569列車 事実を伝える場
広島、長崎は当時アメリカが無辜の民に向け残虐な爆弾を使用した「人でなし」だったという事実を共有すること。それが原爆の死傷者が報われることであろうと思いたいです。
原爆の死傷者のことを蔑ろにするつもりは一切ありません。
2062年3月15日・水曜日(第8日目)天候:晴れ時々曇り JR西日本宮島フェリー宮島航路宮島駅。
宮島12時40分→宮島口12時50分
宮島→宮島口の乗船券使用開始および終了
広電宮島口→広島電鉄→原爆ドーム前
原爆ドーム前下車時運賃支払いの上乗車
宮島を後に広島電鉄の走らせる長い路面電車に乗って、僕らは原爆ドーム前で降りた。広島では外すことの出来ない場所の一つでもあろう。
原爆ドーム前の電停から歩いて行くと緑の機の中に忽然とどす黒くなった建物が現れる。これが世界遺産「原爆ドーム」だ。そして、誰もが社会で学ぶ・・・1945年8月6日。大東亜戦争(太平洋戦争)終結間際、米軍の飛ばすスーパーフォートレスB29が投下した「残虐な爆弾(原子爆弾)」の爆心地である。
「100年以上も前にここがねぇ・・・。」
辺りを見回してみる。もちろん、そんな面影はどこにもない。広島は力強く復興したのだ。
「これだけ見ても実感がわかないわね。」
「まぁ、実感がわかない方が幸せかもしれないな。」
僕は萌にいった。
その当時ここで起こった忌まわしい出来事は実感しない方が良い。
「ここじゃあ、原爆が落ちたっていう事実を実感した方が良いんだろうなぁ・・・。当時のアメリカが、民間人に対して人権蹂躙も大概な爆弾を使ったっていう事実を。」
「・・・ナガシィって、この時期のアメリカには辛辣ね。」
「辛辣にもなるさ。民間人相手に原爆を使って良い理由は何一つ無いんだからね。・・・よくもまぁ、アメリカはあんなことが出来るもんだ。感心するよ、彼らの人でなしさに。」
「それもそうだけど・・・。」
「日本が戦争中に酷い事したっていうのは全部馬鹿なエリート集団が作ったフィクションだったじゃない。だから、これに関しては「日本人は今でもキレて良い」と思うんだよ。ただ、謝れって言うのは無しだけどね。」
僕はそうも続ける。アメリカでは「原爆投下は間違いだった」との認識が広がっていると聞く。それがせめてもの救いだと思うからだ。それに、その当時を生きている人は誰もいない。それを「謝れ」とか言われたって「何故謝る必要がある」といわれておしまいのことだからだ。
「ここに来ると鬼畜米帝に腹が立つだけだな・・・。」
「・・・ここで亡くなった人はどうすれば報われるかなぁ。」
「・・・忘れないのが一番じゃない。アメリカが落としたっていう事実。一瞬で万単位の命がなくなったっていう事実。それだけで良いんじゃないか。それが正しいのかは分かんないけど・・・。」
「・・・あっちの資料館にでも行く。」
萌はそう聞いてきたが、
「見るもんじゃない。アレは見るものじゃないよ。悍ましすぎるんだよ。」
僕は少し原爆ドームから離れる。
「もうそろそろおやつの時間だな。おやつでも食べ行こう。」
「甘いものは控えてよ。」
「はいはい。」
核の話は今でも人類がしっかり向き合わなければならない懸案であり、最も解決することが出来ない問題でもあろう。国連では今も「核廃絶」が唱えられ、核廃棄を核保有国に迫っている。だが、核保有国はどこも核保有国同士で顔を伺い、何もしないと分かれば、他の核保有国も手を打たない・・・。
持ってしまった力の大きさを下等生物は理解出来ていないらしい。100年以上経っても変わらないのだから、僕らが死ぬまで変わらないだろうなぁ・・・。




