第10話 マドンナ間女?
カーテンの隙間から入ってくる陽光は、誰も使っていない寂しそうな席を優しく照らしている。
僕が住んでいる地域は滅多に雪は降らないんだけど、今月末には雪の予報がちらほら出ている。
もう中学生でいるのも残り僅か、雪ではしゃぐ様な無邪気さは持ち合わせていないのだけど、年末の雪というのは何か特別な気持ちにさせてくれる。
十二月になってめっきり寒くなってしまったせいか、放課後の温かみのある陽光がなんだか久しぶりに感じる。
今日も僕は勉強をしに図書室に立ち寄っているが、室内に充満しているポカポカの陽気でうっかり眠ってしまいそうだ……。
「もう!」
「七海さん……」
そう、昨日の今日でなければの話だが……。
「もう! もう! もうもうもう!」
「図書室では静かにした方がいいと思うよ?」
「うるさいなあ!」
「いたっ!」
机の下から脚を蹴られる。
放課後になった矢先、僕は七海さんに図書室まで連行された。それはもうパッと教室に入ってパパッと連れ出したって感じ。誇張表現でもなんでもない文字通りのスピード感だった。
クラスメイトも先生も完全に置き去りで、ツッコミどころかリアクションを取る隙も与えない正真正銘の早業。
「あ〜〜! もう!」
本来は大人しいはずの七海さんだが、こキャラを壊しかねないレベルで荒れているのは何も虫の居所が悪いだけじゃない。
「誰にも言わないでって頼んだのに! 学校中に広まってる!」
「ま、まあ……あの反応じゃ黙ってる方が無理だって」
麻央を真似た演技の一部始終が案の定広まっていたのだ。
昨日の状況じゃ例え平山が黙ってくれてたとしても、あの中の全員が見逃してくれるとは到底思えなかった。
学校行事の大半を消化し、勉強続きでマンネリ化してきた毎日にあんな場面に出くわしたんだ。面白がられるのも無理はない。
流石に学校中に広めるのはやり過ぎだとは思うけど……。
「はあ……どうして私がこんな目に」
「今はみんな盛り上がってるけどさ、冬休み明けには忘れてるよ」
「……楠君はなんでそんなに悠長でいられるの?」
「え……それは……えっと」
負の感情がこもった七海さんの声が図書室を重苦しい空気で満たす。
「私は休み時間中ずっと寝たふりしてたのに……」
「うわぁ……」
想像しただけで悲しくなってきた。
「何引いてるの? 元はといえば楠君が私の演技を見たいって言ったのが原因でしょ?」
「確かに言ったけど、何も麻央の真似をしてとは頼んでないよ」
「楠君が何かにつけて小鳥遊さんの名前ばかり出すのがいけないんだよ」
「そうだったかな……」
「そうですー」
「でもなあ……」
麻央の話を切り出すのは基本七海さんからだったような……。
「さっきから何? 責任転嫁するの? 全部私のせいなの?」
「いやいや! しないよ!」
心の中を微妙に読むのやめてほしい。
「まず楠君の態度が気に入らないの」
「え!? なんで!?」
「平気そうっていうか、ものすごく他人事みたい。私達二人の問題なのに」
「別に平気ではないんだけど」
クラス中でひそひそ言われるのは普通に嫌だし、冬休みを前にして居心地が悪くなってしまったのは僕だって一緒なんだ。全然平気じゃない。何故か麻央も機嫌が悪くて踏んだり蹴ったりだ。
「大体私が小鳥遊さんから楠君を盗ろうとしてるってなに? 間女ってなに?」
「え? そんなこと言われてたの? マオンナ?」
麻央に関係することなのだろうか。
麻央とマドンナを合わせたニックネーム? さっぱりわからん。
「どっちかといえば小鳥遊さんの方が間女なのに……!」
「ねえねえマオンナってどういう意味?」
「しつこい。私はあなたのお母さんじゃないの」
「おか……お母さんて」
七海さんは相当精神的に参ってそうだ。口調もそうだけど、時折支離滅裂なことまで言ってくる。
この感じだと僕が知らないとこであれこれ訊かれまくってるのだろう。
僕は以前の麻央との一件である程度の耐性はついたけど、七海さんはこんな目に遭うのは初めてだろうしなあ。
目立つことに慣れてるとは到底思えないし、今の状況が相当ストレスなのだろう。
「でもさ、流れてる噂って普通にデタラメじゃん? 七海さんの演技に騙された人達が出所なら、僕達が普通にしてればみんな間違いだって気づくよ。僕と麻央の時と違って事実じゃないんだしさ」
その本当の噂ですら今となれば騒ぎ立てる人はどこにもいない。要は一時のブームってやつだ。
所詮演技だったのだから麻央の時よりも熱が冷めるのも早いと思う。
「で、デタラメ……? 麻央と違って事実じゃない……?」
「そう、だから気にするだけ無駄なんだって。堂々としてれば大丈夫だよ」
「気にするだけ無駄……」
「うんうん。こんな事に振り回される必要なんてこれっぽっちもない」
はっきりと断言する。受験勉強もあるのに周りに振り回されていては時間が勿体無い。
「……っ」
「七海さん?」
最善のフォローを入れたつもりが七海さんの反応が薄い。前髪が長いから元々表情は見えにくいのだけど、妙な圧力を感じてならない。
七海さんはトントントンと指で三回机を鳴らすと短く息を吐いた。
「噂は別にいいよ」
「え? いいの?」
話の根本からひっくり返っちゃったよ?
「楠君が平気そうなのが嫌なの。許せない」
「僕?!」
あろうことかこちらに矛先が向く。
どうやら僕が思ってた以上に七海さんは精神的にキテるようだ。
「楠君にはこれから毎日、放課後は私と過ごしてもらいます。勉強とか演技の練習とか色々です。無駄なんて言わせるもんですか」
「でももうすぐ冬休みだよ?」
「関係ありません」
関係ないんだ……。
僕冬休みも毎日学校通わされるのかな。
「それと七海さん勘違いしてない? 無駄ってそういう意味じゃ——」
「黙りなさい。勘違いじゃありません」
どうしよう……これは重症だ。
「……僕は別にいいんだけど、それだと余計に周りが騒ぐんじゃない?」
「楠君が私と同じ気持ちになればなんでもいい。私と同じように苦しめばね」
「刺し違えてでも潰すお気持ちなの!?」
「刺し違える? 私達は同じ包丁で一緒に貫かれるの」
「こわいってば!」
やばいってば。
まさかあの演技がこんな事態を生むとは思わなかった。
七海さんの演技を見たいって言ったのは他でもない僕だし、やっぱりほっとくわけにはいかないよなあ……。
冬休み明けには絶対にみんな落ち着いてるだろうけど、それまでは一緒に過ごすべきなのかな。
歩道橋の上で話した事もまだ少し気になるし……。
「じゃあ一緒に勉強させてもらおうかな」
「言っておきますけど、私がいいと言うまで解放しませんからね」
「は、はい……」
『はい』以外許されない凄みを感じた。
こうして僕と七海さんは妙な共同関係を築くのだった。
「許さない許さない許さない」
「うへ……」
いやほんと大丈夫なのかな。
刺されたりしないよね?




