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悪役聖女

作者: 羽田恭
掲載日:2026/08/28

「聖女様! 聖女様!」

またしても荒々しく私を呼ぶ声が聞こえてくる。

普段とは全く違う、叫び声が。

要件なんかとっくにわかっている。

「第一防衛ラインが突破されました! 城下街に入ってきます!」

水晶玉に映る、軍勢ともいえない悍ましい集団が多数の兵隊を容易に蹴散らしてしまった事が伝えられたに過ぎないから。


「ギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャア」

 水晶玉から声にもならない声が、悍ましい集団が叫んでいるのが聞こえてくる。

何よ、これは。

「『奇跡』を起こすわ! 第二防衛ラインの貴族街防壁に兵力を集めて!

平民も貴族街に一時収容を!」

予想より遥かに時間を稼げていない。

いや、私の加護を受けた武器なら邪悪な存在なら一瞬で浄化される。問題なく処理し、私への信仰がさらに増えることになったかもしれない。

 加護が効かないほど邪悪になった? なら、まだやりようはある。

パティー、醜くなったわね。


 パティー、アイツが聖女になるはずだった。

候補者が数人いる中で、一番『奇跡』が強力だったから。

それを裏付ける誰よりも鮮やかな色合いで産まれてきた時から伸ばしてきたという長い髪。それがどこまでもどこまでもうざったらしい。

だから、ハメだ。

 簡単だ。

死んだ浮浪者の子供から血を抜いて、それをアイツの部屋に置いて、そこから候補者全員で騒ぎ立てた。

「パティーの髪は子供の生き血を塗って鮮やかになっている」と。

能力だけで後ろ盾のないアイツは、その噂に抗することができなかった。

私を含む他の候補者は何らかのバックついていて、そのバックが利益を得るためにもアイツは邪魔だったから、排除にはとても協力的。

扇動者が尾鰭足鰭を付けまくった噂をさらに流し続け、ついにはそれまで味方だった民衆までもアイツの断罪を欲するように。

 そして、処刑された。

あの長い髪は頭を万力で固定されて、短刀で荒々しく切られ剃られていった。

惨たらしくその鮮やかな髪は、頭皮ごと剃られてしまって汚い血が代わりとなって噴き出して。

猿ぐつわで何も声を出せず、手足は縛られまともに身動きできず、ウジ虫よりも醜い存在に成り下がった。

最後は、どうしようもない汚物を最後に捨てる底なし沼へ落とされていった。

わざわざ何百年も執行されていない法律を引っ張り出したかいがあったわ。

 なのにそこから、パティーが歩いてやって来た。

悍ましい何かを引き連れて。


「ギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャアギャア」

全身を糞便のような泥にまみれて、アイツは街の中に足を踏み入れた。

泥まみれで顔もはっきりしないけど、女で一本も髪が生えていないなんてアイツぐらいしか存在しない。

髪が一本もない集団と一緒に叫び声で上げて。

ゾンビに成り下がったみたいね。

体勢を不規則揺らし、意味のない声を出し続けて。

それでも無駄にかつての力があるのか、兵隊たちの攻撃が効かない。

剣も魔法も、その行進を止められていない。

「去れ、邪悪よ」

『奇跡』を展開した。光が、私の体から迸る。

今までオークもゴブリンもオーガやリッチ-でさえ退かせた。

光が、第二防衛ラインを超えアイツらの軍勢へ照らした。

 私の『奇跡』の光は特別だ。

私への加害の気持ちさえあれば、邪悪な存在として排除できる。

それも私の気持ち一つで制御可能。

お陰で他の聖女候補を誰にも知られる事無く病気にしてやったわ。

 パティー、アイツには最大級の『奇跡』を与えた、はずだった。

「ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ」

アイツは、アイツらは行進を止めない。

指をそろえて伸ばし、手のひらを合わせながら。

 

「ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ」

 水晶玉で見る限り、背筋を伸ばし、しっかりとした歩みで、市場の者に目もくれず歩き続けている。

すると、浮浪者が物陰から這い出した。

歩けず、無様に物乞いしている不浄な生き物だ。

そいつが、ゾンビの集団だろうアイツらに頭を下げている。

いや、逃げられなかった、逃げなかった人々がどこから現れ頭を下げている。

聖女である私に頭を下げ、ありがたがっただろうに。

 いいわ。

やることは決まったのだから。

「も、もう第二防衛ラインに……」

兵士が来た。

「もうしばらく時間を稼ぎなさい。『極 奇跡』を執り行うわ」

兵士は、おおついに、と歓喜の声を上げて出ていった。

 言い伝えだけで、誰にもやれていない最高の奇跡が存在する。

でもそれは、私だけはやれる。

時間をかけさえすれば魔王さえ、骨と装飾品だけを残して浄化させた。

念のためさっきの普通の『奇跡』と『極 奇跡』の祈りを同時にしておいてよかったわ。


「ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ」

アイツらの声がここまで聞こえてきた。

兵隊の声以上によく聞こえてくるなんて。

いや、水晶玉にはさっきの浮浪者の様に頭をアイツらに下げている愚か者が映っている。

元聖女候補のゾンビなだけあるのね。

くたばりなさい。

「神よ、美しい我らに祝福を。そして醜き邪悪に裁きを」

『極 奇跡』を展開さえた。

神さえ私のいいなりだ。

目が潰れかねないほどの光が、私の体から発せられる。

壁も何もかも貫く神の光だ。平伏せ。

「ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃあてい」

声が、聞こえた。

ただ、静かに。


 何が起こっている?

