12 熟れた果実とニャンニャン
会場の熱気が徐々に高まり、観客たちの注目が舞台に立つ金髪の魔女に集まる。女性は少し俯きながら微笑み、両手を大空に向けて伸ばした。
何も持たない手の平に突然、木の杖が現れる。魔女は軽々と杖を振るい、最後に杖の先端を地面に打ち付けた。
木と石が打ちあう音に会場は静まり返り、客たちはこれから起こる神秘の技に心躍らせる。観客たちの熱視線の中、期待とは裏腹に舞台の上では何の変化も起こらなかった。
「インチキか」
俺たちの近くにいた客の誰かが呟く。それに釣られてか、ぽつぽつと囁き声が聞こえてくる。魔女は胸に手を当てて何かを唱えていた。
その時、
「ねぇ、何だか寒くない?」
どこかで誰かが言った。
熱いというならいざ知らず、人で埋め尽くされた広場で寒いということはまずあり得ない。
自然の摂理を捻じ曲げる。
それこそが魔法の神髄。
カツンッ、とまた魔女が杖を打つ。直後、舞台全体と客席の通路が一瞬にして凍り付き、次に女性が杖を振るうと地面を覆う氷が当面なダストへと変わる。
空気が凍る。観客たちは言葉を失い、その光景に息を呑んだ。
冷たいダストを溶かす様に、舞台の中央に幾本もの火柱が立ち上る。
炎が空中に舞い上がると、さまざまな模様に形を変え、その動きに乗って魔女は踊り出す。爆発的な歓声と共に広場が再び熱気に包まれる。
舞台の横に控えていた音楽団が踊りに合わせて音色を奏で、白のドレスに身を包んだ魔女が舞台の上を駆け抜ける。
空中で揺れ動く炎は一か所に集まり、巨大な火の玉が膨れ上がっていく。観客にどよめきが走る。膨れ上がった炎の球体が空中で爆発し、吹き上がった火の粉が観客席へと降り注ぐ。
先程まで空中に煌いていた氷のダストが火に飲み込まれ、辺りが蒸気に包まれ、飛び散った炎は地を這うように動き、広場を囲う建物の壁に沿ってまた上空へと昇っていく。
魔女の舞いは激しさを増し、昇った炎はそのまま魔女の元へと振り落ちる。炎は魔女の周りを縦横無尽に泳ぎ回り、火の化身となった魔女は身に纏う炎を自在に操りながら、変化し続ける芸術を舞台の上に描き上げていく。
言葉はいらない。ただその場にいるだけでその熱量に心が溶かされていく。
恐怖と共に人を魅了する炎の舞い。
それを披露する女は、古来より伝えられし、恐ろしくも妖艶な魔女そのものだった。
「この地に火の神の加護があらんことを」
締めくくりの言葉にとうとう観客は酔いしれる。
魔女は静かに舞台を降り、広場からは大歓声が巻き起こった。
俺も全身に鳥肌が立ち、演舞を終えてしばらくの間、呆然と舞台の方を眺めていた。初めて目にする魔法という神秘。それが持つ力に心惹かれる。
「凄かったね」
隣でラミエラが呟いた。俺は黙って頷きながら、もう一度先程の光景を思い出す。目まぐるしく変わる美しい情景。その中央で踊る妖艶な女性。全ての調和が取れていた気がした。舞台の上で描かれた芸術作品に俺はもう一度拍手を送る。
「二度と見れないかもな」
「当然よ。でももしかしたら次の建国祭でまた見れるかも」
「そうだな。その時はまた見に行こう」
「うん」
演舞を見終え、俺たちはパプアン広場を後にし、その足でパプアン広場から続くヴェビン通りへと入っていった。何処へ行っても賑わいの様子は変わらず、これほどの人々が一体どこから湧いたのかと思わせる。
「お腹空いたね」
ラミエラが俺の方を振り向いて言った。
「ねぇ、前にリトリル先生が連れて行ってくれたお店に行ってみない? あそこのパスタすっごく美味しかったし」
「でもあれは市場の方だろ。ここからだと少し遠いぞ」
「そうだね……うぅん」
腕を組み、顎に指を当てながら考え込むラミエラ。俺は何に釣られるでもなく周囲に目を向けていた。ヴェビン通りは飲食店街なので見回しただけでも数件の飲食店が立ち並んでいる。建国祭の影響もあってか、どの店も繁盛しているようだった。
