つまりは俺たちに回って来るのだ。
そんな訳で、六百人中六百位の俺と六百人中五百九十二位のラミエラは、訓練の合間を縫って、こうして市場に出向いているのだった。
「楽しくないなら、何でついて来たんだよ。元々は俺一人に与えられた任務だろうが」
「任務なんて、そんな大層な言い方しなくていいの。さっさと行きましょ」
「いやだから何でついて来たんだ」
「そんなことは別にいいじゃない。ストラが朝早くに出かけていくからちょっと気になっただけよ」
通りのど真ん中でいがみ合う見習い二人を、周囲の誰も気に止めようとはしない。そんな小さないざこざは活気溢れる市場の喧騒に掻き消されてしまうからだ。通りには水産物を売る店と青果物を売る店がごちゃ混ぜに立ち並んでおり、色とりどりの品を一度に目にすることが出来る。
小型の荷車を押しながら宿舎から徒歩一時間の道程を三十分で駆け抜け、市場に到着したのは太陽が東の空に高く上った頃だった。荷車の中ではラミエラがすやすやと寝息を立てており、到着と同時に荷車からラミエラを優しく落とした。
「今でも頭が痛い。あんな乱暴に下ろさなくたっていいのに」
「いつまでも寝てるからだろうが、俺がどれだけしんどい思いをしたと思う」
「全ては強くなるためでしょ」
市場を練り歩き、買い物リストに掛かれた品を順に荷車へ乗せていく。毎度のことながら食堂のおばちゃんから手渡された金額が購入品の合計金額に対して明らかに不足していたが、その点は自分で値切って買って来いとの暗黙の了解なのだった。
「キャベツ十玉に玉ねぎ三十個、魚が十匹に、ネギが三十本、それからそれから……」
荷車はあっという間にいっぱいになり、全ての品を買い終えた俺たちは市場中央の円形の大きな広場で一息ついていた。
「これでリストの品は全部買えたな。少し休憩したら宿舎に戻るか」
「そうだね。意外と早く済んだ」
市場の建物の高さはどれも低いため、広場のベンチからは遥か東の丘の上に立つオリガナ城を望むことが出来た。
オリガナ城はこのオリガナ王国の象徴的な建築物であり、この国を治める王族の住まいでもある。オリガナ城を起点として広がる都市が王都オーリフェルであり、俺自身も都合三度ほど王都に入ったことがある。
王都には上流階級、いわゆる貴族たちの住居も立ち並んでいるため、王都の中には一般人の進入が禁止されている地域も一部存在している。オリガナ城の建つ場所もそれらの地域に属しており、一般人からすれば何とも縁遠い場所なのであった。
「もうすぐ建国三百年祭だね」
「第二次魔王大戦の終戦から初めての建国祭だ。街の人達もみんな張り切ってる」
「これまでで一番盛大な祭りになるだろうって、リトリル先生も言ってた」
第二次魔王大戦。
その言葉を口にするたびに、悍ましい何かが胸の中をかき乱す。
およそ十余年続いた人間界と魔界の全面戦争は、勇者アスタ=クレイエルが魔王デグロニアを打ち倒したことで終戦を迎えた。長きに渡る戦争は人間界全土に大きな爪痕を残し、多くの人々がその犠牲となった。
戦争を終えた時、オリガナ王国国王ディベルグス=オリガナティーは民に向けてこう言った。
『我々は戦争の果てに失った数多の犠牲の上に立ち、この先の世界を生きていかねばならない。我々が前を向き、立ち向かっていかねば地に眠る者たちのためにも示しがつくまい。悲しみに暮れる日々も当然来よう。しかしその先待つのは、人々が笑顔で居られる場所でなければならぬ。失った者たちを決して忘れるな。その上で今いる者たちで手を取り合い、次を見据えるのだ。この国を、この世界を、平和へと導くために』
ランゼンビル広場で語られたその言葉を、オリガナ全ての国民が胸に深く刻み込んだ。
戦争の先にある平和な日々の中で人々が笑って過ごしている。その光景が最も大切なものなのだと。
「今回の建国三百年祭は見習い兵の私たちも警備の方に回されるんだよね」
「もう警備配置の通達も来てたろ」
「うん、見たよ。私はちょうどこの辺りの警備になってた」
「俺もここから少し行った場所だ」
「見習い兵だから王都周辺にはさすがに配置されないね」
「そうでもないさ。ファナは王都の警備を担当することになってる」
「さすが一位は違うね」
「俺だって直ぐに追い付いてやるさ」
「俺じゃなくて俺たちね。私を仲間外れにしないで。とはいったものの、その差は開くばかり、だけど」
ラミエラはそう言うと、大きくため息を吐いた。
