250列車 折れ地獄から
2月26日。今はJR東日本の志望動機を考えていた。難波さんには一度見せたものの当たり前のことを書きすぎて、書き直しと言われたものである。でも、東京地下鉄の時よりは書き直しが少なくなった。問題は理由なんだけど・・・。
(理由なんだけど・・・。)
考えても、考えても出てこない・・・。
(はぁ・・・。なんで。どうして・・・。決める時がいつも何となくだから・・・。)
理由を考えるのではなく、別のことをどんどん考えてしまう。結局理由が全く上がらない時間がどんどん流れていく。流れるままじゃいけないのに・・・。ふと頭をあの言葉がよぎった。
「・・・。」
あの言葉は本当に自分に言える言葉だろうか・・・。そういう気分にどんどんさいなまれていく。目の前にある原稿用紙はあるところでペンが止まって、その先をかけていない。これは文章力がある内の問題ではない。それ以前の問題だ。理由は自分に聞かなければいけないし・・・。ふと書き直しをもらった原稿用紙に目がいった。
(もし、何も考えることが無ければ・・・。ここまで躓くこともないのに・・・。)
それを手に取り、自分のもとに引き寄せた。
(そうだよ。何も考えることができなければ・・・。いっそ、この場所から逃げることができれば・・・。)
僕はその時、自分の意識っていうものがあったのだろうか・・・。文章力がない割には瞬く間に文章が完成した。それは遺書・・・。
(僕が死んでも・・・。どうせ、僕には・・・。)
前を人が通り過ぎた。
「どうした。顔死んでるぞ。」
千葉だ。千葉は自動販売機の飲み物を買いに来たみたいだ。お金を入れている。
「ねぇ、千葉。今何も考えなかったら、どんだけ気が楽だろうねぇ。」
「えっ。どういう意味だよ。」
千葉はそう聞き返した。
「そういう意味だって。」
というとガタンと音がした。千葉は缶を取り出してから、僕のほうを見た。すると、顔つきが一瞬にして変わる。
「ちょっ・・・。お前、何書いてるんだよ。」
「何って・・・。それだよ。」
「おい。これはシャレじゃない。もうちょっと考え直せよ。お前、いま・・・。」
「・・・。」
千葉は少しの間僕の近くにいた。しかし、僕に千葉の言葉は耳に入ってこなかった。どういう死に方をしようと考えていた。千葉が僕の隣からいなくなって位から、僕は荷物を置いて、7階のテラスに上がった。飛び降りに行くわけでもないのに・・・。ただ一人になりたかった。時間はどんどん過ぎて、気がつけば5時を回っていた。
「ガチャ・・・。」
その音に気付いて、僕は後ろを向いた。すると犀潟が息を切らしている。
「ここにいたのかぁ・・・。」
犀潟はそう言った。犀潟の後ろを見ると結構な人数が上に上がってきた。平百合、長万部、羽犬塚。いったい何がなんなのか自分の中で呑み込めていない。
「いたいた・・・。ハァ・・・。さすがに1階から7階階段はしんどいなぁ。」
羽犬塚が言う。
「よかった。なぁ、永島。お前結構人騒がせだぞ。」
(えっ・・・。)
何がなんなのか分かんない。あれ。僕って人騒がせになるようなことしたっけ・・・。
「じゃあ、難波さんにいたって言ってくるわ。」
そう言ってまず羽犬塚が下に下りていった。
「・・・。」
「難波さんができたところまででいいから見せに来てだって。」
犀潟の言葉に正直行きたくないという衝動が起こった。今行っても・・・。それよりも今は聞きたいことがそれ以外にある。いったい何がどうなっているのか全く分かっていない。でも、犀潟の言うことも聞かなければいけないし・・・。どうすれば・・・。
「・・・お前にとってはありがた迷惑かもしれないけど、下にお前がいなくなって、そのことを千葉が大げさに言ったから。俺もそこまで詳しく知らないから、それ以上は言えないけどね。」
犀潟は僕の前に立つとそう言った。
「なっ。今やってること見せに行かなくてもいいから、上にいたってことだけでも報告しに行こう。」
「・・・う・・・うん。」
ようやっと決心がついた。
下に下りてから、僕は難波さんに前に行った。
「どう。出来た。」
難波さんはまずそう聞いた。
「・・・いえ。出来ていません。」
「そう。」
「・・・あ・・・あの。迷惑かけて申し訳ありません。」
「・・・迷惑なんて。私からしてみれば、今やってることができたかできてないかぐらいしか求めてないんだけど。」
そこまで行ってから、難波さんは後ろを見て、
「あっ。千葉君。これ渡したっけ。」
そう言って難波さんが手に取ったのは28日に行われるJR東海の社員懇談会のことだ。そう言えば、どこでやるのか知らなかったなぁ。
「あっ。僕はそれには行きませんけど。」
「あっ。そうか。ごめん、ごめん。」
と言って、また席に腰掛けて、僕を見た。
「あっ。永島君もこれに行くことになってたね。」
と行って、その紙を僕に差し出した。でも、なかなかもらうことができなかった。本当に僕はこれに行っていいのかってことを考えていた。
「どうしたの。行く気が無いの。」
「・・・。」
何も答えれない・・・。行く気はあるんだけど・・・。
