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11 その背中に俺は


 熱い、燃えるように暑い。

 本当に体に火が付いたんじゃないかと錯覚するほどに、肌が、喉が、焼けている。

 背中に感じる土の冷たさが唯一の救い。

 けれどそれも、やがて劫火に飲み込まれてしまうのだろう。

 

「ストラ、起きてストラ」


 耳に響く優しい声。肩を揺すられ、俺は細く瞼を開けた。目と鼻の先にファナの顔。俺はすぐさま飛び起きた。


「うわっ」


 余りにビックリし過ぎて、咄嗟に身を引いてしまう。おまけに変な声まで上げて、いつも俺じゃないみたい。


(今ので、嫌われたらどうしよう……)


 そんな事しか頭に浮かばなかった。

それでもすぐに周りの景色と自分の置かれた状況に気が付いた。それほどに凄惨で緊迫した事態が巻き起こっていた。


「良かった。目を覚まして」

「これは、いったい……」


 火の手は既に村中に広がっていた一見残らず、炎に飲まれ、森の木々も凄まじい速度で侵食されている。


「何があったんだ」

「ゴーレムが村まで来て。村の皆が……」


 ファナの瞳に涙が溜まっていた。


「戦おうとした人もやられて、私怖くて……それで逃げて、でもみんなが、叫んで、私、戻ろうとしたけど、ゴーレムが、タクさんも…………」

「……分かった。もう話さなくていい」


 俺はファナの体を引き寄せた。頭に手を乗せ、震えが止まるまで俺たちは寄り添い合った。

 空気の熱はなおも温度を上げている。

 ここも時間の問題だ。見る影もないが、恐らくここは広場だろう、と俺は思った。これだけ広くて何もない場所は村では村長宅前の広場だけだ。


「俺はどうしてここに」


 独り言のつもりだったが、ファナがそっと顔を上げた。


「私が戻った時、ここで倒れてるストラを見つけたの」

「他には誰もいなかったのか」

「わかんないけど、たぶん……」


 曖昧な記憶を思い出そうとしても、浮かぶのは切れ切れの断片だけ。

 ただ一つはっきりと覚えているのは、家の中で目撃したあの光景。

 一度として忘れた日はない。

 それほどに、今も深く濃く俺の心に焼き付いている。


「分かった。とにかくここから離れないと」


 俺は首を振って、気持ちを切り替える。

 ボロボロの体は、それでも立ち上がって歩くくらいの力は残っていた。お互いに肩を預けながら一歩ずつ進んでいく。もう空は深い青色に染まっているのに、地上の景色は真っ赤なままだ。


「ストラ、前っ!」


 掠れた声でファナが叫ぶ。

 建物を破壊しながら歩く巨大な怪物。本来であれば、神の守護を使命とする十本柱の一角。


「あれが、ゴーレム……」


 およそ人間が相手に出来る存在ではない。

 戦うとか、そういう話にもならない。

 あれを前に、人に何ができるという。

 神のために他を蹂躙する。

 それだけのために生まれた存在。

 今、目の前に立つそれを、俺たちはただ黙って見ていることしか出来なかった。

 次の瞬間には五体が消し飛ぶ。確実な死が待っている。

 黄色く光る瞳のような二つの丸がこちらを見ている。

 沈黙。

 ゴツゴツとした手のような塊が俺たちの頭上に振り上げられる。


「アスタ……」


 震えてしがみ付くファナが俺の耳元で囁いた。

 直後、

 縦の一閃。

 そして、ゴーレムの巨体は真っ二つに断ち切られる。張り詰めた緊張の中で、視界がコマ送りのように動いていく。眼前の敵が両断される瞬間を目撃し、声一つ上げることができない。

 そんな俺の前にあの男が降り立った。

 ファナが最後に助けを求めた相手。その声を聞き、戦士は危機を打ち砕いた。

 俺はその背中を初めて見た。

 同時に、その姿に憧れた。

 己が目指す姿をそのまま投影したかのような存在。


(これが、戦士)

「この場から立ち去れ」


 現れた戦士は開口一番にそう告げた。

 続けて、


「そして、もう二度とここへは戻って来るな」


 振り向きはしない。敵はまだ残っている。今も森の方から轟音が聞こえる。村を蹂躙しつくしてもなお、奴らは止まらない。止めるためには、破壊の源を破壊するしかない。


「村はもう死んだ。ここにいる理由もない」

「まだ生き残りが……」

「もういない」


 戦士の言葉は短く、平坦だった。絶望を感じずにいられない一言をこの戦士は簡単に口にしてしまう。


「何でそう言い切れるんだ」

「話している時間はない。だが事実であることは変わりない。ここにはもうお前たちしかいないんだ。だから、逃げろ」

「逃げられるわけないだろ。だって……」


 脳裏に、床に横たわる両親と自らが貫いた妹の姿が過ぎった。もういない、その言葉を全身で感じ取る。


「逃げるんだ。お前たちだけでも生き残ってくれ」


 そう言い残し、後の勇者、アスタ=クレイエルは戦場へと舞い戻っていった。


「おい、どこ行くんだよ。俺たちをおいて、みんな、みんなまだ、生きてるかも……」

「ストラ」


 ファナが俺の手を引いた。その力のままに、俺はファナの方を振り変える。目と鼻の先にファナの顔がある。いつもなら赤面して、慌てて、言い訳をして、どうにか視線を逸らそうと試みる。だけど、その時だけは俺はファナを見ていた。