「それならこの辺でお店を見つけるのがいいのかなぁ」
ラミエラが頭を巡らせながら首を傾けたその時、ラミエラの背後で飲食店の扉が凄まじい音を立てながら盛大にぶち壊された。
粉々になった扉の破片が宙を舞い、続いて店の壁も破壊される。外に並べられていたテーブルや椅子も衝撃によって飛ばされ、そこに座っていた何人かは地面に転がり落ちた。
「何だ」
俺とラミエラが同時に振り向く。店の壁には巨大な穴が開き、その奥の薄暗い店内からリュックサックを背負った男が飛ばされてきた。言葉の通り、誰かに投げられたように放物線を描きながら飛ぶ男は着地態勢を取ることも出来ず地面に落ち、全身に走る痛みに悶絶した。
「ったくよぉ。いつまで白を切るつもりなんだよ、あァん!!!」
誰かを威嚇するような怒号が店の奥から響いてくる。先程飛ばされた男と同じような服装の男たち三人が後退るようにして外に出てきたかと思うと、その向こうからふらふらと体を揺らす赤髪の女が現れた。
「あたしの言ってるぅことが、間違ってんとでも言うんかぁ、ひっく」
小さく喉を鳴らし、顔を真っ赤にした女性は真っ直ぐに男たちに詰め寄る。
「答えろよな、あぁあ、答えろつってんだよっ!!」
見るからにふらふらで完全に酔いの回った赤髪の女は男との距離を詰めた瞬間、目にも止まらぬ突きで男の一人をダウンさせた。
(あの女の人、めちゃくちゃ強い)
遠巻きに見ていた俺でさえ、その女の強さを確信し、当然ながら女のすぐ傍に立つ男たちは血の気が引き、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「止めないと」
「そうだね」
俺とラミエラはすぐさま走り出し、野次馬を掻き分けて女と男二人の前に立った。
「そこまでです。これ以上暴れるのは止めてください」
「こ、今度は何だ」
「何だぁお前らわぁ、ひっく」
三人の注目が俺とラミエラに集まる。
「何があったのかは知りませんが、一度落ち着いてください」
「俺たちは落ち着いてるよ」
リュックサックを背負った男二人が言った。
「あたしだってねぇ、落ち着いてんだよ。ガキは黙ってそこで見てなぁ」
「そういう訳にはいきません」
女がこちらに向く。赤く火照った顔にうっとりと瞼を落としていたが、その瞳だけは鋭く研ぎ澄まされていた。
まるで動物が獲物を横取りしようとする他の輩に敵意を剥き出しにするように。彼女の眼光は冷たい殺気を含んでいた。
「あたしの邪魔のしようとするなんて百万年早いぜ僕ちゃんたち。いいから黙ってそこで見てな」
「だからそういう訳にはいきません。俺たちには市民の安全を確保する義務があります」
「お前、軍の兵士なのか。いやその様子だと正規兵じゃないな、ヒック、見習い兵か」
言いながら女は突きを食らわせた手とは反対の手に持っていた酒瓶に口を付けた。ぐびぐびと見ていて清々しいほどの飲みっぷり。てか、まだ飲むのかよ。
呆れながらも俺は女との距離を詰める。
「それ以上近づくな」
酒を飲み、腕で口を拭いながら女は言う。
「そこから一歩でも踏み込めば私の間合いだ」
「だから何だ」
俺の言葉に赤髪の女の眉間に血管が波打った。次の瞬間、天地が逆転し、背中に強い衝撃を受けた。気が付くと俺は女に腕を取られ、地面に横たわっていた。
「だから言わんこっちゃねぇ」
女は俺の体を転がし、背中の上に腰を下ろした。
「黙ってみてろって言ったろうになぁ。いいかよく聞け、あいつらはなぁ…………ってあれ、どこ行った?」
視線を向けた先に先程まで震え上がっていた男二人の姿は無く、がらんとした店先には俺と赤髪の女しかいなかった。
「こらぁそこを退きなさいっ!」
女が一瞬見せた隙を見逃さず、ラミエラが飛び蹴りを放つ。女は腕をクロスさせて蹴りを防いだが、衝撃で後ろに飛ばされる。
