第38話 毒薬変じて甘露となる
「楽しかったな」
「うん……みんな歌上手いんだね」
「僕と麻央以外はな……」
「ハルはいつまでも一緒にいてね」
「安心しろ。歌に関してはずっと味方だ」
どうやら僕と麻央の幼馴染シンクロは歌にも適用されているらしく、同じレベルで歌が下手なのが今日判明した。
美咲が歌い始めた時の麻央の青ざめた顔が頭から離れない。痛いほどわかるぞその気持ち。
ここ最近で麻央に一番共感できた瞬間かもしれない。
「あー……疲れた」
「寝るなら自分の部屋で寝ろよ」
「いいの」
ベッドに寝転ぶ麻央を横目に椅子に腰を下ろす。
慣れないカラオケで疲れているのは本当のようで、ゲーム音の類は一切聞こえてこない。
賑やかな空間に長いこといたから余計に部屋の中が静かに感じる。ちょっと耳をすませばお互いの呼吸すら聞き取れるほどに。
「また勉強?」
「いいや、今日は疲れたから休み。美咲にサイン返してる」
「そう」
今日の打ち上げをセッティングしてくれたのは美咲だ。お店選びも予約も全部任せっきりだったので、改めてお礼を言っておこうと思う。
美咲は友達とファミレスで二次会をすると言ってたから、返事はしばらく返ってこないだろうけど。
「ねみぃ……」
麻央がモゾモゾとベッドの上で動く音が後ろからする。また人の寝床に潜り込んでいるのだろうか。
はっきり言って僕も普通に疲れてしまったから、シャワーを浴びたらすぐに横になりたい。麻央がこのまま眠ってベッドを完全に占領する展開は勘弁してほしい。
麻央は一度寝たら中々起きないし、寝相の悪さも相まって起こすのが本当に大変なのだ。
「ねえハル。わたし達、昔みたいに戻ったけどさ」
「うん?」
確かに僕達はお互いのため込んでいたものを全部吐き出しあって、昔のように一緒に登下校する関係に戻れた。
友達やクラスメイトよりも近くて家族よりも深い関係に。
「昔と違うとこってあるかな?」
「なんだろ? そりゃあ、二年もすれば色々成長はするだろ」
「ハルはちっとも変わらないよね」
「麻央もだろ。性格とか好き嫌いとか」
二年あればお互い背だって伸びるし、少しずつだけどしっかり大人に近づいているのだ。
ムキになって言い返しちゃったけど、麻央は可愛さの中に女性らしさが混じってきた気がする。
確かに僕の部屋でグダついてる時はだらしない感じだけど、仕草だったり立ち振る舞いだったり。
麻央は少しだけ大人になった。
……あとは身体つきとか?
全然気にしてなかったのに、今になって一番の大きな変化に気がついてしまった。
え……マジでいつの間に?
三年間同じクラスだったのにこれっぽっちも気づかなかった。
「……なに?」
「い、いや! なんでもない!」
「えっちなこと考えてる?」
「考えるか!」
「言っちゃえば?」
「無理に決まってんだろ!」
「ハルが考えてることぐらい手に取るように分かるんだから」
「僕が変なこと考えてるみたいじゃないか!」
それを言うなら麻央は四六時中ゲームのことしか考えていないだろ。
幼馴染だからってなんでもかんでも掌握した気にならないでほしい。まあ……実際結構当たってるんだけど。
例えば僕が美咲や七海さんに対して、数年前より胸の辺りが成長したなんて考えようものなら口に出さずともアウトだ。ただでさえこの二人は何かと僕の考えを当てたりするのだから。
「じゃあハルは何考えて赤くなってたの?」
「ひ、秘密!」
「わたしでエッチなこと考えてたって正直に白状した方良いんじゃない?」
「誰がするか!」
「へー……結城美咲にチクっちゃおうかな〜」
「っ!?」
なんで麻央の口から美咲の名前が出てくる!?
「あいつ怖そうだからハル泣いちゃうかも。可哀想に」
「ひ、卑怯だぞ……」
しかもたった数時間で美咲がどんな人間かも把握してらっしゃる……。
この手のことなんか美咲が秒で怒るのが簡単に想像できる。
「ね? わたしだけにしといた方いいよ」
「……確かに少しだけ、やらしい方面に成長を感じたとは考えもしなくはなかったけどさ」
「そうか、ならばしね。むっつりすけべ」
「結局そうなるのか」
それでも美咲や七海さんにチクられるよりかはマシだが。
「あーあー。ハルは変態になってしまったか」
「いやちょっと待って。そんな不純な考えじゃなくって大人になったって普通に感心したっていうか……でも変わんないとこは変わんないし一緒だし」
「長い長い」
僕も自分で何を喋ってるのか途中からわからなくなってきた。
「……わたしね、わたしは昔と一緒なのはちょっと困るんだ」
「ちょっと?」
「そ。ちょっと困る」
麻央が後ろから近づいてきていると思った瞬間、顔を両手で挟まれて上を向けられる。
可愛らしい麻央の顔が目の前に迫る。
「ハル、結城美咲といつの間に仲良くなったの?」
「えっと……ゴールデンウィークあたりかな」
「そうかぁ。わたしがハルの家に来るようになったのとどっちが先?」
「それは美咲だと思う」
「そっかぁ。どのくらい?」
「どのくらいって、美咲と初めて会ったのはゴールデンウィークの前だから——」
「どのくらい一緒にいたの?」
「十日ぐらい……」
「そっかあ……そうなんだ」
「あ、ああ」
この妙な体勢で続けられる不可解な問いかけはなんだ?
「ねえハル……」
「ま、麻央……?」
垂れ下がった麻央の髪がカーテンのように僕を覆い、更に顔が近づいてくる。
顔と顔がくっつきそうな位置で麻央が微笑む。目元にあたる暖かい吐息がくすぐったい。
僕が少し動けば目や鼻、そして唇にだって触れてしまう非常に危うい距離で身動き一つ取れない状態。
「複雑な気分だけど……わたし、今のハル好き」
「……え」
吐息の混ざった甘い声が言葉の意味を理解するのを邪魔する。
「これからは……いっぱいらぶらぶしようね」
溶けてしまいそうな甘い甘い声音で麻央がゆっくりと囁いた。
「〜〜っ!?」
「……ハルまた明日ね。バイバイ」
「…………」
………………え。
「えええええええ!?」
ら、『らぶらぶ』って!?
懸命に意味を理解しようにも考えるまでもなく、デカデカと浮かんでくる一つの単語。
らぶイコール愛だよな!?
あ、愛!?
何かの本で読んだことがある。時に毒は薬にもなると。
有害なものが一転して有益になると。
だったら麻央の毒が一転しちゃったら……?
甘くなるのか……?
「もうわけわからん……」
猛毒赤ずきんとの物語は、最後の最後まで赤ずきんに振り回されっぱなしだった。




