315列車 悪い流れ
「朝礼実施します。整列、気を付け、敬礼。」
その声で今日も昼の勤務が始まるのである。
「本日8月5日、巡回パターン〇。・・・。」
そういい土佐さんが何時もの通り、朝礼を進めていく。今日僕は比較的早く帰れる班の仕事である。同乗者は土佐さんである。
「朝礼終了します。解散。」
その一声を聞いて、前日の夜隊と交代するべく、他の班の人は詰所を出ていく。一方、早く仕事が終了する班はそのまま詰め所に残る。他の班とは違い出るまでにやらなければならないことがたくさんあるのだ。それらすべてが終わってから、僕たちは詰所を出るのである。
「それにしても、今日は夕方雨になるって言ってますけど、土佐さんまずいんじゃないんですか。」
そういい天城班長が聞いた。
「まずいことは無いと思いますけどね。」
土佐さんは笑いながら、返した。
「いやいや、分かんないよ。今までに何回事象に当たってきたことか。」
「何も僕が呼び込んでるわけじゃないですよ。」
「それにしても、嬉々ちゃんもひどいことするねぇ。まだ1か月もたってない子に土佐君と乗せるなんて。」
「人を疫病神みたいに言うのはやめてくださいよ。天城班長。」
「えっ、疫病神じゃないんですか。」
それに驚いたように反応するのは尾張さんだ。尾張さんは朝礼が終わってから、書類が入っている棚から巡回に必要な書類を出している。この先で使うであろうそれいっしきを用意しているのである。
「疫病神ではないって。尾張さんの胸についてる疫病神の方がよっぽどだと思うけど。」
「うるさいわね。胸は絶壁でも旦那はいますよーだ。」
「あんまりセクハラ発言しない、土佐君。」
「ああ。すいませんでした。」
土佐さんの言い方はすごい棒読みである。そんなに悪いとは思っていないようである。
僕はそのやり取りをただポカンと聞いているだけである。前日の報告書に目を通して、間違いがないかどうかを見ている。赤鉛筆のチェックが入っているとはいえ、間違っていることが多々ある。仕事の終了時間だったり、警備範囲だったり、その間違いは多岐にわたる。まぁ、1日1回必ずあるということは無いが・・・。
「土佐さん、チェック終りました。」
「ああ、ごめんやらせちゃってたか。」
「ああ、いえいえ。」
「どうだった、何か間違いとかあった。」
「特になかったです。」
「特になしか・・・。まぁ、警備にしても何にしても何もなければいいんだけどね。」
ふと時計を見た。
「よし、そろそろ上に上がろうか。携帯持ってくれる。」
「はい。」
そういい僕たちはいったん詰所から出た。出たと言っても同じ建物の中にあるJRの詰め所に行くだけである。JRの詰所は建屋の2回より上にあるため、階段で行くだけである。
詰め所の中には天城班長と尾張さんが残った。
「櫻ちゃん、早く帰ってやりなよ。たまには旦那とデートしてやったら。」
「今日も出勤です。デートしたいのはやまやまですけど、そんな暇ありませんよ。主人ともなかなか休みが合わなかったりで。帰ったら即行で寝ますから。」
「ああ、そうか・・・。それにしても、○○は貧乳の方が持てるのかなぁ・・・。」
天城班長は声を小さくして言った。
「何か言いました。」
「んっ、だってさぁ、櫻ちゃんは旦那さんだいるでしょ。萌ちゃんだって彼氏がいそうだし・・・。それに引き替え、私と嬉々ちゃんはいないじゃない。」
「夜露副長だって旦那さんいますよ。」
「いや、夜露副長は例外。」
「それは私への腹いせですか。胸が小さいからって男はそんなところばっかり見てませんよ。胸が大きくたって性格の悪い女なんかによってきませんよ。」
尾張さんはそう言いながら、持っていた書類を机の上に叩き付けた。一瞬机の上に載っているものがはねたと思ったが気のせいであろう。
「ていうか、萌ちゃん彼氏いるんですか。」
「まだ乗ったことない。」
「私はまだ乗ってませんよ。」
「話せばわかるわよ。それに夜露副長言ってたけど、あの子永島君にべったりできるほど仲がいいんだって。普通、男女の関係でそうなれる人ってなかなかいないと思うよ。」
