第6話
「おっそ」
「五分前なら遅刻ではないと思うんだけど……」
「いやいやいや、普通に三十分の遅刻だから。マジでありえないサイテー」
「なんかごめん……」
会って早々文句を浴びせられる僕。どうやら情報の行き違いがあったようで、集合五分前に来たはずの僕は三十分の遅刻を言い渡された。
「あたし五時集合遅刻厳禁て言わなかった?」
「え……まだ続けんの?」
「五時集合て言わなかった?」
昔やったゲームを彷彿とさせる、特定の返答をしなければ会話が進行しない状態のようだ。ゲームの世界は時間も止まっていてくれるからいいんだけど、現実の時間はお構いなしに進むから勘弁して欲しいんだけどなあ。
「言ってません。と思う」
「はああ!? 言いました! 百パー言いましたー!」
「じゃあなんで僕に訊いたんだよ」
「そういう意味じゃありませんー。あたしの話聞いてないって言ってんの! 陽也くん試合で疲れてバカになってんじゃないの?」
「疲れてはいるけど頭は元々良くないし」
「普通に謝ればいいのに」
「だからさっき最初に謝ったんだけど……」
纏めるまでもないけど、美咲は五時集合のつもりで、僕は五時半に合わせて来た結果こうなった。来ようと思えば来れなくもなかったが、部活の後の状態で女子に会いに行くわけにもいかず、一度家でシャワーを浴びてから来たのだ。しかしここまでこっ酷く怒られてしまうと、清潔さと時間、どちらを取っても結果は然程変わらなかったのだろう。
「まいっか。遅れた分は帰りを遅くすればいいし」
「じゃあなんで怒ったのさ」
「うっさいバカ」
「帰り遅くなったら両親が心配するんじゃない?」
「口答えすんなバカ」
学校の女子とは全く別だと思っていたけど、怒っている時の七海さんと少し似ていると思ってしまった。特にどうにもならなくなるあたりが似てる。こうなると経験の少な過ぎる僕じゃもうお手上げ。
「……バカ!」
「いった! 蹴った! 今僕のこと蹴った!」
口答えしてないんだけど……。
「なんか今すっごいムカついた!」
中々お目にかかれない腰付近まで脚をあげたミドルキック。ショートパンツだからよかったものの、昨日みたいなミニスカートだったらと思うと、おっかなびっくりならぬ、おっかな嬉しい展開になっていただろう。
もう……僕にどうしろと。
待ち合わせて少しもしないうちにこんな事態になるなら、帰る頃にはどうなっているんだよ僕。
******
「ここ何?」
「バッティングセンター」
「野球?」
「そう。外で待ってて」
美咲にはケージの外で待っていてもらって、マシンに専用のコインを入れる。散々悩んだ末に思いついたのが、女の子を連れて行くにはどうかと思われる場所になってしまった。だが反応を見るに、感触は悪くなさそうだ。
「見てて」
飛んできたボールをバットで打ち返す。バッティングは苦手だけど、マシンの球なら部活でいくらでも打ってきた。百十キロと表示されているマシンの右横に、ライナー性の打球が直撃する。
三球目、四球目と自分でも納得のいく当たりを量産していく。これが試合中でも出来ればいいんだけど、ピッチャーが投げる球とマシンのそれとでは全然違う。
「こんな感じ」
「面白そう! 遊び方教えてよ」
「もちろん!」
興味を示してくれたようで胸を撫で下ろした。正直ここに来るまでの間、美咲の機嫌が悪かったのも勿論、自分のプランにこれっぽっちも自信が持てていなかった。
こうして遊んでみたいと思ってくれただけでも、僕の選択は間違ってなかったと言えるだろう。
「バットを持ってからコインを入れるんだよ」
「ふーん」
「あ、待った。いきなり百十キロは無理だと思うから、八十くらいからにしよう」
初心者ならそれでもバットに当たればいい方だ。ましてや女子。それと一つ問題があったりする。ここでちっともバットに当たらなくて、嫌になってしまうってことだ。美咲は性格的にも絶対にそのタイプと見た。なので最初の入りは慎重にかつ丁寧に、それでいて美咲の意思を尊重しなければならない。
「コインを入れたらすぐに構えてね。なんの合図も無しにボールが飛んでくるから」
「ねーねー。始め方はわかったけど、バットはどうやって持つの?」
そうだった。それも一から教えないと。バットの持ち方って結構ややこしいとこがあるからな。
