16 鐘の音は高く
暗幕に覆われた世界で風景の断面だけが移し鏡のように闇の中を泳いでいる。
『この場で覚醒したのか』
勇者は笑う。
「ぐうぉぉぉぉおおおおおおおあああああああああああああっ!」
迸る魔力の渦に俺は飲み込まれる。
『この出会いもまた仕組まれていたのかもしれない。この世の交わり全ては、最後には原点へと帰結する。なれば、いずれお前とはまた出会うことになるだろう。その時までこの世界が残っていればの話だが……』
勇者は剣を引き抜き、その切っ先を俺に突き立てた。
◆
「起きなさい。何が起きたのか話してもらうから」
今度は誰だ。
誰かが呼んでる。
今日だけでどれくらいの人と出会ったのだろう。もしまた会えたならきちんと名前を聞いておかないと。
「しっかりして。大丈夫よ、傷は浅いから」
その声の主は俺の耳元で囁きかけると、俺の胸に手を当てて何かを唱え始めた。
「治癒魔法は久しぶりだから上手くいくかは分からないけど。応急処置くらいにはなるはずよ」
胸から染み込んでくる心地良い温もりが、足先まで伝わっていく。感覚すら失くしていた手足に血が流れ、口を開けると空っぽの肺に新しい空気が流れ込んでくる。
「がはっ、はぁ、はぁ」
満身創痍。
目を覚ませたのが奇跡的なぐらいだった。
それも傍らに膝を落としているこの女性のおかげだろう。
「あなたは……」
その姿を見て驚いたが、俺は直ぐにそれは当たり前であることに気が付いた。俺なんかとは違い、この場に相応しい人物がそこにいた。
「フィリア様ですか」
「そうね。あなたの言う通りよ。話せるくらいには回復したようで安心したわ。さぁ、ここで何があったのか話しなさい」
「………」
俺は黙った。
何が起きたのか、その質問に対する答えが浮かばなかったからだ。記憶曖昧……というよりも記憶が無い。
俺は何をしていたのだろう。
俺は何のために……、
そこまで考えて、不意にラミエラの顔が浮かんだ。続いて、彼女の言葉を思い出す。
『ストラ、早く行ってあげて………ファナを救えるのはストラだけ』
そうだった、と思い出し、勇者の前に横たわるファナの姿が頭の中に蘇る。電気ショックでも受けたかのように俺は起き上がり、辺りを見回した。
「ファナ、ファナ……」
「ちょ、ちょっと、急にどうしたの」
「いた……」
姿勢は変わっていたが、ファナはまだ玉座の扉の前で仰向けになっていた。
「ファナ……」
体中がミシミシと音を鳴らし、その度に電撃のような痛みが全身を駆け巡った。それでも俺は立てない体で無理矢理に体を引きずり、ファナの元まで這って行った。
「ごめん……俺……」
まるで眠っているだった。肩を叩けば、ううっ、と言いながら寝返りを打って、少しだけ瞼を開ける。俺だと気が付くと直ぐにまた目を閉じて、あっちに行けとばかりに反対の方を向く。
毎朝見ていた彼女の寝顔とそっくりだ。
「なんで、こうなった。俺はなにを…してたんだよ……」
涙すら枯れ、黒く汚れた顔をクシャクシャに潰しながら俺は呻き声を上げた。
「ああ、ああああああ、うあああぁぁぁぁぁああああああああっ! くそっ! くっそ! くっっそぉ……」
地面に拳を叩きつけ、それでも、やり場のない怒りや後悔が無尽蔵に湧き出てくる。
「俺は……弱い」
「何をしている」
フィリア=オリガナティーが振り上げた俺の手首を背後から掴んだ。
「馬鹿なマネは止めろ」
「分かってるさ、そんなことはっ! だけど俺は、俺は……自分を、許せない……」
「そうではない。よく見ろ。その子は死んではいない。だから馬鹿みたいに大声を上げるのを止めろ」
「へ?」
きょとんとした顔で俺はフィリアの顔を見た。彼女は呆れた様子でため息を吐いた。
助言を聞き、試しに手をファナの口元に当ててみる。
息をしている。
生きている。
ファナは生きている。
「意識を失っているだけで命に別状はない。安心しろ、そして」
フィリアは俺の両肩を思いっきり掴み、顔を無理やり自分の方へと向けさせた。
「さっさと何が起きたのかを話せ」
「あ、はい」
王女様の前では当然正坐をし、その姿勢のまま彼女の質問に答えた。
「私がこちらについた時、この場所にアスタ=クレイエル様がおりました。それからその足元にファナが倒れていて、俺は我を忘れて彼に飛び掛かりました。それから先は覚えていません」
「一撃で伸されたのだろう。無理もない。それでそこから先は意識を失っていたと。嘘はないな」
「はい」
「そうか」
少し残念そうな顔をしたが、フィリアはそれ以上何も聞かなかった。
ここで本当に何があったのだろう。
何かが欠落している様な気がする。
大事な何かを忘れている様な……。
考えても何も浮かばず、それより先に体力が尽きて思考が止まった。
壁の高い位置にある窓からは白い陽が射し込んでいる。あちらは東だろうか。だとすれば、今はもう朝。
建国祭最終日だ。
その時、隙間風に揺られた玉座の扉がギギギッと音を立てた。何処から風が吹いているのか分からないが、巨大な扉が少しだけ動いた。
その音に反応して俺とフィリアが扉の方に目を向ける。向こう側は暗く、隙間から中の様子はよく見えない。
フィリアが先に扉の方に歩き、俺は痛みに耐えながら後についていった。
隙間に指を入れ、扉をゆっくりと開く。
耳障りの悪い音色が響き、玉座の間から湿気の籠った空気が流れ出してくる。
薄く薄く引き伸ばされた淡い一筋の光が天窓から降り落ちる。真っ直ぐに広間の奥にある玉座へと延び、その先で小さなきらめきが見えた。
「そんな……」
フィリアが両の手を口に当て目を見開いた。声が掠れ、瞬く間に顔が青ざめていく。
俺も少し遅れてそれを目撃した。
一人の人物が玉座に腰掛けている。
その者はこの国で唯一その座に腰掛けることを許された正統なる後継者であり、この国の現国王。
六十五という齢にして、国を統べるに能う絶対的な存在。
「…………お父様……」
フィリアは言葉を失くし、膝から崩れ落ちた。
俺もまたその凄惨な光景に息を呑む。
小さなきらめきの正体は一本の剣だった。
玉座に腰掛ける国王の胸に深々と突き刺さった刃が陽の光に照らされて美しく煌いている。
血に塗れた玉座に項垂れる国王。
瞳からは光が消え、口元から垂れる血のしずくが刃の上に零れ落ちる。
齢六十五。
かつては戦場の鬼人の呼ばれ、諸外国から恐れられたディベルグス=オリガナティーは、その日、オリガナ城の玉座の間にて歴戦の生涯に幕を閉じた。
第二次魔王大戦の終戦より五年余り。
平和の歴史を紡ごうとした国王の死によって、この世界は再び戦乱の世へと歩み出そうとしていた。
建国祭最終日。
王城の鐘が鳴る。
人々に目覚めを伝える音色が、その朝だけはどこか寂しげに鳴り響いていた。