「ちょっと入りな。」
「・・・失礼いたします。」
多分、この教務室に入るのに一番小さい声だと思う。
「永島君どうしたの。もう別の永島君を見てるみたい。なんでそんなに元気ないの。」
「・・・あの・・・前に・・・。東京地下鉄の志望動機を考えていた時に・・・。先生は僕に・・・。鉄道会社を受ける資格は僕にないって言いましたよね。」
「言った。」
うなずきながら、そう答えが返ってくる。
「こう・・・。理由を書いて来いって言われて・・・。理由の一つも書けないんじゃ、本当に。僕にはその資格がない気がして・・・。」
「じゃあ、鉄道会社諦めて、一般企業でも受けるのか。」
「・・・そんな・・・。鉄道会社に受ける資格がないなら、僕には一般企業を受ける資格もないですよ。」
「なら、ここで就活やめるの。」
「・・・。」
難波さんの質問にすぐに答えれなかった。確かに、ここで就活を全部投げ出しちゃえば、今考えていることもすべて考える必要はなくなり、誰よりも今楽ができる。でも、就活をやめるってことは、自分が入りたいって思う鉄道会社も受けないってことであって、そんなことしたくないって思う自分が心の奥底にいる。
「あのね。今ってみんなにとっても本当に忙しい時期っていうのは永島君も十分わかってると思う。だから、こうやって1対1で永島君に寄り添って、今辛いねぇ。どうしたの。なんでも先生が聞くから話してごらんっていうことをする暇がないのよ。」
「・・・。」
先生の言うことはもっともだ。僕だって、先生がそこまでしてくれるなんて思ってない。
「永島君。正直に言いなさい。私が憎たらしいでしょ。」
(えっ・・・。)
「怖いでしょ。永島君がここに志望動機とか書いて持ってくるときに、私が言うこと刺さるでしょ。傷つくでしょ。」
「えっ・・・。あの・・・。」
「正直に言って。誰も怒らないから。」
「・・・はい・・・。」
「もうやめてくれって思うでしょ。」
「・・・はい・・・。」
「永島君が今思ってることっていうのは、なにも永島君だけが思ってるわけじゃないよ。永島君も、ここに志望動機書いて持ってくるクラスのみんなにもそう思われてると思う。それに、私だって思ってることだから。」
「えっ・・・。」
「私はみんなが一所懸命書いてきた志望動機をあの文章のままオーケイ出して、履歴書に書かせてやりたい。」
「でも・・・。そんなこと・・・。それをしたら、全員いい企業に何か・・・。」
「うん。だから私は心を鬼にして・・・。悪いと思っていながらも、話してるんだよ。私だって正直に言えば、普段皆に言ってることなんて言いたくない。永島君が言う「受ける資格なんてない」っていうのだって、正直言いたくなかった。でも、言わないと、永島君のためにならないのよ。それに、今の段階で「受ける資格」がないのは永島君だけじゃない。クラスのほとんどが受ける資格なんてないわ。」
「・・・。」
「永島君も前聞いたけど、JR西日本入って新快速運転したいんでしょ。こんなところで「僕には受ける資格なんかありません。だから、鉄道会社やめます」なんて言ってたら、夢のまた夢だよ。」
「・・・。」
「私は永島君の夢の手助けをしたいの。」
「・・・。」
黙ってうなずいて聞いていた。先生の言うことは当たってる。先生がいないと僕には何もできない。それはここ最近でよく分かっている。履歴書の志望動機も自己PRも先生がいなかったら、欄いっぱいまで文章を作ることなんかできない。
「永島君。私の夢ってなんだと思う。」
「えっ・・・。先生の夢・・・。」
今までうつむいていたのに、突然の話の切り替わりに顔が上がる。
「夢って・・・。それはみんなが内定をもらって・・・。」
「違う。私はみんながなりたいって言う鉄道会社に入ってもらって、運転士を目指す人には運転する列車に乗りたい。私は永島君の運転する新快速電車の先頭にかぶりついて、永島君が運転してる姿を見たい。」
(はっ・・・。)
一瞬頭の中に自分が運転士で、そのすぐ後ろで僕を見守っている難波さんの姿が映し出された。
「それが私の夢なの。そのためには心を鬼にして、今はみんなに接してる。その間の生徒全員の辛さ苦しみを全部受け止めるから。永島君の辛さや苦しみなんて、私にとっては20分の1じゃない。」
「・・・。」
「辛いのは永島君だけじゃないんだよ。」
ほほを涙が伝っていった。
「ティッシュあるから、使いな。」
「・・・。」
いったいなんだったんだろう・・・。今まで上にのしかかっていたプレッシャー全てが一瞬にして無くなった気がした。しばらく、僕はその場で泣いていた。もう十分泣いたと思った時に、難波さんは僕に明日来るかと聞いてきたが、難波さん公認で休みをもらうこととなった。心の整理をするためにだ。そして、最後にJR東海の社員懇談会の開催場所を示した地図が渡された。荷物をまとめて、帰ろうとすると、
「永島君。もう変な気起こすんじゃないよ。」
「・・・えっ・・・。」
その時、僕は難波さんが今日あったことすべてお見通しなのではないかと思った。




