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10 炎の終着点


 混乱に混乱が重なり、それが更に大きな混乱をもたらす。やがてそれは争いに繋がり、そして最後には破壊を呼び起こす。

 牙城ゴーレムと二人の兵士。

 重なる筈の無かった性質の全く違う二つの要因が、今この村で混乱と争いと破壊を巻き起こしている。

まるで寸劇でも見てるかのように目まぐるしく変わっていく情景。既に村人の住居の幾つかが炎に飲まれ、黒い煙を上げている。オレンジ色の光が淡く美しく揺らめく。

 それに合わせるように日の傾いた空も鮮やかな茜色に染まっていた。


「急がないと」


 兵士たちを追うのは俺だけではない。村の男どもが総出で捜索に当たっている。見つかるのは時間の問題。しかし、その短い時間の中で村は着々と破滅への道を進んでいる。


(燃えている家の方に行けばいいはずだ)


 火災は兵士たちが起こしている。ならば、この炎こそが兵士へと続く道標みちしるべ。いつになく冴えわたる自らの思考に優越感すら覚える。炎は一直線に村の奥へと続いていた。兵士が逃げてから十分ほど、火は十数棟じゅうすうむねに燃え広がり、辺りは文字通り火の海だった。


(どうやったらこんなに燃やせるんだ)


 子供ながらの素朴な疑問だったが、後に知る魔石という神秘の鉱石を用いれば、この程度の事は容易に行える。使い方を間違えば、悲劇を生む魔の石。なるほど、ピッタリの名前だ、と俺は納得した。

 炎の道標の終着点はもうすぐ。

 次の通りの先には、まだ火のついた家は見えない。熱さなど気にせず、通りの角を曲がった。そして、直ぐに足を止めた。

 村の男どもがそこにいた。横たわる兵士を数人の男が手に持つ木の棒で殴り付けている。何度も何度も殴り、その度に兵士の体が軽く跳ねた。血だらけの顔が地面の土でドロドロになっていた。兵士は目を閉じ、気を失っているようだったが、取り囲む男どもは手を休めない。


「何してんだ。そこまで殴ることないだろ」


 俺は叫んでいた。

 男どもの注意が一斉にこちらに向く。


「何だガキ。さっさと家に帰れ」


 村人の一人が言った。


「どうしてそこまで」

「この程度じゃ、俺たちの怒りは収まらない。後で皆の前で更に重い罰を与える」

「でももうこいつ死んでるぜ」

「それならもう一人の太った方に罰を与えればいい」

「賛成」


 血に染まる木の棒を眺めながらほくそ笑む村人たち。服や顔に飛び散った返り血が炎の光に照らされて不気味に煌めいている。彼らは足元に横たわる兵士を爪先で転がし、原形を留めない赤黒い顔面にまた鈍器を振り下ろした。

