15 身に背負う重み
上空が深い闇に覆われても、依然として街から明かりが消えることはない。街頭の光だけではない。家を食らう炎や時折煌めく閃光が夜の街を照らしていた。
「オリガナ王国が……」
王城へと続く坂道を駆け上がり、ふと後ろを振り向くと、そこに広がっていたのは戦火に燃ゆる街の光景だった。遠くの方で巻き起こっている粉塵と爆発は兵士たちが魔獣と戦っているに違いない。
種火のように転々とする炎は家や街路樹を糧にどんどん成長していく。まるで戦争を見ている気がした。
「また、始まるのか。あの地獄が」
思い出すのはどれも凄惨な景色ばかり。焼け野原に立つ俺とファナ。そこにはもう俺たち以外の命は残っていない。木や肉が焦げる不快な臭いと炭の舞った汚れた空気。充満した熱気に喉を焼かれそうになり、気が付くと、足も動かなくなっている。
あの時に戻りたくはない。争いなんてまっぴらだ。
オリガナ城を見据え、また走り出す。
その時だった。
閃光が視界を覆い、続いて凄まじい爆音が響いた。紛れもない破壊の音。
「そんな、オリガナ城が……」
黒い煙がモクモクと昇っていく。この距離ですらはっきりと分かる。オリガナ城の一角から立ち上る煙と周囲に散る瓦礫の影が暗い空の下で更に黒く色付いていた。
襲撃が始まる。この国の最重要機関とも言える建物が今まさに攻撃を受けたのだ。
「急がねぇと」
今の爆発で確信する。ファナが向かったのは間違いなくオリガナ城。そして、そこにアスタ=クレイエルもいる。
王都オーリフェルへと続く門には、以前立っていたはずの門番の姿は無く、門は開いたままになっていた。この緊急事態において、この国の中心部の最終防衛線であるはずの門が完全に放置されている。
門の向こうに見えるのは瓦礫の山と舞い上がる砂埃。
「いったいぜんたい中で何が起きている」
腹に力を入れ、ふぅと気持ちを落ち着かせてから俺は王都へと足を踏み入れた。
「な、なんだこれは……」
そこに広がるのはたった今その場で見たものとは全く違う景色。
静寂が辺りを包み、道行く人の影はなく、争いの痕跡も見られない。争いの渦中にこの場所だけが、まるで周囲とは隔絶した別世界のよう。
ただ一つ、外からの景色と同じなのはオリガナ城のみ。城郭の崩壊を確認し、ほぼ同時に赤い光が城の内部から発せられる。
チカチカと点滅する街頭の下で地面に映し出された自分の影が揺らめいている。足の震えが止まらない。幾ら叩いても、力を込めても、一歩を出すたびに震えは激しくなっていく。
この腰抜けが。
心の中で俺自身が叫びを上げる。
あの場所に守ると決めた人がいる。
いつも一人で勝手に突っ走り、気が付くと何処にもいない。俺は置いてけぼりで、その影すら追わせてはもらえない。
「さっきからずっと訳分かんねぇんだよ。ファナ、お前は何を知ってて何を隠してんだよ。俺にくらい教えてくれてもいいだろうが……」
あなたに教えてどうなるというの。力を持たないあなたには何も変えられないじゃない。
彼女は恐らくそう言うだろう。
全部その通り。全部俺が悪いんだ。
俺の弱さが全ての原因。
俺がこの場にいるのは、俺自身が弱いから。
ただそれでも、追いかけないという選択肢はないんだ。
「悪いな、そこだけは意地でも曲げねぇから」
破壊された城郭に辿り着くと、その周辺には幾人もの兵士が倒れていた。王都内で唯一見つかった争いの跡。痕跡を見るについ先ほどまで戦っていたに違いない。
「ここまで来ると、驚く気にもなれないな」
行く手を阻む者は誰もいない。城郭の奥から湧き出す魔力が地面を伝って足元まで流れてくる。まるで川に足を付けて歩いているような抵抗感と、氷水を思わせる冷たい感触。
「何て悲しそうな魔力」
