第19話 悪魔のようなお願い
僕と麻央は幼馴染だ。親同士の仲が良くて、お互いの家に行ったり来たりするのは当たり前で、中学に上がるまでは家族同然に過ごしてきた。
だから僕は麻央がどんな性格なのかも、好き嫌いや趣味だって知っているし、これまでのことも知っている。
疎遠になっている間の三年は、僕にとってそれほど大きなものでなかったと思っていた。
実際に僕は勉強と部活でいっぱいいっぱいで、麻央に変化を感じさせなかった。
僕も麻央と過ごしていても、相変わらずだなという気持ちにしかなれなかった。
三年は大した時間じゃない。僕は僕で、麻央は麻央のままだとずっと思い込んでいた。
今の言葉を聞くまでは。
『橋田秀と別れたい』あだ名や親しい呼び名じゃなくて、フルネームなのが麻央の真剣さを物語っている。
今日だって良い雰囲気で委員会活動をしてたってのに、まるで意味が分からない。この発言の真意が全然見えてこない。
僕が勝手に思い込んでいただけで、離れていた三年間で麻央は変わってしまったのか……?
「別れたいって……意味分かって言ってんだよな?」
「当たり前」
「そっか……この話、橋田にはしたのか?」
「まだに決まってんじゃん」
どうしよう……思った以上に僕は困惑している。
まだ話せていないから『別れたい』だろうに。落ち着いて情報を整理していかないと。
「あのさ。一応訊くけど、どうして別れたいって思ったんだ?」
「それハルに言う必要ある? 関係ある?」
「い、いや……ないよな……そうだよな」
気押されて言い淀んでしまう。
麻央が橋田と付き合うようになったのは三年になってから。つまり、まだ僕と疎遠状態にあった時期のことだ。だから麻央が何を思って付き合ったのか、付き合っていたのか知れるはずがない。もちろん、別れたくなった理由もだ。
いつもはゲーム以外の何をするにおいても、気怠げで低燃費なのに、今の麻央からは静かながら強い意志を感じる。橋田の事情も知っている僕としては理由を知りたいのだけど……。
「でもさ……」
「なに?」
「今日放課後活動の時、あんなに橋田と良い感じだったじゃないか。なのになんで……」
「はあ……こそこそしてると思ってたけど、盗み見してたんだ」
「盗み見みたいになったのは謝る。でも僕にも色々と複雑な事情があるんだよ」
「で? それにあの後輩も関係あんの?」
「あいつは勝手に付いてきただけだよ。そこまで関係ない」
「そこまでってなに?」
「とにかく今日のことは僕が悪かった」
「それで? 謝ってるけど形だけで全然謝ってないよねハル」
「……ごめん」
痛いとこを麻央に突かれる。
普段の毒舌はただ単に本人の素なのであって、驚くことに普通の状態なのだ。それだけにこうして口喧嘩になった時、明確な攻撃意思を持った麻央の殺傷力は尋常じゃない。
「ま、いいや。どうせ別れるんだし」
「麻央……」
麻央はまた溜息を吐くと、ベッドから立ち上がり僕の直ぐ傍にまで寄ってきた。
「『ハニー』だっけ? あの呼び方鬱陶しいの」
「ま、麻央……?」
麻央は僕の両肩に手を乗せて、心底失望し切った目をして口を開いた。
「付き合ってること自慢してまわるのも目障り。一緒に帰ったらずっと自慢話で耳障り。わたしは頼んでもないのに、他所のクラスから会いにくるのもうざったい。休み時間くらい好きに過ごしたいの。サインも毎日送ってくるの嫌、少し返事が遅れただけで次が飛んでくるし。わたしの時間が次から次へと奪われてくの。わかる? ああ、ハルにはわかんないか。文化祭実行委員だって、他の人から無理矢理代わってもらったんだって? 冗談やめてよ。そんなことしたらどうなるか、少し考えたらわかんないかなぁ。周りの連中の声が耳に入ってくるの。彼氏がどうとか彼女がどうとか、わざと聞こえるように話してるのかなあれ。全員惨たらしく死なないかな」
言葉を紡いでいくにつれて、肩に置かれた麻央の手に力が入っているのが伝わってくる。
麻央程度の力なら振り解くのは簡単なはずだ。でも僕の身体は動こうとしなかった。
「ま、麻央……そのへんにしとけって」
「……」
矛先が橋田以外の人間にまで向いてきたところで静止をかける。
ここには他に誰もいないけど、これ以上聞いていたら僕の方がどうにかしてしまいそうだ。
「麻央の気持ちはわかったからさ……」
「……っ」
言い終える前に失言だと気づいた。
何を持って麻央の気持ちをわかった気になっていたのだろう。こんな軽はずみなことを口走ったのだろう。
宥めるつもりが、麻央の毒々しさに耐えきれなくて安易なことを口にしていた。
「で? わかった? わたしの気持ちがわかった? はあ?」
「あ……いやこれは……」
「よく言うよね。一番何も知らないくせに」
「……確かに僕は麻央達のこと知らなかったかもしれない。でもさ、麻央はさっきみたいに溜め込んでばかりだったんじゃないか? 少しずつでも打ち明けていれば、橋田だってわかってくれたんじゃないのか?」
後の仕打ちが怖いけど、一歩踏み込んだ質問を続けた。
「だからなんでハルがあいつのこと知ったふうに言うの?」
「そ、それは……」
相談に乗ってると言えるはずもない……。
「とにかくわたしは別れたいの」
「……それが麻央の意思なら僕は止めない」
当人達の問題なのだから。
「じゃあハル、協力してね」
「……は?」
可愛らしい声音で悪魔のようなお願いをする麻央。
「そうだ。ママがうちで夕飯食べてって言ってたよ」
「あ、ああ……」
「きてね」
食欲はこれっぽっちもないのだが……。
去り際に残した何げない一言のはずなのに、場違いな甘ったるい声音が『逃げるなよ』『来いよ?』と脅しのように変貌させている。
無論僕に拒否権はない。