 間違いなく、その瞬間だけは、ファナだけを見ていた。


「ストラ」


 ファナは俺の名を呼ぶ。


「ストラッ!」


 また読んだ。


「ストラッ!」


 けれど身体は動かない。動きたくない。みんなのいる、みんながいたこの村を出ていくなんて、俺にはできない。

 村を出て、戦士になるんだ。そんな言葉はもう口にしないから、だからここに残らせて、ここで俺は……、



『ストラ、起きろっ!』



 急激に周囲の空間が歪んでいく。ファナ以外の世界の全てが捻じれ、渦となり、影を作り、視界の全てを飲み込んでいく。

 気持ちの悪い浮遊感が襲い掛かる。まるで体の何処かに糸を掛けられ、思い切り引っ張り上げられるような、魚にでもなった気分だ。そして、そんな悠長なことを言っている暇もなかった。影に包まれた世界に一点の光が射し、俺は元の現実へと引き戻された。


「はぁ、はぁ」


 板張りの屋根、黒ずんだ柱、湿った土の香り。窓の外は暗く、光の粒が夜空に散らばっている。馬車の中で俺は目を覚ました。傍にはこちらを覗き込むオルレンがいて、その向こうには馬の尻尾が二本見える。

 夢から覚めたのだ。深く深く心の奥底に沈んだ夢の景色から俺は浮上した。息継ぎの間が無かったせいか、呼吸は酷く荒れている。ようやく焦点があっても、しばらくは暗い屋根の上で視線を泳がせていた。


「起きろ、ストラ」


 オルレンの声。少しだけ語気が強く、いつもの落ち着いた様子とは違っている。俺は体を起こし、オルレンを睨みつける。右手を彼女の首元に伸ばすと、襟を握り込んで思い切り引き寄せた。


「どうして……まだ、終わって…」


 震える喉から自分のモノとは思えない声が漏れ出す。勝手に寝かせ、夢の中に落としながら、今度は勝手に覚醒させる。どうしても、その矛盾した行いに怒りを覚えてしまう。

 オルレンは俺の目を真っ直ぐに見るだけで何も話さない。

 しばらくその状態のまま硬直していたが、ある時ふと視線を下げると、掴み上げた襟の隙間から白く柔らかな谷間が望み見えた。

 言葉を失う。

 なんと素晴らしい景色だ。世界五大絶景に数えても申し分ない。柔らかそうで、しかし、それでいて張りのある質感がたまらない。本来であれば、同時に成立するはずのない材質を共に持つ奇跡の造形。

 一目だけでこの爆発力。

 もう視線を逸らすことが出来ない。このまま顔を埋めたら、いったいどれほどの……、


「どこを見ているっ!」


 俺の思考を停止させるように脳天への一撃。頭を押さえ、俺は狭い荷馬車の中を転げ回る。


「騒ぐな」


 続けざまに腹を踏まれ、動き回っていた身体が止まる。腹部の圧迫に息が出来ない。


「死ぬ死ぬ死ぬ」

「そうか、ならさっさと死ね」


 そう吐き捨てて、オルレンは足を退けた。

 即座に正坐へと移行し、俺は深々と頭を下げる。また先程の拳骨が落ちてくると思ったが、意外にもオルレンはため息だけを吐き捨てて、隅の方に腰を下ろした。

 そこでようやく俺も周囲の異変に気が付いた。

 空気がやけに温かい。窓から吹き込んでくる風も、砂漠の熱波を浴びているように皮膚の水分を奪っていく。チリチリと外の方で小さな火花の弾ける音が連続する。


「何か燃えてる」


 漂ってくる煙の臭い。外を見ると右手の方からオレンジの光が照っている。


「これは……」


 呆然と外を眺めている隣でオルレンが、


「どうやら先手を取られたようね」


 言葉を聞き終える前に明かりの正体を確認すべく、俺は馬車から飛び降りた。


「そんな……」


 眼前に広がる光景に息を呑む。

 広がっていたのは、劫火の海。うねる波が家屋を降り注ぎ、辺り一面が赤く染め上がっている。

 それはまるで、あの夜のクレシオンようだった。


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