 鈍く重たい衝撃音と弾け飛ぶ血しぶき。

 目を覆いたくなる光景を前に、俺はただ恐怖に震えることしか出来なかった。それほどに血しぶきに色付いた村人たちの笑顔は悍ましく醜いモノだった。


「死んでる……って……」


 硬直する俺を見て、村人が、


「おいおい、俺たちが殺ったんじゃないぜ。追い付いた時にはもうこいつは死んでたんだ。そんで俺たちはその死体を殴ってたわけ。怒りは全く収まらなかったがな」

「どうせ、おかしくなったもう一人にでも殺されたんだろう。憐れな野郎だが、お似合いの死に様さ。さぁ、もう一人を探すぞ」

「はいよ」


 村の男どもはまた散り散りになってもう一人の兵士を探し始めた。

 俺はしばらくその場で身を屈めていた。吐き気を堪えるのに必死で、何度も喉元にせり上がる胃液の感触を抑え込みながら、代わりに瞳から大粒の涙を零していた。

 吐き気が治まっても、しゃっくりが止まらず鼻水も止め処なく流れ出す。

 人間という名の恐怖を初めて目撃した。あれ程に黒く濁った存在を、恐怖そのものであるかのような化物を、若干九歳の子供に許容できるはずもなかった。

 その時、俺は不意に妹を見つめる兵士の顔を思い出した。

 まるまると太った兵士が妹をじっと見つめる姿。

 あの男もまた黒く淀んだ化物。妹が見せた恐怖の色が俺の背筋を凍らせた。


「……まさか」


 俺の家はここから神殿のある方角に二百メートルほど進んだ場所にある。先程の村人たちが向かったのとは別の方角。恐らくまだ誰も探していない。


「大変だぁ~、ストラ!」


 左手の方向から声が掛かる。振り向くとリークットがこちらに走って来ていた。リークットの家は目と鼻の先。火の手は着々とリークットの家の方にも伸びていた。


「火が、火が」

「あぁ知っているよ。だがそれどころじゃないだ」

「僕こんな燃えてるの初めて見たよ。あっついねあっついね」

「ったく、どうしてお前はいつも能天気なんだ。こんな状況だってのに」


 だけど、少しだけ助かった。普段通りのリークットを見て呼吸が落ち着く。


「うっわぁ、なにこれストラ。赤いよ、すっごく赤い」

「見るな、リークット」


 俺の言葉にリークットが体の向きを変える。


「お前は直ぐに家の皆と一緒に広場まで行け。そこにみんないるから」

「え~、あっついのにぃ」

「いいからさっさと行けっ!」

「わ、分かった。ストラが怖いから僕行く」


 リークットは素直に頷き、家に向かって歩き始めた。


「ねぇストラ」

「何だ」

「じゃあ兵士さんにもそれ伝えないとじゃないかな。さっき僕、あっちに兵士さんが走っていくの見て。広場とは違う方角でしょ、だから」

「そんなことかよ。それなら任しとけ。俺は戦士だ」


 俺はヘロヘロの体で無理矢理にポーズを決めて見せた。


「やっぱりストラはかっくいぃぃっ!」


 リークットは笑って、その場を後にした。

 残された俺はリークットが指し示した方角、つまり、俺の家のある方へと走り出した。

 火種は所々に巻かれていたらしく、家に着くまでの短い時間にも拘らず、村全体を飲み込みつつあった。たぶん、もう一人の兵士が逃げてる間ずっと魔石をばら撒いていたのだろう。

 だから、俺が家の扉を開く頃には、辺り一面が真っ赤で視界が微かにぼやけていた。


「ミクア」


 玄関に土足で上がり、そのままリビングへと進む。

 そして、リビングの戸を開けた時、俺はあの光景を目撃した。

 時間が圧縮されたかのような不思議な感覚と共に、見習い兵になった今でも夢に見る光景。

 そこにいたのは二人の生きた人間と冷たく横たわる二人の死体。

 床には幾つもの椅子が散乱し、いつも座っていたソファはズタズタに切り刻まれ、クッションからは大量の羽が巻き上がる。その羽の振り落ちる先には色を失った母さんと父さんが横たわり、信号の届かなくなった眼球がお互いを見つめ合っている。

 その傍らで立ち尽くす太った兵士。

 テーブルには衣服を破られた妹が寝かされ、兵士は血に汚れた手で下着を脱ぎ捨てるところだった。床を伝い、兵士の衣服に両親の血が染み込む。それを汚い足で踏み付けて、兵士は妹の体を掴んだまま俺を見ていた。

