9 突然叫ぶと周りの皆がびっくりします
初めの異変は神殿の方角から聞こえた微かな音だった。幹が裂けるような響きに、地面を強く打つ衝撃音が続く。
(何だ……)
野生の動物たちが一斉に動き出し、森全体が激しく騒めいた。大地を踏み慣らす振動は瞬く間にここまで届き、これが異常事態であることを確信した。
(近づいてきている)
地面に顔を近づけ、遠くから伝わってくる振動に耳を澄ませる。神殿の方角の更に奥。はっきりとした距離は把握できないが、それは着実に村へと迫って来ていた。
「みんなに知らせないと」
そう思い、立ち上がった時、右手の方で影が動いた。その影は凄まじい速度で神殿の方へと走り去っていく。
「ストラ……」
背後の声に振り返ると岩の傍にファナが立っていた。驚いた顔で俺のことを見ている。
「あ、えっと……」
一瞬言い訳を考えたが、何も思い浮かばず口を噤んだ。ファナは黙って俺を見ていたが、何かを思い出したように顔を上げると、こちらに駆け寄って俺の手を掴んだ。
「ちょっと待っ」
「早く村の皆に知らせないと」
彼女の真剣な目に心臓が跳ねるような音を鳴らす。直立して動けない自分にファナは眉間に皺を寄せて一言。
「ストラッ!!」
名を呼ばれ、我に返る。
ファナが頷き、俺も頷いた。手をつないだまま村の方角へと俺たちは駆け出した。
◆
爆音が鳴り響いた。
あの男が走り去っていった神殿の方からだ。爆音は連続し、その度に大地が震えた。
(何が起きてる……)
荒れた山肌に足を取られながらも俺たちは必死に足を動かし続けた。
「牙城ゴーレム」
突然、ファナが言った。彼女は俺を見ていた。
「あの人が言ってたの。この気配は牙城ゴーレムだって」
「がじょう……?」
「リデリア十衛臣の一体だって」
ますます分からなくなる。俺が首を傾げていると、ファナは、後で話す、と言って前を向いた。今はこの事を村の皆に知らせることが先決だ。
密集していた木々が徐々に減っていき、強い陽の光が差し込む場所に出ると眼下に村が広がっていた。元の道とは違う道を降りてきたので迷うかとも思ったが、最短距離で村までやって来たようだ。
「村の皆になんて伝えればいいんだ」
「あの人は神殿に逃げ込めって……」
「でも神殿ってそんなに大きいのか、皆が入れるくらい。それに神殿でなにか起きてるんじゃ」
「私にも分からない。でもあの人が」
「あの人あの人って、名前で呼べよな。何か聞いててムカつくぜ」
「でも、名前で呼んだら、ストラ、怒るでしょ」
予想外の答えに俺は固まった。
「怒るわけないだろ。俺がいつ怒ったんだよ」
「いつもムッとしてたよ。私があの人に会いに行くって言う時」
「そんなわけあるか。嘘つくんじゃねぇ」
叫んで、俺はまた駆け出した。低い崖を飛び降り、村へ一直線。村はずれの納屋を横切り、村長の家を目指す。
「みんな……」
しかし、村長の家に着く前に俺とファナは立ち止まった。村人のほとんどが広場に集まっていたからだ。円を描くように皆が立ち、その中心に昨晩家に止まった兵士二人がオドオドした様子で身を寄せ合っていた。
「どうしたの?」
集団から少し離れた位置にいた道具屋のタクさんに声を掛ける。タクさんは俺たちに気が付くと、片手を振った。
「子供は家に入ってな」
「家にって、それどころじゃないんだよっ!」
俺は声を上げるが、その声は瞬く間に集団の喧騒に飲み込まれた。
「あんたたちが村に来たから森の怒りを買ったんだわっ!!」
誰かが叫んだ。
「そうだ」
「今すぐ出ていけっ!」
一人が声を上げれば、音の波は何倍にも増幅していく。村人たちは容赦なく兵士たちに罵詈雑言を浴びせ続ける。俺たちの声に耳を貸す者など一人もいなかった。俺はタクさんの腕を掴み、思い切り引き寄せた。
「なにすんだっ」
「俺の話を聞いてくれ」
「今それどころじゃないって……」
「ゴーレムがこの村に向かっている」
「ゴーレム? なんだ、そりゃ」
タクさんは相手にする様子もなく、ため息だけついて、集団の方へと向きを変えた。
「このままだと村が壊されるのっ!!」
今度はファナが叫んだ。タクさんも少し驚いたようだったが、呆れ顔は変わらなかった。
「早く神殿に行かないと」
「そうなんだ。こんなことやってる場合じゃない。森まで来てるんだよ」
俺とファナは必死に訴えかける。
「森が騒がしいのは知ってるよ。だけどそれはあの兵士どもを村に入れたからだ、って村長は言ってるぜ」