魔力が訴えかけてくる。
この者が持つ悲しみと絶望を共有している。
ただ一端に触れただけなのに、その感情の渦は計り知れないほどに深く暗い。
王城の中は明かりがすべて消えていて、廊下の窓から射し込む月明かりだけが静かに影を照らしている。
この廊下を進んだ先に魔力の源がいる。
「これが本当に、英雄と謳われた者が持つ魔力なのかよ。こんな重苦しいもん背負いながら生きてるってのか」
とてもじゃないが耐えられない。
これほどの重圧をもしこの身に受けたならば、五体は瞬時に圧し潰されてしまうだろう。
英雄という名が背負うもの。
俺はようやくそれを知った。
表だけでは決して目にすることのないもう一つの側面。
それを理解し、我が身に背負うことが出来た時、真にその者は英雄となる。
「英雄という呼び名はあまり使われていないけどな。やっぱり初めについた呼び名ってのはそうそう変わるもんじゃねぇよな。周りの連中も、俺も、あんたのことは別の名前で呼んでるし。なぁ、勇者様」
国王が座す広間へと続く巨大な扉の前に、その男は立っていた。傍らにこの世の者とは思えない妖艶な女性を連れながら。
男は俺の方を見ても、表情一つ変えなかった。そして、俺も向き合ったその時から一切表情を変えることはなかった。例え、その男の足元にファナ=アシスタが横たわっていたとしても。
「それがてめぇの本性か、それともどこかでイカレちまったか、アスタ=クレイエル」
「招かれたのか、それとも誘われたのか。この娘の匂いを追ってきたという感じか。随分と傷ついているように見えるが」
「黙ってろ。お前と話す気はない。今すぐにファナから離れろ」
「この娘の身を案じているのか。ならばしんぱ」
アスタの顔面に渾身の力で蹴りを放つ。攻撃が当たるギリギリのところでガードされたが、アスタの身体は玉座の扉まで吹っ飛ばされた。
「離れろって言ってんだよ」
横に立つ誰とも分からない妖艶な銀髪の女性は、俺の方を見て少し驚いた顔をしていた。しかし直ぐに、驚きの表情は温かな微笑みに変わり、その女性はゆっくりと俺の頬に手を伸ばしてきた。
言葉が出ない。
それ以上に逆らえない。
強制されているわけではない。だが、女性の動きに逆らいたくはないという思いが胸の中で増幅していく。味わったことのない不思議な感覚。このまま彼女と共に生きていきたいと俺は本気で思っている。
頬に触れられた手の感触はとても形容しがたい。温度が無かった。感覚が無かった。けれど触れられている。確かに何かを感じている。
心が彼女に侵されていく。
恐ろしさなんて感じない。
あぁ、俺はこのまま彼女の胸に抱かれたい。
「今の一撃、とても見習い兵とは思えない素晴らしい一撃だった」
左の方で声がする。と同時に視界が横に伸び、足が地面から離れる。
浮遊感を感じ、我に返ると全身に何度も激しい衝撃を受けた。自分の体がバウンドして転がっていたことに気付いたのは、広い通路の端まで飛ばされた後だった。
起き上がると、視界の半分が赤く染まっていた。額に手を当てると生ぬるい液体が手にこびり付いた。
「彼女の前に立っていいのは俺だけだ。気安く触れるな」
勇者の語気が強まる。
濃密な魔力が体を覆い、殺気が辺りに充満していく。
「何だか知らねぇがな。勝手にキレてんじゃねぇ。ムカついてるのはこっちの方だ。ファナに何しやがった、クソ野郎っ!」
俺は激昂した。それに呼応するように勇者は己の魔力を爆発させる。
「聞きたいなら掛かって来い。その覚悟があるならな」
「上等だっ! ぶっ倒してやるよっ!」
心が音を立てて壊れ始める。
ファナ、守れなくてごめん。
でも仇は討つから……。
体の中から湧き出る魔力。
その身を捧げ、
そして俺は、修羅と化す。