「ストラを踏みつけにしていいのは私だけなんだから」
怒るトコそこかよ。というより踏みつけになんてされてたまるか。
「ぶっ飛ばす」
いつになく闘志に満ち満ちているラミエラは両の拳を握り、女に向かって構えた。女の方はまだぽかんとしていてこちらを見ていない。どうやら逃げた男たちを探しているようだが、焦点の合っていない眼では男たちの足取りは追えるはずもなかった。
「人を馬鹿にしたような顔をして」
「いや、ただ酔ってるだけだと思うぞ」
ふらふらと視線を泳がせていた女が突然こちらを向き、何かに喜ぶようにニヤリと笑みを浮かべた。女の視線が向いていたのはラミエラ、の胸部の辺りだった。
「これはこれはまた瑞々しく実った果実だこと、にひひっ」
笑い声が聞こえた直後女はその場から姿を消し、次現れた時にはラミエラの背後を取っていた。ボールを受け取るように開かれた女の手がラミエラの芳醇な実りをそっと包み込む。
「あ、あぁ」
ラミエラの顔が真っ赤になり、女の手が人間の手とは思えないほどに柔軟に動いていく。
「その年でここまで完成しているとは、ホッホッホ、いやしかしこれがまだ完成途中の段階なのだとしたら、これは将来素晴らしい実りとなるな」
ラミエラは言葉も出ず、手の甲を顔に当てながら硬直していた。
「は、は、はなして~~っ!」
ようやく声が出て、ラミエラは自分に絡みつく猛獣を必死に振り払おうとする。しかし女も負けじと攻撃を躱しながら、十本の指を複雑に踊らしている。
その様子を俺は呆然と眺めていた。
どうやって止めればいい。やはり引き剥がすか。しかし、あの女の動きはただ者じゃない。いま飛び込んでもかわされるのが落ちなのでは。
俺は必死に考えを巡らせる。
ただ俺の思考も虚しく、決着は唐突にやって来た。
「止めんかっ!!!」
固く握った拳が女の頭上に振り下ろされた。
不意の一撃に赤髪の女も全く防御が追い付かず、ゴンッ、っという原始的で何とも心地良い音色を響かせ、両手で頭を抑えて悶えていた。
そして女の暴挙を止めたのは、なんと、訓練学校のアイドル的存在、オルレン=パーシブン特別教官だった。
「オルレン……教官」
唖然とする俺の前でオルレン教官は赤髪の女の襟首を掴み上げ、真っ赤に酔いつぶれた顔を覗き見た。
「こんなところで何をしているロゼリエ」
「おっ、こんなところに成長を終え、熟れた果実が……。これは夢か、夢なのか」
凝りもせず赤髪の女がオルレン教官の豊満な胸部に手を伸ばそうとすると、オルレン教官はふんっと鼻息を吐きながら、赤髪の女を地面に叩きつけた。ぐべっ、という呻き声が聞こえ、赤髪の女もさすがに意気消沈といった様子だった。
「酒の匂い。ロゼリエ、貴様はこんな昼間から酒を飲んでいるのか。警備はどうした上等兵ともあろう者がこんなところで飲んだくれて、分を弁えろっ!」
「ふへへ、ひっく、そんなに起こらなくてもいいじゃんか、ルレにゃん。今日は建国祭なんだぜ。羽目外さねぇでどうするよ」
「羽目を外していいのは民だけだ。われわれ兵士には民を危険から守るという責務がある」
「だから私はその責務を果たそうと酒屋で怪しい奴を探してたってわけ」
「嘘を吐くな」
「嘘じゃないよぉ。この二人が間に入ってこなかったら、大量の魔石をリュックに詰め込んだ怪しい奴らを捕えてたんだから~、ルレにゃんのバカ」
「さっきから、そのルレにゃんというのを今すぐやめろ」
「え~」
全力で嫌そうな顔を作りながら、ロゼリエと呼ばれた赤髪の女は反論する。
「だって昔から猫が大好きで、猫の前だと自分も猫になっちゃうぅ、とか言って、ニャンニャン言ってたくせに~」
「止めろ~っ!」
酔ったロゼリエ以上に顔を真っ赤にしながらオルレン教官はロゼリエの口を塞ごうとする。
(そんなバカな……今こいつは何といったんだ。オルレン教官が、ニャンニャンだとっ!)
