2 分割払いといっても苦しいものは苦しいんです
「いてて……」
切れた唇を指でなぞりながら、俺は宿舎への帰路についた。
この一か月間は訓練だけじゃなく、さまざまな事柄が国内外で巻き起こった。疾風怒濤と形容するに相応しい時代のうねりが、このオリガナ王国を中心に世界中へと広がっていったのだ。
国王の死去の同日に姿を消した旧勇者アスタ=クレイエルは、今では世界を滅ぼす大犯罪者としてその名が知れ渡っている。それまで彼を指示していた者たちは手の平を返すように、口々に悪い噂を流していった。
王座の略奪や闇の組織との繋がり、王国転覆説などさまざまな推測が勝手気ままに世間を渡り歩いた。
同時に、今回の大混乱の全ての元凶がアスタ=クレイエルにあるとの結論が王族および貴族院から成る評議会によって出され、建国祭四日目にオリガナの郊外で突如として出現した魔獣や市場で確認されたレジスタンスと呼ばれる謎の組織の存在も、全ては旧勇者がこの国を落とそうと仕組んだシナリオであると公式に発表されたのだった。
被害に遭った街は復旧に追われ、国の治安を管轄する王国軍の部隊は事件の後処理に必死になっている。特にレジスタンスと呼ばれる組織は騒動の後に忽然と姿を消しており、足取りすら掴めないそうだ。
あの混乱の中で何が起きたのか。
その筋が一本に繋がるにはまだまだ時間が掛かるだろうとリトリルは言っていた。そのために我々『レビレス』がいるのだ、とも。
(よく考えてみれば、レビレスって諜報機関みたいなものなのか。いやいや、にしては随分とのんびりした先生だし、ナイスバディなのに性格が凶暴な教官だし、なんか飲んだくれのいつも何処にいるかも分からない野獣しかいないし。もうちょっとこう黒服着た出来る奴ら感が欲しいよなぁ)
うんうん、と頷きながら通りを進む。
宿舎への帰り道はいつもへとへとで憂鬱である。部屋に入ればそのままベッドにダウンし、深い眠りに落ちる。起きればまた訓練場へと走っていく。それだけの生活だ。
「あれ、待てよ。そういえば、明日オルレンはいないって言ってたっけ。リトリルも用事があるって言ってたし。そうだ、明日は休みだ」
と一瞬喜んだが、休みの時の専用メニューは既にベッド横の壁に貼ってある。二段ベッドの影で見えにくいが、紙一面にびっしりと書かれた内容を熟すにはどう考えても丸一日は掛かるだろう。
「本気で死にかねないよ」
「何だなんだ。お前が死ぬってぇ。どんな状況だよそれ。戦場未経験者が言うセリフとは思えないねぇ」
唐突に背後から聞こえる声。振り返るとルームメイトであるブート=フルフェイスが立っていた。にやにやとこちらを見ながら笑っている。
「何がそんなにおかしいんだよ」
「別におかしくはないよ。ただ嬉しくてな。周りに圧倒されてやる気すら失いかけていたルームメイトが、ようやく出会った頃の闘志むき出しの野郎に戻ってくれて」
ブートは梯子を登り、上のベッドに倒れ込んだ。ギシギシと支えの棒が軋んでいる。
「闘志むき出しにした覚えなんてない」
「いいやむき出しだったぜ。絶対に俺がファナを守るって、初めてそう言った時のお前の顔は今でも覚えてる。己に誓いを立て、覚悟を決めた男の顔だった。それがどうだ。日に日に覚悟は薄れていき、最近じゃあ守ると決めた女を下から見上げる始末。情けねぇったらありゃしねぇ」
「もういいだろ。それくらいにしてくれ」
「まぁでも、お前のそういうところも割と好きだぜ」
「え、いや……もしかしてブートってそういうタイプだったの」
「ちげぇよ。男として尊敬するって意味だよ!」
声を荒げたブートはそのまま寝てしまったようで、上から声がすることはなくなった。
話をしている間に日は完全に暮れており、窓から見える星空を眺めながら俺も床に就いた。
(明日の訓練は休もう、うん)
翌日の朝。俺は晴れやかな気分で目覚めた。
今日は休みだ。そうだ、遊びに出かけよう。
そんな思いで部屋を出ようとした俺は、ドアノブを掴んだところであることに気が付いた。扉に掛けられたカレンダー、その今日の日付の欄に汚い文字が羅列されている。
『シャータ 金 昼前』
今日はめでたい入金日。
勇者シリーズの新作を作ってもらうべく、注文を出した結果、思いもよらない金額の請求が『シャータと希望の人形屋敷』より送られていたのだった。
当たり前のように即金で払えるはずもなく、十二回払いということで話が纏まった。
「ブンカツバライはうちの店はやってません」
と一度は申し出を却下されたが、必殺DO・GE・ZAによってどうにか難を逃れ、今は少ない支給金から金を絞り出している。
