269列車 冷
6月17日。今日はいつもと違う。7月7日に行われるキッズスクールとかっていうやつの準備である。わけもわからず、それをするのは鉄道学科だけで、他の学科が絡むのは当日だけっていう意味の分からないイベントである。
今日は朝からそれの準備。しかもそれが4時間連続ときたものである。普段2年生が集合するのは鉄道実習室であるわけだが、今回はそのすぐ近くにある大きな教室の中である。授業開始の時間になると難波先生と摂津先生が入って来た。普段の月曜日であれば、この1限目は摂津先生が受け持っているためだ。
「起立。」
長万部の声で全員が立ち上がった。2年生は内定を取った草津と留萌以外は全員スーツだ。1年生はお気楽なもので私服である。
「よろしくお願いいたします。」
「よろしくお願いいたします。」
長万部に続き、全員が声をそろえた。
「はい。よろしくお願いいたします。」
それに答えるのは難波さんであった。
「はい。掛けてください。あっ・・・。新君と萌ちゃんちょっと待って。」
着席する前に難波さんが二人を呼び止めた。
「今朝、交通サービスさんから電話がありまして、長万部君と萌ちゃん。二人内定です。」
(なっ・・・。)
(えっ・・・。)
教室の中はたちまち拍手で包まれた。
(ふぅん。今度は二人かぁ・・・。まぁ、僕には関係ないことだ・・・。)
そう思いながら、右隣に立っている萌を見た。長万部は内定祝いのみんなからの拍手をどこかの有名人みたいに出て答えている。でも、萌はどことなく嬉しくなさそうに見える。なんでだ・・・。
もちろん。長万部の茶番が続くことは長くない。すぐにキッズスクールの準備に入った。これからいろいろと決めなければいけないことがあるからね。でも、それは内定組だけの話である。内定を取ってない人たちからしてみれば、そんな準備はどうでもいいことだし。第一、あんまり関係ないし・・・。キッズスクールの準備。進んだか進まないんだかそういうことは大して関心はない。そんなこんなしていたら、4時間なんてあっという間に過ぎた。5時限目はプレゼンテーションの授業。人前でしゃべる授業だ。それが終わったら、今日の授業はすべて終了する。この先の時間の使い方っていうのが下手をしたら大学以上に困ってしまうもんだな。1年生と一緒になって内定者が準備をしている間に僕は都営地下鉄の採用を見つけた。都営地下鉄は提出するのは受験申込書しかない。つまり、これさえ提出すれば、筆記試験までは約束されるってことだ。他の人が見つけているものには名古屋市営地下鉄のもあった。うけない手はないであろう。書くのは明日からでもいいと思って、その日は帰った。
一方、
「あの。難波先生。」
「ああ。どうしたの、萌ちゃん。」
「その・・・とっても言いづらいんですけど・・・。」
「何。内定取ったのに、言いづらいことってあるの。」
難波さんが聞き返した。
「そ・・・そのことなんです。」
(お・・・怒られるの覚悟だ・・・。)
もちろん、萌がこのときなにも難波さんにお願いしたのか。それをクラスのみんなはまだ誰も知らない。
その夜。家に帰ってパジャマの格好のままパソコンをしているとインターホンが鳴った。誰なのかドア越しに確認してみると萌であった。もちろん、帰ってから何時間かは経っているので、スーツではなく私服を着ている。
「何。」
「迷惑だったかな。」
萌は僕にそう聞いてきた。
「別に。迷惑じゃないよ。」
とっさに萌にウソを言った。
「ねぇ、ちょっと歩かない。運動がてら。」
「・・・。歩くのはいいけど、今何時だと思ってるの。」
時計は20時を少し回ったところだった。僕はもうすぐお風呂にでも入って寝てしまおうと思っていたところだったからな。
「いいじゃん。ちょっとぐらい。」
萌の誘いには正直乗る気ではなかった。でも、普段から運動をして無い割に脂っこい食事をよくしているわけだから、太ると思った。運動にはちょうどいいかって感じかなぁ。でも、僕はこのガリガリで太る心配をするべきか・・・。体重は今まで50キロ以上いったことが数えるぐらいしかない。それに今の体重は45キロぐらいだ。まぁ、それもどうでもいいか。
「ちょっと暑いね。」
萌は歩きながらそう言った。お昼にスーツを着ていたからか、暑いと言っても、そこまで熱気を感じない。まだ、夜は昼の救済の余地があるってことだろうか。
「ナガシィ、暑くない。長袖の上にワイシャツ羽織って。」
「いいじゃない。こういうの好きなんだから。」
「好きなのはいいけど、センスはあまりないかな。チェックばっかだもん。」
「いいじゃん。それにこういうワイシャツぐらいしかないの。」
「・・・。」
(何・・・。普段、服装のことなんて何も言わないのに・・・。)
