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蟲姫エリンヴェルデとカゲロウの夏

「カゲぇー、かーげぇー。私の今の気持ちを当ててみせー」


 茹だるような暑さの夏休みのとある日のこと。ガリガリとリビングで山のような夏休みの課題をやっつけていた僕は、泊りがけで遊びに来ているリンさんの声にシャープペンシルを置いた。

 リンさんはエリンヴェルデと言う名前の、耳の長いエルフという種族の女の人で、背の高さは中学生の僕より少し小さい位。蜂蜜色の髪をお尻の辺りまで伸ばしている。そして全身に蟲の刺青がところ狭しと彫り込まれているのが特徴。


「クーラーの効いた部屋でアイス食べながらごろ寝してるエルフの気持ちなんて知りません、後こぼしたらきちんと拭いてくださいねー」


 振り向きざまに彼女の為に買いだめしてある安いアイス、一本60円の懐に優しいもの、それをフローリングの床にべったりと這いつくばって、ちょっと他人には見せられないくらい蕩けた表情でしゃくしゃくと頬張っているリンさんに言って、僕はまた学生の天敵である夏休みの課題に向き直った。


「かーげぇー、暇ぁー、かーげー……、かああああげええええ!カゲロウ……、構ってくれー」


 そうして新しい問題を解き終わらないうちにアイスを食べ終わった彼女が、じたばたと手足を振りまわして死に掛けのセミみたいに断続的に構ってコールを再開しはじめる。時刻は二時を回った頃合いで、既にアイスは3個目、取り決めた一日に食べていいアイスの本数を消化してしまった彼女の、構ってコールが本格的になる頃だった。


「じゃあ、この問題解いたらゲームしますから、Xii V出しといてくださーい」


 あまり焦らすと、彼女は、全身の蟲の刺青を隠さない布っきれ一枚を巻き付けただけの、エルフの一族の伝統衣装らしい刺激的な格好のままべたべたと僕に縋りついて来るのである。


「んー、カゲやー、そふと何にするー?」


 健全な中学生男子である僕としてはそれはとても、恥ずかしいことで、もちろん魅力的ではあるのだけれど、それはどうしても不健全であるような気がしてならないのだ。

 僕なんかより何十倍、何百倍も永い年月を生きてきた彼女にはそんなあさましい思いを向けていることはお見通しなのだということも恥ずかしさを増している原因だったりする。

 初めての時、堪忍袋の緒が切れたリンさんに後ろから抱き締められ耳を食まれて、その夜に僕は初めて性欲というものに負けたことを思い出す。それは思い出すと今でも全身がぷるぷるする。


「…っと、リンさんの好きなのでいいですよー、ザル伝でも鯛乱闘でもー」


 少し意識を飛ばしていた僕は、ささっと退屈なことこの上ない算数のドリルの最後の問題を仕上げた。最後に僕の名前である柚木蜻蛉と署名して当分仕事のない鞄に放り込む為に部屋に戻って、そのまま冷蔵庫に向かった。この暑さではクーラーが効いていてもいくらでも喉が乾いてしまう。


「リンさーん、飲み物何が良い?お茶とコーラとオレンジジュースー」


 冷蔵庫の中からコーラとお茶を出して、製氷機からざらざらと氷をコップに入れる、だいたい彼女の趣味は分かっているので、聞く必要はあんまりないのだけど、毎度きちんと聞くのは僕の癖のようなものだ。エルフという種族は炭酸飲料が好きらしい。


「あー、カゲ!私にはやっぱりこのコンセントとやらの繋ぎ方は分からん!覚えられん!後コーラは氷たっぷりでだぞ!」


「はーい、じゃセットは僕やりますから、リンさんはコントローラー差したり、ソフト出しといてくださーい」


 お盆に彼女のコーラと僕のお茶をコップになみなみと注いで、ついでに買っておいたポテトチップスの大袋とお箸二膳も調達する。

 彼女の陣取ったテレビ前に僕は急ぎ足で向かった。台所とリビングまでの間に段差があるので、そこは気を付けて跨ぎ、いつのまにか覚えた正座でローテーブルにソフトを並べて待っている彼女がポテトチップスを見て涎を垂らしかけているのを見て見ぬフリをして彼女と合流する。


「カゲ、遅いぞ、待ち草臥れたぞ、ほれ箸くれ箸、これよ、これ。ポテチとコーラは人族の叡智の結晶よな」


 もぎ取るようにして僕からポテトチップスの袋と箸を奪い取る彼女を放置して、僕はXii Vのコンセントを繋ぎ、テレビとゲームの配線を済ませた。それほどやり込んでいない僕でも苦労せずに起動できるが、彼女はこの配線がまったく出来ない。

