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『サヤームの鈴 ―日本人村の軍師になった男―』~400年前のアユタヤ王朝、君に渡せなかった鈴が今、歴史の彼方から鳴り響く~  作者: 十夢矢夢君ーとむやむくんー
第四章 英雄からの招待状

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9/10

アユタヤ要衝の監視官

 レックに新たな「辞令(じれい)」が下った。


 送り主は、あの山田長政である。


「お主のその博識、鯰屋に埋もれさせておくには惜しい」


 長政の命により、レックはチャオプラヤ川と支流が交差する要衝(ようしょう)、ポムペット要塞(ป้อมเพชร)の検問警備に任命された。


 日本人町の先輩武士たちは、揺れる小舟に身を任せ、北側の要塞まで水路で働きに出かける。


 だが、レックは町外れの馬飼いから小柄なポニーを一頭借り受け、陸路を「通勤」するようになった。


 周囲からは「変わり者の物好き」と失笑を買ったが、レックには自分なりの意図があった。


 舟は視点が低く、水面と岸壁の死角に視界を遮られる。


 だが馬の背は、高い位置から町を見下ろせる。


 要塞の人足たちの視線の泳ぎ、荷を隠すように急ぐ不自然な足取りが鮮明に見て取れる。


 赤茶けたレンガが重厚に積み上げられたポムペット要塞は、圧巻の威容だった。


 (俺の知る現代のアユタヤ歴史公園にあるこの“荘厳”な要塞は、城壁も朽ち果て、老人の散歩道に過ぎなかった。だが、どうだ……)


 擁壁(ようへき)の高さは14メートルに及び、フランスから持ち込まれた最新式のカノン砲が8門、河口を睨みつけている。


 タイ湾からバンコクを抜け、アユタヤへ遡上するすべての船を監視する、この国最強の「水門の砦」として威風堂々の構えである。


 レックの役割は、朱印船、中国のジャンク船、オランダの東インド会社船といった多国籍な船団の検問補助だ。


「……あのアラブ船、止めましょう」


 城壁の上から、レックが低く鋭い声を出した。


 要塞のシャム人の役人が、うだるような暑さに顔をしかめながら聞き返す。


「何を言う!積荷は香料と麻布との申告だぞ」


「喫水線を見てください。船が重たそうに沈んでいる。あんなの、香料や布の重さじゃないでしょう。もっと……そう、底に鉛でも詰まっているような沈み方です、早く停船の信号を送ってください!」


 役人たちが半信半疑で踏み込むと、案の定、麻布の束の下から大量の武器が発見された。


「……次はあの右岸に停泊中のオランダ船です。甲板に置かれた鹿皮の束、並べ方が整い過ぎています。あれは見せたくないものを隠すときの典型的な手口ですよ。皮の下に、申告していない火薬を違法に積み出そうとしています」


 レックの指摘する摘発率は、百発百中だった。


 それは彼がこれまでに調べて来た、アユタヤ王朝時代の論文資料から得た知識だった。


 それは彼がこれまでに調べて来た、アユタヤ王朝時代の論文資料から得た知識――いわば「歴史の答え合わせ」だった。


 この時代のアユタヤでは、オランダ東インド会社が日本向けの鹿皮輸出を独占しようと躍起になっていた。


 だが、彼らの真の狙いは商売だけではない。


 宿敵であるスペイン・ポルトガルの艦隊を叩き潰すための軍需物資を、中立国であるアユタヤをハブにして密かに動かしているのだ。


「いいですか、オランダ人は今、マカオやルソン島(マニラ)のエスパニア拠点を封鎖したがっている。そのための火薬が喉から手が出るほど欲しいはずです。シャムの王室を通さず勝手に火薬を持ち出すのは、この国の主権を愚弄(ぐろう)している証拠ですよ」


 レックの言葉に、シャム人役人の顔色がさっと変わる。


 単なる「不自然な積荷」という違和感に、当時の「欧州勢力同士の対立構造」という国際政治の力学を裏付けとして添えることで、彼の言葉には現代の知識としての重みが加わった。