見習い兵は食費やその他の生活費を軍に賄ってもらっている代わりに、市民の手助け等の依頼を熟す義務があり、その報酬として少量の金銭を軍から支給される。生活費には全然足りないが、各個人の簡単な買い物などはこの金を使用する。
(今月もこれだけ、とほほ……。でもまぁファナが起きた時に喜んでくれればそれでいい。だから早く目を覚ましてくれ)
建国祭から一カ月。
ファナは一向に眠ったままだ。目を覚ます気配すら見せない。ピクリとも動かない指先が日を追うごとに冷たく渇いていっているような気がする。
その寝顔ももう嫌というほどに見た。
俺が見たいのはそんな顔じゃない。昔みたいな透き通った明るい笑顔が見たいのに。そんな願いも繰り返すほどに自身の体に重く跳ね返ってくる。
リトリルの話ではファナの容体は殆ど回復しているそうで、いつ目を覚ましてもおかしくない状態らしい。それでも目を開けない理由は、別の作用がファナの頭に働いているからだ。
「恐らくはアスタ=クレイエルの仕業だろう。術印式検査で彼女の脳に魔法印の痕跡が見つかった。彼女があの夜に勇者から何らかの攻撃を受けたことは間違いない」
「だけど魔法印は魔女以外には使えないはず。一体どうやって」
「その辺のことは今は分からない。けれどあれほどの力を持つ者なら僕たちの知らない方法を知っていても不思議じゃない。何にしてもこれ以上は病院にも手の打ちようがない。王国軍の者たちもこれほど高度な魔法印を解く術は持っていないそうだしね。無理に行えば……」
「分かってます。だから俺は勇者を、いいえ、アスタ=クレイエルを探します」
「それについては止める気はないが、その前に試験を合格しないとね。そして僕らと一緒に来ると言った以上、こちらの仕事も熟してもらわないといけない。レビレスに入るということはこの国の裏を知ることにもなる。君も今のままじゃいられないよ」
「それも分かってます。俺にはそれ以外の選択肢はありませんから」
そんな会話ももう一カ月も前の事になる。
その目的を果たすには、勇者の背中を掴むためにはこのままじゃダメだ。
「さて、それじゃさっさとお金を払いに行って、その後特訓するか」
休みは返上。俺はまだ休んでなんていられない。
少し肌寒い朝の街には心地良い静けさが流れていて、通りを歩く人々の足取りも軽いように感じる。一カ月の復旧活動により、道の整備は終わりに近づいていたが、建物の方は未だ市民の半数以上が仮設住宅での生活を余儀なくされている。
それでも街には依然と同様に人が集まり、市場からは賑わいの声が聞こえてくる。この国に住む者たちは決して生きることを諦めていない。皆が己の役割を理解し、それぞれ支え合うことで国という大きな塊を動かしている。
手を取り合うことの重要さを説いた国王の言葉が国民たちに浸透しているのだ。
「兄ちゃん、そこの兄ちゃん。そうさ、お前さんだよ」
右に振り向くとバンダナを頭に巻いた果物屋のおじさんが俺のことを手招きしていた。近づいていくとおじさんも笑顔になり、近くにあったリンゴを一つ手に取り、それを俺の方に投げてきた。
「朝からしみったれた顔してんじゃねぇ。それでも食って元気だしな。リンゴ好きなんだろ」
「あ、ありがとうございます」
戸惑いはあったが、おじさんの心遣いに感謝し、俺はリンゴに嚙り付いた。ここのリンゴはいつも美味しい。俺はおじさんに手を振り、少し速足で市場を抜けていった。
道幅が徐々に狭くなっていき、商店の間口も民家とそれほど大差ない。小さな店のショーウィンドウの中にはそれぞれの店の特色を表す品が並んでおり、時計や衣服、魔道具など品も多様だ。
そろそろ一斉開店の時間になる。この通りも人であふれる事だろう。
(ん…あれ)
低い登り階段になった通りの先に人影が見えた。ある店の前に立ち、ショーウィンドウをじっと見つめている。その小柄なシルエットは距離が近づくごとに鮮明なものになっていく。
「キイナ……」
人影の正体は同じ見習い兵のキイナ=プレシェディッサだった。親交の深い友人の登場に少し動揺しながらも、俺はキイナの方へと近づいていった。キイナも俺に気付き、驚いた表情を見せる。
「こんなところで会うなんてビックリね」
「こっちも驚いてるよ」
「朝早くからどこかへ行くの」
「シャータの所へな」
「シャータさんって前に言ってた人形屋の女の子?」
「そうだよ。まぁ今じゃ、支払い相手だけどな」
キイナは微笑みを見せ、そっか、と囁いた。それから俺の横を通り過ぎていき、そのまま階段を下りていく。
「もう行くのか、そっちこそ朝早くに何してたんだ?」
「別に何も。ただ朝の街の風景が好きだから、たまにこうして散歩してるの。いつもの喧騒から切り離された感じが心地いいから」
「そうか……」