「そういえば前から気になってたんだが、どうしてラミエラは兵士になろうと思ったんだ? 親も心配してるって言ってたし、兵士にならなくても普通の生活だって送れたはずだろう」
「どうしてって、それは教えて・あ・げ・な・い。ストラこそどうして兵士になろうと思ったの。前々から聞こうとは思ってたんだけど」
「俺は単純さ。ただ強くなりたかったんだよ。家族を失い、己の無力さを痛感したからな。これ以上身の回りの誰かを失いたくはないから」
「ごめん、私、変な事聞いちゃったかな」
「隠すことでもないから別にいいよ。ようはどんな相手にも負けないくらい強くなりたいってだけだから。単純だろ。現実はそう甘くはないがな」
「強くなれるかな、私たち」
「なるしかねぇよ。なれなきゃ失うだけだ。あの時みたいに……」
俺はそれ以上何も言わなかった。
頭に浮かぶ情景にぐっと歯を噛み締め、動揺を隠すためにベンチから立ち上がる。荷車の取っ手を掴み、宿舎の方角へと向きを変えようとしたところで、視界の端にある人物を捉えた。
「あれって……」
「ん、なに」
少し遅れてラミエラもその人影に気が付く。ラミエラは先にその人物を追いかけ、俺は荷車を引きながら後を追った。
「リトリルせんせぇ~」
ラミエラが呼ぶと、前方で一人の男が立ち止まり振り返った。寝ぐせでぼさぼさの深緑の髪と大きい丸メガネをしたシルエットは、まさしく俺たちの担当教官であるリトリル=トレイダー先生だった。
リトリル先生は俺たちに気が付くと驚いた表情を見せた。
「リトリル先生、こんにちは」
「こんにちは」
優しく微笑むと、リトリル先生は小さく頭を下げた。遅れて到着した俺とも挨拶を交わすと、リトリル先生は歩き出した。釣られて俺たちも歩き出す。
「先生が、どうしてこんなところに」
ラミエラが質問する。
「君たちこそどうして」
「私たち、食堂のおばちゃんにおつかいを頼まれたんです。足りない分の食料を買ってきてくれって、これです」
荷車を指差しながら説明すると、リトリル先生は、なるほど、と頷いた。
「おつかいか、それは奇遇だね。僕も同じくおつかいでここに来たんだよ。ある人からあるものを持ってくるように言われてね。こうして市場まで出てきたわけだ」
「先生がおつかいをしてるなんて驚きです」
「まぁまぁ、僕も一応君たちの知らないところで働いているんだよ。教官以外にもやることはいっぱいあるから」
へぇ、と、ラミエラは分かったような分かっていないような返事をした。
リトリル先生はそんなラミエラを見て笑い、次に俺の方を見た。
「おつかいご苦労様」
「ご苦労って程の仕事ではないです。ただの下働き」
「そんな言い方をする必要はないでしょう。君たちのおかげで他の子たちもたらふくご飯を食べられるわけだからね」
「だけど」
「どんなことであれ、自分に与えられた仕事を熟せない人は上には上がれないよ。強くなりたいという気持ちだけじゃ強くはなれない。どんなことでも真剣に、だ」
「でもこれが強さに繋がるとは思えません」
「そんなことはないだろう。そうやって荷車を押すこともトレーニングの一環だ。ようは考え方次第だよ」
はぐらかすようにリトリル先生は笑って見せた。彼について通りを歩いていると、気が付けば先程の市場の方まで戻って来ていた。人の数は少し減った気もするが、賑わいはまだ止んではいない。
「強盗だ。誰かそいつを捕まえてくれぇ!」
突然の叫び声に俺たちは右の方向へ振り向いた。通りの先で通行人を押し倒しながら逃げる男とそれを追いかける商店の店主が見えた。逃げる男は人並みを掻き分け、その度に悲鳴が聞こえる。
男は向きを変え、こちらの方へと走って来る。俺は荷車を下ろし、リトリル先生とラミエラの前に立った。
「俺が止めます」
「任せるよ」
リトリル先生の言葉に俺は頷いた。
しかし、男がこちらまで辿り着くより先に店主が逃げる男の服を掴み、二人は互いに絡まり合いながらバランスを崩し、通りを転がって行った。
先に立ち上がったのは、逃げる男の方だった。その手には小さな袋が握られ、袋の中からは貨幣が擦れ合うような音が響いている。
男は焦ったような顔つきでポケットからナイフを取り出し、相手を威嚇するようにそれを振り回した。店主は立ち上がると、相手の様子を伺いながら少しずつ距離を詰めていく。その度に強盗犯である男は奇声を上げ、人の行き交う街中で鋭利な刃物を振り回す。
