273列車 君はあの時の私だ
ベッドの上で寝返りをうつ。そのパジャマと布団の擦れる音が部屋の中にある。ふと、隆則はベッドの上で寝ている自分の息子を見た。
(就活かぁ・・・。あの時・・・。)
それは、まだ自分が21歳の時。その時、隆則自身は東京の大学に通っており、主に経営にかかわることについて学んでいた。もちろん。そういう学校に通っているいじょう頭はいい。
「就職活動。そろそろ本格化してくるころだな。」
当時の知人がそう言った。
「ああ。」
「永島はどこの企業に就職するつもりなんだよ。」
「まぁ、経営のことも学んできているけど、俺は現業職もやってみたくてね。」
「現業職。てことはまた別の学校に行くのかよ。」
「いや、別の学校には行く気はない。」
「行く気が無いならどうするよ。まぁ、現業って言ってもいろいろあるだろう。鉄道とかで働く人間にでもなるのかよ。」
「まぁ、そういうところかなぁ。」
「でも、どうなんだよ。鉄道。この頃国鉄って赤字出しまくってるじゃねぇか。」
こいつの言う国鉄は今のJRのことである。鉄道従事者や鉄道に詳しい人ならだれでも知っていることである。国鉄は現在のJRが旅客鉄道6社、貨物鉄道1社に別れる前である。このときは旅客、貨物全て、一つの法人であった。しかし、このときは昭和39年から続いている赤字がとても多くなっている時。度重なる運賃の値上げなどで、国鉄離れが深刻化していた時である。時同じくして、国鉄は地方にある、とても赤字の多い路線を順次廃止する政策を取っており、それに指定された路線はある一定の環境を満たした路線から順次廃止され始めた時期であった。さらにその一環として、ローカル線のワンマン化。駅係員を主要駅のみに配置し、その間にある駅のほとんどを無人化するなど、国鉄はあの手、この手で経費の削減に努めている。そう。このとき国鉄に入るのは頭だけではどうにもならないことであった。
「確かに。国鉄に入るのは絶望的だろうな。」
「じゃあ、どこに入るんだよ。ていうか、お前って確か、親父さんが会社やってなかったか。」
「親父じゃないって。俺の親戚の人がやってる。でも、今度の総会でおじさんが歳だって言ってるから、変わるかもってことは言ってたな。」
「それで、もしかしたら、お前の親父が社長になるかもしれねぇな。」
「まぁ、そうかもな。」
その可能性が大であった。俺の親父。つまり、永島宗一はいろんな経験がある。一時期は市の会計士の仕事をこなしていたぐらいだ。それもあり、俺が見つけたことのある親父の成績表には「甲(3)」、「乙(2)」、「丙(1)」の「甲」が9割、残りは全て「乙」だった。で、それがどうして、一民間企業の社長になったかっていうのは、俺も詳しくは知らない。
「でも、もしそうなったとしても俺は受けるつもりはないなぁ。」
「なんでだよ。」
「なんか。もしそれで、内定でも取ったら、コネとかって言われそうじゃん。」
「ああ。なるほどなぁ。コネとかって言われるのはさすがのお前も気が引けるってか。」
「そそ。そういうこと。」
「でも、コネとかって言ってないでさぁ。お前の家って金持ちなんだろ。金持ちなんだからさぁ、正直就活ってしなくていいんじゃねぇか。」
「ハハハ。そうかもね。でも、それはさすがに学費払ってもらった親に申し訳なさ過ぎてね。」
「真面目だねぇ。」
「まぁ、出してもらってるしね。その分は自分で取りかえさなきゃ。」
「ホント。真面目だなぁ・・・。」
12月に入ると就活が本格的差を帯び始める時期となった。あちこちで説明会が開催され始めるのだ。スーツに身を包んで、説明会を聞きに行った。その時、俺は鉄道以外の会社には興味がなく、鉄道会社の説明会だけを優先的に聞きに行った。俺にとって、一般企業はただの仕事を押し付けてくる会社の考えでしかなかったのだ。それが1月、2月、3月の初めまで続き、2月の下旬からは履歴書を書きはじめた。当時はインターネットで手続きをすれば、すべて終了なんて言うことはない。郵便局に出しに行くか、それをじかに提出すべき場所に持っていくということをした。そして、選考が早い時期から始まる東京首都圏の大手私鉄や、関西の大手私鉄の試験が4月の下旬ぐらいから開始された。
履歴書が通過したところは大概筆記試験も通過した。その時は持ち前の頭が働いたのだろう。しかし、面接試験になると集団面接では通過できても、個人面接で通過できないことが起こったのだ。それはただ自分の受け答えが悪い。それで割り切った。だが、時間が過ぎても、その現状が変わるということはなかった。
(なんでだろうなぁ・・・。)
そう思っていたのは他でもない講習の時であった。5月の中旬ぐらいに私は1週間から2週間ぐらい連続で企業の試験におわれた時期があった。しかし、その期間中でも個人面接に受かるということはなく時間が過ぎて、気が付けば6月になり、そろそろ合格と出てもいいだろうと思い始めた。だが、合格の文字が帰ってくることは6月になってもなかった。いい加減出てくれても、と思っていた7月。