 それでも毎回彼女に配線を頼むのはちょっと涙目でこちらを見上げる彼女が可愛いからだったりするのは内緒だ。


「ふぬぬぬぬんう、ぬううう、くぬううう。何故だ、何故開かんのだ、不良品じゃないのか!」


「リンさんはまず、ポテチの袋を開けられるようにならないとなあ…」


 彼女の小さい手がびしりと袋を付き出した。歪に引き延ばされてしまったポテトチップスの袋の上部、パウチされた部分が交差する、縁に少し切れ目を入れてから圧着された部分をゆっくりと剥がすように開けていく。

 彼女はこういった小技もなかなか覚えられないので、開ける度にキラキラと尊敬のまなざしで僕を見上げてくる彼女の為にも今後も教えない方針だ。

 開いた袋から香ばしい匂いが漂ってきたら、彼女の涎を無視して、開いた口を圧着された縦のパウチに沿って開いていく。これで箸でポテトチップスを食べるのに適した状態になり、置いた瞬間には袋に彼女の箸が突き刺さっている。

 多少めんどくさい時もあるけれど、彼女と一緒に居ると、さみしさを感じる暇がないのはとても良いことだと思う。

 ローテーブルの真ん中に置かれた、綺麗に僕が開いた袋から器用にお箸で大きいポテトチップスを摘みパリパリと食べ続ける彼女を促して、彼女の興味をゲームに移す。


「じゃあ、鯛乱闘でいいかなっと、ほらリンさん。お箸置いて」


「む、仕方ないのう」


 彼女は何も言わないとパリパリ、パリパリと延々とポテトチップスを食べ続ける。一度いつまで食べて続けるのか見ていたら僕の分が無くなってしまったのでそれ以降は何枚か食べた辺りで、一端彼女の意識をゲームに移すようにしている。


「ほれ、私はいつものハタタテダイじゃ」


「ん、じゃあ僕はいつものと変えてニザダイでいいかな」


 鯛乱闘スマッシュフィッシャーズ、それが今やっているソフトの名前、通称スマフィシャ、鯛、などと言われ、なぜかかなり流行っている。対戦格闘ゲームだ。舞台は海の中で、様々な種類の鯛が戦うというもの。なんで流行ってるのか全く分からないが、リンさんは結構はまっている。


「海域はどこにする?らんだむでいいか?」


「じゃランダムでNPCも入れてと、………ロード・ハウ島沖かぁ」


「ふふふ、ここはとふいひゃぞ」


「あんまり得意じゃないけど、逃げ切ってみせますよ」


 箸を口に咥えたままのお行儀の悪い異世界出身のエルフは、恐ろしいことにゲームに慣れているはずの日本人の僕より数段ゲームプレイが上手いので、なんだかとても納得がいかなかったりする。が、それは一対一で戦う時であり、NPCの魚群を含めたプレイならまだなんとか勝ち越せている。少なくとも彼女がなりふり構わなくなってくるまではだけれども。


「ぬう、カゲは魚群使うの禁止と言ってるじゃろが」


「そういうゲームなんですって。悔しいならリンさんも魚群コンボ練習すれば良いでしょ?」


「なんかずるいから嫌だと言っとる。カゲもバッタに作物を喰い尽くされた人族の気持ちを思い知れ、いややったのは若い時の私じゃけどな…こう、なすすべなく削り取られて肉片に変わるこの筆舌にしがたい絶望感をな…ぬう」


「はいはい、じゃ次の試合ですよー」


 彼女はヤンキー時代の武勇伝みたいな感覚で時折過去を軽く語る。結構な数の人を殺しているそうで向こうの世界ではおとぎ話になったり、秋田のなまはげみたいな存在だったそうだ。

 クーラーの効いた部屋でごろごろとアイス食べて、御菓子とジュースを食べまくり、ゲームで一喜一憂している姿からは想像が出来ないけれど、全身に散らばる禍々しい蟲の刺青は、彼女の語る蟲姫エリンヴェルデという苛烈な復讐鬼の話を冗談だと笑い飛ばさせない魔力がある。

 まあ異世界の人間がいくら過去に死んでようが僕には関係のない話なので、今の僕は夏休みの課題を忘れて、彼女を思う存分構うだけなのだけれども。


「なんじゃ?じろじろと、女の体に興味を持つのは良いが、そう言うのは日が暮れてからにせい」


 僕が彼女を見つめているとそれに気が付いた彼女はにやりとして、言い放った。


「はぁ?……ぷふっ」


 彼女の全身を上から下まで見て、つい笑ってしまった僕は何も悪くない。


「なんじゃその、おい、カゲ、なんだその目付き、鼻で笑うな、……私の乳房を見て笑うなゴラァ!」


 ゲームそっちのけで彼女に踏みつけられ、さんざんに謝り倒して、追加のアイスを一本を対価に、赦してもらえた頃には日も暮れかけていた。


 慣れてしまった一人きりの生活と違って言葉を交わす相手がいる、刺激のある生活は悪くはない。僕はリンさんとの生活をとても気に入っている。

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