危うく鼻から鮮やかな色の液体を垂れ流しそうになり、直ぐに頭に浮かんだ妄想を消去する。その間にもオルレン教官がロゼリエをヘッドロックし、ギブギブと言いながらロゼリエが必死に降参の意を伝えようとしている。
ロゼリエの顔が青白く変色したところでようやく首の拘束が解かれ、息も絶え絶えにロゼリエはラミエラの方へとやって来た。
ラミエラは先程の暴挙とそれから解放されたという急な状況変化に思考が追い付かず、呆然と立ち尽くしており、そんなラミエラを見ながら顔色の悪いロゼリエが開いた両手をゆっくりと前に出す。
「そこまでだ」
今度はさすがに俺も黙ってはいられず、ロゼリエの手を掴んだ。
「何をする」
目は死んだように閉じかかっているのに、その奥の瞳は熱く燃え滾っていた。まるで私の人生の楽しみを邪魔するんじゃないと言わんばかりの強い意志を感じる。
「それはこっちの台詞だ」
俺が言い終えるより早く、本日二度目のゲンコツがロゼリエの頭上に振り落ちた。完全にノックアウトしたロゼリエはその場に倒れ、呆れ返っているオルレン教官が俺の前に立った。
「見習い兵か。上官のはしたない姿を見せてしまったな。忘れてくれ。それよりもここで何があったのかを話してくれるか」
「はい、わかりました。我々が到着した時、ロゼリエさんと男たちと口論になっていて、いざこざを止めようと俺が間に入りました。それから俺とロゼリエさんが今度は口論になって、その間に男二人は逃げてしまいました」
「ならば、あそこに倒れている二人はロゼリエが倒したのか」
「はい、そうです」
オルレン教官に状況説明をしている間に、正規兵二名が現場に到着し、オルレン教官の指示の許、現場の保存と倒れた二人の持ち物検査などが行われた。
男たちの背負っていたリュックサックの中身は、ロゼリエの言ったとおり美しく煌く大量の魔石だった。
(本当だったのか……)
早とちりで止めに入った俺の方が間違っていた。
酔いの回ったロゼリエはこの魔石のことを男たちには追及して口論となり、あのような形で騒ぎになったのだろう。
「直ぐにこの周辺に兵を配備させろ。お前、名前は?」
「ストラ=エリレックです」
「ストラ=エリレック。男たちの特徴を教えろ」
「服装はあそこに倒れている男たちと同じようにベージュのマントを着ていて、背中にはリュックサックを背負っています」
「そうか」
オルレンは近くにいた正規兵の一人にまた指示を送り、正規兵はその場から走り去っていった。オルレン教官は横たわるロゼリエに視線を移し、ため息をついてからこちらを見た。
「ロゼリエのことを頼めるか。こいつを東―2の兵宿舎まで送ってやってくれ。心配するな、時期に目を覚ます」
「はい」
「それと兵士であるなら二度とそんな顔をするな。失敗を悔いている時間は我々には無い。失敗の次にあるのは、その失敗を塗りつぶすだけの成果だ。分かったな」
「は、はい……」
突然の言葉に俺は力なく言葉を返した。見透かされたように告げられた一言は俺の中に深く浸透し、胸を少しだけ締め付けた。
オルレン教官を見送り、俺とラミエラもロゼリエの体を支えながらその場を後にした。東―2の兵宿舎はここから程近い。細い路地を抜けている間にロゼリエが目を覚まし、辺りをキョロキョロと眺めている。
「ここはどこだ」
「オルレン教官に頼まれて、東―2の兵宿舎に向かっている」
「なに、あいつらはどうした。二人捕まえ損なっただろう」
「それも心配ない。兵が配備されてるから時期に捕まる」
「そうか、それなら安心した」
言い終えると、ラミエラは自分の両肩を支える俺やラミエラの腕からするりと抜け出した。口元には少し笑みがあり、ありがとうよ、とお礼を言った。
「ここまででいいや。後は一人で帰れるから」
「ダメだ。俺はオルレン教官からあんたを兵宿舎に送れと命令を受けている」
「固いこと言うなよ。それじゃ、これにてバイバイ」
最後ににっこりと笑い、しゃがみ込んだかと思うとそのまま周囲の壁を蹴り上がり、建物の屋上まで昇っていった。
「世話になった。今度会ったら飯でも奢ろう」
陽の光を背中に浴びながらロゼリエは敬礼する。
「待てっ!」
追いかけようと俺が踏み出した時にはロゼリエの姿はそこには無かった。垂直の壁をよじ登るスキルなど持ち合わせていない俺たちは呆然と立ち尽くすしかなく、またもや失敗を犯してしまった俺は、どうしようのなくため息を吐いた。