「永島。」
あわてたような声をして、俺の知人が話しかけてきたことがあった。
「なんだ。そんなにあわてて。」
「ハァ・・・。出たんだ。」
「えっ。」
両ひざに手を乗せて、顔を下に向けている彼の声は俺の耳にはうまく伝わってこなかった。
「前に受けた太陽食品の総合職。ハァ・・・。内定でた。」
(なっ・・・。)
「なっ・・・。内定・・・。」
「ああ。これで就活俺終わりだ。」
「そ・・・そうか。よかったな。」
「ああ。なぁ、永島。今日暇だったら飲みに行かね。」
「いや。俺は今日も無理だから・・・。」
「そっ・・・。そうか。ごめんな。」
「おい、萩村。」
走ってどこかに行こうとするそいつを呼び止めて、
「おめでとう。」
その時言えたのはこれが精いっぱいだった。
7月の中旬ぐらいに都営地下鉄、名古屋市営地下鉄、帝都高速度交通営団の試験があったが、これはさらにひどく筆記試験すら受からない始末であった。そのまま7月も内定が出ず、8月になっても、その状態に変わりがなかった。だが、その時も俺は一般企業を受け継つもりはなかった。だが、その時俺には鉄道会社にすら受かる自信がないほどだった。今まで、ここに行くと思っていった所には必ず受かってきていたからだ。今の今まで、こういう経験がなかった自分にとって、ここまで試験に受からないことが何よりもストレスになっていたと思う。そして、その頃から、俺は就活から逃げ始めた・・・。そして、その頃。俺は家に電話を入れた。電話を入れたときは留守番電話だった・・・。
8月も9日が過ぎ、もう少しで終戦記念日になろうとしていた時だった。
「親父。」
彼は突然来たのである。東京に。
「どうだ。就活は。」
親父は部屋の中に入ってくるとそう俺に聞いてきた。
「どうって。まだ終わってないよ。」
「そうか、まだか。」
親父はしばらく俺が下宿している部屋の中を見回した。親父が来ることすら聞いていなかった当時の俺の部屋はほこりが床を埋めているに近かった。
「ところで、お前。ウチに来る気はないのか。」
そう聞かれた。
「えっ・・・。」
「どうなんだ。」
その親父の言葉が俺には信じられなかった。まさか、と思った。当時、遠江急行の試験は8月の頭に履歴書を締め切っていた。俺はその履歴書を遠江急行に出したことはなかった。つまり、この時点で、俺には遠江急行を受ける資格すらない状態となっている。あんなに志望動機が書きやすい会社なのにだ。
「どうって・・・。俺は履歴書出してないんだよ。」
「そんなもん、どうにでもなるわ。ようは、お前の気持ちが知りたいだけだ。どうなんだ。来る気はあるのか。」
「・・・。」
隆則はしばらく黙っていたが、
「その前に試験・・・。」
「そんなもん。お前に要るか。」
親父は俺に顔を寄せた。
「要るかって。親父、ふざけてるのか。」
「わしはふざけてなどいないぞ。お前が来る気があるなら、わしはそういうもの度外視で、お前を浜松に連れて帰るつもりだ。その時はお前に遠江急行に入ってもらう。」
「入ってもらうって・・・。それはどうなんだよ。コネとかそういうのは・・・。」
「嫌か。」
「嫌だよ。」
「お前、コネって言われるのがかっこ悪いと思ってるか。」
「そりゃ・・・。」
「かっこ悪いかもしれないけどな。自信なくしてる声を電話で聞かされて、黙ってる親がいると思うか。わしはなぁ、お前が就活をこれ以上続けるには。無理があると思ってきたんだ。あんな声じゃ、面接は受からん。」
「・・・。」
「どこの企業受けたって同じだ。」
「・・・。」
「・・・どうなんだ。コネって言われても構わねぇから来るか。それとも、格好を気にして、就職できないままのほうがいいか。」
「・・・。」
しばらく二人の間が沈黙していた。その時、俺はその選択を迫られていたのか、それとも逃げている自分にその理由を正当化するための何かを探していたのか・・・。だが、何を考えているかなんて、その時の俺にはどうでもいいことだった。何しろ、これが俺にとっての「最後のチャンス」だったからである。
「じゃあ、親父。試験だけでも・・・受けさせてくれよ。それで・・・、もし、俺に雇ってもいいだけの技量があるなら。」
「もちろん雇うさ。心配するな。」
9月。俺は遠江急行の試験を受けた。他の受験者と同様筆記と面接、適性試験を受けて、受かった結果の今がこれである。このポストに収まっていることも奇跡だろう。あの時・・・、もう少し、考える余地は今となってはあったかもしれない。だが、あの時は追い込まれていたんだ。何も考えたくなかったんだ。そして、あの時自分が思った気持ちを息子に味あわせないようにと退路を絶ったのも自分だ。それは、就活をなめきっているこいつにとって、いいことなのか。今となっては疑問である。
(大丈夫なのか。智・・・。本当に・・・。今のお前に乗り越えられるのか・・・。)
やはり、コネで受からせるのは智が許さないだろう。なら、今はもう少し智のやりたいようにしておくのがいいのだろう・・・。




