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夜明け前の約束

作者: はる
掲載日:2026/01/20

人は、誰かを失った瞬間に強くなるわけじゃない。

ただ、昨日まで当たり前だった声や仕草が、もう戻らないと知るだけだ。

それでも朝は来る。

海は変わらず波を打ち、空は何事もなかったように明るくなる。

失ったものは戻らない。

けれど、残されたものは確かに、次の誰かを照らす光になる。

これは、別れの物語であり、

 同時に、生き続けることを選んだ人の物語である。

町外れの小さな港に、毎朝同じ時間に灯りがともる家があった。

少年・日向ひなたは、そこで祖父と二人で暮らしていた。

祖父はもう高齢で、足も悪かった。それでも毎朝、日向が起きる前に窓を開け、海の様子を確かめるのが日課だった。

「今日も穏やかだな」

その一言を聞くのが、日向は好きだった。

両親は数年前、海の事故で帰らぬ人となった。

日向はそのことを、あまり口にしなかった。悲しみは、言葉にすると胸が苦しくなってしまうから。

ある冬の朝、祖父は起きてこなかった。

静かすぎる家の中で、日向は胸の奥が冷たくなるのを感じた。

医者は言った。

「よく頑張りましたよ」

葬儀のあと、日向は一人で港へ行った。夜明け前の海は暗く、冷たく、怖かった。

それでも祖父が毎朝見ていた景色を、自分の目で見たかった。


 水平線が、少しずつ白んでいく。

 そのとき、祖父の声が、はっきりと思い出された。


 ――海はな、怖いけど、ちゃんと向き合えば、道を教えてくれる。

日向は初めて、声を出して泣いた。

でも同時に、不思議と胸の奥が温かかった。

夜が終わり、朝が来る。

誰かがいなくなっても、世界は進む。

そして、その中で生きていくことが、残された者の約束なのだと、湊は知った。

その日から、港の家の灯りは消えなかった。

今度は日向が、毎朝窓を開ける番になったから。

「今日も穏やかだ」

その言葉は、もう独り言じゃなかった。

 

春が来た。

 港の空気はやわらぎ、海の色もどこか明るくなった。


 日向は学校が終わると、まっすぐ港へ向かうようになった。祖父の古い道具箱を開け、錆びたロープをほどき、壊れた浮き輪を直す。誰に頼まれたわけでもない。ただ、そうしたかった。


 ある日、見慣れない船が入ってきた。

 若い漁師が一人、困った顔で岸に立っていた。


 「すみません、この港、使ってもいいですか」


 日向は少し迷ってから、うなずいた。

 「どうぞ。」


 それから、港に人が増えた。

 網を直す人、魚を分けてくれる人、日向に声をかけてくれる人。


 「君のおじいさんに世話になったんだ」

 そう言われるたび、日向は少し誇らしくなった。


 夜明け前、日向はいつものように窓を開ける。

 潮の匂い。波の音。変わらない景色。


 「なあ、じいちゃん」


 返事はない。

 でも、沈黙はもう怖くなかった。


 ――俺、ここで生きていくよ。


 そう心の中で言うと、東の空が赤く染まった。

 新しい一日が、また始まる。


 日向は知っていた。

 別れは終わりじゃない。

 受け取ったものを、次へ渡していくための、始まりなのだと。


 港の家の灯りは、今日も消えない。

 それは、誰かを待つ光ではなく、

 誰かを迎えるための光になっていた。

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