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電車に揺られながら、ぼんやりとしていた。隣に座る荷絨は、話しかけてくることはなかった。
目的の駅に着いたのか、立ち上がる荷絨に倣い、錬も立ち上がる。激しく揺れ始める電車の中で、扉の前に立つ。
ひび割れたアスファルトから突き出す雑草、錆び付いたトタン屋根の工場、殺風景な場所だ。田舎という字がよく似合う。
人っ子一人歩いていない。その現状に錬は背筋が凍る思いがした。虫の知らせのようなものがするのだ。
――静かすぎて、居心地が悪い。
「道場破りって、いきなり殴りこむってことだよな? そんなことしていいのか」
ここまで来て急に不安が込み上げてきた。今まで余裕だったのが嘘だったように、胸が締め付けられる。
「大丈夫っすよ。殴りこむんじゃなくて稽古つけてもらうだけっすから」
――それは、道場破りではないのではないか?
あはは、と笑う荷絨はどこか他人事のような気がした。
「おまえなぁ……。他人事のように言うが、確認とかちゃんととってるんだろうな?」
「まあ、任しといてくださいっす」
疑いのまなざしを向けながら、前を歩く荷絨を睨む。
「と。――着いたっす」
駅から大分離れた場所に、目的の場所はあった。
聳え立つのは、重厚な黒塗りの門。金色の代紋が記された表札には『大堂興業』と書かれていた。
息を飲み込む。
「おい。ここって」
門に向けていた視線を荷絨に向けると、荷絨が、和風なもんとは合わぬ呼び出しベルに指をかける。
「道場じゃねえじゃねえか」
錬にだって、敵に回してはいけないものくらいわかる。能力社会の現代で、魔窟ともいわれる反社の存在も。
「こんにちは、っす」
「おい。――なんだお前ら?」
出てきた男は大柄な体躯で、半ズボンから覗く脚は、鋼鉄の柱のようだった。無地のティーシャツから覗く腕には隙間なく刺青が彫られていた。
「え? 知り合いじゃないの」
「知らない奴っすよ」
荷絨の言葉に、心臓が締め付けられるような思いがする。
「さぁ、やるっすよ」
「あのな、そもそも相手は何もしてきてないのに、やれって……許されるわけないだろ?」
落ち着いた声音を装って荷絨に話しかける。それは、現実逃避か否かは定かではなかった。
「おい――」
「先手必勝っすよ」
「その攻撃を仕掛けるための理由がないだろう。もしかしたら、友好的かもしれないだろ」
なぜ、荷絨は落ち着いていられるのか。
「おい……」
「こんなやつがっすか?」
「こんなやつでもだ」
荷絨が男を指さす。荷絨は腕に入った刺青に指をさしていた。
「無視してんじゃねぇよ」
荷絨の指先を掴み、男が声音を落とす。
「おまえら、人様を侮辱して、攻撃するだ、先手必勝だ……。なめてんじゃねえぞ」
錬は一気に間合いを詰め、荷絨の指を掴む腕に目掛け、脚を振り上げる。
「ぬわッ――」
男の手が上がるのと同時に、荷絨の指が解放される。
反射的に動いてしまっていた。
――やっちまった。
これで素直に返してもらえなくなってしまった。
「いってえな。てめえ、なにしやがる!」
男が舌打ちをし、錬を睨む。
「そっちこそ、いきなりつかむとは何事っすか」
荷絨が錬の後ろに隠れる。できれば隠れながら、言わないでほしい。
男が作る拳に、炎が宿る。
――能力の行使。だが、今はまずい。
目を這うが、武器にできそうな木片も、小石すら見つからない。
「クソっ、何も落ちてねえ」
錬が眉を顰め、息を細く吐く。
「戦うんすよ。拳で」
「おい。何ごちゃごちゃ言ってる。こないのか」
待つ男を前に、錬はもう逃げたいと考えていた。
「拳でって……。無茶ぶりだな」
錬が呆れたように言う。
「ちょっと待ってくださいっす」
荷絨が指を広げ男を制止させる。が、
「待つわけねえだろッ!」
男は大声で吠える。左手で黒塗りの門を叩き威嚇をする。すさまじい衝撃音が響く。
その行動に錬が目を見開き、男を睨む。いつ行動されてもいいように構える。背筋に汗が流れ、息が詰まる。
「手短に言うっす。さっきみたいに反射で動くことを重視するっす。脳より先に身体を動かすっすよ」
「ははっ……。参考にならん」
「さっきからごちゃごちゃ、コケにしやがって。俺を誰だと思ってやがる!」
その刹那、男が足を踏みしめる。男の炎が燃え上がる。同時に、一歩、近づくたびに錬の体温が上がる。喉が、肌の水分を焼いていく。
巨体に見合わぬほどの速度。拳を握り、相手の拳に対して防御を取る。
その刹那――死が錬の頭で連想された。
『脳より先に身体を動かす』
と。同時に荷絨の言葉が脳裏によぎる。
錬が後ろに一歩下がる。
それと同時に、拳が錬の目の前に迫る。
――身体を、動かす。身体を。
右足を軸に左脚を男に向かって一気に放つ。炎が足を焼き、その痛みに眉をひそめる。
男の腕に左脚が食い込む、その反動で拳の軌道が逸れる。錬の髪を焦がし、男が体勢を崩した。
「いってえなッ!」
咆哮を上げ、男が反撃をしようと左手で殴り掛かってくる。
一気に後ろへ下がるが、黒門に背中から衝突した。
「逃げ場なしか……」
唾を飲み込むが、熱く、喉が焼ける。
男が肉薄し、錬に拳が襲い掛かる。
門に手をかけ、能力を行使しようとする。
「――こらッ」
凛とした、だが臓物を凍らせるような声。
一か八かの無謀な賭けに打って出ようとした、その瞬間、鼓膜を震わせるほどの衝撃音が響く。気づけば、男が吹き飛び、石垣を頭から割っていた。――一瞬の出来事だった。何が起きたかを理解しようと、目を左に向ける。
飴色の長髪に、髪と同じ色の和装をした男。糸目な瞳からは一瞬、言い表せぬほどの殺意を感じた。
いつの間に現れたのか、気づかなかった。
衝突した衝撃で塀が凹んでいる。ただ殴った、それだけでこれ程の威力が出るものか。
飴色の髪を揺らし、糸目の男が体勢を直す。
「家を燃やす気ですか」
敬語を使う、上品なその仕草は高貴な生まれを連想させた。
錬に目を向ける。その鋭い視線に射抜かれ、畏怖の感情が全身を支配する。
「こんにちは。何か御用ですか?」
言葉が詰まる。
視線を男から外すことができなかった。
喉から声が漏れるが、言葉にはならなかった。
「初めまして。――ようやく会えたっすね」
糸目の男の肩に手を乗せ、荷絨が話しかける。
振り返ると同時、荷絨の鳩尾に目掛け低い位置から突きを放つ。
荷絨が放たれる拳に触れる。その刹那――拳は垂直に方向を変え、地面のアスファルトを砕き、食い込む。
拳の跡が残ったアスファルト、あたりを砂煙が舞う。
動揺も、戸惑いも見せず、糸目の男は荷絨と対峙する。
「てっきり、鉄砲は一人だけだと思っていましたが……。いつの間に」
「鉄砲すか。ここで舞い散る、それもいいかもしれないっすね」
荷絨の目が鋭く冷徹に男を捉える。向き合った姿勢のまま一向に動こうとはしなかった。
先に動き出したのは――荷絨だった。




