559列車 ハチロクだとっ!?
2062年3月11日・土曜日(第4日目)天候:曇り 九州旅客鉄道鹿児島本線熊本駅。
熊本駅にゆっくりと向かった。今日の始発列車は9時45分。今日もゆっくりとした出発である。
高架橋となっている熊本駅には「シュッ、シュッ」と蒸気機関車独特のサウンドが響いている。その一角には黒の蒸気機関車が白い煙を吐いて止まっているのだ。この列車は「SL人吉」。この列車で人吉まで向かう。
「ナガシィ。写真撮ろう。」
萌が僕を蒸気機関車の前へ誘う。僕は萌の隣に発って、スマホの画面を見る。パシャという音がすると僕は蒸気機関車を見た。ナンバープレートには「58654」と数字だけが書かれている。
「デゴイチだよ。」
近くの母親が子供にそう言う。
「ママ、これデゴイチじゃないよ。ハチロクだよ。」
「ハチロク・・・。」
子供にはこれがD51形蒸気機関車じゃないことが分かっているらしい。しかし、母親の方はピンと来ていないようだ。ていうか「ハチロク」って。僕の頭の中じゃ、蒸気機関車じゃなくて「スプリンタート○ノ」や「カローラ○ビン」が出てくるのだが・・・。
(そろそろ行きますよ。ドリフト・・・。ドリフトって・・・じゃあ今までのは・・・。)
なんてな。あっ、この時乗ってたのは「シ○ビア」だ。
「これが日本一古い蒸気機関車なのね。本物見るのは初めてだけど、結構可愛いわね。丸くて。」
萌が言う。
「可愛いか、これ。」
「可愛いよ。いつまでも走って欲しいわね。」
「・・・。」
日本一古い蒸気機関車は今でも九州旅客鉄道の努力によって維持されている。それは経歴からも明らかである。この車両は「SLあそBOY」の運行に際し、動態復活した。しかし、製造から長くなった車両は台枠が歪んでしまい走れなくなってしまったのだ。車両で台枠が歪むという意味は人間で言えば「骨格そのものがダメになる」と言うことである。人間で骨格がダメになれば、まともに歩くことは出来ないだろう。それを発症してしまったのだ。この車両に思い入れのあった人々は誰もが「58654号機は終わった」と思ったのではないだろうか。
だが、今僕たちの前で終わったはずの機械が動いている。ダメになった骨格を直したのだ。といっても、そう簡単なことではない。台枠を直して貰う時点で製造から100年が経過している車両。歪んだもののゆがみを直すでは意味が無いため、台枠を0から製造しなければならなかったのだ。偶然にも製造元に設計図が有り、それを元に新しい台枠が製造され、この車両にはめ込まれたのだ。これによって今も元気に動いているのだ。
「でも、播州さんも言ってたけど、これって今も同じ車両かな。」
僕が言う。
「・・・。」
「蒸気機関車って結構個性があるって言うじゃん。同型機でもこせいがあるんだから、厳密に言ったらこれは8620形の最終号機に生まれ変わって58654号機じゃなくなってるんじゃないか・・・って。」
「・・・そんな細かいことは気にしない。ささ、乗るよ。ナガシィ。」
萌に押され、僕たちは「SL人吉」に乗り込んだ。
「ボォォォォォォォォオッ。」
汽笛一声、熊本駅をゆっくりと離れ始めた。
熊本9時45分→「SL人吉」→人吉12時09分
最長往復切符往路新八代まで使用
新八代→人吉(ゆき)の乗車券使用開始
八代から「SL人吉」は旧鹿児島本線の肥薩線に入る。列車は川沿いを揺ったりと上っていく。先頭に立つ8620形蒸気機関車の息づかいが客車に乗っている僕たちの方にも聞こえてくる。
「ボォォォォォォォォオッ。」
汽笛一声トンネルに入る。上を見上げると高い位置に鉄道の高架橋が見える。九州新幹線の高架橋か。あんなに高い位置からでたかと思うとすぐに対岸でトンネルに入っている。このあたりは九州新幹線でもトンネルの多い区間なのだろう。
ゆっくり走り続け、時折沿線の案内をアテンダントが織り交ぜる。12時09分。「SL人吉」は終点の人吉に到着する。
新八代→人吉(ゆき)の乗車券使用終了
「着いたねぇ。」
「ああ。」
「どうするナガシィ。「かわせみ やませみ」の切符取っちゃってるけど、これで戻らないって言うのもいいんじゃない。」
「せっかく取ってるんだから、それで戻ろうよ。」
僕はそう言った。その時萌が何かを見つけたようで、そちらの方に駆け寄っていった。
「ナガシィが好きそうなのあるよ。」
それには「混浴?」と書かれている。何で「?」が付いているのかな・・・。
「好きそうって・・・。」
一口メモ
鉄道院8620形蒸気機関車58654号機
日本で製造されたテンダー式蒸気機関車(炭水車が連結された蒸気機関車)。8620形は9600形と同様当時の国産蒸機としては傑作であり、多くの車両が製造された。58654号機はこの435号機となる。なお、この個体は静態保存されていたものを動態復活させたもの。一時、動態を保てなくなり再度静態保存されたが、製造元にあった設計図を元に台枠などを再度製作し2回目の動態復活を遂げる。現在、日本で営業運転する全車両の中で最も古い。