 レックは知っていた—だがどうしても口は出せない、もっと大事なことを……。


 この小さな密輸の摘発が、やがてオランダと日本人町の摩擦を生み、ひいては長政を窮地に追い込む「外交問題」へと発展していく可能性を。


 摘発の喧騒の中、レックは馬の背から対岸を凝視した。


 そこには、豪華な石造りの商館を構えるオランダ人たちの、冷徹な計算が渦巻いている。


 要塞を預かるシャム人の役人たちは、この「未来のタイ語を話す日本人」を、もはや単なる長政の助手ではなく、見えないものを見通す「未来の賢者」として畏怖し始めた。


 だが、その活躍が目立てば目立つほど、不穏な影も濃くなる。


 要塞の影から、あるいは王宮の回廊から、長政と彼に仕えるレックを疎む廷臣たちの、刺すような視線が常にまとわりついていた。



 非番の日、レックは馬を返すと、夕暮れの日本人町を歩いて「鯰屋」へと戻った。


 懐には、要塞での「手柄」として支給された銀貨が数枚、重みを持って揺れている。


「ハナ、これがお給金だ。お滝さんに渡してくれ」


 店先で仕込みをしていたハナに銀貨を差し出すと、彼女は手を止めて、複雑な表情でそれを見つめた。


 受け取った指先がわずかに震えている。


「あんた、すっかり長政様に気に入られたわね。……でも、町じゃ変な噂ばっかりよ」


「噂?」


「近いうちに長政様は南のリゴールへ飛ばされるって。あんたも、あの人に付いていくんでしょう?」


 リゴール(六昆)―現代のナコンシータマラート県だ。


 レックの頭の中で、かつて取材で目にしたタイの古地図と、歴史の知識が重なる。


 山田長政がリゴール太守に任ぜられるのは、一見すれば栄転だ。


 だがその内実は、王宮内の権力争いから彼を排除するための、狡猾な島流しに等しい。


「リゴールは、アユタヤとは別の国だと思ったほうがいいよ」


 奥から、(すす)けた前掛けを拭いながらお滝が顔を出した。


 その眼光は、要塞の役人よりも鋭くレックを射抜く。


「あそこは熱病と、海賊と、裏切りが渦巻く場所だよ。中央の役人たちが、長政様という“脅威”を恐れて、南の果てへ遠ざけようとしているのさ。……あんた、まさか一緒に行くなんて言わないだろうね」


 お滝の言葉は、単なる警告ではなく、レックをこの店に繋ぎ止めようとする抵抗のようにも聞こえた。


 レックは答えに窮した—歴史の筋書きを知っている。


 長政に付いていけば、いずれ暗殺の渦に巻き込まれるだろう。


 だが、このままこの店で鯰を捌いていれば、やがて来る日本人村の焼き討ちで、この二人が灰に巻かれるのを指をくわえて見ていることになる。


「まだ、決まったわけじゃないですよ、それに長政様から何も頼まれてもいないですし……」


 レックが絞り出すように言うと、ハナは力なく笑い、彼から視線を外した。


「あんたの目は、ときどきここじゃない遠くを見てる。……さ、飯にしましょう。今日はカオトム(ข้าวต้ม)よ。あんたが好きな、紀州の梅干しにイワシの煮干しに、生姜をたっぷり効かせたやつよ」


 出された粥を啜りながら、レックは現代の食卓を思い出していた。


 有希と囲んだ、なんてことのない夕食。


 全身に行き渡る“生きている”という充実感……。


 あの時も、自分は仕事の締め切りや次の取材地のことばかり考えて、目の前の幸せを「当たり前」だと見過ごしていたのではないか。


 ハナの立てる微かな衣擦れの音、お滝が包丁を研ぐ規則正しいリズム。


 この「日常」という脆いガラス細工を守るために、自分は何をすべきか。


 その夜。


 レックが寝床に就こうとした時、表で激しい馬蹄(ばてい)の音が響いた。


 静まり返った日本人町に、場違いな高揚と緊張が走る。


「レック殿、おられるか! 長政様がお呼びだ。今すぐ王宮へ参られたし!」


 使いの浪人武士の叫び声に、レックは飛び起きた。


 ついに、歴史の歯車が音を立てて回り始めたのだ。


 暗闇の中、ハナとお滝の部屋から、微かな吐息と忍び泣くような気配が伝わってきたが、レックは振り返らずに草鞋を履いた。


(つづく)

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