「美咲、利き腕どっち?」
「みぎー」
「じゃあまず両指の付け根から第一関節で握るんだ。利き手の方が上ね」
「こう?」
「そうそう。それで右耳の近くまで右手を持ってくる。こういう感じ」
「ん?」
「そうそう、良い感じ」
バットを持たずに手本を見せてるからわかりにくいだろうけど、美咲は飲み込みが早いようで形にはなった。
「それで脚は肩幅より開いて……あ!」
「……どうかした?」
美咲の足元に目を向けて初めて気づいた。美咲は昨日履いていたブーツと似たようなものを履いている。短めでヒールもそこまで高くない。とはいえ運動には不適切だ。あれでは絶対に打ちにくいし、怪我にも繋がってしまう。
「待った。その靴じゃやりにくいから、運動靴がないか訊いてみるよ」
「え〜? 早く打ちたいからいいよ」
「でもそれじゃ打ちにく……い!?」
そう言うや否や、美咲はブーツを脱ぎ、網目模様の入ったストッキングに包まれた脚を露わにした。
「あれ。でもこれじゃ滑る」
「……」
「陽也くんどうしたの?」
「……いや、なんでもない。気にしないで」
なんの躊躇いもなしに膝上までのストッキングも脱いで裸足になる美咲。すらっと伸びた白い脚でそのままバッターボックスに入る。全然やらしい意味で捉えてるわけじゃないんだけど、マジマジと見ていると申し訳ない気持ちになってしまう。
「こうでいいんだよね?」
美咲が教えた通りの構え方からバットを軽く振るが、力の入りにくいフォームになっている。
「ちょっと違うかな。こう脇を締めて、上から下に……」
「こう?」
「えーっと、そうじゃなくて……」
「あーもうわかりにくい! ちゃんと教えてよ!」
「そう言われても……あ、そうか。ちょっと中入るぞ」
ケージの中に入り美咲の背後に立つ。僕も初めてバットを握った時はこうして教わってたっけ。
そんな思い出を懐かしみながら手本を間近で見せようとした矢先——。
「……しまった」
「は?」
後ろから同じバットを持とうとしたが、この方法をとると背後から美咲に抱きついてるみたいになるんじゃないか?
よく考えなくとも完全にアウトの体制。美咲が一言声をあげれば僕が犯罪者になる。
「ねえ? 入ってきて何がしたいの? あたし早く打ちたいんだけど」
「そりゃ重々承知してるけど……」
何がしたいのかははっきりしているんだけど、実践するリスクが大き過ぎる。そんなのお構いなしに美咲は機嫌を悪くなりかけている……まさに四面楚歌。
「それで? どう違うのかちゃんと教えてくださいー」
「その……脇を締めてダウンスイングを心がけて——」
「なーにー? 聞こえませーん」
不機嫌を通り越えて挑発的な態度まで見せ始めた美咲。僕が誰のためを思って考えを巡らせているか知りもしないで……こうなったらなるようになれだ! なったら困るけど!
「こ、こうやるんだよ!」
「あっ……」
当時教わった時の体勢になって、構えた場所から軌道を確かめるようにゆっくりスイングしてみせた。
後ろから抱きしめているような体勢なのでそれなりに身体は密着する。美咲の体温も匂いも十二分に伝わってくるから、色々意識しないようにするのが精一杯。来る前にシャワー浴びて大正解だった。これで練習後すぐに来ていたらと思うと目も当てられない。
「ここでしっかり脇を締めないと……うまく力が入らないし、当たっても飛ばないから」
「う……うん。なるほど……」
「さ、さあ! いよいよ実戦だ! ここからは君自身との戦いだ!」
「……ぷっ! あはは! なにそのうざいキャラ! マジウケるんですけど!」
「そりゃせっかく来たんだから楽しんでもらいたいし」
「あはは。いいよ。一生懸命教えてくれたんだし、頑張るね!」
ヘルメットを被ると、美咲はメダルを入れてバッターボックスについた。ケージの向こう側からでも見える笑顔は、僕が知っているどの笑顔よりも眩しくて、暖かで、誰よりも今を楽しんでいるのが伝わってきた。
その後美咲は、最初の数球を空振りや打ち損じをしたものの、運動センスが尋常じゃなく良いのか、コツを掴んで初心者とは思えないセンター返しを連発した。
僕はというと、美咲を後ろから抱きしめてしまった感触が生々しく残っていて、心地の良い『パコーン』という打球音をバックBGMに、鮮明に焼き付いてしまった記憶と戦っていた。




