248列車 冷たい温もり
2月19日。就活が本格的に始まったということを認識した。いや、認識させられた。JR東日本、阪急電鉄、東京地下鉄のエントリーが始まったのだ。エントリーシートを書かなければいけないものが一気に増えたのだ。今、僕は東京地下鉄のエントリーシートの文章を作っているところだった・・・。東京地下鉄とJR東日本はウェブからエントリーする。なので、履歴書を出すことになるのは阪急電鉄が一番最初となる。
なかなか思いつかない内容を難波さんに見せたところで、何を言われるかっていうのは決まっている。自分には文章能力がない。だから、いつまでも書けない状態が続いていた。そして、その掛けていない文章を難波さんに見せに行った時・・・。
「ハァ・・・。」
難波さんは一言ため息をついた。こうやって何人もの人のもの見ているんだから、ため息をつきたくなるだろう・・・。
「あんたなぁ・・・。なんでこうなの。」
突き刺さる眼だ。
「あんたには鉄道会社受ける資格なんかないわ。」
(はっ・・・。)
驚いたんじゃない。疑問に思ったんでもない。ある意味自分に納得した。今のって・・・。僕が一体何者なのか今一番よく分かった気がした。そうなんだ・・・。僕には鉄道会社を受ける資格なんてないんだ・・・。だから、ここまで志望動機の一つ書くことができないんだ・・・。でも、それを言い始めたら、僕は・・・。どこの会社も受ける資格なんてない。それが僕なんだ。どこに行きたいのかっていうのははっきりしていない。そんなやつをどの会社が採る・・・。
そのあと。言われるのは当然きつい言葉だけ。でも、それは間違っているとは思っていない。間違っているのは自分だから・・・。言葉が何もない。僕は一人になるように。3階に自分の荷物とかをすべて持っていって、そこで机に向かった。
「・・・。」
なにも書けない。なにも浮かばない。僕って本当に何者なの・・・。働く気が無いの・・・。今日のことはもう人間以前のこととも思う。だから、何もかも捨てて、どこかに行きたいという気が起きるんだ・・・。机に向かって自分の文章を見ていると、視界がゆがみ始めて、手に力が入らなくて、シャープペンを持つのもままならなくなる。
「く・・・。」
目を閉じると、涙がこぼれ落ちる。それがルーズリーフに落ちて、シミがついて、その場所の紙がゆがむ。
「ハァ・・・。」
眼鏡を外し、左手で涙をぬぐおうとする。
「・・・。」
意味がない。
「フ・・・。」
とめどなく溢れ出す涙は、ずーっと頭の中であの言葉を再生する。そうだ・・・。今まで。僕は鉄道が好きっていう本当の理由を探していた。それが実体となって現れたってことだよね。
「ハァ・・・。」
コツ。誰かが階段を上がってくる音がして、僕はそっちをむきたくなった。でも、今この顔をそっちに向けるわけにもいかないと思った。そのまま、机の上に頭を伏せた。
「ナガシィ。」
(萌かぁ・・・。)
「どうしたの。難波先生に何か言われたの。」
(・・・。そこを聞く・・・。)
萌はそのあと何も言う気配がない。僕に近づいてきた。僕の後ろに来たら、萌は僕の体を起こしてから、首の後ろから手をまわして、抱くようにする。
「どうしたの・・・。」
僕はただ首を振った。どうしても、萌にあの言葉は言うことができない。いや。自分の口からは口が裂けても言うことができない。
「泣いてたら、何も分かんないよ。」
何も答えない僕に萌はただ言葉を続けた。
「・・・。」
「辛いよねぇ・・・。」
今度は泣いてることへの問いかけじゃない。何。僕に同意を求めてるの。
「苦しいよねぇ・・・。」
「・・・。」
黙って首を少しだけ縦に振る。
「泣きたいよねぇ・・・。」
これには黙って顔を下に向けた。右手に持っていたシャープペンを置いて、泣いている顔を手で覆い隠そうとする。
「泣きたい時は泣けばいいじゃない。」
「・・・。」
「誰も笑ったりしないよ。」
「・・・。」
「それとも・・・。泣いたら、私にからかわれると思ってる・・・。」
(・・・思ってるよ・・・。)
声には出さなかった。