「聞こえないのかよ、木が倒れる音とか」
「聞こえてるよ。だからこうして森の怒りを鎮めようとしてるんだろうが」
「そんなことで静まるかよっ!」
「うるっせぇな、ガキは家に帰れっつってんだよっ!」
タクさんの叫びに俺とファナも言葉を失った。いつもは優しいタクさんとはまるで違う。怒ったタクさんは俺の手を振り払い、集団の中へと紛れてしまった。
(どうすれば……)
ファナの方を見たが、同じく戸惑った様子でこちらを見ていた。
「どうしてみんな信じない」
皆の注目は今、兵士たちに向いている。言葉を届けるには一度その注目を自分に向ける必要がある。
「ちょっと待ってろ。直ぐに皆を避難させるから」
ファナを見て俺は笑った。渾身の作り笑いのつもりだったが、上手く笑えた自信は無かった。皆の注目が集まる場所があるのなら、そこに自ら飛びこめばいい。
俺は村人を掻き分けた。
大人たちの体は重く、狭い隙間に身体をねじ込ませてようやく最前列に到着した時、
「ぐおぉおおおああああああああああっ!!」
兵士の一人が天に向けて怒号を放った。それは太った兵士だった。余りの声の大きさに相棒の兵士も驚愕の色を隠せない。顔は真っ赤に腫れ、まるで熟れたトマトのように表情が変化する。
人間の狂気を、俺は初めて目撃した。
「落ち着け!」
隣の痩せた兵士が声を掛けても、太った兵士の形相は変わらない。それどころか、より一層怒りは増していき、痩せた兵士の制止を振り切って太った兵士は村人たちの前に立った。
「俺たちが何したって言うんだよ。ったくどいつもこいつも、人をゴミみたいな目で見やがって……俺らはお前らのために戦ってるんだぞ………、平和ボケした村人どもが、テメェらごとき、ここで俺がぶっ殺してやるよ」
「止せっ!」
痩せた兵士が手を出すより早く、太った兵士がポケットから何かを取り出し、村人たちにそれらを投げ付けた。
(……魔石)
俺の頭上を飛ぶ赤色の石。
その石が村人に当たった瞬間、村人の体が一瞬にして燃え上がった。
悲鳴が上がる。
火は瞬く間に村人たちに燃え移り、十数人の村人たちが地面に倒れ込んだ。体は炎に包まれ、悶え苦しむ度にオレンジ色の火の粉が宙に舞う。
「兵士が逃げたぞっ!」
村人の一人が声を上げた。皆の視線が先程まで兵士たちがいた場所に向けられる。しかしその場所にはもう、兵士たちの姿は無かった。皆が言葉を失う。
「水だっ!」
気分の悪い沈黙を掻き消すように水の入った桶を抱えて、タクさんが走って来た。燃える村人たちに水かけ、協力して村人たちを村長の家に運び入れる。残った人たちは兵士捜索のために四方に走り去っていった。
「み、みんなちょっと待って」
俺が声を掛けても大人たちの耳には届かない。気が付けば、もう村人は数人しか残っていなかった。
「くっそ」
「どうしよう、ストラ」
「とにかく村長おじさんの所へ行こう」
俺とファナは残った者たちの間をすり抜け、入口へと続く低い階段を駆け上がる。
「村長おじさんっ! ねぇ開けて」
壊れても構わないという思いで扉を力強く叩く。中で小さなもの音が聞こえ、一人の男が顔を出した。いつも村長の傍にいる男だった。
男は俺たちを一切見ずに、広場の真ん中で屯している村人たちを呼んだ。
「この子たちを家に帰せ」
「おい、ちょっと待てよ。俺は村長おじさんに言わなきゃならないことがあるんだ」
まるで何も聞こえていないかのように、男は無視を決め込んだ。
他の村人は俺たち二人の腕を掴み、村長宅から引き離そうとした。必死に抗っても大人たち相手では勝負にならない。
「離せっつってんだよ」
脇の下から腕を入れられ、そのまま体を持ち上げられる。
「ったく、どこの子だよ」
「エリレックさんのとこの子だ。この地の作物を国に売った異端の息子だ」
「なるほど、通りでな」
幾ら身体を捻じっても、腕や脚をバタつかせても拘束は解かれない。村長の付き人は家の中に引き返し、ゆっくりと扉は閉められた。
「くっそ!」
俺は名も知らぬ村人の腕に噛みついた。口の中に鉄のような味が広がり、続いて俺を抑えていた奴が悲鳴を上げる。一瞬宙に浮いたような感覚を味わい、直ぐに両足が地面に着いた。俺は腕を抑える村人を横目に広場に飛び出した。
「ストラ!」
「ファナは家で待ってろ。俺はあの兵士二人を探すっ!」
言い終わる頃には俺の足は前へと踏み出していた。




