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『サヤームの鈴 ―日本人義勇隊の軍師になった男―』四百年前のアユタヤ王朝、君に渡せなかった鈴が今、歴史の彼方から鳴り響く~  作者: 十夢矢夢君ーとむやむくんー
第四章 英雄からの招待状

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軍師のロジック

 書状には、病床に伏せるソンタム王の深刻な容態が、歪んだ筆致で生々しく記されていた。


 レックは一文字ずつ、記憶にある歴史認識と照らし合わせる。


(やはり…ここが分岐点か。歴史は今、この部屋から動き出そうとしている)


 ソンタム王の御身体は、側近が盛った微量の毒によって崩壊しつつある。


 だが、この書状の真に恐ろしい点は病状そのものではない。


 長政が何度も指でなぞったであろうその紙面からは、王宮の奥底に漂うソンタム王“崩御(ほうぎょ)”の臭いが立ち上っていた。


「……ソンタム王は、チェーター王子への継承を望んでおられる。わしに問われたのだ、日ノ本の国ではどうであるかと」


「長政様は……何とお答えに?」


「我が祖国では親子相続こそが筋である、とな」


 レックは息を呑んだ。


 長政が持ち込んだ、日本の“しきたり”が、アユタヤの伝統を覆す大義名分とされようとしている。


「ソンタム王はそれを遺言とされると、シーウォラウォン長官はそれを盾にして、政敵の王弟シーシン親王派を根こそぎ“粛清”するつもりでしょう。その実行部隊として我らを利用する気です」


「……分かっておる。だからこそ、レック、お主に頼みがある。わしの部隊を、単なる“雇われの傭兵(ようへい)”で終わらせたくない。これからは、お主の授ける“ロジック”を以って“日本人義勇隊(ぎゆうたい)”として奮起させる。わしらはただの駒ではないことを示すのだ!」


 傭兵から、義勇隊へ。

 

 それはレックという“軍師(ぐんし)”を得たことで、日本人傭兵隊が高度な「戦略集団(Intelligence Army)」へと脱皮することを意味していた。


 だが、その進化の先に待つ光景を、レックの脳裏にある“未来の記憶”が冷酷に映し出す。


(一六二九年八月五日付、オランダ平戸(ひらど)商館長の書簡……。そこには『新王プラサート・トーンが日本人らを使って高官を多数殺害した』と記録されることになる)


 今の決断が、四百年後には「異邦人によるクーデターへの加担」として断罪される。


 自分が“軍師”として生きれば生きるほど、ハナやお滝との穏やかな日常からは遠ざかり、血文字の公式記録の中へと引きずり込まれていく。


「……長政様。義勇隊を名乗るなら、その返り血は一生消えませんよ」


「構わぬ。我らが泥を被らねば、この日本人町の平穏は買えぬからな。……もうじき夜明けだ。デル・ロサリオ号へ乗り込むぞ!」


 レックは思わず絶句した。


「な……正気ですか! あそこは今、一触即発の火薬庫ですよ」


「だからこそ行くのだ。あの船を沈めるべきだと言った、この又左衛門殿のような頑固爺には見えぬ何かが、お主には映っているはずだ」


 試すような長政の視線に、レックは腹を据えた。


「……交渉相手は艦長のシルバ司令官ではありません。あの船を鏡にして、オランダと王宮にいる“政敵”を揺さぶるのです」


 この乗り込みの狙いは、過去の小競り合いの和睦交渉ではない。


 スペインを逆手に取り、自分たちを“烈火の日本侍兵団”へと押し上げる命懸けのパフォーマンスだ。


 当時、オランダは莫大な『銀』を背景に貿易を独占し、シーウォラウォンら高官へ裏金を流していた。


 長政がスペインという“新たな銀の供給源”とパイプを持てば、シーウォラウォンの権力基盤は長政に握られることになる。


「政敵……シーウォラウォン!」


 二人は揃って声を上げた。


 レックの論理が、四百年の時を超えて共鳴し合う。


「お主、やはり“鯰屋”には惜しい男よ」


 長政がレックの肩を強く掴んだその時、ざざっと重々しく立ち上がる着崩れの音がした。


「……ふん、また呪文か、何たる侮辱!好きになされるがよかろう」

 

 又左衛門は、レックの論理を「戦のいろはも知らぬ者の理屈」と断じ、自らの栄光が“ロジック”という言葉に置き換えられることに嫌悪を隠さなかった。


 彼はレックを無視し、長政に冷え切った視線を向けた。


 そして軽く頭を下げ「御意…」と小さく呟き、一度も振り返らずに広間を去っていった。


 レックは去っていった又左衛門の背中に、言い知れぬ不安を覚えた。


 その疎外感が、やがて長政を泥沼へ引きずり出す真のトリガーになることを、歴史を知るはずのレックもまだ予見できていない。


 窓の外、夜明け前のチャオプラヤ河には、スペインの巨艦が不気味な黒い影を落としていた。

 

 長政は自らの命をチップとして巨大なギャンブルに打って出ようとしている。


 だが、同時にレックを襲ったのは、胸を締めつける焦りだった。


(……まずい。これはやりすぎだ)


 もしこの『ガレオン船外交』が成功してしまえば、長政は歴史の記述を超えた怪物となり、アジア全体の勢力図が塗り替えられてしまう。


 自分は「歴史を破壊する」張本人ではないか。


 自分の指先ひとつで、四百年後の未来が、ハナやお滝の存在すら消し飛ばす『未知の明日』へ変貌してしまう――。

 

 レックは暗闇に浮かぶデル・ロサリオ号を見つめながら、夜の熱気を裂く氷刃のような戦慄を覚えていた……。


(つづく)

第四章では、レックがついに「歴史の歯車」の中心へと招かれる姿を描きました。ポムペット要塞での監視官としての活躍は、彼を単なる異邦人から「未来を見通す軍師」へと押し上げ、山田長政の信頼を得る契機となります。しかしその知識は、同時に歴史の均衡を揺るがす危険な刃でもありました。スペインのガレオン船をめぐる外交交渉、ソンタム王の病状と王位継承問題――それらはやがて血の粛清へと繋がる分岐点です。レックは「義勇隊」という名の下に、歴史の記録に残る惨劇へ加担する可能性を自覚しながらも、長政の信念に引き込まれていく。英雄からの招待状は、彼にとって栄光ではなく、未来を破壊するかもしれない試練の始まりでした。

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