「誰もからかったりしないよ。泣きたい時は思いっきり泣けばいいじゃない。私の前でも。」
「・・・。」
また目を閉じると涙がこぼれ落ちる。その粒は萌の手に落ちていた。
「・・・私もつらいよ・・・。ナガシィ以上に泣きたいよ。苦しいよ。今この生活から逃げ出したいよ。でも、将来のために、目の前の戦いから目を背けたらだめだよね・・・。」
首を横に振った。これは萌の言ったことへの否定する意味じゃない。萌の言ってることだってあってる。
「ナガシィ・・・。私以外に見られたくないなら、私の胸の中で泣けばいいじゃない。」
「・・・。」
「・・・それも恥ずかしい・・・。」
「・・・。」
「ナガシィ・・・泣きたくないの・・・。」
そう言われると・・・。僕には泣くしか選択肢がないじゃないか・・・。僕は後ろから回っている萌の腕をつかむ。
「ねぇ・・・。」
「何。」
「・・・ハァ・・・。ねぇ・・・、誰も・・・誰もいない・・・。」
萌はちょっとの間あたりを見回した。
「うん・・・。誰もいないよ。」
それを聞いて、僕のストッパーが外れた。萌の左腕にすがり、周りが見えないように、顔を伏せた。
「・・・よし、よし・・・。」
「ハァ・・・。フ・・・。」
萌の温もりっていうのをこんなにも感じるのは初めてだ。萌の身体ってこんなに温かかったっけ。こんなにやさしく包んでくれるっけ・・・。
「ハァ・・・フ・・・ハァ・・・。」
「・・・よし、よし。辛いねぇ・・・。よく頑張ってるねぇ・・・。実家に帰りたくなるよねぇ・・・。ハァ・・・。一人で寂しいよねぇ・・・。でも、一人じゃないよ。私もいるよ。」
いつか聞いた言葉かなぁ・・・。
「・・・うん・・・。分かってるよ・・・。」
「・・・。」
誰かが階段を上がってくる。その音に萌は気付いたけど、僕は気付かなかった。
私は誰かが階段を上がってくることに気付いて、そっちに目をやった。すると木ノ本の顔がのぞいた。話しかけそうになったので、木ノ本に向かって首を振った。それが通じたのかはわからないけど、木ノ本は黙って下に下りていった。
「・・・萌・・・。誰か来たの・・・。」
涙声でナガシィが聞いてくる。
「ううん。誰も来てないよ。」
とっさにウソをついた。これがある意味の優しさかもしれない。
「・・・ハァ・・・。」
「ナガシィ。寂しいときは私に縋り付いていいから。男の子だからって、そういうこと恥ずかしいとかって思わなくていいからね。そのほうがナガシィにとっても気が楽でしょ。」
「ハァ・・・。」
「情けないなんて思わなくていいから。」
首を横に振る。
「やっぱり、気にする。」
「・・・。」
「どっち。」
「ハァ・・・。」
「私は、どっちでもいいよ。ナガシィがいいって思うほうで、私のこと利用すればいいから。」
(・・・利用するなんて・・・。)
「私はね。ナガシィが就職できれば、自分の就職なんてどうでもいいって、正直思ってるから。」
(そこはウソだと思う・・・。)
口には出さないけど・・・。でも、本当に萌はそう思ってるのかなぁ・・・。
「だから、私のことは気にしないで、しっかり前に進んでいこう。」
「・・・。」
「大丈夫。意地でも、ナガシィと同じ会社に就職決めてやるから。一般企業でも、鉄道会社でも。」
「・・・。」
難波さんはきょう午前中だけ学校にいた。その難波さんが学校から帰ってからというもの僕は萌だけが見ている中で、泣きに泣いた。
(駿兄ちゃん・・・。僕が泣いても、誰も笑わないって・・・。ホントだねぇ・・・。)
「萌、絶対笑うよ。」
僕が泣いてそういうと、
「そうかなぁ・・・。誰も笑わないって。」
「・・・萌でも・・・。」
「うん。絶対だ。」
(ハァ・・・。)
夜。僕は天井を見て、ずっと何かを考えていた。
(・・・鉄道会社を受ける資格がないかぁ・・・。でも、資格はなくても受けるのは自由だよね・・・。入る資格も受ける資格もなくたっていい。エントリーしてないよりはましだ・・・。入ってやる・・・。どんなに厳しいことを言われても、自分が信じた道だから・・・。)




