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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

そして少女は魔女になる

作者: うつぎ

 それじゃあね、また明日。そんな風に挨拶を交わして、交差点でいつもの通り別れる。いつもの友人、いつもの言葉、いつもの道。おかしなところは一つだって無い。私はただ、今にも降り出しそうな曇り空を気にかけながら、降られる前に帰ってしまおうと、いつもより少しだけ早足で帰り道を急いでいた。

 それがいつもと違う帰り道になったのは、あと五分ほどで家に着く、というところだった。商店街の終わり、閉店してしまった本屋と、今日が定休日のブティックの店舗の間には、人が一人、どうにか服を擦らずに入れそうな隙間がある。もちろん、そこは薄汚れているし、とても綺麗なものじゃないから、好んで入ろうなんて人間はいない。私が歩みを止めた理由だって、そこに入ろうと思ったからじゃない。だから多分、この人も、好きで入った訳ではないんだろう。おそらくは。

「……」

 ――足があった。

 ブーツを履いた、男の人の足だ。それが、くるぶしから先だけ見える。そう認識した瞬間、私の心臓はどくりと大きく跳ね上がった。だって、普通ならあり得ないだろう。夕方が近いとはいえ、酔っ払いが出歩くにはまだ早いような時間に、男の足が商店街に落ちているなんて。咄嗟に、死体かな、と思ってしまったのも仕方がない。

 躊躇った後、隙間を覗き込んだのは、言うなれば怖いもの見たさの行為だった。そうっと慎重に近づいて、そろ、と足から先の身体を覗きこむ。胴体はちゃんと、全部あった。奥の方は暗くなっていて、人相までは分からなかったけれど、どうやら頭もちゃんとついているらし分かった。私はほっと息を吐き、ひとまずは、バラバラ死体の発見者にはならなかったことに安心した。

 だけど、まだ、生きているかどうかは分からない。

 私はさっと周囲を見回した。シャッター街はうらぶれて、駅からの入り口の方ならともかく、出口に当たるこの周辺は人通りが少ない。そうは言っても、全くない訳ではなく、すぐ近くの交差点には信号待ちの人がまばらに立っているし、車の行き交いだってある。

 何かあったら、叫べば何とかなるだろう。それに、家までも五分程度の距離だ。走れば半分もかからない。

 私は少し緊張しながら、倒れている男性に向かって「あのう」と声をかけた。

「……へあっ」

 しかし、その直後に、間抜けな声が出た。

「な、なに」

 男性の胸の辺りから、するりと何かが伸び上がる。

 それは苗木のように細く、ぬるぬると伸びて、くるりとねじれた。先端が花開くように裂け、淡く緑に発光する。そして、その中央に、オパールのように輝く小さな玉。あなただ、と誰かが呟いた気がした。

 ――キン!

 金属がぶつかる音によく似た耳鳴りが響いた、次の瞬間だった。

「あうっ」

 膝からがくりと崩れ落ちる。全身の力が抜けた、としか言い表しようがない。ぞおっと怖気が身体を包み、全身の血が冷水に変わって、寒い、それしか考えられなくなる。寒い。身体が、重い。何だ、これは。何が起きている?

 こわい。

「ユノ!!」

 意識が落ちる寸前、耳に馴染んだ声を聞いた。

 私は少しだけほっとして、応えるでもなく、そのまま失神してしまった。


 夢を見た。

 私は今よりも少しだけ背が高くなっていて、見たことの無い場所に立っていた。重苦しいカーテンが窓を覆う、豪華だけれど薄暗い部屋だ。とても広いのに、高価だと見える重厚な家具と、壁を埋めるように飾られた絵画が、どうしようもなく息苦しかった。その中で黒衣を纏った私は、さも鬱陶しげに首を振り、何事か口を開いた。

 目を覚ましても覚えていたのはそれだけだ。もっと他にあったと思うのに、霧散してしまった後ではその姿を掴むことは出来なかった。はっきりしたストーリーのある夢だったようにも思うが、全体、定かではない。少しだけ苛立って、乱暴に寝返りを打った。そこで、あれ? と思った。

 プリーツスカートを履いている。私は普段、制服を着たままベッドに入るなんて非常識な真似はしない。慌てて身体を起こすと、スカーフが解かれているだけで、全く制服そのままを身に着けて眠っていたらしい。どういうことだか全然分からない。

「えーと……何で昼寝してるんだろう?」

 窓の外は暗いようなので、厳密には昼寝と言い難いかもしれない。しかしまあ、そんなことはどうだっていい。私は思わず額に手をあて、ううん、と低く唸った。

「今日は掃除の当番もなくて……?」

 真っ直ぐ、真っ直ぐ帰ってきたはずだ。いつも通り、美香と交差点で分かれて。ああ、そうだ、雨が降りそうだったから、私は少し急いでいた。

「それから」

 あ、と思わず声に出していた。あれは何だったのだろう? 靴が落ちていて、人が倒れていて、それから。

 どきどきと心臓が早くなるのを感じた。得体のしれない恐怖が、背骨から静かに這い上がってくる。呼吸が少しだけ苦しい。

 何の足しにもならない深呼吸を一つして、ベッドを降りた。まだ膝に力が入らないような気がしたけれど、ちゃんと立つことは出来た。自分に落ち着けと言い聞かせながら、それでも逸る手でドアを引き開ける。このままじゃ、階段から落ちそうだ。何も無くたってよく踏み外しているのに。

