1 第二魔力核
『揺るぎない意志を持て、そうすれば君は誰よりも強くなれる』
その言葉を教えられたのは、俺がまだ孤児院に入りたての頃だった。戦争によって身寄りを失くした俺とファナを引き取った院長が度々そう口にしていたのを覚えている。
何もかもを失くして空っぽになった俺たちに、少しでも力を、と院長はその言葉を繰り返していた。
未だに苦しくなった時や思い悩む場面で頭の中に蘇る。
揺るぎない意志。
今の俺に足りないものは多分それだ。
ファナを守るという意志を揺るぎないモノにしなければ、俺はきっとどこかで挫折し、崩れ落ちてしまうだろう。
けれど、そのための方法までは院長は教えてはくれなかった。
揺るぎない意志を持つのではなく、己の意志を揺るぎないモノにする方法を、出来れば教えてもらいたかった。
でもそれは多分、自分で見つけなければならないのだ。
そうしなければ、強固な意志を持てはしない。
その方法を見つけた者のみが己の中に芯を持ち、誰よりも強くなれるのだ。
◆
顔面に迫る右拳。
そのあまりの速度と勢いに、拳が直撃するよりも早く自分の左の頬が波打ち、その圧迫感を圧し潰すように強烈な打撃が炸裂する。
「ぐべっ」
風車のように身体が空中で回転し、受け身を取る間もなく、地面に激突する。胃の内容物が喉元までせり上がり、続けて背中に激しい痛みが襲い掛かる。
「第二魔力核を閉じるなと何度言わせる気だ。魔力ゼロの状態など裸で戦場に立っているようなものだ」
怒りの叫びを発しながら、オルレン=パーシブンがこちらへと近づいてくる。悶絶状態のまま立ち上がることも出来ない俺は荒い息を吐き出しながら彼女を見た。
「何だその情けない面は。いいから立て」
「んなこと言っても、身体が動かねぇって」
「弱音など聞く気はない。さぁもう一度だ。立て」
全身に力を入れ、歯を思い切り噛み締め、唸り声を上げながら俺は立ち上がった。ゼェゼェハァハァと己の疲労を前面に出しながらオルレンに向かい合う。
腰を落とし、腹に力を込め、体内に仕舞われた魔力を引っ張り出す。
「うぉぉぉぉおおおおおおおおおおっ!!」
「それでいい。第五ラウンド開始だ」
合図と共に俺は再び、オルレンに向かって一直線に飛び出した。
これがどんな訓練なのかと言えば、それは俺にも分からない。
ただひたすらに戦い、ただひたすらに殴られ続ける。その繰り返し、難しいことは何もしないし、そもそもそんな小難しいことなど教えられてもいない。オルレンからの指示はいたって単純。
『第二魔力核を開いて、私に向かって来い』
向かっていけば当然ごとく返り討ちにあい、その度に同じ指示が繰り返される。何度やっても状況は変わらず、この一カ月、俺はひたすらにオルレンと戦い続けた。
差は一向に縮まらず、どころか、今では片手で相手をされる始末だ。何とも情けない話だが、よくよく考えてみれば相手は教官、まぁこんなものだろう。
「集中を解くなとも教えた筈だが」
ほんの一瞬気を抜いた隙に、オルレンの姿は目の前から消えており、代わりに右脇腹に重たい蹴りがめり込んだ。
(くっそ、また後ろを取られた……)
俺は出口の方まで飛ばされ、それとタイミングを合わせるように訓練室の扉が開いた。
細い隙間からリトリルが顔を覗かせ、床に転がる俺を見て、いつも通りの笑顔を見せた。
「今日も頑張ってるようだね」
いやいや、まじで心折れそうです、先生。
お願いだから助けて。
全力でそう叫びたい気分だったが、それよりも先に視界が影に覆われた。
「訓練の方はどうだい?」
「全然ダメね。持続時間が短すぎる。これでは戦闘どころか日常生活で魔道具すら使えないでしょう」
「もう少し丁寧に教えて上げればストラもコツを掴めると思うけど」
「そうしたいのはやまやまだけど。第二魔力核は第一魔力核とは訳が違うからね。そもそも容易く引き出して使うってことがとても難しい代物だから。自身の魔力に触れたこともない人間が扱おうって方が無茶なのよ」
俺の寝ているすぐ傍でオルレンとリトリルの声が聞こえる。薄く開いた瞳に映るのは少し汚れた訓練室の天井。この風景ももう飽きるほどに見た。その度に口からため息が漏れる。
起き上がりたいが、身体がいうことを利かない。仕方なく、俺はオルレンとリトリルの会話に耳を澄ました。
「通常、人間の体内には二つの魔力核が存在する。それぞれを第一、第二魔力核と呼び、ほとんど人が第一魔力核のみの魔力を使って日常生活を行っている。軍の人間も例外じゃない。第二魔力核の魔力容量は第一の比じゃないけれど、開ける人間はそうそういない」
「確かにそうだね。だけどそれをストラは開いた。第一魔力核の容量がゼロである彼が、どういう訳か、第二魔力核を開くことが出来た」
「というより、第一魔力核に全く魔力がない代わりとして、第二魔力核が存在したって感じだけどね。普通なら魔力核の奥にあるもう一つの蓋を開けることで発現する力が、彼の場合は一つ目の容器が空っぽだから奥の蓋が丸見えだったって具合なのかしらね。正直よく分からないけど、どちらにせよ、慣れれば簡単に蓋を開けられる第一とは違って、第二は開いて維持することが最も難しい。いわば、火事場の馬鹿力を常に維持するようなもの。それだけは教えようにも教え方が分からない」
「だから常に極限状態を維持するために戦闘訓練ばかりしているというわけか」
「まぁね。でもそれだけじゃないの」
少し間を置いてオルレンは続ける。
「どういうわけか、彼は自ら第二魔力核を閉じているような印象がある。限界を絞り出す前に蓋を閉じて安定を維持している。だからいくらやっても限界点を引き上げられない」
「ストラの意志でそうしていると」
「どうかしらね。目にした印象だと彼の体が自動的に蓋を閉じている感じね」
「防衛本能って所かな」
「私も初めはそう思ったけど、その言い方も少し違和感がある。ほんと、いろいろな生徒を持ってきたけど、こんなに手のかかる子は初めてね。第二魔力核を開くまでは早かったけど。そこから先はどのくらい時間が掛かるのか私にも分からない」
「ならさっさと続きをやろうぜ」
俺の声に反応して、オルレンとリトリルがこちらを向く。
「教官が見習い兵の前で弱音なんて吐いてんじゃねぇよ。モチベーションが下がっちまうぜ」
「言ってくれるじゃないの」
オルレンが立ち上がり、それ続いて俺も立ち上がる。
「こんなだから見習い兵から卑猥な目で見られんだよ。もう少ししっかりしろよな、オルレン先生」
「今何か聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど」
「さて、何の話かねぇ。俺はただあんたと戦いてぇって言っただけだぜ」
「そう、なら今度は少し本気で行こうかしら」
「え……」
「何だそのバカ面はっ!」
こうしてまた一つ、俺の体に先生の愛ある拳の跡が刻まれたのだった。