「それはそうですけど・・・。やっぱり腹いせのようにしか思えません。」
そこまで話が行った時、詰め所のドアが開いた。
「どうも、ってまだ尾張さん帰ってなかったんですか。もう帰れる時間でしょ。」
「えっ、あっホント。」
「下番は送っとくし、早く着替えれば。家で旦那さんが首長くして待ってるんじゃない。「櫻ちゃんを脱ぎ脱ぎさせて抱きたいよ」って。」
「あなたこそセクハラ発言やめたらどうですか。あ、ありがとうございます。じゃあね。」
そう言って尾張さんは詰所を出ていった。
「天城班長、貴方の方がセクハラ酷いですよ。」
「アハハハ。メンゴ、メンゴ。」
さて、それからJRの詰め所で貰って来た書類を指定のバインダーに挟み、前日の報告書のコピーをファイルに挟む。それが終わると大体巡回をスタートさせる時間になる。
巡回は僕が先に車を運転し、土佐さんが後に車を運転させる。この班は他の班とは違って早く終わる分あたふたと動き回ることがある。特に午後はそれに拍車がかかるパターンが多いそうである。
詰め所の外に出てみると、雲は多いが晴れている。
「本当にこれで雨降るのかなぁ・・・。」
土佐さんはそう言った。僕は車の鍵を開けて、自分の荷物も車の後部座席に抛りこんだ。土佐さんは左側の後部座席に荷物をほうり込む。運転席に座り、僕が車の走行距離をかき込んだ。一方の土佐さんはタコグラフを印字する容姿を指定の機械の中に入れる。
準備ができると、
「よし、行きます。」
一声かけて、車のサイドブレーキを解除し、Dレンジに入れてブレーキを緩めた。
午前中の空はそれほど変化はない。そのまま昼休憩まで進み、休憩が終わってからも空模様は小康状態が続いている。雲は多くても小康状態であれば、大丈夫なはずである。2時ぐらいになって運転は僕から土佐さんに変わった。問題はここから先である。
「ポツ。」
フロントガラスに雨粒がついた。
「いやぁ、降ってきちゃった・・・。」
「降ってきちゃいましたねぇ。」
僕は他人事に用に言った。
「あんまり他人事じゃないんだよねえ。雨が強く降ったら雨の警備に入るんだよね。新幹線の構造物なら在来線とかの構造物とは比べ物にならないほど頑丈に作ってあるけど、50年たってるからね。あんまりないけど、盛り土の中から土砂が出て来るなんてこともあるんだよ。微量だけどね。」
「あるんですね。そんなこと。」
「あるよ。報告書で上がってるところもあるしね。」
それは意外である。新幹線の構造物、特に東海道新幹線の高架橋、橋梁、トンネルは既に50年以上も経っている。建設までにさかのぼれば、新丹那トンネルなどの建設は戦前から始まっている。そんな構造物だらけの鉄道路線を今なお使い、毎日270キロに迫る速度で一日何百本という列車がこの間を走り続けている。そして、運休したりしたことは天災などの外的要因以外ないのである。
突き詰めればとてもすごいことであるが、その凄いことの中にも小さい危険はあるのである。それを改めて知るきっかけでもある。
「さて、雨が強くならないうちに警備全部終わらせて、雨が強いときは夜隊の長良隊長に任せちゃおうか。」
そういい、土佐さんは車を動かした。しかし、土佐さんのそんな言葉とは裏腹に雨はどんどん強くなる一方である。まだ車のワイパーが役に立たないほどの雨ではないが、降り続いている。
「悪い流れだな。これは・・・。」
土佐さんはそう言った。
いったん詰所に戻って、夜隊のパターンをJRから申し受ける。それが終わってから、再び警備に戻った時も雨は降り続けている。さらに悪いことに詰所に戻った時よりもさらに雨の強さが増しているではないか。
「諦めよっか。」
土佐さんはため息をついて、車に乗り込んだ。その後、雨が強い時間は終わる直前にやってきたうえにさっき土佐さんが言っていた雨警備もやらなければならなくなった。土佐さんがどれほど運がないかということを改めて知った日でもあった。