 何かが、確実に、俺の、中で、弾け、飛んだ……。


「あ、あ、あ、あぁぁ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!!!」


 その瞬間だ。

 身の内に巣くうアレが初めて表に出てきたのは。

 気が付くと、巨体であった兵士の体が壁まで吹き飛んでいた。

 放射状に亀裂が走った柱。

 剥がれた木屑が床の上に舞った。


「が、なに、が、野郎、クソガキが、これから始めようって時に邪魔してんじゃ」


 言葉が途切れる。その顔面に拳をめり込ませ、兵士の体はまるで大きな玉のように家の中を転がり回った。


「あの時に、お前らがここに来たあの時に殺しておけば、ミクアは、母さんは、父さんは、死なずにすんだのに」


 黒いものが身に纏わりついてくる。俺を飲み込み、己が感情の標的を消し去る存在として生まれ変わるために。

 標的は目の前。両の鼻の穴から血を噴き出しながら、言葉にもならぬ呻きを上げている。歯は全て砕け、顎は完全に外れている。


「いい気味だ。今殺してやる」


 その言葉を俺は覚えていない。

 耳が遠くなり、真冬の海に飛び込んだような冷たさを全身に感じながら、それでも俺は黒いソレにすがったんだ。

 右手の先で影が刃を形作る。臓器を囲う骨の鎧を砕き、心臓を一突きにするために。

 呼吸を止めた直後、視界の端が長く長く引き伸ばされ、体の動きに反応が追い付いた時にはその刃を標的めがけて突き出していた。


「ダメッ!」


 テーブルから転がり落ちるもう一人の影。

 しかしもう遅い。

 抜き出した刃を仕舞う鞘はもう何処にもなかった。


(止まらないっ!)


 狙い通り、心臓を貫いた。

 だけどそれは、この世で最も尊く大切な心臓いのちだった。弱り切った妹の口から鮮やかな色の血が噴き出す。その血を顔に浴びながら、俺は妹の瞳を見つめていた。


「お兄ちゃんだ。会いたかったよ、お兄ちゃん……」


 ミクアが手と腕と胸が、俺の体を包み込む。


「やっと会えた。怖かった、怖かった」

「みくあぁ……」

「やっぱりお兄ちゃんは私のヒーローだね。お兄ちゃんがいれば私も何も怖くないよ」

「なん、で、どう、して」

「お兄ちゃんはヒーローだもん。ヒーローは命を取っちゃダメなんだって、この前読んだお本に書いてあったよぉ」


 痙攣する身体とは対照的にミクアの顔は笑っていた。

 優しい妹。淀みのない澄んだ目を持つ妹。

 最後まで、俺を庇い、俺に人の道を指し示す。

 太陽の如く光り輝く笑顔を前に、俺の醜く淀んだ心が静かに浄化されていく。


「だから、お兄ちゃん、おにいちゃん…おに、いちゃん………おに、い、ち……………………」


 いつも、俺の傍らで手を引いてくれた小さな女神。

 その命の灯は、今、目の前で、眩く、そして儚く、光を失った。

 妹の体が俺にもたれ掛かる。

 恐ろしいほどに軽い魂のない肉体。徐々に熱を失い、やがて、氷のように固く冷たくなる。


「……………………ミクア、……………………………俺は、お前を……………」


 見に纏わりついていた影が引いていく。

 全身から力が抜け、両膝を付いたまま動くことも出来ない。


「が、ぶ、っこ、ろひて、や、うぅ」


 酷く変貌を遂げた兵士がゆっくりと動き出す。片足を擦りながらも、テーブルを掴んで立ち上がった。その目にもう慈悲はない。あるのは底知れない怒りと標的に対する殺意。

 振り上げた手が本人ですら認識できない魔力を帯びる。

 人の憎悪が生み出す力。


「ひねぇぇぇぇぇぇぇっ……………へ?」


 兵士の眉間に小さな穴が開いた。同時に穴の前後から血が勢いよく流れ出す。奥の壁が覗き見えるほど穴は真っ直ぐに突き抜けている。

 兵士は言葉を失い、床に倒れ込んだ。


「まさに危機一髪。戦士ならちゃんと倒し切らなきゃ。指一本動かなくなるまでコテンパンにさ」


 背後から聞こえる足音。

 庭へと通じる窓から小さな気配が侵入してくる。俺は妹の体を支えながら、首だけを捻った。炎の光を背中に浴び、シルエットが目に映る。

 けれど、その形を見た瞬間、俺は気配の正体に気が付いた。いつも近くにいたからこそ、シルエットの輪郭だけであいつだと分かったのだ。

 俺は疲労と戸惑いが混ざり合った口から声を発し、

 呼び慣れた名を呟いた。


「リー…クット」


 小さな影は静かに笑った。ゆっくりと一歩ずつ、二人の間の距離を縮め、俺の目の前に立った時、そいつは掌で俺の視界を遮った。


「眠っていいよ、ストラ」



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