705列車 どうしてそうなった。
2062年5月16日・火曜日(第70日目)天候:晴れのち曇り 東日本旅客鉄道両毛線新前橋駅。
ホテルを出て僕たちは両毛線に乗り込む。車内は沿線の学校に通学する人たちでたくさんだ。仕方ないが建たざるを得なかった。
新前橋8時02分→佐野9時20分
駅毎に学生が増えたり、減ったりを繰り返していたが、授業が始まる時間が近づいてくると車内もやっと落ち着いていった。僕たちは佐野駅で降りることにした。
最長往復切符復路佐野駅で途中下車
佐野駅は両毛線の途中にある駅だが、播州さんの最長往復切符の旅ではこの駅は2回途中下車を実施している。往路では戦争中で疲れ切ったため降りる来も怒らなかったが、今回は降りることにしよう。
駅からほど近いところに木が生い茂った場所がある。城山公園と呼ばれるところでその名前からして元々お城が有ったところだろう。
「ここが佐野城の跡かな。」
萌がつぶやく。
「そうなんじゃないの。佐野駅の近くにあってそうじゃないって事も無いでしょ。」
「7年で廃城になったって言うお城よね。」
「佐野城の城主本当に何したんだろうなぁ・・・。」
こういう時は調べるに限る。インターネットの大図書館ウィキペディアの出番である。
「どう。何があったのか分かった。」
「うーん・・・。分かんない。肝心なところが「突如の改易」で終わってるんだよなぁ。」
「改易って何。」
「うん、まぁ。簡単に言ったらクビってことかな。」
「じゃあ、佐野城の城主は7年でクビにされたってこと。」
「うーん・・・。調べて分かったんだけどさぁ、佐野城を治めてた人って豊臣秀吉の方によってたんだって。」
「関ヶ原の合戦じゃあ豊臣の味方をしたからなのかな。」
「それはないでしょ。1614年廃城だからなぁ。さすがに14年もたって「お前あのときの恨みは忘れないから、と言うわけでお城取り上げます」とか言わないだろ。」
それに佐野城が築城された理由。それは元々この辺りで持っていたお城を廃城にしろという徳川家康の意向らしい。仮にもこれが関ヶ原の戦いの清算なら、なおさら1614年廃城の理由にするのは難しいだろう。それにそんなことやったラサの城の城主達が黙ってはいないだろう。例え鎮圧されたとしても何かしらのアクションを起こしそうなものである。
「それに改易だって関ヶ原の戦いの清算だけじゃなくて、他にもお家騒動とか法律破ってもなるらしいし。」
「その時このお城の城主が悪政でもした・・・。」
「さぁ・・・。完成した佐野城を7年後に増改築するとも思えないし・・・。」
「・・・増改築でもしたんじゃない。」
萌がつぶやく。
「えっ。」
「だって悪政をしてないとなったら、増改築じゃないの。元々徳川には付いてなった人なんでしょ。そういう人が徳川の転覆を狙ってもおかしくはないんじゃない。江戸に近いここなら簡単に江戸に入ることだってできるでしょ。昔はツイッターみたいにすぐに情報なんて拡散されないし。」
確かに、萌の言うことには一定の説得力がある。だが、どこにも証拠は無い。全部推測の域を出ない話である。
「実際どうだったんだろうねぇ。」
「どうだったんだろうなぁ・・・。」
佐野9時56分→小山10時23分
佐野駅に戻り、小山行きの普通列車に乗る。小山からは東北本線の列車に乗り宇都宮駅で下車した。
小山10時36分→宇都宮11時07分
最長往復切符復路宇都宮駅で途中下車