言葉を返すころには、キイナの姿は路地の角に消えていた。キイナの立っていた店の方を見ると、ショーウィンドウには小さな瓶が大量に並んでおり、看板には『薬品店』の文字が書かれていた。
症状ごとに作られた薬品。頭痛、めまい、鼻からくる風邪、喉からくる風邪、魔力からくる風邪などあらゆる症状の名前が書かれている。
(キイナはこの辺見てたっけ)
彼女が見ていた右下辺りに目を向けると、他のとは違うハート型の瓶が隅の方に置かれていた。
『活力の出ない寂しい夜に、一回一瓶で効く。今夜はこれで最高の夜を迎えましょう』
キャッチコピーを見て固まる。
(いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、そんなはずはない。たまたまこっちを向いただけだ。キイナ自身が朝の散歩って言ってたんだぞ。そうだよな、そのはずだ)
焦ってしまったが、直ぐに気を取り直して目的地へと舵を切る。シャータの店に到着するまで更に足早になったが、その分時間も短縮できた。
ふぅと息を吐き出し、店の看板を見上げる。
『シャータと希望の人形屋敷』
見慣れた看板が変わらぬ様子でそこにあった。
「ここは戦闘の跡もなく、前のままだな」
市場から程近い場所のはずだが、市場とは対照的にこの辺りには被害はほとんど見られなかった。幸いなことにシャータの店も傷一つなく無事だ。
扉の取っ手を掴むと、振動で上に取り付けられたドアチャイムが不規則な音色を奏でた。人形屋特有の木や塗料の匂いが中から漂ってきて、目的地にたどり着いたことを実感する。
「やぁ来たかね」
奥に設置された机の向こう側からわざと曇らせたような声が聞こえる。見ると、新聞を両手で広げ、深緑のソフトハットを被った小柄な老人?が座っていた。
口元には付け髭、目には細いサングラスを掛け、ほっほっほ、と言いながらこちらを見た。
「今日は何用かな」
「何やってんだ、シャータ」
「はて、シャータとは誰の事かね。それよりも何用かな。どんな品がお望みか、お金はあるのかい」
何だこの下手な小芝居は、と内心呟いてみたが、シャータがとても楽しそうなのでもう少し付き合うことにした。
「今日は分割払いのお金を持ってきました」
「なんと、ブンカツバライとな。それはそれは、ご苦労な事であった。品の作成にはもう少しかかるので今しばらく待たれたいのぉお」
どこで覚えたのか分からない言葉使いはさて置き、新聞に開けられた二つの穴から可愛らしい瞳が覗いている。
「あとどのくらいかかるのでしょうか」
「そうだねぇ、二カ月後かな。しばしまたれい」
「そうなんですか。それからもう一つ、どうしてそんな紳士な格好をされているんですか」
「それがねそれがね、この前おじいしゃんがお店に来てね。私の作ったのを凄いって言ってね。いっぱい買っていってくれたの」
突然いつもの口調に戻り、新聞を放り投げ、立ち上がった勢いで付け髭は落ちた。シャータは満面の笑みを浮かべ、時折、にひひっ、と声を出しながらゆっくりとこちらにやって来る。
「ストラよりお金を持ってて、すごくかっこいいんだよ」
その発言に俺は危機感を覚え、直ぐにしゃがんで目線の高さを合わせた。
「いいか、シャータ。そういういっぱいお金を持っている人っていうのはな。危ない奴が多いんだぞ。気を付けないと大変なことになるんだぞ。今は分からないかもしれないけど、大人になればきっとわかるから」
「大人になったら……そんなの無理だよ」
「え?」
「だってお母さんが言ってたもん。いくら年を取って大人になったと言っても、子供の部分は絶対に残るって。本当の大人には誰もなれないんだって」
「あ、そう……」
「うん!」
元気いっぱいに頷くシャータ。
これだけ歳が離れているにも拘らず、シャータから聞く言葉はとても含蓄のあるものばかりである。
とても勉強になります。
「お金いっぱい」
腰に手を当てて胸を張るシャータに俺はそれ以上何も言わず、持って来たお金を手渡して店を後にした。帰り際にはきちんと未払い分の金額を伝えられ、外に出ると俺は財布を開いた。潤いのない渇いた財布は吹き抜ける風に飛ばされてしまいそうなほど軽くなっていた。
「さぁ、気を取り直して特訓特訓!」
両腕を上げ、力いっぱい伸びをしながら叫ぶ。為すべきことをしなければ前には進めない。
気分一転して一歩目を踏み出したその時、一人の影が真横に立っていた。
気配に気づき、振り返る。
「え……、あなたは」
そこに立っていたのは、俺でも名を知る王国軍の有名人。若くして王族の護衛を任され、現在はオリガナ王国第一王女フィリア=オリガナティーに仕える近衛騎士、フリアニクロス=アルバンテだった。