 案の定、途中で足をすべらせつつリビングに雪崩れ込んだ私を、父は穏やかな顔で笑って出迎えた。「賑やかだねえ、いつもながら」そう言って、読んでいた本を閉じた。

「お、お父さん」

「うん、ユノの言いたいことは分かってるから。だから、ちょっと落ち着いて。ほら、座りなさい」

「はい……」

 言われるままソファに座ろうとした私は、今度は悲鳴を上げる羽目になった。

「お父さん! この人!」

「ユノ、座りなさい」

「座るけど! こ、この人!」

「うん、それをね、これから説明するから」

 ソファには、人が寝ていた。随分な長身のため、思い切りはみ出して、足を投げ出している。私はちらちらとその人を伺いながら、一人用の椅子に腰を下ろし、クッションをぎゅっと抱き締めた。向かいの父は入れ替わりに立ち上がって、「ココアとコーヒー、どっちがいい?」と尋ねた。

「お水ほしい……喉、カラカラ」

「あー、はいはい」

 よく冷えた水はやたらと美味しかった。目の前に置かれた二リットルのペットボトルからお替りを注いで、もう一杯空ける。父はその間に自分用のココアを作っていた。あの、冷たい牛乳にも溶けるやつが、うちには常備されている。

「それで」水を飲んでいくらか落ち着いた私は、椅子の背もたれに身体を預けながら切り出した。「どういう状況?」父は声もなく、困ったように笑った。

「それを全部説明しようと思うと、長い話になるね」

「さしあたり、この人のことを聞きたいんだけど」

「それ? それはね、アラン・カーターって男だよ。第百十二期の魔王候補生で、僕の知り合いでもある」

「うん?」

「うん」

「何の話ですか」

「その男の話かな」

「いや……えっ?」

「だから言っただろう、長い話になるって」

 父は、いつもと何ら変わらない、穏やかな調子でそう言った。冗談なのか、そうでないのか、よく分からない。父は基本的に陽気な人で、冗談を言うときはとても楽しそうに、そうでなければ大仰にそれらしくして見せるのだ。平坦なトーンを変えない父に、私は戸惑って口ごもった。それを見て、父はまた、困った風に眉を下げて笑った。

「君は、昔、魔法使いになりたがったね」

「え、ああ、……まあ」

「まだ、魔法ってものを信じてる?」

「いや、それはないけども」

「あればいいなあとは思う?」

「……思わなくはないかな。でも、それが一体なんだっていうの」

 にっこり。甘さの漂う顔立ちにとびきり柔和な笑みが浮かび、私は思わず怯んだ。父がそういう笑みを浮かべるときは、大抵、何事かにおいて私を言いくるめようとするときだ。知らず奥歯を噛んだ私に、父は殊更ゆっくりと、幼子に聞かせるように、爆弾発言を落とした。

「魔法というものはあるよ。魔法使いも、魔女も、存在する」

「……それは、えーと、何かの比喩?」

「いいや。現に僕は魔法使いだし、そこに寝ている男も魔法使いだ。断っておくけど、童貞ではないよ。だから、比喩でも、皮肉でもない」

 証明しようか、と軽く言って、彼は右手のひらをひらりと振った。瞬きする間に、その手には一本の棒が握られていた。

「へ?」

「手品じゃないよ。ほら」

 その棒――薄青い色をして、細かな彫刻が施されている――を、たった一振りすると、ふわりと下からあたたかい風が吹き上がった。私がぱっと下を見たと同時、きらきらと輝く粒子が天井から星のように降り注ぎ、間髪いれずに私は上を向くことになった。

「うわあ……!」

 小さな銀河がそこにはあった。粒子を巻き込み、渦巻く、光の銀河。それはほんの数秒の幻影だったけれど、私の心臓はさっきとは違う興奮に、大きくせわしなく脈打っていた。

「魔法? 今のが、ほんとに?」

「僕は嘘は吐かない」

 父のその言葉を、私は丸ごと信じた訳ではなかった。それはそうだ。まともに、普通に育ってきた人間なら、この年にもなれば冒険やファンタジーへの夢をすっかり磨耗させてしまう。

 けれども、私にはこの状況を、魔法以外で上手く説明することも出来なかった。魔法への憧れを否定はしても、それを科学で説明しきってしまうほどの知識は無い、中学生とはそういう年頃なのだ。