魔王さえ、処分できたのに?

水晶玉を見るに、兵隊さえもそのアイツらに平伏している!

街の方……、アイツらと一緒に処分しようと思っていた浮浪者どもも生きている!

あの光で何ともないなんて……。

 くそ、くそ!

私は祈祷室へ逃げ込む。

最悪の場合、ここに避難する段取りになっている。

「神よ! 私がここにいるんだぞ! 裁け!」

何も起きない。何も聞こえない。

いや、ひとつだけ。

「ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃあてい ぎゃあてい」

不意に光が私を包んだ。

『奇跡』か!

もっと早く起きろよ!

羯諦ぎゃてい 羯諦 羯諦 羯諦」羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦 羯諦」


「仏説魔訶般若波羅蜜多心経ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう


 気が付けば、広い場所に私はいて、その周囲に見た事も聞いた事もない神々しい人々が立ち並んでいた。

みな、指を伸ばし手のひらを合わせて、声を上げる。

深く、響く声を。


観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五 蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不 異色色即是空空即是色受想行識亦復如 是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄 不増不減是故空中無色無受想行識無眼 耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至 無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死 亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無 所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無 罫礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢 想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三貌三菩提故知般若波羅蜜 多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等 呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜 多呪即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

  すると、一人歩み私の目の前に来た。

「マガンディア、あなたと話したかったのです」

粗末な布を体に巻き、清々しい顔と声で語りかけてきた女がいた。髪は一切、産毛さえもない女が。

「パティー……?」

「あの時、一切のものを失い、それでも得るものがありました。

この世の全ての生きとし生けるものは苦しんでいる。たとえ聖女になったとて。

ならばこそ、そこから脱する道があると、あの沼の生き物たちより教えられたのです。

誰もが目を背ける汚らしい中にも、また麗しき物の中にも、何でもない物にも。

善いと言える道がありました。

この身は壊滅させるべきものであり、心と感覚を落ち着かせ、安らぎを得ることができると。

その歓喜のあまり、あなたにも伝えたく思いました」

 何を言っているの?

恨みでも憎しみでもなく、ただ安らかな声を出す。

「あなたが打ち砕いたオークもゴブリンもオーガやリッチ-さえも、本当の敵ではなかった。

あなたも私も本当に砕くべきものを砕かなかった。

本当は、みんな苦しみに喘いでいる友達なのに。

快楽と無知が、私たちのよくないものでした。

結果として、私が誇っていた長い髪も力もいらないものであるとあなたは教えてくれたのです。それが良くない思いによるのであっても」

 何を言っているかわからなかった。

敵が、敵じゃない?

この美しい髪が、いらない?

みんな、この世の誰もが褒めてくれた髪と力が、いらない?

「もし、難しかったら。これだけでも覚えて。

思考、考える事はそんなにいいものじゃない。思考だけじゃない。美しさも、力も、その時によっていい物にも悪い物にもなる。

呼吸をして。

一心に呼吸をして。それだけでも苦痛はなくなっていく」

 パティーの姿を見て、私は思わず平伏しそうになった。

それを堪えていた。


「この周囲におわすのは私の先達です。私は先達たちと同じ道を歩み、素晴らしい境地に至ったお方を目指します。

それでは私の先達たちと一緒に最後、安らぎへの満ちを説いた言葉を再度あなたと、あなたの周りへ残すとします。

あなたは、あなたがなすべき事をなさって下さい。

聖女としての地位と力をもってなすべき事を。善いと言える事を」

 声が響いた。

轟いた。

染みわたった。

 あの、あのぎゃあてい、ぎゃあていと最後繰り返した、あの言葉の連なりが。

意味が通じなかったのに、心がそれを良いと知らせる、言葉が。






 気が付けば。

私は祈祷室にいた。いや、戻っていた。

あのパティーたちの集団は跡形もなく、さしたる影響もなく、ただ私や人々の記憶にあるだけだ。

 いや、人々は聖女である私以上にどこかあのパティーたちを崇め、祈りを捧げている。


 私は聖女でありながら、それを諫めるような事はしなかった。

ただ、目の前の剃刀が気になるだけだ。


髪を全部剃り上げてしまう衝動に駆られている。

 そして、パティーたちの足跡を同じように追いすがりたい気持ちが消えない。

それだけだ。


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