そのことを変だと思った。普段の萌なら、こういうことほとんど言わない。ていうか、萌がファッションのことでよく言うとしたら「ヘアピンつけてみたら、可愛くなるんじゃない」とか「スカートはいたら似合うでしょ」・・・いや、スカートを言ったのは磯部だった・・・。じゃなくて、萌はどちらかと言ったら、服装のことは言わないでデコるほうを言う。
「ちょっと、座ろう。」
疲れたのか萌が言う。近くにあったベンチに萌が腰かける。隣に僕が腰かけた。ベンチの近くには人が数人。夜の運動をしている人がほとんどだ。その中にちらほら、部活帰りの高校生が混じる。
「そう言えば、おめでとう。」
「えっ・・・。」
「まぁ、言う必要もないと思ったけどさ。」
「・・・。」
萌からはありがとうの一言も帰ってこない。
「あれ・・・。内定だよね。」
「うん。でも、言う必要がないっていうのは当たってるかなぁ。」
萌はそう言って立ち上がった。
「えっ。」
それに耳を疑う。
「どういうこと。」
2、3歩。萌はベンチから離れて、僕のほうを向いた。
「断ったんだ。」
「へっ・・・。」
(こ・・・断った。)
「な・・・なんでっ。」
「だって。それじゃあ、守れてないじゃない。」
「守れてない。」
「忘れるわけないよねぇ。「ナガシィがどこの企業に就職しようと私は付いてくから」って言ったこと。」
忘れないけど・・・。萌はいったい何をしてるの。内定をもらったなら、僕のことなんか・・・。
「何してるの。」
そう聞いた。
「何って。私がもらう内定じゃないってこと。そう思っただけだよ。」
(クッ・・・。)
「ねぇ、萌。何・・・。自慢したいの。」
「えっ・・・。」
「自分が内定取ったからって。それをわざわざ断って、萌はまだ就活する気なの。自分にはまだ内定取れる会社があるって言いたいの。」
「そんなつもり無いよ。」
「ウソだよ。まだ内定取れる会社あるって言いたいんでしょ。自分にはそれぐらいの実力があるって言いたいんでしょ。ただの自慢じゃないか。」
「自慢なんかするわけないでしょ。そんな自慢したってねぇ、仕方ないでしょ。」
「ウソつかないでよ。萌。不愉快だよ。」
ボソッと口からもらす。僕もベンチから立ち上がり、萌に寄った。
「自慢ならよそでやって。僕のいない所でやってよ。困るの。目の前で喜ばれるの。・・・ふっ、クラスのみんなの前だったらいくらでもしていいよ。でも、僕の前だけじゃ絶対にしないで。何の自慢。それ。不愉快の何物でもないから。」
そこまで行ったら、僕は萌を置いて、歩き出した。萌も僕についてくる気配はなかった。
ナガシィが私がいるところから見えなくなる。
「ハァ・・・。」
そうだよなぁ。自分の実力自慢にしか見えないよね。ここで内定を断るんだもん。自分にはまだ内定できる企業がありますって言ってるようなもんだよね・・・。でも、ごめん。ナガシィにとってはそういうふうに聞こえが悪いかもしれないけど・・・。
「萌ちゃん。」
呼ばれた方向を見てみた。そこにはジャージ姿の留萌がそこにいた。
そのあと、ここで何をしていたのかっていうことを留萌に話した。留萌はそれを黙って聞いていたけど、話し終わると留萌はこういった。
「萌ちゃん、何考えてるの。」
「・・・。」
「ねぇ、本気。本気で内定断る気。」
「本気だよ。」
「信じらんない。鉄道で働けるんだよ。そのチャンスわざわざ自分の手でつぶすの。」
「ハァ・・・。信じられなくたっていいよ。私には私なりの考えがあるの。」
「・・・全部・・・全部、永島のためか。」
「・・・。」
「萌ちゃん。この際はっきり言うわ。理解できない。」
「理解できなくてもいいよ。」
「なんで。せっかくとった内定を、永島のためにつぶすわけ。ただでさえ難しい鉄道で働けるチャンスよ。なんで自分から棒に振るわけ。」
「私ね。ナガシィのそばにいなきゃダメなの。」
「・・・。」
「どうしても・・・。今、ナガシィは正直就活のこと嫌がってる。早く終わらせたい一心。でも、それが自分の首をさらに締め付けてるなんてね・・・。私がいなかったら本当に自分の首を閉めちゃいそう。そうさせないためにも、今の内定はダメ。ホントに持たなくなっちゃう。」
「なんで。自分さえよければそれでいいじゃん。」
「私はどうしてもそんな考え持てない。私だけよくなってもダメ。だって・・・。」
「好きだからか・・・。もう、それだけじゃ説明しきれないぐらい萌ちゃんおかしいよ。」
「・・・。」
「どうして。どうして、そこまでしたくなるの。落ちぶてる人のために。」
「・・・。」
萌は留萌と目を合わせないように反対を向いた。
「私は・・・。私はただナガシィに笑っていてほしいだけ・・・。ナガシィの笑顔をずっと・・・見ていたいだけだよ。」
訳が分からないのは本人も認識しているはずだろう。でも、何なんだろうか。そう言った時の萌に戸惑いの色は欠片もなかった。