「お父さんは魔法使いなの?」

「そういったろう?」

 ここで初めて、彼はようやっと、愉快そうに声を立てて笑った。

「だけど君は魔女じゃないから、僕はずっと内緒にしてきたんだよ。それはおいおい、話すとして……おい、アラン」

 父の長い腕がにゅっと伸び、あの青い棒で男性の頭をこつんと殴った。

「杖無しのアラン、いい加減目を覚まさないか。僕だって、お前に聞きたいことがあるんだよ!」




 結局、アランは頭から水を被せられてやっと目を覚ました。水をかけたのも、乾かしたのも父で、けれども彼はそれらを、ただ棒を振るだけでそれをやってのけたから、私はだんだん魔法というものの存在を信じかけていた。

 しかし、それならそれとして、なぜ彼は私に、いきなり衝撃のネタばらしをする気になったのだろう。隠し通したければ、彼の話術でどうとも誤魔化せばよかっただろうに。自慢にはならないが、私はいまだに父に口で勝てた試しがないし、大嘘を丸々信じて恥ずかしい思いをしたこともある。父にしてみれば、私を言いくるめるくらいは簡単なことだろう。

 アランさんが父にぎゃんぎゃんと怒鳴る中、私はぼんやりそんなことを考えていた。なので、いきなり彼がこちらを振り向いたときには、本日何度目か分からない驚きを飲み込んで反射的に背筋を伸ばした。

「泥棒!!!」

「……はい?」

 ぽかん。予想外の第一声に、私はバカみたいにほうけてしまった。彼はその隙にも、さきほど父に怒鳴っていたように大声でまくしたて、私の反応を思い切り阻害した。

「泥棒! 返せよ俺の杖! 何でいきなり人の杖取ってんだよ返せよそれ俺のだぞ!! 俺の!! お前みたいなガキが何するんだこの泥棒!!」

「黙れスットコドッコイ」

「あがっ!!」

 アランの後頭部に父の棒が思いっきり刺さった。私がなおも呆気に取られて、ぱちぱちとその光景をみつめていたら、父はにこやかに微笑を深めて私に顔を向けた。

「ユノ、大丈夫だよ。こいつが勘違いしてるだけだから」

「勘違いじゃねーよ!!」

「あの、アラン……さん? 私が、ええと、何?」

「泥棒!!」

 ぐ、と父の腕がアランさんの襟を引いた。ぐげっとカエルの潰れるような声がして、続いて、彼は大きく咳き込んだ。

「困ったことになったのは確かだな」

 そう呟いた父の声は硬く、けれども、全く事情の分らない私は首を傾げるしかない。「ごめんね、ユノ」と小さく言って、今度はその長い腕は私に伸びてきた。

「え?」

 鎖骨の上に、父の大きな手が乗せられる。そのぬくもりを感じ取る前に、私の身体の奥の方で何かがずずりと何かが大きく動いた。背骨を、痛みもなく引き抜かれるような、得体の知れない感覚。

「あ、あ、あ、あ」

 喉の奥から引きずられるように声が漏れる。父の掌が光り始め――いや、光っているのは私の胸か? 薄い緑色の柔らかな光が、輝きを増していく。

「あああああああっ!」

 父が大きく手を振り上げた瞬間、ぱちんと光が弾けた。

 彼の手には、長く太い棒のようなものが握られていた。

「うーわーほんとだ」

「だから言ったろうが!」

「な……何なんですかっ!?」

 私の見間違えでなければ――『それ』は私の中から引き抜かれなかったか?

「さっきから、全然分らないっ……何なんですか! ねえ、お父さんも!一体どういうことなの!?」

「まあまあ、そう慌てないで」

 混乱を極めた私を、お父さんがおざなりに宥めた。その目はしげしげと、今しがた現れた棒を見つめている。それは透き通るような緑色をしていて、先端にしずく型の白い宝石が嵌まっていた。どこかで見たことがあるな、と私は首を傾げた。

「これはね、『はじまりの贈り物』という名前の杖なんだけど。元はアランのものだったんだ」

「今もだ!」

「バカのアラン。分ってるだろう? 今この杖を所有してるのはユノだよ」

 キイイイン……あの、金属質な耳鳴りが響く。私が思わず耳を押さえると、父は少しだけ表情を柔らかくした。

「ユノ、君はね、魔法使いになったんだ」

「まほうつかい……?」

「そう、ちょっと、いやかなり変な経緯だけどね」

「俺は認めない! そいつは俺の……っ」

「その話も追々ね。ああ、ほんとに困ったことになった」

「聞いてんのかホヅミ!!」

「聞いてるよ。それより、ユノ。困ったことっていうのはね」

 父が肩を竦めると、ミルクティー色の長髪が肩から零れ落ちた。これ以上、まだ何かあるのだろうか。パンクしそうな頭を軽く振って、「うん」と頷き返す。

「君はね、第百十二期の魔王候補生として、『魔法使いの宴』に参加することになった。……と、思う」


 もう、何がなにやら分らなかった。



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