その時、強盗犯の男がある方向を見た。
そこには新鮮な野菜が並べられた八百屋があり、店のおやじさんと可愛い孫娘が店先で震えながら立っていた。強盗犯の男は歪んだ歯を見せながら、ニヤニヤとしたまま八百屋の方へと歩み寄っていく。
八百屋のおやじが孫娘の前に立ち、両腕を開いた。
「まずいっ!」
叫ぶと同時に俺とリトリル先生は走り出した。
まだ強盗犯の男との距離は遠く、男がナイフを振り下ろす光景を俺は間近で目撃することとなった。孫娘の盾となった八百屋のおやじさんが切り付けられ、唸り声を上げながら路上に倒れ込む。
続いて、孫娘が強盗犯の手に絡めとられ、まさしく人質としてその首にナイフを突きつけられた。
その場にいた全員が息を呑んだ。
恐怖のあまり、少女は涙を流し、小さな声で、お母さん、と囁く。
「全員動くんじゃねぇ」
強盗犯の男が声を張り上げ、周囲の者たちは一斉に動きを止める。
辺りが静まり返った。
「それでいい。そのままじっとしていろよ。ん、なんだあいつは止まれってのが聞こえねぇのか」
ただ、その空間の中で俺一人だけが動きを止めず、全速力で強盗犯の方へと走っていた。
「そのまま行きなさいっ!」
背後からリトリル先生の声が聞こえる。俺は迷わず突っ走った。強盗犯は血相を変え、周囲に向けて突き出していたナイフを再び少女の首元へと運ぼうとする。その時、俺の後方から小さな石のつぶてが凄まじい速度で飛んできたかと思うと、そのままナイフを握る強盗犯の手を捕え、その衝撃で強盗犯のナイフが宙に飛んだ。
「な、なにっ、おい待て止まれっていってんぶっ」
俺は右拳を振り抜き、強盗犯の顔面を思い切り殴りつけた。強盗犯は弾き飛ばされ、その腕の中から少女が解放される。俺は少女を受け止め、強盗犯を睨み付けた。
その瞬間、俺の瞳にかつての憎き男の姿と強盗犯の姿が重なった。少女をその場に下ろすと、俺は強盗犯に近づき、胸倉を掴んだ。そこから更に殴打を繰り返し、リトリル先生に手首を掴まれて我に返った時には強盗犯の顔は真っ赤に腫れて血みどろになっていた。
「やり過ぎだよ。手を下ろしなさい」
「………」
言葉が出てこなかった。激情に駆られた行為は悲惨な光景しか生まない。
俺とリトリル先生が助けたはずの少女の方を見ると、その顔は恐怖に色付き、まるで化け物を見るような眼で俺を見ていた。
「その男は僕が連れていくよ。君たちは食材を持って宿舎に帰りなさい。ストラ、その手は宿舎に着くまでにちゃんと洗っておくんだよ」
赤黒く汚れた手。
それが自分の手だと気付いた時、俺は酷い後悔の念を抱いた。
リトリル先生と別れ、俺たちは宿舎へと向かった。途中、八百屋でりんごを二つ買い、一つをラミエラに渡した。
「迷惑をかけてすまなかったな。そのなんていうか、お詫びの印に」
「詫びる相手が間違ってるよ。私に謝るくらいならあの女の子に謝ってよ。とは言っても、今言った所で怖がられるだけだろうけど」
ラミエラはそこから宿舎に到着するまで一言も話さなかった。俺も口を開くことはなかった。食堂のおばちゃんに頼まれた品を渡し、おつかいを終えた俺はラミエラと別れた後で医務室へと向かった。
八人部屋の一番奥のベッドでルームメイトが横になっている。
「調子はどうだ」
「今日いっぱいは寝てろってさ。顎にあざが出来たくらいで大袈裟なんだよ」
「ほら、手土産だ」
そう言って、俺は残り一つのリンゴをブートに投げた。ブートはそれを片手で受け取り、ベッドの上でむしゃむしゃと食べ始めた。
「ありがとよ。ちょうど小腹が減ってたところだ」
「そりゃよかった」
「いつもの買い出しか」
「まぁな」
「それにしては浮かない様子だな。何かあったのか」
急な追究に俺は息を呑んだ。少し呼吸を落ち着けてから俺は何事もなかったように表情を取り繕った。
「大したことじゃない」
「そうか、ならいいが、何かありゃあ何時でも言えよ。少しくらいなら聞いてやる」
「少しくらいかよ」
「へっ、男の悩みを聞く趣味はねぇからな」
西の空に夕日が輝き、窓から見える茜色の空を俺は静かに眺めていた。
「ところで我が盟友よ。先日、ある筋から大変貴重な品を手に入れたのだが」
「病院だ。自重しろ」
「ふふふ、この訓練学校きってのアイドル的存在。特任教官オルレン=パーシブン先生にまつわる品だと言ったら……」
「………コホン、まずは現物を確認させてもらおう。話はそれからだ」




